連続百名店小説『世田谷パンストーリー』épisode 6(濱田家/三軒茶屋)

1週間後、建は自慢のバゲットサンドとクロワッサンを、東京に来た両親に振る舞った。歯の無い父には小さく切って出してみた。評判は上々であり、バゲットとクロワッサンを売る許しは得ることができた。しかし街のパン屋としての温かみをどうしても譲れない両親は、カレーパンやメロンパンなど老若男女が好む品を作ることを強く求めた。
「カレーはバゲットもクロワッサンにも合わない。どうすれば」
「カレーパンは揚げドーナツで作るもんに決まっとるやろ」
「そうだけどさ、そういうカレーパンの作り方わからない」
「そんなのテキトーに捏ねてカレー入れれば」
「テキトーができないから困ってるんだって」

  

「建くん、紹介したいパン屋さんあるんだ。今度のお休み使ってみんなと行かない?」
「紹介したいパン屋?」

  

美澪が紹介したいパンの名店は、三軒茶屋駅から世田谷通りを少し進んだ場所にある濱田家。これまで欧州志向のパンに気が傾いていたが、こちらは世田谷区内のパン百名店で唯一街のパン屋らしい商品ラインナップである。なお、筆者が日曜日の15時過ぎに行ったところ、「ただいま席を外しています」との案内が提げられていて1時間くらい待つ羽目になった。予告の無い中休みに注意である。

  

建と美澪に加え、街のパンに明るい先輩・梨木が同行していた。彼はドイツの名店で5年間修業した経験のある本場仕込みのパン職人であるが、日式のパンを寧ろ好んで食べる人であり、そういうパンを売り出したいと緑川に持ちかけては美澪と同様に跳ね返されている。

  

目当てのカレーパンはカレードーナツとして売り出されている。加えて揚げドーナツを使った商品として、味玉を丸ごと1個入れたパンが名物となっている。
「これなら俺の親父でも作れそう」
「小馬鹿にしない」
「すんまそん」

  

その他にも身近な惣菜パン・菓子パンが沢山揃っている。ハイソなパンの揃う世田谷区内においては異彩を放つ名店であり、気付けば3人で10種類近く購入していた。
「じゃあ美澪さんの家に」
「いや、今日は建くんの家に行きたいな」
「は⁈お上り大学生の一人暮らし部屋だぞ、狭いだろ」
「建くんと私、そういう関係でしょ?」
「でも梨木さんいらっしゃるし」
「僕も見てみたいよ、建くんの暮らしぶり」
「決まりね。さあ行きましょう、建くんのおうち!」
「恥ずかしいって……」

  

小さな建の部屋の小さなテーブルに3人が集う。脚を伸ばして座る余裕も無く、背の高めな美澪は慣れない正座をしてまで男2人に空間のゆとりを作ってあげた。

  

先ずは喫緊の課題、カレーパン。下座に居た建が率先してリヒートおよびリベイクを行う。味は見事に素朴なものであり、カレーも凝った様子が無い、辛さ控えめのものである。

  

そして同じ揚げドーナツベースの味玉も、味玉自体が淡い味付けであり、パンとの融合も狙っていない素振りである。受け手が「これは融合するものである」と自分に言い聞かせて初めて、素朴さと素朴さの相乗効果に気付くものであろう。
「本格派に拘る人にとっては疑問も湧くだろうね。マリアージュというか、融合というか、そういうのとは違う。どうだろう建くん?」
「同意します。俺ちょっと見失いかけてたなぁ、すぐ本場流本場流とか言って」
「本格志向も大事なんだけど、みんなが一流を好む訳じゃない、ってことを認識する必要がある。お父様の考えを否定する前に、受け入れる方向性を考えよう」

  

柔らかいパンに和の具材を包んだものを試す。建の父が作るパンにもこの部類の商品が多いとのことである。まずは豚の角煮パン。角煮まんを想像すればわかるだろうが、とてもパンとの相性が良い具材である。肉は冷めても硬くならず、マヨネーズベースのソースを絡ませ滑りを良くしている。
「角煮は薄くスライスしてバゲットに挟んで……」
「建くん、結局フランス志向になってる!」
「でも美味しそうだね。試してみても良いんじゃない?」

  

一方で照り焼き、紫蘇、チーズ、つくねを組み合わせたものには首を傾げる一同。紫蘇の香りが照り焼きと恐ろしいほど合わないのだと云う。
「紫蘇を抜きさえすれば絶対美味しいと思う」
「つくねの中にチーズ入れて蕩けさせても良いかもね」
「逆に照り焼きを無しにしてつくねに紫蘇練り込むのもアリかな」

  

勿論フランスらしいパンも揃っている。クロワッサンはオーソドックスなもの、チョコクロワッサンなどが売っていたが、建はハムとクリームチーズが入ったものを選択。ハムの薄さとクロワッサン生地の薄さが重なって確実に美味しいものである。

  

フランスの郷土料理・アリゴ。チーズやニンニクを混ぜ合わせたマッシュポテトである。今回は角切りのベーコンも合わせて薄切りのパンに塗り焼き上げている。ポテトに溶け込んだニンニクの香りが食欲を唆り、チーズとベーコンにより満足感を得られる。
「ピザみたいにしても良いかもね。フランス好きの建くんならこれも美味しく作れそう」
「究めてやるぜ」

  

さて交際を始めた建と美澪であるが、職場以外で合う頻度は未だに週1である。共に店をやりたいという想いこそ打ち明けたが、建はお嬢様である美澪に対し後ろめたさを拭いきれていない。店の構想も職場でなんとなく話し合うだけであり、具現化できる段階には遠く及んでいない。梨木はその点に疑問を抱いていた。
「2人って本当に付き合っているの?」
「えーとそれは…」
「付き合っています。ね、建くん!」
「あ、はい!ぼちぼちとではありますが」
「建くんどこか遠慮してるようだね」
「遠慮?」
「えー建くん、そんな遠慮なんてしなくていいのに。どうして?」
「あの、美澪さんってすごく高貴な方で。俺みたいな田舎臭いのが…」
「全然田舎臭くない。立派な職人さんよ建くんは」
「そうだぞ建くん。田舎とか都会とか関係ない。一流のブーランジェだって、皆がパリ出身な訳じゃない。一生懸命やっているかどうか、そこで判断されるべきだ。そして建くんは一生懸命やっている人だと思うぞ」
建の肩を揉む梨木。美澪も合わせて微笑んだ。建は少しばかり、美澪との壁を打ち砕けたようである。

  

同時に、今まで散々悪口を垂れてきた両親に対して尊敬の気持ちが湧き出した。成り行き任せだ田舎臭いだ批判してきたが、客の笑顔を見たいがために愛情こめてパンを作っていたのも事実である。技術を持って店を継げば、確かに美味いものを出せても、温かみが失われかねない。それで従来の客が離れ店を潰した、という話はよく聞いたものだ。両親の願い通り街のパン屋の側面も継ぐべきであろう。何より今は、美澪という温かみの象徴たるパートナーがいる。2人なら本格的かつ陽気なベーカリーを営むことができることだろう。

  

決心をしたところで菓子パンに手を伸ばす。サンライズという名のメロンパンはこの店の名物のひとつ。バターの香りがあり素朴な美味しさである。メロンの味がする訳ではないのに皆に愛される国民食。メロンパンは正しく温かみの象徴である。

  

これまた名物の豆ぱん。豆大福よろしく赤豌豆を使用している。柔らかくほんのり甘い生地、そして豆の塩気が上手に作られている。豆大福の良さとパンの良さが同居する絶品のパンである。

  

「カレーパンの練習したい。でも店じゃできないですよね梨木さん」
「揚げ物する設備無いからね。だから僕は家で作ってる」
「梨木さんのカレーパン、すっごく美味しいの!建くんも今度食べさせてもらったら?」

  

3日後の朝10時、梨木がカレーパンを携えて出勤してきた。退勤する建は早速かぶりつく。
「美味しい!絶対に売り出した方が良いですよ」
「そう思うでしょ?でも無理なんだよな」
「やっぱり緑川さんが。緑川さん最近文句ばっかですよね」
「確かに増えたよな。最近離婚したらしくて、常に苛々してる」

  

緑川は拘りが強い人である。それだけでなく昔気質でもある。フランス以外のパンを一切扱わないのは先述の通りであるが、パンの陳列の仕方にも神経を尖らせていて、少しでも乱す人がいたらそれがスタッフだろうと客だろうと注意する。客がいる場所でも平気で怒号を飛ばし、それを口コミで指摘されると「そうしないと店がちゃんと回らない。口を出すな」と反論する。パン作りの技術が高いからこそ人を集められているが、パワハラの告発は時間の問題であった。

  

そんな鬼の下でも一途に技術を磨き1年と少しが過ぎた頃。建は正社員として働きつつ、美澪と話し合って1年を目処に独立、母校である駒沢大学の近辺に店を開き近江パン引き継ぎのタイミングを待つというプランを立てていた。しかし緑川は部下の独立に対し厳しい基準を定めている。

  

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