連続百名店小説『老婆の診療所』CASE 5(マウンテン/獨協大学前)

埼玉県越谷市まんげん台、独協学園の近くにある、新米医師の美玖とその母・由佳、祖母のタケの3世代で営むクリニック「金山診療所」。タケは凄腕の医師で理解ある患者からの信頼は厚いが、一癖も二癖もあるため評判が芳しくない。
一方、国家公務員として厚生労働省で働く能勢建。彼も医者を目指していたが医学部受験に失敗し別の道を歩まざるを得なかった。
*劇中「独協大学医学部」なるものが登場しますが、現実の獨協大学に医学部はございません。獨協医科大学は存在しますがキャンパスは栃木県にあります。

  

「こんにちは。越谷市保健所の阿比(あび)です」
「保健所?」
「金山タケさんですね。この診療所に行政指導命令が出ております」
「ぎょ、行政指導?」
「ええ。ちょっと協力していただけますか?」
「意味がわからない」
「別に罰を与える訳ではございませんので、お従いいただけますと幸いです」
「はぁ…」

  

「あなたの医療行為について、保健所に苦情が多数寄せられています。注射が危なっかしい、患者の知られたくないプライベートに切り込む、同意なく患者の体をベタベタ触る。これ一体どういうことですか?」
「全て診断に必要な行為ですが」
「そうは思えませんね。それにこの診療所、10年程前に患者を死なせた医療事故を起こしているとお聞きしました」
「それは…確かに死なせてはしまったかもしれないけど、医療事故というほどではないですよ」
「貴方の意見は聞いていません。医療事故かどうかは私共が決めます。詳細を語ってください」

  

立入調査は2時間にもわたった。
「とりあえず今のところは業務停止などの行政処分は致しません。ですが改善が見られない、むしろ悪化している、などということがあれば業務改善命令が為されるでしょう。不用意なことはしないように」
「何を偉そうに。言われなくても不用意なことはしません」

  

その頃美玖はシンポジウムに参加するため母校の独協大学医学部を訪れていた。大学の建物は綺麗になり、付近には大きなショッピングタウンが2つもできていて洒落た街並みに変貌を遂げていた。その内の一つ、マツバラテラスのすぐ側にあるインドカレー店で昼食を摂ることにした美玖。

  

「駐車場は…裏にあるのか」
裏の駐車場に行くが停める場所がわからない。空いていた場所に取り敢えず停め、表に回りインド料理屋というよりはとんかつ屋のような扉を開けて店員に駐車場所を問う。すると店員は裏口から外へ出て、その裏口を背にして停めるよう指示した。

  

百名店ではあるがメニューは至って普通のインネパ。だが、ポークカレーが存在する点は珍しいと思われる。カレー1種類セットは選ぶカレーにより値段が変わる(950〜1100円)が、チーズナンセットであればどのカレーを選んでも一律1300円。美玖はチーズナンセットのチキンカレーにしたが、ほうれん草チキンの方が1種類セットにおいては高額であったため少し損したと負け顔を見せる。

  

やや人工的な甘さのマンゴーラッシーを飲みながらカレーを待つ。美玖は幼馴染の建のことを考えていた。幼稚園から独協埼玉高校までずっと一緒に過ごし、勉強も互いに分からないところを教え合ったりして仲良くしていた。建のかかりつけ医も当然金山診療所であり、行く度にタケは優しくお喋りしてくれたという。しかし建だけが受験に失敗すると、美玖がLINEを送っても無視するし家を訪ねても建の両親に追い返される。仕方ないことだとは分かっていたから気持ちの切り替えは早かったが、ふと思い出を振り返ると寂しくなるものである。

  

カレーがやってきた。チーズたっぷりのナンは間違いなく美味しく、生地自体もふかふかしている。しかし肝心のチキンカレーは深みがなく薄っぺらく感じる。ナンにつけても纏わり付かない。カレーよりチーズナンを楽しむだけで終わってしまった。

  

ちなみに隣席の客は通常のナンを頼んでおり、そこそこの大きさで食べ応えがありそうだった。普通ならナンをお代わりしたいところであるが、カレーが弱いから1枚でも持て余すと美玖は考える。

  

「建さん、金山タケさんは渋々ながら行政指導に協力して下さりました」
「ありがとう。ご苦労だった。10年前医療事故があったと言われてる件、どうだった?」
「しっかりお話し伺いました。ですがタケさんのお話し聞いた限りでは、事故とまでは言えないのかな、と考えています」

  

すると建は電話口で号泣し始めた。
「ふざけんな!あのババア、俺の大事な姉ちゃんを奪いやがって!」
「はっ…あれ、建さんのお姉様でしたか。確かに亡くなった患者さんの苗字、建さんと同じだなとは思いましたけど…」
「俺が医学部受験を1ヶ月前に控えていた頃、家族総出で風邪を引いた。金山診療所でタケに診てもらい、処方された薬を飲み、症状は治ったと思った。でもそこから1週間して、姉ちゃんは突然眼や唇の皮膚がただれ、高熱に浮かされ、もう一度金山診療所を受診したが待合室で意識を失いそのまま亡くなってしまった」
「お気の毒に…」
「失意の俺は受験に身が入らなくなり、医学部入試は失敗。何とか後期で国立大学の理学部に入れたけど、医師の道は諦めざるを得なかった。あれは間違いなくタケの誤診だ。俺の大切な家族を殺し、俺の人生を狂わせたあのババアを許さねぇ」

  

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