女性アイドルグループ「TO-NA」のメンバー・タマはおちゃらけヘタレキャラのイメージが定着していたが、大人っぽい趣味を欲するようになっていた。TO-NAプロデューサーのタテルから助言を受け、2人でアド街出演を目指して街歩きをやってみることにした。
初回の舞台は秋葉原。電気街やオタク文化で発展し、タマがアイドルに、タテルがアイドル好きになるきっかけを与えたAKB48の本拠地を、歴史の移り変わりを噛み締めながら歩いてみる。
平日の秋葉原を歩く2人。日比谷線の駅を出てヨドバシカメラの通路を抜け信号を渡る。JRの改札を横目に歩き、中央通り方面へ抜ける通路に入る。出た先にはラジオ会館があって、その先にある、休日であれば人でごった返す中央通りの横断歩道をすんなり越えた。確かに人は多いが、タテルが高速で歩いても大丈夫なくらいの混み具合であった。
「待てよ、かつやに行列ができてる!」
「ホントだ。安くて美味しいですもんね」
「それはそうだけど嫌な予感が……」
2人が求めているものもとんかつであった。秋葉原でとんかつといえば丸五。50年の歴史があり、常に行列のできる名店である。
「6年前に1回来たことある」
「あるんですね。美味しかったですか?」

「勿論。その時はヒレカツだったかな。とんかつというよりかは豚肉料理として、完成度が高かった記憶」
「豚肉料理?」
「豚肉が兎に角美味い、という印象。あまり詳しい記憶は無いけど」

正午ぴったりに到着して待ちは20名前後。これが1時間待ちの目安である。昼休みにパッと訪れるような店ではないため会社員の姿は見られず、外国人と少しのおじさんが列を構成している。
「休日はこの倍の待ちになるらしいからな。大人しく並んでいよう」
「タテルさんは並ぶの慣れてるからいいですよ。私はキツいです」
「お勉強しながら待てば苦にならない。今日は秋葉原がいかにして『電気街』を形成したか、調べてみよう」
時は昭和初期に遡る。文明が発展し、街灯やらラジオやら、電気への需要が高まってきた時代。昭和8年、秋葉原(外神田)の地に広瀬商会と山際電気商会が店舗を構える。当時は万世橋が中央線の起点であり、地下鉄銀座線も通っていたため街は大いに賑わっていた。
しかし東京大空襲で街は壊滅。辺り一体焼け野原となったところに、戦前からあった廣瀬無線や山際電気商会に加え石丸電気やオノデンなどが中央通り沿いに店を構えた。さらに、小川町から須田町にかけて店を構えていた組み立てラジオ露店商が、GHQによる露店撤廃措置の代替として秋葉原の高架下に移転してきた。
「そういえばあったな、ラジオ会館」
「ありました?」
「通路抜けた先にあっただろ。俺より遅く歩いといて気が付かないとは」
「またお小言ですか⁈」
「小言じゃねぇよ。愛あるイジリだ」
「愛があるかはこっちで決めますから」
行列に慄いたのか後続する客は殆どおらず、列は急速に短縮していた。この日は12:30前が狙い目だったようである。とんかつ屋であるにも関わらず、天ぷら屋であるような胡麻油の香りが漂うのは興味深いところである。
やがて日本は高度経済成長の時代に突入。民放ラジオ局が興り、洗濯機・冷蔵庫・白黒テレビといった三種の神器が登場した。家電を安く買える、という利点もあって秋葉原の電気街は大盛況を迎えた。2人の話に登場したラジオ会館も、その勢いに乗って昭和37年、秋葉原で初の高層ビルとして開館したものである。日本の家電は外国人にも人気で、秋葉原は国際的に名の知られる街となった。

見立てより早く30分強で入店することができ、2階に案内された。そこにはテーブルが5卓あって、2人がけの方に座ることとなった。大柄でパーソナルスペースの広いタテルには窮屈であるが、タマが淑やかにしてくれたので困ることは無かった。ちなみにこの後外国人が5人でやってきて、一番大きなテーブルを1人客と共有する。赤ん坊がぐずり出し、外に出てあやす役目を担ったのは父親であった。父親とは大変な身分だな、としみじみ思う亭主関白気質のタテル。提供までは15分くらいかかるため、もう少し歴史を掘ってみよう。
平成に入ると、北関東発の大手家電量販店が台頭し始め、秋葉原に行かずともロードサイドに車で乗り付けて家電を購入するのが当たり前となった。すると今度はインターネットの普及に伴い、ラオックスやソフマップなどパソコンに特化した店が増えた。1995年11月23日、Windows95が発売開始となった時の人集りはアーカイヴ映像でもよく目にするくらい凄まじいものがあった。
「今じゃパソコンなんて当たり前のものだけど、当時の人にとっては新鮮だったんですね」
「専門家しか扱えなかったパソコンが大衆のものになった。それが画期的だったんだ」
「私達の世代でいえば、スマホが登場した時の衝撃みたいなものですかね」
「……タマにしては良いこと言うな。でもなんか似合わない」
「何でですか!」
「ヘタレのイメージがあるから」
「それを払拭したいから頑張ってるんですよ!もう!」
さあこちらも画期的な、胡麻油で揚げるロースカツがやってきた。タテルは何もつけずに1切れを食べきった。胡麻油の香ばしさ、きめ細やかな肉質、綺麗な脂身。硬くなりすぎずしっとり仕上がっているのも良い。
続いて塩を塗すと、臭みは皆無なのだが、豚肉本来の野生みを覚える。あっという間に2切れを食べ切り、残りは3切れ。早くも名残惜しさが押し寄せる。
「ソースはつけないんですか?」
「勿体無くない?そのままで十分美味いのに」
「ソースにもこだわりありそうですけどね。この店を語るのなら試す他ないですよ」

壺から少しだけソースを掬い、3切れ目のかつにちょんと載せる。するとこれがまた美味い。醤油や黒酢のような香りが含まれていて明るいアタックのあるソースはこのとんかつによく合うものである。
箸休めのキャベツには大葉が入っており口がさっぱりする。ドレッシングを用意してくれているのもありがたい。

白飯の水分量も丁度良く、味噌汁はさらっと飲める赤出汁。塩加減の穏やかな浅漬け。全てが完璧である。

最後は濃く煮出されたジャスミン茶でチルする。
「もうちょっと食べたかったな。海老フライ追加すれば良かったか」
「天然バナナ海老2,400円……高級ですね」
「定食セット無しでこれだもんな。きっと良いやつだ」
「また来ましょう。並ぶの我慢するので」
「少しは成長したようだな、タマ」
店を出ると外にはまた10人超の行列ができていた。行列の長短がなかなか読めない店ではあるが、タマのように心を決めて並べば、その先にて至福のひとときを堪能できることだろう。
パソコン需要により賑わった秋葉原であったが、そのブームも頭打ちになると、2005年には秋葉原のランドマークとなるヨドバシカメラが完成。電気街の顔であったヒロセムセン、サトームセン、石丸電気などの中堅量販店が相次いで閉店し、現在生き残るのは大手家電量販店の傘下になった店、外国人向けの免税店であると云う。
「電気街というイメージはだいぶ薄まってしまったようですね」
「そう思うのも無理はない。ラジオ会館内の店舗もほぼラジオ関係なくなってしまった。でも電気街は未だ生き続けている」

中央通りに戻る道の途中、PC部品の店の隣に中古PCの店があった。この並びは秋葉原以外では滅多にお目にかかれないだろう。電柱には電器店の案内が張られており、規模は小さくなれどこの街は電気街なのである。

「エディオンは大手だしラオックスは家電を主力にしなくなった。でもオノデンは今も電器屋として希望の光を灯している。それ以外にもラジオセンターやラジオデパートなどマニアックな店がポツポツとではあるが残っている。この火を絶やさないようにするにはどうすればいいのか」
「電子部品に興味を持つ人が増えれば、需要も高まりますよね」
「そうだよな。流行りに乗ることだけを是とするのではなく、ニッチなことの面白さ、ニッチであることを誇りに思える雰囲気作り。それができるのが地域密着系都市型エンターテイメントのアド街、個性派集団TO-NAだ」
「そんな、国民的番組と並べるなんて畏れ多いです」
「野望はデカく持つもの。もっと自分達のこと信じろ!」
「また怒られた……」