連続百名店小説『白を知る』❹過ぎ去りし世に揺れる華(二代目 佐平次/五稜郭公園前(函館))

人気女性アイドルグループ「TO-NA」の特別アンバサダーを務めるタテルは生粋の江戸っ子で、雪景色に憧れを抱いていた。そこでメンバー唯一の道産子・カホリンを連れ函館を旅することにした。肉襦袢を纏うタテルは寒さに強い一方、カホリンは寒さを大の苦手としている。

  

函館駅前のホテルにチェックインした2人は荷物を置きしばし休憩をする。タテルはスマホに向き合いこの後の行程を整理する。
「五稜郭タワーに上って居酒屋行って…ああ、時間がないぞ!カホリンは休みたそうだけど、行くしかないな」

  

カホリンにLINEを送ってみるが既読がつかない。どうやら眠っているようである。ゆっくり寝かしておくのが筋であるとは思うが、焦ったタテルは何度も電話をかけてしまう。
「…もう出発ですか?」
「悪い。五稜郭まで意外と時間がかかるんだ。5分で支度して下に集合な」
「…わかりました」

  

外に出てみると、未だ16時半だというのに真っ暗であった。今度は湯の山温泉行きの市電に乗り込む。
「えーっと、五稜郭公園の停留所で降りて、そこからちょっと歩くようだね」
「どれくらい歩くんですか?」
「10分くらい。まあまああるね」
「はあ…」
「でも五稜郭に行けるのは今しかないんだ。食事終えたら函館山か湯の山温泉に行って、〆のラーメン食べて部屋に戻り就寝、翌朝は7時に朝市行って8時の電車で大沼公園、函館に戻って12時にフレンチで、その後ラッキーピエロ…」
「しんどいかもしれません」
「しんどい?…まあ言われてみればそうかな。でもせっかく来たからさ、付き合ってよ。頼む!」
「…」

  

五稜郭公園前の停留所から徒歩で北上する。五稜郭にはタワーがあるから地図に頼らなくても到達は容易である。しかし地味に距離がある。JRの五稜郭駅から行けば良かったのでは、と考える読者諸君も居られるだろうが、こちらはもっと五稜郭から離れており(半ば「詐欺駅」)、歩きたくない人はバスで直行するのが最善策である。

  

「ついた、五稜郭〜!」楽しそうなタテル。
「疲れた…」
タワー1階に入った途端カホリンは座り込んでしまう。
「タテルさんだけ上ってきてください。私ちょっとここで寝ているので」
「そういう訳にはいかない。あちょっと待って、タワーの入場料が安くなる方法があるかも。…セブンイレブンで買えば100円安いぞ!」
「戻るんですか…」
「カホリンはここで待ってろ。丁度良いじゃん、俺が戻ってくるまでの間休める」
「わかりました…」

  

深い雪の中、コンビニへと急ぐタテル。先に言っておくと、タテルはこの道をもう1回通ることになる。ここまで来るとタテルも雪道に順応し、東京で見せるのと変わらぬ速歩きで行動する。
「カホリンお待たせ。休めた?」
「休めてないです。早いですねタテルさん」
「早いよ。速歩きだもん。俺の異名、『太川陽介の再来』だから」
「わからないです!」

  

雪深い夜の時間帯であるにも関わらず、展望室へと向かうエレベーターは人でごった返していた。その大半が中国人はじめとした外国人である。

  

暗いエレベーターに乗り込むと、扉が閉まってからライトアップが始まり、タテルの目の前には榎本武揚の顔が浮かび上がった。戊辰戦争の最終盤、箱館戦争で旧幕府軍を率いた志士。五稜郭を拠点として新政府軍に対抗するも、土方歳三を失い降伏。それでも情けを受け、最終的には明治政府の要人となった人物である。

  

「うわぁ、これが五稜郭か!」
「すごく綺麗!」
疲れ切っていたカホリンも、雪に包まれライトアップされた五稜郭を前にして目が覚める。緑生い茂る昼間の景色には無い静謐に息を呑む。そしてその周りに点在する灯の先に、何も無い手付かずの自然が広がっていることを期待して感傷に浸るタテル。

  

「江差の方はどうなっているのだろう。鉄道が無くなってバスでしか行けなくなったけど」
「私にもわからないですね。札幌の中心で育ったので。ってかタテルさん、私より北海道のこと詳しくないですか?」
「秘境駅とか好きでさ、北海道に多いんだよ。小幌とか糠南とか」
「わからない…タテルさんそういうのお好きなんですね」
「何もないところ、行きたいんだよね。無になって佇んでみたくなる」
「無になる、ですか。確かにリラックスできそう」
「ところで五稜郭の中って入れるのかな?人がちらほら歩いているけど」

  

予約の時間まで20分程あったため、五稜郭内部の方へ足を伸ばしてみる。すると特にチケット売り場のようなものは無く、無料で場内に入ることができた。
「タテルさん、かなり吹雪いてますけど!」
「ちょっと見てみたい。寒かったらタワーの中で休んでなさい」
「でもせっかくだからついていきます」

  

橋を渡ると、そこには白黒の世界が広がっていた。夜空は雪雲により灰色で染められ、時たま光る外郭の光、最低限の現代的なライトの存在を除けば、戊辰戦争の頃と変わらないであろう景色。吹雪の寒さなど忘れて、タテルは悠久の歴史に思いを馳せていた。

  

「今も昔も変わらない雪。幕末の志士はこの何もない場所で何をして楽しんでいたのか。いや、楽しくはないか。この静寂(しじま)の中で雪に吹かれながら、迫り来る新時代の圧を憂いていたのか…」
「タテルさん、泣いてます?」
「え嘘、泣いてた?はあマジか、完全に没入していた。こういうことなんだよな、無になるということは」
「タテルさんは楽しそうですけど…やっぱり寒いです」
「悪い悪い。あっ、もう予約の時間だ!」

  

タワーの入口に戻り、ラッキーピエロやあじさいのある角に入る。タテルが先程チケットを発券したセブンイレブンの向かいにある「二代目佐平次」が目的の店である。

  

店内に入ると、上着に雪がたっぷり付着していることに気づく。手で払い除けようとするが暖簾に腕押しであり、床とか濡らしそうで申し訳ない気持ちになる。

  

「飲み物はその辺の居酒屋っぽいラインナップだな。クラフトビールもこの当別750mlだけですかね?」
「そうですね、ごめんなさい」
「じゃあ俺はハイボールにします。カホリンは?」
「道民ならやっぱり、ガラナですね!」

  

飲み物を手にしながら続いては食事のメニューを吟味する。居酒屋の定番メニュー、北海道の魚や肉を使ったメインがラインナップ。
「カホリンはお刺身食べたそうだね」
「もちろんです!冬のお魚は身が締まっていて美味しいんですよ〜」
「そっか。俺は生魚をなるべく避けたい。1人で食べるんだったら頼んでもいいよ」
タテルは温まれそうな湯豆腐、河豚の揚げ出しを選択。肉料理は贅沢におぐに和牛ステーキとした。

  

暫くして豪華なお通しが登場する。なめこおろし、さつまいものポタージュ、パテ、椎茸のケークサレ、じゃがいものオムレツ、かぼちゃのクリームチーズ和え、フグの唐揚げ、豆腐ムース。和食の八寸みたいで心が踊る。1品1品のクオリティも高く、特にケークサレが、パウンドケーキと塩気の相性の良さに驚き印象的であった。

  

「どちらからお越しで?」
店主が問いかける。カウンター席の人には調理の合間を縫って満遍なく声をかけてくれるようなので会話を楽しもう。
「東京です。僕はずっと東京で、彼女は札幌生まれで」
「函館は初めてです」
「そうでしたか。函館も今がちょうど初積雪ですね。雪道大変だったでしょ?」
「吹雪の中でしたが、五稜郭見てきました」
「うわっそれは大変でしたね」
「でもめちゃくちゃエモーショナルでした。思わず立ち尽くすくらい良い景色で」
「楽しんでいただけているようで何よりです。次の料理、もう少しお待ちくださいね」

  

カホリンが刺身を食べる横で、タテルはだし湯豆腐を戴く。ここに来る途中の堀川町近くにある「堂守豆富店」の豆腐を使用。薄味の出汁の中で、ふくよかな旨味を発揮する。
「カホリン寒そうだな。湯豆腐食べて体温めなさい」
「はい、ありがとうございます」
「寒がりなんですね」
「そうなんです。雪国出身なのに全然寒さに慣れなくて」
「まあそういうこともありますよね」
「僕が逆に暑がりで。上着着ていくかさえ迷うくらいでした」
「さすがに上着ないと大変ですよ」
「思いました。上着1枚羽織って丁度良いくらいですね」

  

カホリンは温かいお茶を頼み、タテルは日本酒に移行する。青いメタリックのメニューブックに日本酒の一覧が書かれている他、別紙には北海道の地酒も載っている。店主がお勧めを紹介してくれるとのことなのでお任せし、出てきたのは御当所も御当所、五稜のあらばしり。軽い口当たりでスルッと飲めてしまう。口の中で回すとアルコール感とメロン感が出てくる。
「北海道のお酒って、言われてみれば東京で見ないんですよね」
「北海道の日本酒は内々で消費するのであまり出回らないんですよね。貴重なものなのでいっぱい飲んでいってください!」

  

続いて河豚の揚げ出し。身のみっちり締まった河豚に濃い味の餡が纏わりつき味わい深い。舞茸や蓮根などの具材も重みがあって大満足である。
「隣のお客さんのポテトフライも美味しそう〜」
「マックのポテト想像してたけど、しっかり芋だもんね。さすが北海道、野菜が力強い」
「じゃがいも、にんじん、たまねぎ、かぼちゃ、アスパラ。北海道が生産量日本一の野菜、って習いました」
「大地に根ざす野菜は北海道が最強だね。来て良かったよ」

  

隣の3人組のうち1人がお手洗いに立ったその時、残りの2人が店主にやんわり窘められる。会話の内容が誰かを傷つけるもので際どい、という指摘であった。
「勇気ありますね」
「ちょっとびっくりしたけど、客層をコントロールするとはこういうことだな。神様気取りの客の増加が社会問題になっている中、ちゃんと叱れるのは良いことだ。空気を悪くすることもないし、有難いと思うね」
「安心してお食事ができる、という訳ですね。良い店だ」

  

ここでタテルが気になり追加発注していた熊肉の春巻きが登場。熊肉の厚みのある弾力が確と感じられる一方、大葉やチーズで臭みを上手く消し旨味だけを感じさせる。これまた絶品である。

  

「あの、この後函館山か湯の山温泉の足湯に行こうと思うんですけど、どっちが良いですかね」
「足湯じゃあすぐ冷えちゃいますよ。絶対山の方が良いです」
「タテルさん、私も山が良いです。タイツ履いているので足湯は無理です」
「それじゃ無理だな。山しかないね」
「山の上も本当に冷えますから、カイロ持っていってください。くれぐれもご無理なさらずに」

  

タテルは日本酒を追加する。旭川のとなり東川町の三千櫻(みちざくら)。やはり北海道の地酒は口当たりが円やかである。

  

新幹線駅のある北斗市、おぐに牧場の和牛。山葵入りのおろし、粒マスタードをつけながら戴く。脂は程々に、噛むほど甘みの出る引き締まった肉質。ただ一部硬くて噛みきれない箇所がある。ナイフを貰って軽く繊維を断ってから食べると良かったかもしれない。それでも、頼み損ねたポテトフライが添えられていて、通常のじゃがいもには無い甘みに酔いしれる。

  

北海道の焼酎水割りを頼んだタテル。するとカホリンはお手洗いに籠る。
「お連れ様、少々具合が悪いように見えますが」
「そうですね…」
「寒さが苦手ななか歩き続けて、お疲れになっているのかもしれません。函館山に行きたい気持ちも解りますが、せめてお連れ様だけでも、ホテルにお戻りになった方がよろしいと思いますよ」
「はい…」
戻ってきたカホリンにこのままホテルに戻りたいか問うてみると、二つ返事で戻りたいとのことであった。店主の忠告に従い、ここは先ずホテルに戻ることとする。

  

五稜郭公園前の停留所に戻るが、市電が来るまで10分弱あった。その間にもカホリンの体調は悪化し続ける。
「熱が出てきたかもしれません」
「おでこ触っていい?…本当だ、熱い。これ以上連れ回す訳にはいかないな」
「ごめんなさいタテルさん…」
「こればかりはしょうがない。今日はゆっくり休みなさい。どっちにしろ今の時間から函館山は無理だ。ロープウェイは9時まで、山頂までの道は冬季通行止めでタクシーも使えない。俺の計画ミスだ」

  

函館駅前のホテルに戻り、カホリンの体温をはかると39.4℃の熱があった。明らかに無理が祟っての発熱である。
「ごめんなさいタテルさん…」
「俺の方こそごめん、無理させてしまって。ゆっくり休んで…」

  

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