連続カフェ&喫茶店百名店小説『Time Hopper』第1幕:小説と音楽 前編(Paul Bassett/渋谷ヒカリエ)

現代を生きる時生翔(ときおかける)、23歳。社会人1年目として奮闘する日々。
「おい時生、資料の作成まだできてないのか」
「も、もうすぐできます!」
「すぐできます、じゃねぇんだよ。早くしろ!それにお前、この前メール誤送信したよな」
「は、はい…」
「顧客情報が世間に流出するところだったんだぞ!事件起こってからじゃ遅せぇんだよ、しっかりしろよ!」
「…」
「次ヘマしたら何かしらの懲罰与えるからな。ちゃんとやれよ」
デコピンされた額を撫でながら、カケルは己の無力さを悔いた。

  

ある日の午後、翔は健康診断を受けるため渋谷に来ていた。余裕を持って会社を出てきたため前倒しで受診することができ、会社に戻ってもいいくらいの時刻に健診は終わった。ただ今から仕事するのも億劫だし、何しろ食事を我慢していたのでお腹が空いて仕方なかった。この日は仕事をサボり、渋谷ヒカリエの地下にあるカフェでパンケーキを食べることにした。

  

平日の夕食時に近い時間帯であるにも関わらず店内は満席であった。パンケーキを注文すると30分かかると言われたじろいだが、仕方ないのでカフェオレで繋ぐことにした。

  

「バリスタ世界一」と謳うだけあって、コーヒーは奥深く溌溂とした濃さがあった。あまりコーヒーに詳しくない翔でさえ違いを理解しハッとする。ミルクと混ざり合い滑らかさも得ている。

  

翔にはもう一つ後ろめたいことがあった。大学時代から付き合っている彼女・守田麗奈と最近上手くいっていない。お互い仕事に忙殺され、偶に会えば愚痴の交換ばかりしている。これ以上関係性が発展するとは思えず、別れるのは時間の問題であった。
「仕事も恋も上手くいかないな。今を生きるのがこんなに辛いとは。昔は2人でパンケーキを食べ、お互いにあーんとかしてクリームつけて笑い合っていた。ホットティーをあったかそうに飲む麗奈、あざと可愛かった。学生時代は何もかも輝いていた。あの頃に戻りたい…」

  

宣言通り30分してパンケーキが運ばれた。流行りの溶けてなくなるパンケーキだが味わいはしっかりしており、仄かにする柑橘の味が興味深い。クリームも軽やかで、バターやシロップに頼らずとも美味しくいただける。今まで麗奈と食べていたパンケーキとは一味も二味も違っていた。

  

そこへ麗奈からLINEが来た。
「翔くん、今日渋谷来れる?SHIBUYA SKYのチケット取れたから一緒に登ろう」
「ちょうど渋谷のヒカリエにいるところだよ。いいね、行こう行こう」
急な誘いの真意を掴めない翔。東京の夜景を見ながら2人の今後について語り合うのか、それとも別れを切り出されるのか。わざわざ展望台の上で別れようなんて言われることは無いだろうが、突然呼び出されたら心配になるものである。不安を抱えたまま、スクランブルスクエアの1階で麗奈と落ち合った翔。
「随分と突然だね。何かあったの?」
「ま、まあそれは登ってからのお楽しみ」
「お楽しみ、か…」

  

SHIBUYA SKYは外国人でごった返していた。特に隅っこは絶好の撮影ポイントで、2人は会話しながら並ぶことにした。
「それでね、今日は翔くんに言いたいことあって。やっぱり私達、別れよう」
「えっ…」
「私達このまま付き合っていても何も進展しない気がしてさ。別れてしまった方がお互いのためになるかなって」
「そんな…」
「この夜景が恋人としての最後の思い出。これからは友達同士としてやっていこう」
失意の翔は、順番が回ってくるとあろうことか柵から身を乗り出そうとしていた。
「翔くん、何してんの⁈」
「止めるな。俺はもう生きてる価値なんてねぇ。騒がしい日々とはもうおさらばだ」
「待って、翔くん!」
全力で翔の手を取った麗奈。2人は渋谷の夜へ駆け出し宙を舞った。

  

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