広島市に暮らす佐々木日菜。彼女の周りには2人の平和主義者が居る。祖母のチヨは1945年8月6日の原爆投下を経験し、母と妹のチエを亡くした。現在は服飾系の企業の社長として、齢92ながらバリバリ働いている。そして婚約者の建はYUSHI海外活動隊の隊員として紛争地帯で援助活動を行っている。危険地帯であるボマダンでの3ヶ月の任務を終えた後、日菜と結婚式を挙げることになっている。
*戦争の説明や描写がありセンシティヴな展開となっておりますが、実際の店舗とは全くの無関係です。
マイナーな紛争地帯において外国人はよく目立つ。武装勢力にとっては誘拐して身代金を強請る格好の的であり、外国政府に対し圧力をかけて自らの要求を呑ませようとする。勿論敵と繋がっているとみえれば討伐される。
ガイド役を務めるタヌボ村の副首長が交渉に乗り出した。失敗すれば命の保証は無い。緊迫した時間が続くこと1時間。何とかベラメイを説き伏せ、先へ通してもらうことに成功した。幸いにも副首長がベラメイの団員の1人と浅からぬ交流を持っていて、それを端緒に交渉して赦しを得られたのである。しかし建は恐怖心が抜けず、後部座席で体を丸めながら終始震えていた。
タヌボ村に到着すると、首長がいの一番に建へ声をかけてきた。
「ベラメイの活動が激しくなってきた。この村が襲われるのも時間の問題だ。今すぐここを離れた方が良い」
「ダメです。まだ教えるべきこと残っているのに」
「あなた方の命の方が大事だ。サポートは十分してもらえたと思っている。後は自分達で頑張るから、バラスに戻りなさい」
このまま滞在すれば、危ないのは建たちだけでない。外国人の存在がベラメイに知られたら、真っ先に村民が襲撃される。あの悲劇的な虐殺が自分達のせいで繰り返されては元も子もない。建は首長の進言を呑み、2週間の任期を残して志半ばでタヌボ村を去った。
建が漸く日菜のコメントに触れたのはバラスに着いてからであった。帰りの道中ずっと寝てたから着信見れなかった、次の任地であるボマダン南部には少し前倒しして赴任するが暫くはバラスに居る、と日菜には伝え襲撃に遭ったことは秘密にした。
そっか。俺も日菜の意見に賛同する。やっぱり戦争は醜いものだと思ったよ。タヌボ村の貧しくも伝統的な生活、朝日が照らす荒涼とした砂漠。穏やかで守りたいものが戦乱によって破壊されるのは残念なことだと思う。核なんて尚更駄目だよな。なんで穏やかにできないのか……
気の変わりように驚く日菜は、チヨと共に新天地の立ち飲み屋を訪れていた。この日は近くのお好み焼きの店が集結する施設にて友達と夕食を摂る予定であったのだが、チヨに建の言葉を早く伝えたくて急遽約束を取り付けた。急めな階段を登った先にあるのだが足腰のしっかりしているチヨは気にせず上がる。日曜の夕方であるが店内は大盛況であり、辛うじて空いていたカウンターの短辺の端に通された。

広島名物の桜尾ジンには色々種類があるのだが、この店ではそれを網羅して揃えている。中でも比較的珍しいと思われる「ハマゴウ」をソーダ割りでいただく。宮島に自生する紫色の花を咲かせる植物であり、これをボタニカルの1つとして含め他の広島県産素材と共に蒸留。涼やかな香りが豊かで落ち着く味は、ハマゴウのボタニカルとしてのポテンシャルを実感する。

摘みは殆どが400円。量は控えめだが素材が良いため満足感は高く種類も豊富。先ずはわさびの醤油漬け。醤油の塩分が酒を呼び、麻痺するような辛みがクセになる。日本酒の味はマスキングされてしまうので蒸溜酒系と合わせるのが良い。
「ぶちえらい気の変わり様じゃのぉ、建さん。何かあったんかね」
「わからないけど、武装勢力の接近を間近に感じて何か考えることあったんじゃないのかな」
「まあ素直に平和を願うてくれるなぁ嬉しいことじゃ。ごめんな、別れろなんて言うてしもうて」

黒毛和牛しぐれ煮。間違いのない美味さであり、すりごまのアクセントも良い。
こういう食べ物に日本酒が合う。地酒もあるが、ひと通り味わい尽くしたチヨは県外の酒を好む傾向にある。この店では新政や十四代といったレア物を気軽に飲むことができる。

十四代からは、山形県内限定品の朝日鷹。十四代といえば磨きに磨かれた透明感のあるフルーティさが特徴だが、こちらは昔ながらの鼈甲みがあって、それでも清らかに溶けて美しいコクを生み出す。これを900円でたっぷり飲めるのは贅沢である。

新政もまたレアなものであるが、その中でも特に争奪戦になる低精白純米酒の涅槃龜(ニルガメ)が丁度入荷していた。新政らしい複雑な旨みの中に、初心だけど深い甘み。繰り返すがこれを殆ど掛け値無しで飲めるのは贅沢である。
「戦争が無かったら、原爆が無かったら、私はどんな人生を歩んでいたんだろうな」
南の島でせっせと農業に励む計画はすっかり破綻し、家族も失って途方に暮れていたチヨ。頼れるのは三次方面にいた親戚であった。会える確証も無いまま有り金をはたいて芸備線に乗るしかない。そうなると広島市内に帰って来られる保証はもう無い。三次で行き倒れたらそれも運命である。辛うじて残った産業奨励館(原爆ドーム)に手を振って、自宅跡地を発った。
切符を買うと財布には数銭しか残らなかった。戻れない旅路であることを改めて痛感する。汽車に乗り込むと、自分と同じく帰る場所を失ったと思しき人々で込み合っていた。現代なら快速で1時間半弱で行ける道のりが、この時は4時間もかかっていた。満員で空調も無い列車、しかも先の暮らしを見通せていない状況だから余計に長く感じるものである。
備後十日市(現:三次)駅からは、一度だけ訪ねた際の道のりを辿り親戚の家へと向かう。朧げな記憶のため途中で迷ってしまい、人が通りかかると手当たり次第に「岸田さん家はどこ」と訊く羽目になった。
何とか家に辿り着き扉をノックする。あまり親しい親戚ではなかったため、出てきた時の顔も大分むすっとしていた。
「チヨです。空襲で家族みんな死んでしもうて、うち1人になってしもうた」
「ピカドンにやられたんか?それならわしは受け入れんぞ」
「そんな……」
この頃、原爆についてあまりにも国民は無知すぎた。今でこそ被害の全容が見えて学生向けの科学教育も進歩しているが、当時はあまりにもよく解らない被害者達の症状を見て、これが感染るものであったら危険だとなり(実際はもちろん感染はしない)被爆者を差別する傾向が強まった。岸田夫妻も差別をするひとりで、チヨの受け入れは断固拒否するつもりだった。しかしチヨは断られても頑なに帰ろうとしなかった。このまま放っておけば、身寄りが無くて淫らな商売をしたり人様の金を盗んだりするなどの非行に走ってしまうのではないか、と少し歪んだ考えを理由にして引き取ることとした。

重くなってきたため一旦現代の酒場に戻ろう。日菜が頼んだ摘み「がんす」は、薄く固めた魚のすり身を揚げた広島のご当地グルメ。ここのは極薄ではあるが噛むと魚の旨みを確と感じ、マヨネーズで味変するとこれまた乙である。

日菜が地酒を飲みたいと言い出したためチヨも足並みを揃える。まずは西条の賀茂泉から、イワトビペンギンのラヴェルが印象的なRock Hopper。ここまで甘みの強いものを飲み続けてきたこともあってか、純米吟醸であるがさっぱりと爽快な味わい。
「おばあちゃんってYouTubeは観ない?」
「観んね。信用できるなぁ新聞とテレビだけ。ネットは嘘も厭わず差別を煽るけぇ、ぶち嫌いじゃよ」
「全部がそういう訳じゃないよ。私が観ているYouTuberさんは危険とされる国に行って、ありのままの様子を投稿している。建さんと同じで、危険地帯にも地域にも日常があることを伝えたいんだって」
日菜はチヨにシリア旅行記の動画を紹介する。内戦やISILのイメージが強くさぞかし危険地帯なのだろう、と思いきや現在はアサド政権が倒れISILの支配もほぼ無い。平和が訪れ、古代都市ダマスカスを自由に観光できる未来も期待できる、と日菜は思っている。
「知らんかった。テレビのニュースでは報道されとらん」
「テレビが全てじゃないのよ。勿論ネットも排外的な主張が多くて嫌になるけど、テレビや新聞が制約あって報じられない話題を自由に提供できるのは大きいと思う」
「ソマリア編も気になるね。一番危ないイメージあるけど」
「同じ国内でもそこまで危険じゃない場所に行ったみたいよ。本当に危険なところだと流石にカメラ回せないみたいだし」
「弁えちゃっているんじゃのぉ。帰ったら観てみるとするか」

広島県産フルーツトマトのカプレーゼをお洒落に摘む日菜。トマトの甘味に覆い被さるはチーズの塩気、オリーブオイルの香り、黒胡椒の刺激。400円の摘みとしては密度の高いものである。

ウイスキーに切り替える。ジャパニーズもスコッチも豊富な品揃えで、偶に珍しいボトルも入ったりしてウイスキー好きも目を光らせる。チヨはカヴァランを嗜む一方、日菜は戸河内の中から、この前のバーでは出てこなかった赤ワインカスクフィニッシュを戴く。この店では通常の1.5倍量である45mlがデフォルトであり、酔うといけないのでおとなしくロックで飲むこととした。赤ワイン熟成らしいフルーティな香りが支配的で、水の柔らかさも感じる。全然強さを感じないものなのでストレートで飲んでも良かったのかもしれない。
何とか岸田家に引き取られたチヨであったが、扱いは雑であった。感染るといけないから、と納屋に閉じ込められる。最低限人が住めるよう改造はしてくれたが、食事は小窓から完全防備で運ばれて来て、回収される時もまるで劇物を扱うように細かいルールがあった。食事を渡される度に嫌味を言われ、暑さ寒さで体調を崩しても医者に診てもらえない。学校にも行けなかった。人間の尊厳を踏み躙られながらも、行き倒れるよりはマシと言い聞かせ囚人らしい3年間を耐えた。
その期間を支えたのが編み物である。毛糸だけは支給してもらえたから刑務作業のように打ち込んだ。そのうち服への愛着も湧いてきて、服飾業界に飛び込むことを決意した。広島行きの金をせびり、岸田家の納屋を脱出。広島市内で唯一知っていた洋裁店を訪ねたが、未経験者に用は無いと言われ一度は断られた。しかしチヨは粘ることを覚えているので来る日も来る日も店を訪ね、店主は根負けして住み込みで雇い入れてくれた。こうしてチヨは三四半世紀に渡るキャリアをスタートさせた。

日菜の約束の時刻が迫っていたので最後の酒とする。全国区となった呉の地酒、雨後の月から特別純米十三夜。やや黄金色を帯びた液体ながら、低アルコールらしいするっとした甘みが心地良い酒である。
たっぷり飲んだつもりであるが会計は1人あたり4,000円台。支払いは現金のみであるが、その分安く提供できているのだと思う。今回は選ばなかったが焼酎(特に芋)やオリジナルサワー、珍しいリキュール等が豊富に揃っており、立ち飲みでサクッと済ませるのが勿体無いくらい多種多様な酒肴を楽しめる良店である。ちなみに東京の吉祥寺に2号店があるので(価格帯もそのまま)関東住みでも気軽にこの店の世界観を楽しめる。
スマホを見ると、建のバラス日記が届いていた。
バラスで牛ステーキ食ってる。すげぇ美味い。おまけに赤ワインまで飲んじゃったよ。フランスの色が残ってるからかな、飯が素晴らしい。
あ、ボマダン南部のポノには3日後行くことになった。また電波届かない場所になるから連絡できなくなるけどごめんな。良い土産見つけたから持って帰るよ。楽しみにしててな。
「危険地帯なのにすごい観光愉しんでいる」
「こがいなことなんじゃのぉ、紛争地帯にも日常があるって」
「私も行きたいな。新婚旅行はイラク提案してみよう。バビロンとかハトラとか、あとサーマッラーのミナレットに登りたい」
「気安う行くなんてゆわん方がええよ。他の国以上に用心は必要なんじゃろ?」
「そうだね。でもいつかは行きたい」