人気女性アイドルグループ「TO-NA」。元々は数々の女性アイドルを手がけてきたプロデューサーFの下で活動していたが、2024年春、より自由な活動を求めて独立を宣言。怒ったFによる苛烈な妨害、そして世間からの逆風を受けながらも、独立運動の先頭に立ったTO-NA現プロデューサー・大久保と特別アンバサダー・タテルの強いグループ愛・メンバー愛で人気を取り戻すことに成功していた。
墨田区向島エリアのどこかにあるTO-NAハウス。ここでメンバーは共同生活を送っている。2025年1月頭、正月休みも終わり帰省先からメンバーが続々と戻る。2階にある広々としたダイニングに全員が集い新年会を開く。
「餃子200個包んだよ〜」
「ありがとうございますグミさん!」
「お酒飲む人!ビール、山崎ハイボール、シャンパーニュ、シェリートニック!」
「シェリートニック飲むのタテルさんだけじゃないですか」
「みんな飲んでよ。甘苦い味が癖になるんだぜ。酒飲めない人はアランミリアか中国茶ね」
「始まるよ、神連チャン」
新年会のメインイヴェントは、TO-NAメンバーのスズカとカコニがペアで挑んだ『神連チャン』カラオケ企画の鑑賞。2人の登場は後半の方であり、前半は面白歌い手による爆笑祭りとなった。
「アハハ!ホリケンタさん相変わらず変な声」
「るなぴっぴさんもう外した⁈エグっ」
「まだ放送時間1時間半近く余ってる。これはきっと……」
メンバーは見事神連チャンを達成し賞金を獲得していた。
「おめでとう!」
「さすがTO-NAの歌姫!」
「めっちゃ感動した……」
「もっと盛大に祝うぞ!ドンペリ持ってこーい!」
「イェーイ!」
しかし祝いの雰囲気は長く続かないものである。翌日、深酒の疲れが抜けないタテルの元をメンバーのシホが訪れた。
「タテルさん!先ほど大久保さんにも伝えたんですけど、私はTO-NAを卒業します」
「……そっか」
苦虫を噛み潰したような表情のタテル。彼はTO-NA独立の際、多くの男性アイドルと同じように卒業システムを廃し、メンバーに末永くアイドルをやらせてあげたいと思っていた。しかしその思いとは裏腹にメンバーが次々と卒業する。
「寂しいよ。シホこそ永遠にアイドルやれると思ったのに」
「タテルさんの理念は素晴らしいです。でも、私は女優さんになりたい。アイドル活動にはいつか区切りをつけるって決めてました」
「まあ引き留める訳にはいかんな。シホの決めたことだから尊重する。よし、卒コンの日取りしようか」
その3日後、更なる問題が発生する。年明け少し前から週刊蚊醜が国民的男性アイドルグループMのリーダー・風間のハラスメント疑惑を報じていたが、風間は一部を事実だと認め芸能界を去った。
Mは9年前に解散していたが、昨年の独立騒動で人気を失ったTO-NAにメンバーが手を差し伸べたことをきっかけに再結成。冠番組にTO-NAをレギュラー出演させたことによりTO-NAの人気回復の立役者となっていた。しかしリーダーの風間が抜けてしまってはMも活動を続けられず、冠番組は一旦休止ということになった。
「そんな!風間さんとのコント、楽しみにしてたのに」
「風間さんのことについては正直よくわからないところがある。一部反論もしているし、第三者委員会の調査も行われるらしい……」
「風間さんそんな人じゃないですよ!私達にはすごく優しかった!」
「でも示談金が発生した、とあります。クロなんですかね?」
「風間さんが悪いことをしたのは間違いない。でも今までのこと全部否定されるのはきついよ……風間さんに救われた人もいること、忘れないでほしい。俺らだってその一員なんだから……」

TO-NAの先行きが不安になったタテルは、渋谷の居酒屋を1週間前に予約して、キャプテンのグミを連れて行くことにした。

「突然呼び出して悪かったね」
「驚いたよ。三が日にサシでイタリアン行ったばかりなのに」
「量が少なめで美味しそうな店、グミなら喜んでくれるかなって思って」
「すっかり少食選抜ですね私」
「TO-NAで唯一の少食選抜だ。少食アイドル。少食モデル。少食美人」
「イジってます?」
「ちょいとね」


雑居ビルの狭すぎてわかりづらい入口から急な階段を登り2階へ。木の温もりがありつつモダンな雰囲気の人気居酒屋。カウンター席に座りメニューを眺める。

「アラカルトだとそんなに高くなさそうですね」
「そのぶん量が少なめだけど、裏を返せば色んな料理を愉しめる」
「どうしようかな。タテルくんお刺身は食べないもんね」
「自分からは頼まない。グミが食べたいなら頼めば?」
「いや、タテルくんに合わせるよ」
「じゃあこの店の定番っぽい品をちょこちょこと」

乾杯はフランスジュラ地方のスパークリングワイン、クレマン・ド・ジュラ。ピノノワールとシャルドネを使っており、クリーミーでフルーティでマッシヴな仕上がり。

お通しは呉豆腐(ごどうふ)。にがりの代わりに葛で固めたものであるが、普通の豆腐との違いは判らない。
「胡麻の香りがすごいね」
「丁寧に擦られる様も見えたし、拘って作ってるんだろうな」
「ほうれん草も出汁が染みてて美味しい。こういうご飯を日頃から食べたい」

タテルはあっという間にワインを飲み干した。ここからは日本酒をお任せで出してもらうことにする。料理に合わせつつ色々飲みたかったため量は少し抑えめで。まずは沼津の白隠正宗。辛口を得意とする酒蔵らしい。今回は新米新酒の生酒で、口当たりはまったり、でも後味にアルコールのキレがある。
「タテルくん、くれぐれもヤケ酒は止めてね」
「……いかんいかん、ちょいとペース速かった?」
「速いよ。メンバーが次々卒業して心が揺らいでいる。だから呼んだんだよね私を?」
「その通りだ。卒業なんかしないで永遠にアイドルで居てもらいたいのにさ」
「タテルくんの理念、確かに男女の違いを無くす心意気とかは認める。だけどちょっと押し付けになってない?」
「押し付けか。なるほど……」
「みんなにはみんなの考えがある。どこかで区切りをつけて違う道に進む選択、止めないでほしい」
「そうだよね。結局は個人の意向が第一だよな」
「女性にも永遠にアイドルやらせてあげられる風潮を作りたいのなら、最初からそういうグループを作ればいいと思う。私達はずっとアイドルやろうとは思ってないから、止めても無駄だよ」
「悪かった。ごめん」
「でも安心して。私は未だ辞めないから。少なくとも30歳になるまでは」

最初の料理は牛肉と嬬恋村菊芋のきんぴら。旨味とろける牛肉に、菊芋のポリポリっとした食感。量こそ少ないが、その分集中力を持って料理に向き合えるものである。
「菊芋のやらかきところ味噌の染む」
「今の、俳句?」
「そう。でも季節が違ったね。菊芋は秋」
「タテルくんって俳句好きだよね。まあ私も夏井先生に褒められた経験はあるけど」
「グミもカクテル歳時記作りに参加してみる?」
「してみたい!クラゲちゃんから聞いてるけどすごく楽しそう」
「じゃあ今度行こうぜ。それか今晩でもいいけど。すぐ近くに石の華という良いバーあるんだ」
「今日はやめとくよ。明日はファッション誌の撮影だから。浮腫んじゃう」
「グミはストイックだな。ただてさえ菜箸のように細い脚してるのに」

引き続き白隠正宗に合わせて、黒豚と海老の焼売。1個で800円とは中々の高級品であるが、黒豚のまったりした甘めの旨味に海老の色がついて確かな味。相容れないとされる肉と海鮮が手を取り合う趣を愉しむ。
「タテルさん、こんな記事見かけたんですけど」
「……新しい女性アイドルプロジェクト?」
そのグループを手がける人物の名は野元友揶(のもと・ゆうや)。TO-NAの前プロデューサーFと高校の同級生である。
「F。久しぶりだな」
「おう野元。TO-NAのせいでめちゃくちゃになっちまったよ俺」
「大変だったな。食べ歩きは続けているのか」
「今それしか生き甲斐がない」
「退屈だね。この国のレストランなんてどこも大したことないのに」
「相変わらずの捻くれ野郎だな、野元」
「正直なこと言ってるだけだ」
「そんな野元ならやってくれるかな。俺の敵討ちをしてほしい」
「どうやって?」
「野元、高校の時アイドルグループ作りたいって野望、語ってたよな」
「ああ。それで芸能プロ立ち上げたからね僕は」
「今それをやるんだよ。野元は言葉は汚いけど本音で物事に向き合う人だ。君みたいな人がプロデュースするグループは世界を狙える」
「でも僕の事務所はソロアーティストとバンドしか抱えていない。アイドルなんてできるかね」
「俺が助言する。だから頼むよ、世界一のグループを以てしてTO-NAを潰してくれ」
「Fのサポートがあれば僕も安心してグループ運営ができるという訳だ。TO-NAが憎い気持ちは僕も同じだ、やらせてもらうよ」
「なぁるほど、野元か。アイツは相当イカれてるぜ」
「イカれてる?」
「ああ。アイツはグルメブロガーもやってるんだけど、記事の殆どが店を酷評するものだ。良いところを見つめようとせず、ひたすら店を侮辱する。文句言いたいがために食べ歩きしてるとしか思えないんだよ」
「最悪じゃんそれ。そんな人がアイドルをプロデュースするの?ありえない!」
「ありえないよ。何か裏の目的があるんじゃないかって勘繰ってる。でも俺らが気にすることじゃないな。TO-NAはTO-NAで頑張ってりゃいい」
「そうですね。他所のグループに介入しすぎるのは良くない」

次の料理は名物の穴子サンド。上のトーストの裏側には海苔を貼り芥子を塗っている。穴子は肉厚ではあるが、トーストや芥子の味に押され気味であるように捉えるこの日のタテル。

その穴子に手を差し伸べたのは七本槍の生酒であった。メロンなどのフルーティさが強いものであるが、焼き穴子の味わいとマッチするものである。
「タテルくんだってはっきり物言うよね。ジョプチューンでの審査も厳しいし」
「そりゃテキトーなことは言いたかない。真剣にやるとそうなる」
「でもタテルくんは良いところも取り上げるし、悪いところも改善案を示して受け容れようとしてるから、見ていて嫌な気はしない」
「それなら良かった。文句ばっか言っても楽しくないからね。一生懸命真面目にやっている人は応援しないと。良いところを見つめている時って、生きていることを実感するものなんだよ」
「素敵すぎる。涙が出てきちゃう……」

次の日本酒は強烈な印象を与えるものであった。出雲の無窮天隠天頂。ヨーグルトみたいな印象を受ける、唯一無二の日本酒である。

そこへ現れた甘鯛松笠焼きもまた絶品。クリスピーに焼かれた鱗の香ばしさも、ふっくらとした身の旨味も確とある。量は少なくとも丁寧な仕事。この良さを理解できるのが、寛容なタテルと彼の率いるTO-NAの面々である。
「最近さ、非寛容をウリにして金稼ぐ奴多いじゃん。ああいうのは許せないんだよね」
「わかるよ。コタツ記事は悪口のオンパレードだし、迷惑系YouTuberなんて何故持て囃されてんだろうって思う」
その頃野元はFと共にジョプチューンを観ていた。チェーン店の料理を高級店の料理人が審査する番組だが、タテルも何故か審査員に抜擢されている
「はい、クソ、クソ、クソ。くそ、糞、KUSO!大した料理も作れないなんちゃって料理人が上から文句垂れてま〜す!そして何だ右端のブタは?あらコイツがタテルちゃんじゃないの」
「タテルはろくに料理も作れないし、野元と違って確固たる知識を持ち合わせてない」
「それでいてこんな講釈垂れるとな。なんちゃって料理人以上に悪質だ。こんなブタ野郎がアイドル率いているの?聞き捨てならないね」
「だろ。こんな無能たちとっとと潰して、芸能界を健全な業界にしてほしい」
「F、僕に良いパイプがあるよ。僕は週刊誌やネットメディアの人たちと仲良しだ。ヘンダイ、stupidCLASH、シューダンblame。みんな僕をお得意様にしてくれている」
「捻くれたメディアばかりだな。野元に似て」
「僕を貶してるのかい?」
「冗談さ」
「まあいい。捻くれ者の記事には捻くれ者のいいねが集まる。群れになった捻くれ者からは、すごい力が生まれるからね。楽しみだなぁ、アイツらの終焉。Break up, TO-NA!」

野元の目論見など露知らないタテルとグミは、大阪府最北端・能勢町の秋鹿を戴く。今までのお酒から一転して圧倒的な辛口。だけどじっくり味わえば奥に旨味を感じ取る。
「お母さんの故郷だから年一で大阪行くけど、能勢町は知らない」
「調べてみたけど、殆ど京都か兵庫だよね。隣の町と首の皮一枚で繋がってる感じ」

追加発注していたあん肝の生姜煮。あん肝の濃厚な味わいが、生姜煮にすることにより円やかで優しくなる。
「すごく美味しい。お酒進んじゃう〜」
「単なるあん肝なら貴醸酒のような甘めの日本酒だけど、この味付けなら辛口でぴったしだね」
「危ないお酒だね日本酒は。飲みすぎると太っちゃう」
「偶に飲むくらいが良いかもね」
隣には日本人女性と欧米人男性の夫婦がいた。気分の上がったタテルは英語で男性に話しかけようとするが、あろうことか「おすすめ」を意味する単語が出てこない。見かねたグミが助け舟を出す。
「He recommends some Japanese sake.」
「Oh, fantastic.」
「Which taste do you like, fruity or dry?」
「Fruity, fruity.」
「新政とかあったらいいね。ぜひ体験してほしい」
「ってかタテルくんって英語喋れないんだね。東大なのに」
「喋るための英語、学んでないんだって。羨ましいよグミ」
「ECC通ってたからね。テストで良い点取っても、話せないとダメだよタテルくん」
「重々承知の助だよ」

そんな国際結婚夫婦に勧めた新政が、成り行きでタテルに供された。Colorsシリーズの新顔・タンジェリン。搾る際圧力をかけず自重で垂れてきた分を、この店のために詰めたものである。白ワインと紛うほどの複雑性、そして柑橘のニュアンス。やはり革新的な味である。

そしてこれまたこの店の名物・雲仙ハムカツ。一部口コミではメンチカツのようだと宣う声もあるが確かにそのような口当たりと身の解れ方であり、一方でハムらしく肉の旨味が出るまでのタイムラグもあって面白い。
「タテルくん、TO-NAにも新メンバー入れたい」
「新メンバーね。卒業システムを続ける以上補充は必要か」
「入りたいって言ってくれるファンの子も多いからね、期待に応えてあげたい」
「了解。でもあまり多く採りたくはないな。アヤ、ニュウ、メイ、シホ。4人抜けるから4人補う」
「でもここだけの話なんだけどね、他にも卒業を考えているメンバーがいるんだ。3人か4人くらい」
「マジかよ、それ結構ショッキングだな……」
「だから10人くらい入れても良いと思うんだ」
「あまり多すぎると覚えてもらえないと思う。ヘヴィなファンは受け入れてくれるけど、ライトなファンが寄り付かなくなる」
「最低でも6、7人は欲しいけどね」
「それくらいだったら良いかな。まあオーディション進めていく内に気が変わるかもしれない」「まずは募集するところからだね。野元さんのグループと競合しなきゃいいけど」
「大丈夫でしょ。あっちは如何わしいから人集まんない。悪評を知ったら皆敬遠すると思うよ」
食事のタイミングであるが、飲みっぷりの良いタテルに引き続き酒が勧められた。
「〆は五島うどんだから、長崎の焼酎でも合わせてみようかな」

選んだのは南島原の麦焼酎・青一髪。朝ドラヒロインのような爽やかさに癒される。
「美しい蒼海が思い浮かぶ。焼酎ってこんなに綺麗なものなんだ」
「いつもウイスキーばっか飲んでるもんねタテルくん」
「焼酎も究めよう」
「蒸留酒だったら付き合ってあげてもいいよ。太りにくいからね」
「そうしてもらえると有り難い」

〆の五島うどんは明太ぶっかけにて戴く。つるつるしつつも食感のある麺におろしと胡麻の香りが効いた、あっさりとして気持ちの落ち着く1杯である。
派手に飲んだタテルの分の会計は16,000円強であった。少し高めではあるがそれに見合う仕事の丁寧さであったと思う。
「大満足。これくらいの量が私には丁度良い」
「俺も満足。どこぞの大食いフレンチ好きブロガーとは違うからね、ドカ食いするより少量を味わって食べる方が趣あるんだよ」
「痩せるしね」
「余計なこと言わない!」
隣の国際結婚夫婦は11,000円のコースを頼んでいたが、追加用の単品メニューを渡されていた。
「グミ、焼売がお勧めだと伝えてあげて」
「わかったよ。He recommends shaomai. A steamed dumpling with minced meat and shrimp.」
「Sounds good!」
「私はTO-NAというアイドルグループのメンバーです」
「I am a member of TO-NA, Japanese idol group.」
「彼はマネジャーをしてて」
「He is our manager and」
「TO-NAを日本一のアイドルグループにすることが夢です」
「ささやき女将じゃないんだから!」
「こりゃまいった」
「Have a nice night!」
翌日、野元の元を1人の男が訪れる。
「お招き頂き有難う御座います。俳優のエイジです」