女性アイドルグループ「TO-NA」のメンバー・タマはおちゃらけヘタレキャラのイメージが定着していたが、大人っぽい趣味を欲するようになっていた。TO-NAプロデューサーのタテルから助言を受け、2人でアド街出演を目指して街歩きをやってみることにした。
初回の舞台は秋葉原。電気街やオタク文化で発展し、タマがアイドルに、タテルがアイドル好きになるきっかけを与えたAKB48の本拠地を、歴史の移り変わりを噛み締めながら歩いてみる。
「は!あ、あ、あの、にゃんさんですか⁈」
「そうだよ。あれ、横にいるのはTO-NAプロデューサーのタテルさん?」
「は、はい!」
タマもタテルも、神様的存在であるにゃんを前に気が動転して仕方ない。
「TO-NAの子?」
「はい!タマと申します!あの、ずっとにゃんさんのことが大好きで憧れていて、ここで会えたのも何かのご縁ということで、今度お食事にでも…」
「タマ落ち着け、話が早すぎるだろ」
「行きたい!予定調整しましょ!」
「え⁈いいんですか⁈」
「勿論だよ。せっかくだからお薦めの店、あったら紹介してほしいな」
直近では水曜の夜が空いていた。タテルは週明け、秋葉原近辺で気になっていたすき焼き店「いし橋」に電話をかけてみた。末広町交差点から妻恋坂へ向かう途中、カリガリの少し先にある名店であり、タテルも高校生の時から存在は知っていたが訪れたことは無かった。人気店だからそう簡単に予約は取れないだろう、とダメ元で電話してみたところ、1週間前でも空きがあるとのことで迷わず確保してもらった。

当日、少し早く店に到着したタテルとタマ。併設の精肉店を少しばかり物色した後入店する。和装で少し東南アジアの雰囲気がある仲居が2人を出迎えた。いし橋は明治になって間も無い1872年に創業。その2年前に大火があって、秋葉原の名の由来となる鎮火社ができたばかりであった。原っぱ時代から電気街、オタク、インバウンドと、秋葉原の全時代を目撃した稀有な老舗である。
古い建物であるためか、階段は降りる時のことを考えると怖い傾斜。新品の靴下を履いていたタマは足を滑らさないか心配する。

席は全て個室である。大きな氷の置かれた台があって、これが昔ながらの冷房らしいが仕組みはよくわからない。傍に団扇があったので扇いで冷気を纏うのだろうか。いずれにせよクーラーも完備してあるので暑さの心配は不要である。
「お待たせ〜」
「にゃんさん!今日もお美しい〜」
「タマちゃんも綺麗だね。マリンルックで涼しげ」
「褒めてもらえた。嬉しい!」
「良かったなタマ。ただくれぐれも汁を飛ばさないように」
「飛ばしちゃうんだ」
「はい。衣装さんによく怒られてます」
「よくあることだね。懐かしいなアイドル時代」

すき焼きの肉はロースと霜降りの2種類。メニュー表は無く、予約時に口頭で凡その値段が伝えられる程度なのだが、コース料金含めてロースが1.7万円、霜降りが1.9万円目安とのことである。実際この日は3人で食事が3.9万円、大瓶ビール2本で1,950円、奉仕料等を含めて49,200円であった。

すき焼きの前に2品料理が供される。まずは鯵の刺身を梅ソースに浸したもの。鯵は脂が満載なので、たっぷりの茗荷と共に食べてさっぱりさせる。
「うぅ……茗荷苦手なんですよね」
「食べてあげようか?」
「すみません……」
「大丈夫よ。茗荷は天ぷらで食べると美味しいよ」
にゃんは卒業後、芸能界に籍は置きつつ実業家を生業としている。アパレルブランドを立ち上げるとあっという間に人気を集め大きな会社へと成長。商品会議や撮影など忙しい社長業の中でも美への拘りは欠かせないと云う。
「お洋服みんな可愛くて、よく買ってます!」
「嬉しいね。どんな時によく着るの?」
「カフェに行く時ですね。あと最近街歩きが好きで、その時にもよく」
「ちゃんとシーンを考えて着てくれてるんだ」
「にゃんさんの服着ると、大人っぽくなれるんですよね」

続いてはブリの進化前としてお馴染みイナダの西京焼き。魚久なら立派な定食のおかずになるものである。ここでもタマははじかみをにゃんに寄越した。
「にゃんさんって秋葉原よく来るんですか?」
「めっきり来なくなった。あまり用事無いし」
「私もアニメイト行くくらいでした。でも街歩きしている内にフルーツパフェやメイドカフェにハマって」
「メイドカフェって、女の子でも楽しめるの?」
「そうなんですよ。私もびっくりで」
「秋葉原も俺らの追いつけないスピードで様変わりしてますね。この先どうなるのか、考えているんですけど想像がつかないです」


愈愈肉がやってきた。この日のロースは埼玉県産、霜降りは鹿児島県産。三角形に切り出された牛脂がこの店のトレードマークであるのだが、結果的に霜降り側にあった1個しか使用されなかったようである。

まずは大きく切られた肉1枚を、牛脂と少量の割下だけで焼く。先輩を立ててにゃんが霜降りを担当すべきところ、不惑間際の胃は脂を受け付けないとのことでタテルが戴くことになった。
「あ、すいません。俺卵使わないで食べたいんですけど」
「はい……」
「タテルさん、店員さん困らせないでください。変ですからね卵絡めないの」
「味がぼやけそうだから。なるべく素材を愉しみたいんだ」

店員は一旦火を止めて新しい取り皿を持ってきた。仕切り直して肉を戴く。厚みがありながらもスッと解れ、身の骨格をはっきりと確認しつつ脂が蕩け出す。塩が利いて少しざらっとした口当たりである。

この後は仲居が1人1人に向けて丁寧に拵える。若手の仲居かと思われるが手際が良く、滞ることなく堂々と食材を調理する。終始つきっきりであり、客が調理することは原則不可能。お任せすることに罪悪感を抱いたタマはそわそわしていた。
「高い金払ってんだ。やってもらった方が良い」
「慣れた人に作ってもらった方が美味しいよね」
「すき焼きって自分で具材入れるものだから、どうも慣れなくて」
「まあこれだけつきっきりだと、秘密の話はできないね」
ロース肉を1人2枚ずつ2周、その後霜降り肉1人1枚(ただし1枚余るため誰か1人が2枚食べる)を1周。

1周目では白滝、長葱、豆腐が入る。ロース肉は霜降りと比べ筋肉質。それでもやっぱり柔らかく、脂の加減が程良いので霜降りが苦手な人はこちらがお薦め。豆腐と細めの白滝が奥ゆかしい味わいであり、葱で肉の重さを中和する。
「秋葉原の未来……」
タマが呟く。
「女の子が多く訪れる街になるのかな、と思いました」
「なるほど。メイドカフェもお嬢様が多いから」
「韓国料理の店が増えて、ヨアジョンとかも来て」
「ヨーグルトアイスのお店だよね」
「新大久保じゃんそれ。まあ新大久保も韓国以外の国の店増えてるけど」
「そうなんですか⁈じゃあ秋葉原が第二の新大久保になるかも!」
「全く同じは勘弁だな」
ただ秋葉原には中華圏料理の店が多い。食べ放題もやる大陸系から、食べログ百名店選出歴のある過橋米線、刀削麺専門店の草分けである唐家などの有名店まで多彩なラインナップ。中華圏の人々との親和性も高い街であることから、今後もガチ中華や台湾屋台料理などが進出してアキバが中華街みたいになる未来をタテルは考えた。

2周目では玉ねぎと共に調理された肉を引き揚げた後、榎茸と春菊をさっと加熱する。玉ねぎは食感の残る程度の火入れで存在感がある。春菊も清涼感が強くて、家のすき焼きに春菊を入れてもらえないタテルは喜んだ。肉との調和という面では、1周目のラインナップの方が良い。
「ビジネス街として発展する未来は?」
今度はにゃんが提唱する。
「久しぶりに秋葉原駅降りて劇場裏に向かう時、スーツ着た会社員さんいっぱいいたんだよね」
「UDXのところですか?」
「名前わかんない」
「ズコっ。でっかいオフィスビルですよね」

青果市場跡にできたUDXは、タテルの毛嫌いする金太郎飴式の再開発ビルでは決してない。秋葉原らしい通信技術系の企業が入居し、イベントスペースの一つであるアキバスクエアではサブカル系のイベントも開かれる。レストラン街は現在改装中だが、市場の活気を再現するというコンセプトに従い、居酒屋や大衆的な食べ物の店など高級すぎない、だけど個性的な店が揃っていた。近代的な建物の中にもどこか秋葉原らしい大衆感を覚える有意義な再開発といえよう。
「個性をモットーにする企業が秋葉原にオフィスを構えて、丸の内や品川とは違った雰囲気のビジネス街にしていく、というのはアリだと思うんです」
「アニメやホビー系の企業も進出して、改めてサブカルに強いアキバを打ち出してほしいです!」
「個人の力だとどうにもならないけど、1つそういう企業が現れると流れ変わるだろうね」

最後は霜降り肉のターン。ここまで来ると肉の脂に対する抵抗感も生まれてくるが、なんだかんだで抑え込んで味わえるものである。具材を余らすことなく均等に配分する仲居の腕に脱帽する。
全て食べ切ったところで、仲居は〆を準備するため退席する。やっと内緒の話ができる時間になり、にゃんは袋から包みを取り出す。
「はい、タマちゃんにプレゼント。まだ発売前のワンピース」
「え⁈嬉しいです……」
「良かったなタマ」
「タマちゃんのこと調べてさ、パフォーマンスも観たんだ。可愛らしいよねタマちゃん」
「えーびっくり!にゃんさんに褒めてもらえるなんて!」
「初めて劇場行った時の幼きタマに伝えてやれ」
「小さい時から観に来てくれてたんだ」
「はい!にゃんさんが好きで!でも劇場にはいらっしゃらなくて」
「人気メンバーだからね、仕方ないですよ」
「ごめんね」
「でも握手会に行ったんだよな。ね、タマ」
「1回だけですけど。どうしても行きたいってお母さんに駄々こねて」
「どうだろう。でも何人かいたな、小さな女の子」
「その中の誰かが私です!」
「でしょうね。わかんないだろ、十何年も前のこと」

戻ってきた仲居はご飯を鍋に丁寧に敷き詰め、溶いた卵を均質に流し入れる。そしてすき焼きではあまり用いない鍋蓋がなされた。この状態で10分程度待つ。

蓋が開くとこれは驚き、スフレ状に蒸されふわふわになった卵が辺り一面埋め尽くす。家では真似できないだろうと、料理素人のタテルは考える。店で食すすき焼きならではの〆である。

焦がされ少し苦味を伴った香ばしさの割下が米に染みる。シュワっと解れる玉子。これぞ〆というべき飯である。
ここでタマはにゃんに悩み相談を持ちかける。街歩きを始めるきっかけでもあった、どうやったら大人っぽくなれるのか、という悩みを、実業家としても大成しているにゃんにぶつけてみる。
「いいんじゃない、大人っぽいとか考えなくて」
「えっ……」
「タマちゃんはさ、どちらかというと妹キャラじゃない?」
「そう……ですね」
「その通りですにゃんさん。タマはドジでポンコツで、喋りもひっちゃかめっちゃかなんですけどね」
「面白いよそのキャラクター。大事にした方が良い」
「本当ですか⁈」
「私だって、勉強は苦手だしふわふわしてるけど社長やれてるし。好きなこと好きなようにやってるだけ」
「好きなこと好きなように」
「そう。無理に背伸びすることは無いと思うよ」
「にゃんさんの言う通りだ。ジュースこぼして後輩に拭き取ってもらったり、ダンスレッスンの前に二郎系食べて胃もたれしたり、猫カフェで猫撫で声で猫呼び寄せようとしたら激しめに痰が絡んじゃってデカい咳払いして猫がみんな逃げちゃったり。全部タマらしくて面白い」
「やめてください、にゃんさんの前で」
「ふふふ。タマちゃんのその飾らない性格に癒されているメンバーやファンは多いはず」
「大人っぽいメンバーは沢山いる。タマは敢えてそこに加わらなくてもいいんじゃない」
「そうだよ。そのうち自然と大人らしさは身につくから。無理しちゃダメ。タマちゃんはタマちゃんのままでいいんだよ」

タマの目は涙に溢れ、水菓子4種盛り合わせが滲んで見える。どれも品質の良いものであり、メロンは肉で疲れた胃に沁みる。そして幼い時に行った握手会の記憶が蘇る。
「……」
「かわいいね!あれどうした?緊張しちゃった?」
「……」
「緊張しちゃったかな?大丈夫?」
「……」
剥がしの声がかかる。子供に対しても容赦無く退散を促す中、にゃんは最後にひとつ問いかけた。
「将来何になりたい?」
「……にゃんさんみたいなアイドルになりたい!」
「なろうねアイドル。会いに来てくれてありがとう!」
「あの時全然喋れなかった私にいっぱいお話しして下さったにゃんさんにまさか会えてご飯も一緒に食べられるなんて……!」
「今や過度なお喋りに」
「思い出した!お地蔵さんみたいに固まってて可愛かったの。去り際に一言だけ『アイドルなりたい』って言ってくれたの」
「本当ですか⁈」
「あの子だったんだ!本当にアイドルになって帰ってきて」
「十何年の時を越えてこうして逢えるなんて……言葉にならないです」

部屋で代金を支払い(高額だが現金のみのため注意)店を出る。大将が拳をつけて正座して見送り、仲居は火打石で邪気を払う。
「今夜はありがとうございました」
「いえいえ。私の方こそ、秋葉原に通っていた時代思い出せてすごくエモかった」
「いつの時代も秋葉原は魅力的な街ですよね」
「今度はお茶でもどう?」
「私良い店知ってます!季節のフルーツを使ったパフェが美味しい店があって!」
「行こう。来月頭なら空いてるから」
「憧れのアイドルと友達になれて良かったな。街歩きした甲斐があったね」
「これからも色んな街歩きたいです。次は渋谷で!」
「言うと思った。浅草にします」
「正反対じゃないですか」
それぞれの街にそれぞれの物語がある。次はどの街に出没するか、東京街歴史探検部。
—完—