連続百名店小説『白を知る』❷歴史の深い手に引かれて(小いけ/宝来町(函館))

人気女性アイドルグループ「TO-NA」の特別アンバサダーを務めるタテルは生粋の江戸っ子で、雪景色に憧れを抱いていた。そこでメンバー唯一の道産子・カホリンを連れ函館を旅することにした。肉襦袢を纏うタテルは寒さに強い一方、カホリンは寒さを大の苦手としている。

  

14時半、閉店時間となったすき焼き屋から出てきた2人。次に目指すカレー屋「小いけ」は目と鼻の先にあり、意気揚々と歩いて向かうタテル。
「うおっとっと!」
「大丈夫ですかタテルさん?」
「新雪だから滑らない、と思っていたけどそんなことなかった」
「前から思ってたんですけど、歩くの速くないですか?」
「速い自覚はある」
「雪道で速足は危ないですよ。気をつけてくださいね」
「そうだな。気をつけるよ」

  

店の近くに来るとカレーの匂いがした。営業中であることがわかり一安心である。雰囲気からして頑固オヤジの営む店に思えたが、中に入ってみると食堂のような雰囲気であった。自分から注文しに出向くスタイルに見えるが、普通に注文を聞きに来てくれるスタイルであり、早速右手前のカウンター席に座る2人。
「冷たっ!」
「ああひんやりしてる。これはこれで気持ちいいね」
「気持ちいい?タテルさんもしかしてお熱あります?」
「平熱は37℃超えてる」
「それは高いですね…」

  

カツカレーやエビフライカレーなども気になるところだが、あくまでもすき焼きを食べた後であるためトッピング無しのカレーを注文する。
「もう2時半か。夜の居酒屋は6時の予約、意外と慌ただしいかも」
「…眠くなってきました」
「しっかりしろ。これからクレープ屋行くし五稜郭も見たい、休む時間はあまり無いぞ」
「さっきのすき焼き屋さんでちょっと寝とけば良かった…」
「まあカレー食べたら目覚めるよきっと」

  

カレーが登場。するとカレーを差し置いて米の良い香りがたんまりしたので単体で食べてみる。水分を抑えて炊き上げているようで、噛むと仄かな甘みを感じられる。
「さすが米どころだ。飯だけでイケちゃうね」
「嬉しい!北海道のお米は最高ですよね!」
「TO-NAハウスで配るお米も北海道産にしない?カホリンの知り合いに米農家いたら送ってもらいたい」
「ごめんなさい、いないです」
「都合が良すぎたな。失敬」

  

ルウを合わせてみると、直線的な辛さが口の中を襲う。熱い風呂に入るような感覚である。
「とんかつ載せれば良かったな。脂でうめたい、この辛さを」
「でも目は覚めますね。寒いとどうも眠くなっちゃって」
「それな。意外だけどホントそう。雪山で遭難して眠くなるのとかね」
「寝るな!寝たら死んじゃう!みたいな」
「眠くなるのは必然なんだよね。体力を温存したいという本能なんだよ」

  

食べ進めるうちに何だかんだで辛さに慣れ、最後は美味しく食べることができた。函館で古くから営業しているカレー店。今度はフルトッピングで食べに来ることを誓い店を後にする。

  

西の方角を眺めると函館山およびそこへと続く坂がある。その手前に気になる銅像を発見し、路面電車が来るまでの間覗いてみることにした。

  

江戸時代後期に活躍した高田屋嘉兵衛。箱館を拠点として造船などに従事し、国後・択捉の航路や漁場を開拓して財をなし箱館の発展に貢献する。

  

「ゴローニン事件!聞いたことあるぞ」
「何ですかそれ?」
「詳しくは知らない。ロシア関係だとは思うけど。日本史の先生が変な語呂合わせ作ったことだけ覚えてる」
「えー何それ、気になります」
「えーっと何だったけな」

  

この時代は日露関係で色々な出来事があり、入試によく出るロシア人が何人かいる。その中の1人にラクスマンという人物がいて、「私だけ楽(ラク)してすまん(スマン)ご浪人(ゴローニン)」という覚え方をするのだとか。

  

「…」
「聞いといて何だよ」
「あまり…面白くないです」
「俺もそう思ったよ!文字に起こすと薄寒くて」
「字面だけだと難しいですよね。授業の雰囲気の中で紹介したらきっと面白いと思いますよ。印象に残りやすいですし…ちべたっ!」
タテルはカホリンに雪玉を投げつけていた。
「何するんですかタテルさん」
「やってみたかったんだ、雪合戦。雪玉作れるだけの雪、漸くありつけたから」
「だからって突然投げつけるのは止めてください!こうなったら私も…それっ!」
「冷たっ!ああ、素手で雪玉作るのキツいな」
「手袋した方が良かったですね。よぉし、どんどん投げちゃいますよ」
「歴史を色濃く感じる空間で雪合戦。こんなことできるの函館だけだな」
路面電車のことなど忘れ、気づけば20分も雪合戦を楽しんでいたタテルとカホリンであった。

  

NEXT

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です