美味しさに感動したマリモはもう1杯ラーメンを食べたい様子であったが、バスの時間が迫っていたし極上のディナーもあるので我慢させる。狙いのバスに余裕を持って乗り込むと、先程と同じ運転手が運転していた。札も崩れたので約束どおり運賃の支払いもできる。都合の良い大井川鐵道の便が無かったため、コミュニティバスを乗り継いで茶の都ミュージアムに向かうこととした。
「兼高かおるさん、今の時代で例えるとイモトさんかな」
「セーラー服で珍獣を追ってたんですね」
「違うだろ。世界150ヶ国を巡ったものすごいお方だ」
兼高かおる氏は1959年より30年以上に渡り、冠番組『兼高かおる世界の旅』(開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』)にて数多の国を訪れリポートしてきた。番組は毎週日曜午前中に放送され、放送回数は1586回。特筆すべきは、未だ日本人の海外旅行が当たり前でなかった時代に150の国々を巡ったこと。教科書に載せて後世に伝承したい功績である。

乗り継ぎにより運賃は1人200円。往路で払えなかった分の運賃も精算して茶の都ミュージアムに降り立った。
館内に入るとまず現れるのはミュージアムショップとカフェ。その先2階に上がると博物館エリアがあり、料金を払って入場する。早速いくつかのプログラムが開催されているのを目にし、「世界のお茶体験」がすぐ始まるので券を買い参加した。


こちらでいただけるのは中国茶であり、この日は中国緑茶から龍井茶が提供された。細長くくるんとなった茶葉がお湯に浸って少し開き、基本は水面に浮かぶが沈む葉は茶柱のように立っている。栗を思わせる香りがある。
「新丸ビルのペニンシュラが店じまいで安売りしてたから買ったんだよね龍井茶」
「じゃあ知ってる味なんですね」
「知らない。開けてないもん」
「良くないですよ。代わりに私が飲みましょうか?」
「がめついぞマリモ。わかった、TO-NAハウスに持っていく。酒飲めない人に優先的に飲んでもらおう」
次に控えていたプログラムは抹茶挽き体験。世界のお茶を担当した人が引き続き対応する。石臼の天辺に空いた穴に碾茶(茶葉の収穫前に2,3週間程遮光し、蒸した後揉まずに乾燥させたもの)を入れ、取っ手を掴んでゆっくり回すと臼と臼の隙間から粉がはみ出してくる。これを集めて持ち帰ると家で抹茶を味わうえる。臼は重く、速度を抑えながら回すので腕への負荷は大きい。良い筋トレである。
「人の手で挽くのは大変なんで、今は機械で回してますね」
「そうですよね。回す速度も均一になりますし」
「よくお茶飲まれるんですか?」
「いやぁ、コーヒーの方が多いですね」
「僕は好きです。でもなかなか良い店って少なくて」
都内では一芯二葉・まやんち・しろたえ・丸ビルの地下で紅茶を、茶茶の間・新丸ビルの地下で緑茶を嗜むタテル。コーヒーに拘るカフェや喫茶店が多い一方、茶を売りにする店は少ない。酒飲みでありながら茶にも目がないタテルはこの現状を憂いていた。紅茶は家で淹れると濃く煮出しすぎて酸っぱ苦くなってしまう。緑茶もプロが拵えれば温かいものだと海苔のような旨味が、水出しならマスカットのようなフルーティさが感じられる。
「茶の凄さ、存分に思い知ってもらうぜ。よぉし、次は茶道体験だ」

1階に降りて茶室に向かう。茶会のチケットを購入し、時間になるまで他の部屋を見学する。
「俺の高校は江戸らしく日本文化を学ぶ授業があって、お菓子が食えるから茶道を選んだんだ」
「小杉くんみたいな考え方」
「でも指導はスパルタ。作法間違えると叱責の嵐、おまけにずっと正座だから足が終わる」
「がめつさの代償ですね」
「マリモに言われたかない」

時間になったので茶室に移動する。先生が点ててくれる回もあるのだが、今回は先生の指導の下自分で抹茶を点てる。
「静岡のお茶はあまり抹茶にしない、か。言われてみればそうだな」
「抹茶は宇治のイメージですね」
「静岡茶は煎茶だな。ななやのジェラートは抹茶だけど」

先に菓子を食べきってからお茶を点てる。裏千家の点て方なので茶筅を激しめに動かして泡立てる。先程の石臼挽き体験と同様右腕の筋肉を酷使した(やり方が悪いだけだと思う)タテルは翌日筋肉痛に悩まされた。


茶会の後は庭園を散策する。

作りについてはよくわからないが、塀の先に茶畑が広がっていると思うと何だか趣を感じる。
続いて3階に移動する。博物館本体への入口はすぐそこなのだが、その前のカウンターで来場者に緑茶の試飲が振る舞われる。低めの温度でゆっくり旨味を抽出した煎茶はまるでお出汁のような味わい深さでありマリモとニコは驚愕した。

さらに、これまた事前に買っていた券を今度はグラス1杯の冷茶と引き換えてもらう。館内は暑いのでテラスに出てみると、遂に静岡の誇る茶畑と対面する。この辺り一帯は牧之原台地であり茶の名産地である。そんな土地の茶畑にグラスを重ねて撮るとそれはそれは映えるものである。

この茶はボトリングされたものであり、茶でありながらワインのような芳醇さもある高級品。タテルが感銘を受けた茶の進化を、今マリモとニコも認知した。
「びっくりしました。お茶がこんなにフルーティで芳しいものだとは」
「高級レストランのノンアルペアリングに適用されるような茶だ」
「ノンアルでもペアリングってあるんですね」
「あるよ。俺は経験したことないけど、いずれ歳をとったり病気したりして酒が飲めなくなる日が来るかもしれない。1回肝臓やってるし。そんな時に新たな希望となってくれるのが茶だ。だから俺は今のうちから高級茶に触れている。良いワイン、良い日本酒を飲んだ時の満足感を、茶でも感じてみたい」
「素晴らしい」
「茶畑を前にして今の言葉聴くと、なんかジーンときますね。私もお茶のこと勉強してみようかな」


ということで漸く展示室に入る。3階の展示のテーマは「世界の茶文化」。中国やトルコなどにおける喫茶室の様子を展示している他、圧巻なのは世界各国の茶葉の展示。抽斗を開け実際に摘み取って香ることができる。


「食べるなよマリモ」
「馬鹿にしないでください」
「ハハッ。デカい奴とか食い出しそうだったから」
「しないですよ」
「同じ中国でも色んなお茶があるの面白いですね」
「青茶とか白茶とか黒茶、色で分類するのは中華街の悟空茶荘で学んだ」
「碁石茶飲んでみたいです」
「はい、あーん!」
「だから!食べないですって!」
半ば迷惑系YouTuberのやる行いであったが、周りに人がいなかったのは幸いであった。
「世界の茶畑をリポートしてもらおうか。ネパールのジュンチャバリ農園とかリシーハット農園とか」
「それは何のお茶ですか?」
「ダージリン。マスカットや花のような優しい香りで日本の緑茶に近い。逆にルフナとかウバとかヌワラエリヤとかは濃いよね」
「それはどこのお茶ですか?」
「スリランカ。所謂セイロンティー。ミルクティーにしても美味いぞ。ニコ、茶畑で世界遺産ってあるかな?」
「えーっと、たしか中国にあったような」
ニコが思い浮かべているのは雲南省の普洱にある景邁山古茶林。2023年に登録されたばかりの新しい世界遺産である。少数民族が古来の農法で生産する普洱茶は高級品であり、樹齢千年に達するものもあると云う。
「手に入るのかわからんけど、現地の普洱茶買ってきてほしいな。とびきり良いやつ」
「どうなんでしょうね。富裕層への販路に渡ってしまうかもしれません」
「まあそうか。地元ならではの茶とかあれば飲んでみたいな。決まり、第1回の舞台は中国だ」
「近場ですね。でも言われないと行かないかも」
「あれ?世界遺産の件数って中国とイタリアどっちが1位だっけ」
「イタリアですね。1件差ですが」
「世界一じゃなかったか。まあいいや、中国の世界遺産全部巡ってみた、とかやってみないか」
「それはなかなか過酷ですよ。万里の長城とかシルクロードは規模が大きすぎますし、ポタラ宮や新疆天山は遠いですし」
「ポタラはチベットだよな。政治的なネックもありそう」
「時間かけてゆっくりやりましょう」

茶葉を嗅ぎながら喋っていたら時刻はあっという間に16時近くになっていた。ディナーの時間を考えると17時の電車に乗りたいので先を急ぐ。2階では茶の歴史や製法について学べる。

茶摘みは機械化が進んでいるが、高級品は手で丁寧に摘まれる。摘んだ茶葉は蒸して冷ました後揉み乾燥させると荒茶になる。ここから葉を選別して火入れ、必要に応じてブレンドを行って商品となる。一連の過程で使用する道具が色々展示されているが、館内至る所で茶をしばいていたからゆっくり見る余裕は無い。代わりにここでも茶葉を摘み香りを愉しんだ。

「海外から帰ってきたら静岡のお煎茶を飲もう。帰国した実感が湧いてしみじみすることだろう」
「素敵ですね」
「台湾の修学旅行で茶しばいた時感じたんだ。淡く香り高い茶は日本人の心に沁みる」
「旅に疲れた時のために日本茶を持ち歩くのも良いですね」
一通り展示を見たので最後にデザートタイムとする。ラストオーダーの16時に限限間に合い、濃い抹茶・ほうじ茶ジェラートを載せたパフェを注文した。
「世界一濃い抹茶ジェラートって、浅草で食べましたよね」
「壽々喜園ね。同じ系列じゃないかな?一番濃いのレベル7だし」
「レベル6なら追加料金無しで十分濃いからお薦めだ、ってタテルさん仰っていたのが印象的で」
「どこ覚えとんねん。しかしほうじ茶レベル10は初耳だぞ」

抹茶レベル7の濃さも凄まじいものであるが、ほうじ茶レベル10はさながら100%カカオショコラのような苦味。それでも何処かに甘みやら旨味やらを感じようと食べれば食べやすい。
「お茶ミュージアムに来てもう3時間経ちますよ」
「わぁお。もう大満喫だね」
「ひとつひとつの場所をじっくり堪能するのってやっぱ良いことですよね」
「ただ百何ヶ国訪れるんじゃなくて、各所で濃密な体験をする。それでこそ令和の兼高かおるだ」

土産を携え、金谷駅へは茶畑の中を歩いて戻る。2月半ばだから時期的にはただの葉っぱにしか見えないのだが、間近で見ると茶への親近感が湧くものである。
『さんぽ』を口遊みながらくねくねした林を抜ける。各々行きたい海外のスポット5選を考えてディナー中に発表しよう、とタテルが言い出した。面白そう、ということでニコは世界遺産、タテルは(行かないが)グルメ中心、マリモは兎に角行きたいところを洗い出しながら歩く。