
鶴亀での酌み交わしから2日後、約束通りタテルはカゲと六本木で落ち合った。
「おつかれ、カゲ!」
「タテルさん、随分とテンション上げてますね。どうしました?」
「ステーキ食べてきたからね。いつもはヨーロピアンな俺だけど今日はカリビアンナイトだぜ」
「あの、テキーラはメキシコのお酒ですよ。カリビアンだとラムになるかと」
「……自分でやってて恥ずかしくなってきた。い、行こうか」
「行きましょう。えーっと、EXシアターに向かう途中にあります」

カゲがリクエストした店は「アガヴェ」。テキーラの原料となる植物をそのまま店名としている。タテルはオーセンティックバーのイメージを抱えていたが、店へと続く階段はやけに赤照明がギラギラしておりあぶない雰囲気に包まれている。

「大丈夫なのここ?」
「私も少し面食らってます」
「店内もアウトレイジの雰囲気。全然店員迎えに来てくれないし」
それでも都内有数のテキーラ専門店と聞いていたため奥に入ってみることとする。手前にはテーブル席がそこそこあって空いていたが、2人はバーカウンターの席に案内された。
メニューが手渡される。最初に提示されているのはテキーラベースのカクテル・マルガリータ。ベースとなるテキーラは、この後説明するブランコ・レポサド・アニェホ、そして数種類のテキーラをブレンドしたと云うドン・アガヴェの4種類ある。

今回はドン・アガヴェを選択した。グラスの縁には通常食塩が塗されるが、ここではブラックペッパーも混ざっていてスパイシーな口当たり。全体としても重みがあり、量もたっぷりだからこれだけで満足してしまいそうである。
資格マニアとして有名なカゲは、テレビ番組の密着取材がてらテキーラマエストロの資格を取得していた。そのためテキーラに関する基本的な知識は確と心得ている。一方でタテルはマイペースな性格ゆえ主体的に学ぶ気概というものが無く、テキーラは兎に角旨いものである、という感覚のみ持ち合わせている。
「原料は何かご存じですか?」
「なんだろう、なんかの植物!」
「大雑把が過ぎます。タテルさんならご存じかと思っていたのに……」
「何にもわかってないよ。理屈こねる割には感覚派なんだよ俺」
「原料はアガヴェ、日本語で竜舌蘭です。あ、ちょうど後ろにありました。これですこれ」
「あ、こんな大きいものなんだ。パイナップルみたいなやつから巨大なアロエが生えたみたいな」
「良い喩えですね。葉っぱを切り落としたものを、パイナップルに似ているのでピニャと言います」
「ピニャコラーダのピニャか。英語だとpine」
「そうです!このピニャを蒸してじっくり冷まし、搾り汁を発酵・蒸溜させたものがテキーラになります」
「そうなんだ。結構手間かかっているんだね」
「最近は高級なテキーラも多いですもんね。色々な銘柄の飲んで学びたいんです」
「俺もめちゃ興味はある。次はストレートで何か頼もう」
メニューには飲み比べのセットがあって、その中から3クラスを一度に飲み比べできるものが目についた。その3クラスとは、ブランコ・レポサド・アニェホ。熟成度の違いにより分類されている。ちなみにチェイサーにはトマトジュースを勧められる。

熟成度の低いブランコからは「アレッテ」。これがオーソドックスなテキーラという印象である。透明ながらもテキーラ独特の味わいが拡がる。胡椒のようなスパイスのニュアンスをよく感じた。
そこから少し熟成を重ねたものはレポサドと呼ばれる。その中からはエル・フォゴネロが選抜された。口当たりが良い。
さらに熟成を重ねたアニェホからは「チナーコ」。ここまでくるとラム酒のような甘みも覚えるが、ベースにはテキーラらしさが確といる。
「へぇ、テキーラにもこんな種類があるんだ。中目黒のヤンチャ集団が呷っているイメージが強くて」
「偏見が強すぎます」
「失敬。でもこんな熟成したテキーラがあるとは驚いた」
「熟成テキーラも面白いですよ」店員が語りかける。
「例えばこんな陶器に入ったものもあります」
「うわ、外面だけでも結構お高そう」
「2万はしますかね。もう本当それくらいテキーラってプレミアムがつくお酒になってきてます」
「テキーラ一気飲みしてウェーイ、なんて所業はもう時代遅れですね」
「タテルさん、だから偏見が強すぎます」
「失敬失敬。でもやっぱ俺は透明のやつがしっくりくるかな。熟成も好きだけど、テキーラらしさとなると透明であってほしい。まあどれも酒としては最高ですけどね」
「テキーラの魅力を知っていただけるだけでも有難いです、タテルさん」
「元々興味はあったからね。あれ、そういえばメスカルというものもメニューにあったけど、何が違うんだろう」
「それは……」
カゲが説明しようとしたところ、今まで隅っこに座っていたこの店のドンが腰を上げた。
「地図を持ってきてくれ。説明するから」
その間タテルとカゲは、最初に話しかけてくれた店員と共にメスカルの銘柄を厳選する。興味津々の2人には別メニューのリストが渡されており、そこにはラインナップされているテキーラはショットで1000円は下らないプレミアムなものである。

勧められたメスカルはピエルデアルマスのトバシーチェ。1ショットで3,600円、中々のお値段ではあるが、先程までとは全く違ってスモーキーな香りがとても印象的なものである。蒸し焼きの工程を土の中で行うが故の特徴らしい。
「テキーラはハリスコ州というところにある地名です。ここね」
ドンが話を始める。
「中部の太平洋沿いか」
「ここで作られたものを伝統的にテキーラと呼びます。現在では、ハリスコ州およびその周辺4州で生育されたアガヴェを、テキーラ町およびその周辺で蒸留したものをテキーラと認めます」
「厳密な定義があるんだ」
「そしてメスカルは、かつてはテキーラを含めたアガヴェ酒でしたが、こちらもアガヴェの産地を限定するようになって、オアハカ州をはじめとした9州で生産されるアガヴェを使用したものを指すようになりました」
「オアハカって聞いたことあるような気がする。カゲ、何か知ってる?」
「メキシコの最南部ですね。モンテ・アルバン遺跡が有名です」
「わからんな。後で調べよっと」
「原料や製造については地域指定がありますが、そこから商業用に売り出す過程はどこで踏んでも良いんです。かつてテキーラやメスカルはローカルなスピリッツだったんですけど、最近になってアメリカなどで売り出されてから世界的なステータスを獲得しました。ジョージ・クルーニーやマイケル・ジョーダンが広告塔になったものもありますね」
「なんか強そう」単純なタテル。
「まあ他にも色々面白いものはありますから」
「飲んでみたいけど……もう遅いし酔ってきたし」
「また来てください。お2人共興味持って下さったようで有難いです」
「この人はテキーラマエストロ持ってるんですよ。僕も取ろうと思ってて」
「まあ役に立つかどうかわからないけど、やってみてもいいんじゃないですか?」
「やってみます。もっと理解を深めたいので」
帰り道は秋葉原まで一緒の2人。
「本当は私から色々喋ろうと思っていたのですけど……やっぱプロの方には敵いませんね」
「それくらいテキーラの世界って窈いんだね」
「アガヴェに行けて良かったです。ここは何回も通いたい」
「俺もだ。ちょっとお高めではあるけど、楽しかった」
「勉強のサポートなら私にさせてください」
「大歓迎だ。カゲから学べば、テキーラの面白さも2倍3倍になる」