妄想連続百名店小説『人生は勉強だ!』3時間目:winter fall(ジュエーメ/大曲)

東大卒芸人・グルメタレントのTATERU(25)は、以前も共に東北を旅した綱の手引き坂46・カゲ(21)に首ったけであった。そのカゲは先日、グループからの卒業を発表。卒業記念に2人は再び東北旅に出ることにした。盛岡・秋田の至極の名店を巡るグルメツーリズム。その中で、カゲのアイドルとして輝く最後の姿を堪能する。

  

カゲがタテルの部屋を去ると、タテルは暗い部屋でスマホをつけたまま肩を震わせていた。カゲに対する心無い言葉をTwitterで目撃してしまったのだ。何も知らない愚か者が自分の愛する人を批判する、その批判の言葉がタテルの脳内を支配する。無視したくてもできなかった。この言葉を聞いたらカゲはどう思うのだろう。余計なお世話だとは知りつつも気になってしまったタテル。

  

翌朝、何事も無かったかのように集合した2人。今日はこれから秋田新幹線に乗り大曲に向かう。盛岡まではやぶさ号と共に飛ばしてきたこまち号も、在来線区間に入ると少し遅くなる。奥羽山脈の最中、「しどない」と書かれた信号場にて行き違いのため5分ほど停車した時のことだった。

  

「もしここで降ろされたら、こんな雪山で俺ら何すればいいんだろうね」
「サバイバルですね。穴を掘って中に入り体力温存です」
「あと沢に下っちゃいけないとか…でもちょっと雪山入ってみたいかも」
「何言ってるんですか」
「誰も踏み入れてない世界、見てみたいなぁって」
「誰も知らない世界…それは確かに魅力的ですけど」

  

険しい奥羽山脈を越え平地に出ると、雪は降っていないものの雪原が現れた。都会暮らしではお目にかかれない雪原。
真っ白な雪が一面に広がる様を見てタテルは考えた。東北に春が訪れる頃にはカゲのアイドル人生もほぼ終わりを迎える。それでも自分はきっと、カゲの面影を探してしまうのだろう。司法試験の勉強をするカゲの奥にある車窓を見つめながら、タテルは来るカゲとの別れを愁いた。

  

大曲駅に到着すると新幹線は田沢湖線から奥羽本線に移行し逆向きに動き出すが、ここで一旦降りる2人には関係のない話。タテルはカゲに、こういう運転行為を「スイッチバック」と呼ぶことだけ教えた。
レストランの予約時間までは50分ほど余裕があった。駅からは3kmほど離れており、イオンモールに向かうバスに乗るのが正攻法だが、歩いて行けば丁度良い時間に着く。大曲の街を味わうため、2人は歩くことにした。

  

国道13号線に出ると、東側には雪で覆い尽くされた田圃が広がっていた。カゲは歩道脇の雪を掬い玉を作る。
「タテルさん、えいっ!」
「何すんだよ。よぉーし、俺も雪玉作ってえいっ!」
東京では味わえない真白な世界を、童心に帰って楽しむ2人。

  

イーストモールのある交差点を東に曲がり少し歩くと店が現れた。名店ではあるがまるで一軒家に招かれたような店構え。入口には猫が2匹住みついていた。どちらも毛が綺麗に手入れされており、大男タテルを前にしても逃げない。
店に入ると既に婦人達が談笑しており、その話し声はフランス語のように思えた。恐らく地元の人だろう。
「方言も勉強したいな。東北の方言とかすごく面白そう」
「わかる。青森なんて同じ県内でも全然違う方言なんだよね」
「言語学オリンピックが好きな私のクイ研の先輩も、方言は難しいって言ってた。それ聞くと燃えてくるものがある」
「んだ」タテルも少し訛ってみた。

  

飲み物のメニューを見ると、ワインの品揃えが控えめのようだった。とりあえずイタリアビールを注文すると、一流の飲食店にしか卸されないというロココビールを勧められた。気にはなるが、押し売りっぽいのが引っかかり却下した。

  

まもなく彩り豊かな皿がやってきた。前菜5種に野菜の数々。カゲは新鮮なリアクションを見せる一方、タテルにとっては見慣れたもので特段驚くことはなかった。玉ねぎムースが甘くて美味しい。鹿肉も柔らかくクセのない仕上り。カルパッチョには明るくないのでコメントは無し。穴子は燻製したものだが、普通に蒸すか揚げる調理法の方が向いていると思う。甘海老揚げは5つの中で最後に食べたのでしなってしまっていた。和食の八寸と同じように、ここはまず揚げ物からいただくべきだった。

  

野菜は主に地元産。こだわりをマダムが語る。手前にある沼山大根について特に熱弁していた。青首が殊に青々としているのが特徴のこの大根は一度絶滅を経験したが、県内3軒の農家が蘇らせた。これはその中の1軒・T-FARM.で育てられたものである。なるほど他の大根と比べ硬めで重みがある。どっしりと大地を感じつつも口当たりは綺麗でクセはない。

  

続いて、それぞれ大潟と男鹿の小麦粉を使ったパンの紹介。ズッパの後に熱々の状態でやってくる。イタリアの州と秋田の市町村が描かれた地図を眺めながら、アオシロボーダー・ムラセのごとく授業を始めるタテル。
「これがミラノっちゅう都市で、次の冬季五輪やるところなんです。シズカグミイナバウアーが金メダルを獲ったトリノと同じ北部だから、雪が降」
「る!」
「トゥルッリって有名な円錐屋根の家ありますよね。これがある都市といえば」
「アルベロベッロ!」
「そう!南部プーリア州にあるんだけど、ここの料理がホンマ美味い!大きな特徴としましては、前菜がわんさか出てくるんですよ。そしてパスタも珍しいものが多い。そんなプーリア料理、味わいたければ紀尾井町にお店あるので行ってみてくださいね〜」
「花火で有名な大曲と武家屋敷で有名な角館。実は2つとも市町村名ではありません。大曲は大仙市、角館は仙北市。ちょっと地図見てみてください。何か気づきません?」
「1つ1つの市が大きい?」
「そう。なんでこんなデカくなったかというと、平成の大」
「合併」
「そう。合併に次ぐ合併でこんな膨れあがったんだね、俺の腹みたいに」
腹太鼓が鳴り授業が終わった。勉強熱心のカゲはしっかり聴いてメモしていた。
「タテルさん楽しそうに喋ってくれるから、頭に入りやすい」
「嬉しいな。こういう人と旅するのが一番楽しい。俺運命感じてる。こうやって2人で旅できること」

  

ズッパがやってきた。イタリア語で「スープ」を意味するズッパだが、ここでは豚タンや豚耳が盛り込まれている。臭みはなく旨味だけがたっぷり抽出されていて、動物性の脂がスープにコクを与え病みつきになる美味しさである。
「タテルさん、パンでスープ拭っていいんですか?」
「抵抗あるかもしれないけど問題ない。むしろ最後の最後まで味わってくれた方が作り手としては嬉しいだろう。畏まった会食の場でない限り気にすること勿れ」
「タテルさん、テーブルマナーにもお詳しい…」
「マナーも結局は理屈なんだよね。特段覚えなくても成り行きでわかるもんだと思うけどな。オニマナーミヤコ先生なんか偉そうにマナー教えるけど、あんなこと言われたら料理楽しむどころじゃなくなるもん。料理人からしたらいい迷惑だと思う」

  

続いて鮟鱇のリゾット。先述の沼山大根の農家で作られた玄米を使用している。プチっと入りグニっと解ける食感をしみじみと楽しむ。鮟鱇の身はふっくらしており、あん肝でコクを足す。日本人好みの間違いない味つけ。少し余ったジュ(イタリア料理だからsuccoが正しいか)までパンにつけて食べきった。
ビール以外の飲み物は注文しなかった。本当はワインをいただきたいところであったが、この後秋田市内で日本酒やカクテルを堪能するという世間話をした結果、飲み物の追加注文はしない流れができていたのである。

  

次の料理はイカのパスタ。こちらも日本人好みの素朴な味つけである。

  

肉料理が来るまでの間、かづの牛やあきた伝統野菜のプレゼンが行われた。資料が用意され、その希少性が語られる。メディアでは取り上げられることのないここだけの食材の話は、勉強熱心のカゲだけでなく、食にがめついタテルの興味も引いた。
登場した皿の中央に、かづの牛がトマトソースを纏って鎮座する。周りを囲むは伝統野菜の三関せりと石橋ごぼう、そして菊芋。ごぼうはバルサミコで味つけされており、これが意外にも合うのだ。肝心の肉は短角牛らしく程よい脂のりの肉質。硬すぎず、穏やかな酸味のソースと合わせて、美味い、美味すぎる。せりの苦味も良いアクセントとなっている。
「地産地消って面白いですね。こんなに1つ1つの食材と向き合って食べるの、私大好きかもしれません」
「でしょでしょ。これぞ真の『食育』だ」

  

デザートはアイスケーキとチョコプリン。ここだけ切り取れば専らイタリアンであるが、脳をフル回転させて食べた2人には丁度良いアイシングである。

  

小菓子と共にいただくは、4名の女性生産者による新時代のブラジルコーヒー。ここに来てジェンダー平等のことを考えるとは思ってもみなかったが、心なしか華のある味わいを覚え好感を持った。

  

タテルの胃腸がびっくりしたため、当初予定していたバスを1本後らすことにした。空いた1時間は店内でゆっくり待っていいとのことだった。おまけに紅茶までいただいてしまった。
「大曲って、夏以外も花火上がるんですか?」
「そうですね、季節毎に上がります。もちろん夏が一番大規模ですが」
「もしかしてこの店から見えたりは…」
「しないですね〜残念ながら。でも花火の時期は特にお客さん多いです。遠方から来られる方も増えてきてますね」

  

「夏になったら、また一緒に来ません?」突如カゲが提案する。
「えっ?」少し戸惑うタテル。
「お揃いの浴衣着てここで食事して、それから花火を観るんです」
「い、行きたいね」
タテルは少し勘違いしていた。カゲはアイドルを辞めるだけであり、遠い存在になるとは言っていない。これからも会おうと思えば会えるはずだ。改めて東大受験に挑むとかサッカー協会入りするとか政治家になるとか、タテルと離れたフィールドで活躍する可能性もあるが、大事なのは今あるこの関係性を維持することだと悟った。

  

「あ、そろそろバス来ますね。行った方が良いですよ」
外にいる2匹の猫にも別れを告げ店を後にした。余裕をかましていた2人であったが、タテルはイーストモールの店舗入口目の前にバス停があると勘違いしていた。実際は道路を渡った先にあるのだが、それに気付いた頃にはバスの到着時刻が間近に迫っていた。タテルは咄嗟に、歩道とモールの駐車場を隔てる側溝を越えようとした。幅があったためワンクッション足を置いて対岸へ跳ぼうとした時、その足が雪と共に下へとさらわれた。
「タテルさん大丈夫ですか⁈」

  

まだ若いタテルは瞬発力で這い上がれたが、両手を地面に確と押し付けたため掌は擦り剥けていた。
「血が出てる…タテルさん何してるんですか!明らかにこれ用水路ですよ!」珍しく口調が激しくなるカゲ。
「…」タテルは言葉を失った。
「底の深さ未知数なんですよ!流れもあるかもしれませんし…危うく死ぬところだったんだよ!わかってる⁈」
「そうだよな…」

  

真白な世界にさらわれるところだったタテルは、自らの衝動的な行いをモールの片隅で反省した。
「タテルさんごめんなさい…私ちょっと熱くなりすぎました」
「こっちこそ、驚かせてしまってごめんね。でも君に叱られて良かったと思う。俺本当無鉄砲な野郎だから…」
「無事で何よりですよ。でもバス行っちゃいましたね…」
「仕方ない。駅までゆっくり歩こうか」

  

「カゲ、えいっ!」
「タテルさん何するんですか!じゃあこっちはキックで雪玉ほいっ!」
「おいおい、俺を真白な世界にさらうな!」
知らん顔で燃える太陽の下、2人は雪合戦しながら駅まで歩いた。16時半過ぎの新幹線に乗り、大曲の街を後にした。

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