
広島に今年も夏が到来しようとしている。夏は全国各地に等しく訪れて、暑いとうだり涼を感じて束の間の悦に浸るのがこの国では風物詩であるが、こと広島の人にとっては物思いに耽りたくなるものでもある。

日本料理店にて背筋を伸ばして座る老女もまたその1人。佐々木チヨ、齢92。この店には月に3度、決まって土曜日に訪れる。普通の人ならここまで頻繁に訪れるものではないから、店の人もメニューの考案に頭を悩ましている。読者の皆さんは多くても季節毎で訪れるようにしよう。

彼女はまた日本酒をよく飲む。6杯のペアリングを注文し、時間をかけて自分のペースで飲み尽くす。渋滞させても良いから味わいの変化を楽しむことを、国際唎酒師の女将も推奨している。この日の1杯目は賀茂金秀の品評会出品日本酒・桜吹雪の純米大吟醸。甘さはそこそこに爽やかな飲み口。少しピリッと引き締まる感覚がある。

最初の一品には蓴菜を使用する。秋田県三種町がシェア9割を誇る食材だが、京都の料亭にて提供される蓴菜は広島のものが多いらしい。中でも東広島市の平林さんが生産するこちらの蓴菜こそが日本一だと店主は云う。ひとたび噛むと、それは蓴菜畑に吹く爽やかな風のように爽快で、その奥には甘みを感じられる。未だ子供だった頃、母親の実家の前に広がっていた畦道をチヨは思い出していた。

そして閖上の印象が強い赤貝も広島で獲れて、赤貝らしい磯の風味がわかりやすく在りつつ、それを際立たせすぎないようジュレが上手く制御している。周りの客の半分くらいの速度でゆっくり味わってしまうくらい、チヨにとっては趣のある絶品である。
そこへ遅れて入ってきた男女2人組。事前に遅刻の連絡は入れていたらしいが、カウンター席一斉スタートの店で遅刻は好ましくないものであり、チヨは彼らを窘めた。
チヨにとって2人は他人ではなく、片方はチヨの孫娘・佐々木日菜である。もう片方は日菜の交際相手・大島建。2人は既に婚約しており、今日はその挨拶としてチヨと共に食事する。
「改めまして、YUSHI海外活動隊隊員の大島建です」
「YUSHI海外活動隊!それは立派な団体じゃ。どの国行ってきたん」
「最近だとアフガン、イラク、リビア辺りですね」
「危ない国ばっかりやのう。大丈夫けぇの」
「常に緊張感持って任務にあたっております」
「日菜を悲しませるようなことせんでくれよ」

続いては白甘鯛の鼈甲餡掛け。餡にすることにより昆布出汁の甘みがはっきりと判る。白甘鯛自体は脂の旨さもあれば魚らしい磯の香りもふわっと漂い、餅と共に餡を絡めとりながら堪能する。
日菜が建と出会ったのは東京でのことであった。チヨと同じく広島出身である日菜は、大学だけは東京にある学校を卒業している。専攻は文学部であったが単位稼ぎで国際関係論も履修していた。講義を担当する山田教授は世界中を飛び回り、間一髪で無差別テロを逃れた話からアメリカでTaylor Swiftのライヴを観に行った話まで多彩な雑談を展開する。人気の高い講義で、中には他大学からモグりに来る人もいて、建はその1人であった。
ある日、建は日菜の隣に座ってきて、先週出席できなかったからノートを見せてほしいと頼んだ。優しい日菜は少し戸惑いつつも建に自分のノートを差し出した。
「綺麗にまとめてありますね。写真撮って良いですか?」
「え?あっ、はい……」
「助かった!先週は課題に追われててこっち来れなくて。1時間かかるから…」
「あれ?もしかして違う大学から?」
「あっ……」
「大丈夫ですよ。よくあることですもんね」
日菜もまた、他大学から態々講義を受けに来る建に興味津々であった。講義が終わった後、今度は日菜の方から、国際関係論ならどの大学でも受けられるのになんでここまで来るのか、と質問を投げかける。すると建はYUSHI海外活動隊のビラを取り出した。
「俺ここの隊員やってるんだ。長期休みは殆ど海外で活動している」
「紛争や災害、貧困などに苦しむ人々を救う取り組み……」
「この前の冬休みはベトナムとカンボジアに1ヶ月ずつ。次の夏休みもそこになるかな。活動の基礎を体得して、ゆくゆくは戦争下だったり、政情が不安定な場所で活動する」
「危険そうですね」
「危険だよ。行く人も少ない。でも助けを求めている人は多いはず。だから俺が行って援助するんだ」
「かっこいい……」
「山田先生は紛争地帯にも足を運んでいるから、話を聴きたくて受けに来た」
意気投合した2人はその後毎週隣に座って受講。ジェンダー論でよくある「カップル受講」を国際関係論でやるというのは珍しく、教授からも大層可愛がられたと云う。

瀬戸内海を挟んで対岸の愛媛県より、賀儀屋の別囲い限定酒。1杯目と似て爽やかジューシーでピリッと切れる印象。
そして料理は蓮根餅。純粋に蓮根だけで練り上げていて、蓮根本来の甘さが餅食感の中できちんと表現されている。中には車海老が入っていて、これまた旨味が詰まっている。うすい豆の香りは、謎風邪の余波にある鼻では感じ取りきれない。
「建さん、出身は関東なんよね」
「はい」
「日菜と結婚したら、住まいはどちらになさるん」
「広島に住みます」
「そりゃあ嬉しいのぉ。日菜は地元に愛着あるけぇ、このまま住み続けられるなぁありがたいじゃろうし」
日菜は故郷で就職することを早々に決めていた。日菜にとって東京は冷淡すぎた。電車やバスの乗客は自分のことで精一杯で、些細なことで苛立つ者がただでさえ重い空気をさらに重くする。控えめな性格なので大学では2人しか友達ができず、休みの日は家でゲームや動画鑑賞をして外に出ないようにしていた。それでも真面目な性格ゆえ成績は良く、ゼミでも決して他の学生と折り合いが悪かった訳では無い。そして何より、同じく真面目に物事に向き合う建とは友達を通り越し恋仲に発展していた。

昆布出汁をとる際に使う水は日本酒「白鴻」の仕込み水。呉の野呂山から湧く超軟水である。昆布だしは軟水の方が旨味を抽出しやすい。一方で硬い食感を残したい豆やアルデンテに仕上げるパスタは硬い水の方が向いている。
「日菜は広島の水のようにやおい(やわらかい)性格じゃけぇの、ちいとおとなしいけど優しい子じゃ」
「おばあちゃん、恥ずかしいよ……」
「思えば初めて隣に座ってノート見せてもらっておまけに自分の活動まで布教して、烏滸がましかったかなって思うんです。それでも日菜さんは受け入れてくれた。仲良くしてくれた。優しいのは勿論、凛としていて真っ直ぐで、頼りになるし頼られるのも嬉しいんです」
「日菜のこと愛してくれんさっとるなぁようわかった。たちまちは安心した」


椀物は江田島のオコゼと先程の蓴菜。出汁は利尻昆布を敦賀の奥井海生堂で蔵囲熟成したものと鮪節で取り、それ以外余計なものは一切加えない。西日本らしい優しいお椀である。湯の中に香ばしき節の旨味が漂い、昆布の味は縁取りとして椀の中を彩る。

超軟水仕込みの白鴻も併せて戴く。米4段仕込みの生酒で、驚くほどたっぷりの旨味を感じる。強いというより大量の旨味、である。
少しずつ建に心を許すチヨ。彼女は関わる人に対して一つだけ譲れない条件を定めている。戦争反対。何が何でも戦争をしてはならない、とチヨは考えていて、それに刃向かう人とは距離を置くのだと云う。建も知らぬ間に見極められていた。
そこまでチヨが意固地になる理由は、90年を超える生涯の殆どを広島で過ごしてきたことを考えれば想像に難くない。原爆が落とされたあの日あの時も広島市内に居て、キノコ雲の巻き上がる様子をはっきりと憶えている。その下には自宅があった。母と妹は外出していないはずだった。絶望に打ちひしがれ、爆風にやられた建物の瓦礫の中で立ち尽くしていた。
独り生き残ったチヨは山間部に住む親戚に引き取られるも、原爆投下の被害者として邪険に扱われた。嫌気がさして15歳で家を出ると、再び広島市内に戻って洋裁店の門を叩いた。最初は断られたが、他に行くあても無いからと三日三晩訪れ、熱意に根負けした店主はチヨを雇い入れた。最初は怒られこき使われで大変な思いをしたが、着々と仕事を覚えると一転可愛がられるようになり、チヨの仕立てる服は地元民に愛されるまでになった。
やがて先代の跡を継いで社長に就任すると、時代の流れに合わせ既製服販売にシフト。これがまた好評で飛ぶように売れ、小さな洋裁店が広島を代表する大きな企業へと発展した。92歳になった今も社長として忙しい日々を送る。バブル崩壊やリーマンショックなども平気だった、原爆投下という衝撃的な出来事と比べたら。
「パワフルですねお婆様」
「まだまだ若い者にゃあ負けんよ。100歳、いや120歳までは働き続けるけぇのぉ」
「すごいでしょ私のおばあちゃん」
「すごい、間違いなく」
「生きとうても生きれんかった妹の分まで、生きちゃるんじゃけぇ」

ここからは造りが提供される。つけだれとして36年継ぎ足しのポン酢が提供される。後味がなんと甘い。そして柑橘が確と香る。

先ずはオコゼをもみじおろしと共に。身自体にはあまり味がないが、プチっと弾ける繊維の食感が面白い。隣には鯛。甘みを感じられる良個体。

後から漬けも提供されるが、漬けでない方が不思議と味が濃かった。

4杯目の日本酒は「鳳の舞 豊穣祈願祭」という貴醸酒である。酒どころ広島県が開発した新しい酵母を使用。貴醸酒らしい甘みが非常に綺麗に丸まっていて、食事に対しても甘ったるさを主張せず寄り添う。

続いて3日熟成のコウイカ。流石のねっとり感であり、惰性で咀嚼しがちな食材が印象に残るものとなっていた。

最後は呉より、海老を食べて育った鯵。これも味がしっかりある。海老を餌にしたからか官能的なコクが出ており、青魚特有のクセとのコントラストを楽しめる。

刺身ブロックの〆はオコゼや白甘鯛の出汁が入った雑炊。雑多なようだが各々の魚の旨みがきちんと感じられる。おかわりも可能ということで、建は噛み締めるように3杯貪った。
「帰ってきたら、日菜さんと結婚します」
ついに建はチヨに婚約を打ち明けた。チヨは表情を変えなかった。無抵抗主義の話は自身のモットーである平和主義に添うものである一方、危険地帯で活動することにより大怪我を負ったり絶命したりすれば日菜や軈て授かる子らを悲しませることになる。そう容易く肯く訳にはいかないのである。
「おばあちゃん、ダメ?お父さんもお母さんも良いって言ってるよ」
「そうなんじゃけどね、身内を亡くす辛さ、これ以上味わいとうないんよ」
チヨの言葉には重みがあった。言い返す言葉が見つからない日菜は、とりあえず結論は保留で、とお願いするのが精一杯であった。

魚を鱈腹食べた後は肉である。お隣山口県の希少な「高森和牛」の雌牛。融点17℃。出荷前に山口らしく獺祭の酒粕を食わせている。そして食肉加工にあたっては沼本カットという世界に誇る技術が適用されている。この日は内腿とサーロインが提供された。

先ずは内腿。腿肉であっても脂がしっかり入っていて、おろしや葱と合わせて食べると、贅沢な肉を食べる機会の少ない日菜と建でも食べやすい脂の塩梅となる。チヨは目を瞑りながら時間をかけて味わう。

1904年創業の西條鶴がこの店のためだけに拵えた無濾過純米生酒。ラベルには手が印刷されているが、この店の大将の手である。すっきりとした味わいで脂を流してくれる。
「若い内は贅沢なんてできなかったからね。何年経ってもお肉は味わって食べたいものよ」
思い出すは1940年の大晦日、日中戦争が思いの外長引き戦時色の強まっていた頃。決して裕福な家庭ではなかったが、この日だけは一家全員で卓袱台を囲みすき焼きを食べるのが決まりとなっていた。
「いつまで続くのかな戦争」
「子供が気にするこたない。もうすぐ終わるじゃろ」
「ほうよ。日本が負けるなんて縁起でもない」
「せっかくのすき焼きと日本酒が不味うなる。水をさすようなこと言いんさんな」
こういう調子だからチヨも妹のチエも、戦争に対する不安を口にすることは憚られた。父は楽観的なムードで肉を頬張り西条の酒を呷る。その様子をチヨは羨ましそうに見るしかなく、肉を2枚だけ食べて後は徐に野菜を口に含む形で夕餉が果てた。チヨの家のすき焼きは濃く煮詰めて作るのが自慢だが、全然味がしなかったと云う。
以来30年に渡り、チヨはすき焼きどころか美味しい牛肉の味を感じることなく日々を過ごしてきた。漸く仕事が軌道に乗った時に洋裁店店主に連れて行ってもらった牛鍋屋で久方ぶりにその味を知ると、牛肉の魅力に気付き好んで食べるようになった。社長になり纏まった稼ぎを得ると全国の和牛を食べ歩くようになり、最終的に行きついたのが沼本カットの高森和牛を食べられるこの店、という訳である。

サーロインは函館の昆布、4種の節でとった出汁に浮かべている。たっぷり蓄えられた脂がシルキーである。日菜と建は重そうに食べる一方、チヨは90過ぎとは思えない屈強な胃を持っているから最大限味わい尽くす。日菜は肉を一切れ建に譲ろうとするが、お腹いっぱいだからと断られ、でも食べておかないと力出ないよ、アフリカ生活はパワーが無いと駄目なんだよね、と目をうるうるさせて建に訴えかけ、最終的には一連のやり取りを傍観していたチヨに一切れを譲った。

クライマックスに相応しい日本酒として、今や入手の難しい山口の日本酒・金雀から純米吟醸生酒。中東諸国では4合瓶で55万円の値がつくと云う高級品である。同じく入手困難な十四代と比べるとボディが纏まっており清純なコク。飲み口も柔らかい。
「和牛を鱈腹食べられる平和な世の中でえかった」
「おばあちゃん本当よくお肉食べるよね」
「お元気ですよね。素晴らしいと思います」
「和牛がブランド物として日本の誇りになったのも、復興に勤しんだ人々のお陰。その人達の想いを無碍にするようなこと、二度としちゃいけんよね」
「同意です。愛すべき文化が紛争で破壊されるの、悔しいんですよね」
「じゃけぇ」
「紛争の多いイスラム圏には古代の世界を伝えてくれる遺跡が沢山ある。アフリカの紛争地帯には絶滅危惧種が多く棲息するしサハラの壮大な自然もある。そして何より、日々の衣食住も多様で面白い。全部護られるべきものだ。だから私は世界を飛び回って、困っている人々を助けるんです」
建の真っ直ぐな理想論に、大きく頷きながら涙を流す日菜。ここまで複雑な心境でいたチヨも少し表情が緩む。

先程雑炊が出てきたが、コースの締めくくりとしてのご飯ものも提供される。蕗を炊き込んだご飯は出汁がほんわり利いてひと心地つくものである。

そのお供の相場は漬物盛り合わせだが、ここでは大根の煮物、茄子の煮物、焼き鰆というがっつりしたラインナップ。しかも鰆は硬めに焼かれていてサイズの割に密度が高い。一方で茄子はとろとろと蕩けご飯の進む仄かな甘みである。
「建さん、ボマダンから帰ってきたら、日菜のことよろしゅう頼みます」
チヨは遂に覚悟を決め、2人の結婚を許可した。日菜に泣かれた、というのが表向きの理由であるが、真っ直ぐな目で平和実現を語る姿に共鳴し、2人が仲睦まじくやり取りする様子も側から観ていたら微笑ましかった。建の仕事への不安は尽きないが、日菜の選ぶ道は素直に応援するべきだと自分を言い聞かせた。来る結婚式に向け、日菜のドレスと建のスーツを無償で仕立てることを約束した。

デザートは焼き黒胡麻豆腐1品で勝負する。シンプルで映えとも距離を置いているが、出来立てならではの蕩ける食感の中から溢れ出す黒胡麻の確かな香りが堪らない。

そして佐賀の良質な煎茶で〆る。低温の軟水で抽出し、海苔のような旨味に加え甘みもよく表現されている。
ここまでの所要時間は2時間と少し。3時間前後かかるコースも多い中、時間を忘れるような濃密な食体験を提供してこの長さに収められるのも驚きである。土曜日であれば17:00スタートなので、20時には家に戻って寝る準備をするチヨにとっても、この後最終ののぞみで東京に戻る建にとっても有り難い。
「建さん、くれぐれも気ぃつけるんじゃ。日菜を悲せんためにも、無抵抗主義貫いてね」
「はい。必ず生きて帰ってきます」
翌日から早速、チヨは4ヶ月後の結婚式に向けてドレスとスーツの制作を始める。
一方の建は横浜の実家で荷造りをして3日後の出発に備える。赤道付近は暑いが砂漠や高地は冷え込むこともあるボマダン、衣類は必然的に多くなる。防犯対策で鞄に南京錠をかけ、マラリア対策で蚊除けスプレーとファンタオレンジ、そして日菜がたっぷり買い込んできた色々なフレーヴァーのもみじ饅頭を詰める。一番のお気に入りはブルーベリーチーズ味だと云う。