不定期連載百名店小説『カクテル歳時記を作ろう!』三冬「ネグローニ」(歯車/飯田橋)

神楽坂のブックカフェで本を読み寛いでいた、女性アイドルグループ「TO-NA」のメンバー・クラゲ。TO-NA屈指の文学少女であり、お勧めの本を紹介する動画は100万回再生を記録している。

  

そこへTO-NA特別アンバサダー(プロデューサー兼マネジャー的存在)のタテルが入ってきた。
「えーっと、アイスコーヒーを。ってここブックカフェか。違うところにしよ…」
「タテルさーん、何やってるんですか?」
「クラゲ。これはこれは随分と奇遇だな」
「本読みに来ました。タテルさんも何かお読みになりますか?」
「俺は活字が苦手だ。見てると3秒で気持ち悪くなる」
「意外ですね。頭良い方だからてっきり読書家だと思っていました」
「テレビばっか観てたからね。そんな世界に今入れていることが幸せ。今日も収録で早大生おすすめグルメベスト10食べてきた」
「じゃあ結構お腹いっぱいですね」
「甘いもの食べたくなってきた」
「よく食べますね…」
「坂降りていく途中いろいろ名店があるんだ。一緒に行く?」
「タテルさんの紹介する店なら是非!」

  

神楽坂を下り飯田橋駅方面へ歩いていく。まず現れるのはアトリエコータ。カウンターデザートの名店であるが、店内は満席で空く気配すら無かった。
「神楽坂って人多いなぁ。しかもみんなちんたら歩いてやがる」
「タテルさんが速すぎるだけです。バス旅の観過ぎですよ」

  

次はテオブロマのジェラテリアを訪れる。しかしこちらもイートインは満席であり、立ってジェラートを食べる気分にもなれない。
「なかなか上手く入れませんね」
「これが神楽坂なんだよ。梅花亭も五十鈴も混んでる。ルメルはイートインあったかな?」

  

路地を抜け理科大裏手のルメルを訪れてみると、近くのギャラリーで場所を借りて食べることができるとのことであった。ギャラリーの空き具合を確認するが、ここも生憎の満席であった。
「ごめんな、連れ出しておいて空振りばかりで」
「しょうがないですよ。人気の街ですもんね」
「歩いてたら喉渇いちゃったよ。甘いものじゃなくてシュワシュワしたもの飲みたい。あそうだ、近くにバーがある」
「え、お酒飲むんですか⁈」
「えーっと、歯車の営業時間は…」
「こんな真昼間からやってるものなんですか?」
「やってる店はやってるんじゃ。サンルーカルは14時開店だし。歯車は…15時開店だ、やってるぞ!」
「え〜?」

  

半ば強引にクラゲを引き連れ店に入る。照明をかなり落としている類のバーであり、目の前には一切のボトルが並べられていない。まさに静謐という言葉が似合う空間である。

  

「何をお作りしましょう?」
「先ずはジントニックで」
「タテルさんタテルさん、メニューは出てこないんですか?」
「無いね。でもジントニックならわかるでしょ?」
「まあそうですね。じゃあ私もジントニックで」

  

読書をしに来たはずが、突如人生初のバーを体験することになったクラゲ。
「こんなフラッとバーに入るものなんですか?」
「普通じゃないことは自覚してるよ。でもね、コーヒー1杯で1000円近くするカフェだってある訳じゃん。それだったらカフェ感覚でバーを訪れても何ら不思議なことはない」
「納得しちゃいました。スマートですねタテルさん」

  

ボトルは下の棚から現れる。客の目の前に並べてくれるといったパフォーマンスも特に無かったが、ひと目見たところジンの銘柄はVICTORIAN VATであった。ライムが甘みを引き立て、口当たりを円やかにする。

  

今まで訪れたバーの中でもこれ程静かな空間は無い。文学と距離を置いていたはずのタテルも、何か詩的なことが思い浮かんで、それを言葉に起こしたくなった。
「花言葉というものがあるように、カクテルにもカクテル言葉というものがある。例えばジントニックは『強い意志』『いつも希望を捨てない貴方へ』だそう」
「そんなものがあるんですね。何と素敵な」
「そこでなんだけど、俺はカクテル歳時記を作りたい」
「歳時記ということは、俳句ですか?」
「そうだ。俳句なら17音だけだから気持ち悪くなることもない」
「アハハ。でも17音だけで世界を表現するのって難しいですよね」
「全てを描こうとすると17音の器に収まらない。だからある程度映像を描いて、その先は読者に想像させる。そういう文学なんだよ俳句は」

  

カクテル俳句のルールを固めるタテル。
①カクテルの名前がそのまま季語になる。よってカクテルの名前を含めれば通常の俳句の季語を盛り込む必要はない(というか季重なりになるからやめろ)。
②各カクテルがどの季節の季語に属するかは、材料や色合い、口当たりなどを総合的に判断し決定する。

  

タテルが次に頼んだカクテルはウイスキーベースのジョン・コリンズ。レモンの酸味により、これまた口当たりの良いカクテルである。
「ジョン・コリンズはどの季節になりますか?」
「炭酸だから夏だな。ウイスキーの黄金色と重みを考慮すると秋の入口、つまり晩夏か。っていけね、冬の頼まないと。暑いからつい夏の選んじゃったよ…」
「夏の俳句詠めば良いじゃないですか」
「そう思うだろ。でも駄目なんだ。今いる季節からズレた俳句を詠むのは御法度だ。季×××扱いされちゃう」
「言葉選びは気をつけた方が…」
「昔からある言葉なんだけどね」
「言葉狩りは私も嫌ですけど、仕方ないですね」
「まあ俳句を究めれば、言葉の重みが嫌でもわかるようになるよ。単語の持つ奥行きやひろがり、生み出す光景や物語。如何に短く的確な表現を見つけるか、それが推敲の面白みでもあり苦しみでもあるんだよな」
「タテルさんにも文学者の一面があるんですね。驚きました」

  

摘みとして出されたのは文京区のブーランジェリー「テネラ」から仕入れた、ナッツのたっぷり入ったチョコレート味のブレッド。濃厚なチョコ味のため、必然的に重めのカクテルを合わせることとなる。
「口当たりが重ければ冬に当てはまる」
「ココアは寒い時期には沁みるけど暑い時期には飲みたくない、みたいな感覚ですかね」
「そう。この前ヒラホと行ったバーでホワイトネグローニなるものを飲んだ。その元となっているネグローニなんか、冬に当てはまるんじゃないかな」

  

ジンとベルモット、カンパリをステアするネグローニ。シロップのように濃密な口当たりをしているが、カンパリの苦味が効いた大人のカクテル。
「ケホッケホッ…強いですね」
「全要素酒だからな。ゆっくり飲みなさい。俳句でも拵えながらのんびりと」

  

それでも飲んでいく内にカンパリの苦味に慣れ、ベルモットに含まれる豊かな果実味と馴染んで心地良さを覚えるクラゲ。
「ネグローニは冬の季語で間違いないな。よし、ロマンチックな一句ができそうだぞ」

  

ネグローニ苦味に慣れて君笑顔

  

「女性と一緒にバーに来て高揚しているタテルさんの雰囲気が良く出ています」
「そんなこと言われると恥ずかしいじゃん。さあこの句、プレバトで出したら凡人です」
「え?良いと思いましたが…」
「ネグローニより先の言い回し、何となく稚拙な感じしない?」
「まあ言われれば、整える余地はありそうです」
「俳句はあくまでも詩、ポエムなんだ。今のままだと『苦味に慣れて君が笑顔になりました』という普通の文章を配置しただけなんだ」
「散文的、というものですか?」
「ああそうだ。1文字だけ変えるだけでも雰囲気出るよ」

  

ネグローニ苦味に慣れし君笑顔
「文語文法を使った。『し』は過去を表す助動詞『き』の連体形ね」
「助動詞とその活用、覚えさせられました。こういうところで活きてくるんですね」
「感慨深いよね。あと『君笑顔』は助詞を省いたせいで寸詰まりな印象を受ける。こうするとどうだろう」

  

ネグローニ苦味に慣れし君の笑む
「動詞『笑む』を使うことにより、最初は苦味に抵抗感があったけど慣れてきて美味しく感じるようになった、という変化を表現できる」
「動詞で変化を描く。言葉の面白さが手に取るようにわかります。あとこれは私なりの意見かもしれないんですけど、『苦味に慣れし』の部分もより良い表現ができそうです」
「おっ、よく気づいたね。『慣れる』という表現がちょいと説明的でドライなのよ。苦味が具体的にどうなったのか言ってみようか」

  

ネグローニ苦味まるまり君の笑む

  

「あっ、良いですねこれ」
「『苦味』自体の変化も描いていて良きかな。あ、『まるまり』は平仮名ね」
「柔らかい印象を与えるためですか?」
「それも正解。さすが文学少女だ。俳句的視点から指摘すると、漢字が続くのを防ぐため、という理由もあるんだ」
「『苦味丸まり』って漢字で書くと、確かに意味の切れ目が一目でわかりにくいですね」
「苦味丸、とかいうお相撲さんがいるように取れてしまうからね。いる訳ないけど」
「アハハ。好角家のタテルさんらしいです」

  

会計は1人6600円。カクテル3杯ならまあこれくらいの支払い金額である。
「よし、これで1個目の季語『ネグローニ』の句ができた」
「あと何個やれば歳時記完成できますかね?」
「何百とあるでしょ。果てしない道だよ」
「まあそうですよね」
「それ言ったら歳時記に載ってる季語は1000以上あるし、増え続けるものでもあるし。カクテル歳時記を作り上げるロマン、一緒に抱えていこう」
「はい!やってみます!」
「よっしゃ。あと、クラゲには1つ脚本を書いてほしい」
「脚本…ですか?」
「クラゲの原案で、映画を撮りたいんだ」

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