フランス帰りのカケルは、「アパーランドの皇帝」として問題だらけのこの国に革命を起こそうとする。かつてカリスマ的人気を集め社会を変革しかけたアイドルグループ・Écluneをプロパガンダに利用しながら。
第6章あらすじ
有名企業「サンクスインターナショナル株式会社」(通称:TI社)で若手女性社員・黒澤ユウカの過労自殺事件が発生した。社長の真黒は謝罪するどころか黒澤を甘ったれと批判し大炎上。さらに、あけぼの大学法学部教授の石竹が真黒の考えを全面的に支持し黒澤を中傷する投稿をしてこれまた大炎上していた。
カケルはTI社に対し「働いて5班」を、あけぼの大学に対し「休んで4班」を結成、真黒と石竹にじわじわと迫り罪を与える作戦を開始した。
*この作品は完全なるフィクションです。実在の人物・店・団体、そして著者の思想とは全く関係ありません。こんなことしようものなら国は潰れます。
一方、働いて5班によるTI社への作戦も大きな動きを見せていた。カケルは小型カメラをコインロッカーに預け、それを白石に回収させる。
「これで職場の様子を撮影してください」
「バレないですかね」
「安心してください。現物見たらわかると思いますが、とてもカメラとは思えない代物です」
白石に渡されたのは、普段彼女が愛用しているポーチ、ブローチと何ら変わりの無さそうなブツであった。側から見たらどこにカメラが内蔵されているか全くわからない。これを上手く配置することにより、彼女のデスク周り、彼女に怒鳴りかかる上司の様子などが撮影されれば御の字である。
「上手く撮れたら、アパーランドが隠しカメラを設置して撮影した、という体で世に出す」
「上手くいかなかったらどうしましょう?」
「最悪バレたらその時は逃げろ」
「逃げる……それはしたくないです」
「どうしてだ」
「TI社に入ってこの業界で働くことが夢だったんです。だから辞める訳にはいかないんです」
カケルは突如としてジレンマに直面した。ブラック企業を撲滅することは正義である一方、依頼者の望む進路を絶つ行いにもなりかねない。幹部への懲罰と本当の意味での依頼者の救済を両立させながら作戦を進めなければアパーランドの名が廃る。
「貴女がTI社に残れるかは、貴女の手にかかっている。なあに、アパーランドのやり方に従えば大丈夫だ。だが一度余計なことをしたら、逃げる以外の策が無くなる。忙しい業務の中でも、これだけは忘れずに行動してくれ」
「はい。よろしくお願いします」
翌朝、早速TI社の映像がアパーランドの基地に中継された。配置が悪くて殆ど映らない心配もあったが、白石は良い塩梅にセッティングをしてくれた。お陰でアパーランドには無縁の怒鳴り声が部屋中に響き渡る。
お前さ、この資料ミスだらけなんだけど。俺に手間かけさすなよ!
いつまで資料作ってんだ。どうせ退屈で穴だらけなんだからせめて早く作れよこのノロマが!
また断られた?だろうな、と思ったよ。準備できてなかったもんな。あの程度の準備じゃ準備できてるとは言えねぇ。競合相手は寝る間も惜しんで資料磨き上げているんだよ。家帰って寝てるんだろ?なあ。甘いんだよ!
「何この『上司』とかいう動物」
「解ります。人間として見れないですよね」
「虎かライオンか。いや、虎やライオンに失礼か。これは捕まえて研究施設に送らないとだね」
朝9時前から動き出し明朝5時くらいまで灯のつく職場の様子を、働いて5班の班員は3交代制で常時監視する。間接的とはいえ常態的に罵声を聞かされるのはなかなか過酷な任務である。
ある日、カケルと新井班長は前日15時きっかりに予約していたカレー店を訪れた。火曜から金曜のみの営業であり、暦通り動いている人であれば職場が近辺でない限り訪問が難しい店である。それか祝日は営業しているらしいので、火〜金に祝日が当たる時が狙い目かもしれない。
店内は狭く立食スタイルである。カレーは2種類用意があって、月替わりの定番キーマカレーと週替わりのカレー。勿論あいがけも用意されていて、2人はそれを注文した。
「こうやってランチに拘る余裕さえ、TI社の社員には無いんだろうな。新井くんはどうだ」
「僕はコンビニのおにぎりとかで済ませちゃいますね」
「まあな。物価高だから外食したら1,000円超えちゃう」
「給料上がらないと厳しいですよね」
「TI社はあれだけ残業させても手当出さないらしいな」
「長時間労働の上薄給ともなれば絶望するよな」
公然とは話さないが、もちろん2人は給料事情についても白石より聞き出している。あれだけ働いても月の手取りは20万円を少し超えるくらいだと云う。家賃や光熱費(と言っても家には寝に帰るだけなのだが)を引いたら自由に使えるお金は決して多くない。したがって趣味を充実させることもできず、黒澤の暮らしは人間らしさを失っていた。
「人間らしい暮らしって何でしょうね」
「それは人それぞれじゃん。俺は美味しいもの食うことが生き甲斐」
「僕はLEGOブロックに触れている時ですね」
「黒澤さんはキンボールにハマってたらしい」
「随分とマニアックな」
「キンボール界隈ではちょっと名の知れ渡った人らしかったけど、社会人になってから顔出さなくなって仲間は寂しがってたらしい」
「仕事に忙殺されて趣味に手が回らなかったんだな。なんと由々しき事態」

アパーランドの民はブラックではないため食事を愉しめる。平皿に直に盛られたルーはまろやかポークキーマ。その名の通り円やかな味わいで、豚肉の旨みもある。
別皿には茸と牛肉のカレーが盛られている。茸の量が多めであり、ルーはカレーというよりハヤシライスに近い。
そして追加トッピングの酢醤油たまごは、酢の酸味と卵のコクが良いバランス。カレーの合間に摘む副菜として適任である。さらに中央に盛られたゴーヤはしっかり苦くて、一皿に多様な味が詰まっている。
スパイスカレーが流行っている昨今、ここでは辛いスパイスをあまり使わず優しいカレーに仕上げている。辛い(スパイシー)なカレーはどこでも出しているから、ここでは敢えて辛くしなくて良いかな、というのが店主の考え方らしい。

最後にブラックコーヒーのサーヴィスがあった。紙コップの柄が可愛くて癒される。
「このままゆっくり茶をしばきたいものだよな。フランス人なんて2時間くらい平気で休むのに」
「羨ましいですね」
「俺らのチーム(アパーランド)は、やることさえやってくれれば出勤退勤も休憩も自由。帰っても良いしずっと居ても良い。働きたい人は働けば良い」
「働きたい人はとことん働きますからね」
「件のTI社営業部長もそういうタイプなんだろうな。それを人に押し付けるのは良くない。黒澤さんは自分時間を充実させたい人だった。圧力かけて時間と気力を奪う社風は許されて堪るか」
趣味ってある?もし無かったら、学生時代にハマっていたことでもいいから。
通信アプリを通して白石へ質問をぶつけたカケル。新井と共に基地に戻りTI社の業務風景監視を続けようとしたが、この日の白石は外回りに奔走していて中継が止まっていた。17時くらいには戻ってくる見込みである。
「また例によって怒られるんだろうな」
「私達くらいは期待しましょうよ。商談上手くいく可能性だってあるんですから」
「ただ上手くいっても『これは俺が校正したから成功したんだ、あなたの手柄ではない』とか言い張るんですよね」
「救いようのないパワハラ上司だな。しごでき育成学校思い出す」
「なんだその学校?」
扱出来(しごでき)育成学校とは、不死山の麓にある研修施設。新入社員や昇進を控えた社員が企業の意向で送り込まれ、最長1ヶ月に渡って鬼のような研修を受けさせられる。スマホは没収され、20個用意されたタスクを全て合格しないと帰れない。厳しい規律指導、兎に角求められる大声。深夜のフルマラソンは夜明けまでに完走しないと3日おきにやらされる。2班対抗で集団行動のパフォーマンスを競うタスクでは勝利することが合格の絶対条件だが、講師の求める基準を満たしていないため勝者無し、ということもザラである。朝っぱらから駅前に繰り出して自分の弱点を全力で叫ぶタスクは恥ずかしさとの勝負でもある。
「パワハラの権化じゃん。きょうび軍隊でもこんな訓練しないぞ」
「だから最近入校者が減っているそうです。経営危機との噂もありますね」
「潰れて結構だよ。駅前でデカい声でネガティヴなこと叫ばれたら迷惑だろ」
「実際迷惑らしいですね。警察に苦情殺到だとか」
「よおし、茶々を入れに行くとするか。作戦を考えよう…の前に白石さんから返信が」
私はアイドルが好きでした。特にHAYATEとTO-NAを推していて、学生時代は握手会やお話し会によく足を運んだものです。でもTI社に入ってから頭の中は仕事のことでいっぱいになってしまい、推し活をする余裕がなくなってしまいました。趣味を持つ暇なんて、今はこれっぽっちもない……
「HAYATEが好きなんですね」
「でもTO-NA推しなのは嫌だなあ」
「それはカケルさんの個人的な嗜好ですよね」
「まあそうだけどさ。あっ、そうと来たならひとつ名案が」
それは寂しいね。でも立派な趣味だと思うよ、推し活。余裕ができたら、また応援してあげてもいいんじゃない?それか、もう思い切って推しで頭をいっぱいにしちゃうとか!
Écluneプロデューサーの顔に戻ったカケルは、白石をÉcluneの運営にスカウトすることを考えていた。本人にとっては好きなことに携われる、アパーランドにとってはTI社問題の証人を手中に収める絶好の機会であると踏んでいる。