連続百名店小説『世界中が平和でありますように。』 第二篇:生ける者皆安寧の世に在らんと慾す(蕎麦きり吟/段原一丁目(広島))

広島市に暮らす佐々木日菜。彼女の周りには2人の平和主義者が居る。祖母のチヨは1945年8月6日の原爆投下を経験し、母と妹のチエを亡くした。現在は服飾系の企業の社長として、齢92ながらバリバリ働いている。そして婚約者の建はYUSHI海外活動隊の隊員として紛争地帯で援助活動を行っている。危険地帯であるボマダンでの3ヶ月の任務を終えた後、日菜と結婚式を挙げることになっている。

  

 建が成田から飛び立つ日、日菜は遥々広島から見送りに来ていた。日本からアフリカへ飛ぶ唯一の直行便(途中ソウルにて一旦降機するが)を運航するエチオピア航空のカウンターには行列ができていた。首都アディスアベバのボレ空港はアフリカ諸国への便が発着するハブ空港であり、特にマイナーな国や紛争地域へ乗り継いで行く際に重宝する。旅行客も多いが、国際協力の志を持って乗り込む建の同志も沢山並んでいたと思われる。
 ボマダンは現在地球上で5本の指に入る危険地帯で、積極的に訪れる人は皆無である。建も今まで以上の用心を以て滞在する心づもりである。
「建くん、お土産選びは任せるね」
「気が早すぎるよ。まずはお仕事果たしてから。大丈夫、ボマダンには日菜にピッタリの土産がある」
「なんだろう」
「届いてからのお楽しみ」
「楽しみにするよ」
「じゃあそろそろ行くとするか」
「気をつけてね」
「ああ。俺達の愛は誰にも引き裂けない。神様が味方でいてくれるから」
 こうして建は揚々と保安検査場に向かっていった。

  

 ボマダンの首都バラスまでは丸1日以上かかるハードな移動である。おまけに日本とは勝手が違うので飛行機に遅れが発生し、建がバラスに到着したのは日本出発から30時間後。その頃日菜は既に広島のアパートに戻って就寝中であった。翌朝LINEを開くと、建から「バラス到着!赤土の大地!」「おっきなゴリラのオブジェがお出迎え!」「久しぶりのシャワー!」等楽しげなメッセージが多数届いていた。少し安心した日菜は、「楽しそうだね。でも本番はこれから、気をつけて街に出てね」と伝えて仕事へと出かけた。

  

 次の土曜日、チヨが何処かお出かけに付き合ってあげると言うので日菜は動物園をリクエストした。広島で動物園といえば、少し山に入るが安佐動物公園である。バスセンターから50分くらいで辿り着く。一番暑い時間帯を避けるため、朝8時にバスセンターを出る便に乗り、9時の開園に間に合うようにした。
「建くんは元気にしとるかい?」
「うん。毎日LINEしてるんだけど、何だかすごく楽しそう。ボマダン自体、そんなに危ない感じしないんだよね」
 建が日菜に送ってくる写真にはどれもバラスの日常が写っていた。市場の盛況、整然と走るバイクの群れ、集まってくる子供達の笑顔。とても紛争のある街の様子とは思えない光景である。
 バラスは平和だよ。国連軍の監視が厳しいから浮いたことなんてできないのさ。夜出歩いたり迂闊に写真を撮るとかしなければ大丈夫。飯も美味いし快適なこと限りなし。危険な国でも、野良猫は丸くなって寝ているよ。
「今日は子供達を連れて国立公園に行くんだって。ビゴーっていう絶滅危惧種の保護区なんだよ」
「それは楽しそうだね。だから日菜も動物園行きたいんだ」
「珍しい動物を愛でる楽しみ、味わいたくて」

  

 安佐動物公園に到着。早速フラミンゴがお出迎えする。順路に沿って進めば次はアフリカの動物ゾーン。キリンやシマウマ、そしてこの動物園で一番の見ものであろう絶滅危惧種のマルミミゾウを鑑賞した。生息地域外で飼育されているのは世界中でここのみである。
 山勝ちな地形にあるため坂が多いのだが、齢92のチヨは苦にすることなく歩き回る。少女の頃に戻ったように、多彩な動物達の振る舞いに釘付けになる。

  

 1941年、同じくらいの暑さの頃。偶には家族旅行をしよう、ということで京都を訪れたチヨ一家。寺社仏閣ばかりでは子供は退屈するので動物園を訪れた。初めて見るライオンやトラに心が躍るチヨとチエ。中でも2人が特に引き込まれたのはクマの親子であった。農作物を荒らす害獣というイメージが強かったのだが、いざ動物園で姿を眺めると、母グマは2匹の子グマを大切そうに包み込み、餌を子に分け与えていた。飼育員が来ても襲うことは無く、寧ろ嬉しそうな目で見つめていた。微笑ましい光景につい見入ってしまう。
「お母ちゃん、見て見て!クマじゃ!」
「クマ?珍しいもんでもないじゃろ」
「でもね、すごい仲良しなんじゃ!」
「そうそう!飼育員のおじちゃんにもぶち優しいの!」
「へぇ。幸せ者じゃのぉ、あのクマさん達は」
 どんなに悪とされる生き物でも、そのコミュニティを覗いてみれば印象は変わる。食べるべきものを食べ、動く時は動き寝る時は寝る。命を守るために内外へ気を張りながらも自分達らしく生活している。その様子を目の当たりにすれば、情というものが自ずと湧いてくる。
「うちらもこうやって育まれとるんじゃのぉ」
「そうじゃのぉ。お母さんもお父さんも、2人のこと大切に思いよるけぇのぉ。戦争に勝ったら今度は北海道やら沖縄も連れて行っちゃる。すき焼きも沢山食べさせちゃる」
「またこのクマちゃんに会いに行ける?」
「勿論じゃ。ちゃんとバイバイまたね、言おうね」
 再会の約束をクマと交わして、一家は京都の動物園を後にした。しかし後年聞いた話によれば、その後戦局悪化に伴い3匹のクマは殺処分されてしまったらしい。

  

 時代は移ろい、現代の動物園は件数も多いし飼育されている動物の種類もだいぶ増えている。マルミミゾウの他にもオオサンショウウオやシフゾウなどの珍獣が居て、日菜はたっぷり見物を楽しんだが、チヨはツキノワグマの展示でパタリと足を止めたきり動かないでいた。

  

 日菜がひと通り動物を見終えたところで市街地に戻る。遅めの昼食に選んだ店は、中心部から少し外れ比治山方面に向かう途中、段原一丁目の蕎麦屋。時刻は14時半を過ぎていて、流石に他の客はいなかったが入れてもらえた。10分もしないうちに店主が営業中の札を仕舞ったため危ないところであった。

 チヨは日本酒を所望する。この店では原則常温か燗のみでの提供で、今回は大号令生酛雄町を常温で半合だけ注文した。濃い鼈甲の甘み。これは冷やすと鈍くなってしまうから確かに常温以上の温度で飲むべきである。

  

「何故クマは殺されてしまったの?」唇を噛む日菜。
「そうでもしないと、市民の安全を守れないからよ」
 戦時下における懸念事項として、空襲時に動物が檻から逃げ出して人を襲うことが挙げられていた。例えば上野動物園では時の都長官の命令で猛獣を殺処分することになり、毒入りの餌を食べず毒薬の注射も困難で最終的に餓死させるしかなかったゾウの話は現代においても語り継がれている。
 京都の動物園でも軍の命令によりクマを射殺することになった。飼育員は泣く泣く銃撃したが、翌日になっても命の燈を絶やさないでいた。仕方なくとどめを刺してその燈を消す。クマ達の生きたいという強い想いをこういう形で断つのは、飼育員にとって心苦しいという一言では片付けられないくらい惨い行為であったことだろう。
「戦争が無けりゃあうちの両親もチエも生きとった。でもそれだけじゃない、あの日出逢うたクマの親子だって生き存えとったはずよ」
「そうだよね。絶対生きて生きて、子グマちゃん達も大人になったはずよね……」
 涙が止めどなく溢れる日菜。生きとし生けるものの生命を奪う「戦争」という事柄が、彼女の心の中でより憎きものとなっていた。

  

 平和な日常に感謝して、穴子天ぷらから戴く。江戸前のものとは違い薄く揚がっていて、出汁が染みてほっこりする味。身に沁みる素晴らしい摘みである。

 そして蕎麦。蕎麦の香りが確とあって、若々しさの中に大物の片鱗があって、蕎麦つゆのスモーキーさを纏うと大木のような風格のある香りとなる。
「おばあちゃん、今日は動物園付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそ、動物園リクエストしてくれんさってありがとの。動物園は平和な世の中にしか存在せん。人だけでのう可愛い動物達の命を守るためにも、平和を守っていきたいものじゃのぉ」

  

 その夜、日菜のLINEには建から写真がたっぷり送られてきた。野生のビゴーが悠々と森を歩く姿、その様子を観て楽しげな子供達。他にも様々な動物がいて、マルミミゾウの姿もあった。
「私も今日観たよ、マルミミゾウ」
「へぇ、日本にもいるんだ」
「アフリカ以外だとここだけらしいよ」
 微笑ましい会話の中で、建は言い出すことができなかった。実は撮影したビゴーがこの後、密猟者に襲われる様を見てしまったことを。ビゴーのいる国立公園の付近には貧しい人々が住んでおり、周辺国からの難民や武装勢力も多い。この人達にとっては自然保護よりも明日の生活が大事であり、売り捌いて大金を得るために狩ってしまうのである。
 恐怖に怯える子供達を安全な場所へと誘導する。公園の職人の話によれば、今回ビゴーを襲ったのはなんと先住民だと云う。ビゴーは彼らにとって古来からの食糧であり、国立公園が世界遺産に登録されて捕獲を規制されたことを良く思っていない。保護活動家が先住民に襲われ死傷することもしばしばある。
 絶滅危惧種を護ることと先住民を護ること。2つの正義が衝突する場面を目の当たりにした建は真の平和実現のやり方について考え込んでしまう。明日から地方の紛争地帯での活動が始まるというのに、バラスのホテルに戻ってもベッドの上で手帳に殴り書きするだけでろくに食事も摂らずにいた。

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