連続百名店小説『友に綱を』二番相撲(亀戸ホルモン/亀戸)

綱友部屋所属の大相撲力士・足立丸。初切を一緒にやっていた力士・亀侍は髄膜炎でこの世を去った。亀侍にはかつて「溜席の妖精」と呼ばれた恋人・高田いちのえ(通称「ノエ」)がいて、足立丸は亀侍が行きつけだった喫茶店で偶然ノエに遭遇した。

  

翌朝、約束通りノエは綱友部屋の朝稽古を見に来た。溜席にいた頃と同じ真っ白なワンピース姿。背筋を伸ばし正座して静粛に稽古を見守る。力士同士の体がぶつかる音、荒い息遣い、親方の檄が場を支配する厳粛な空間。足立丸はノエの存在が気になりつつも目の前の稽古に集中する。

  

「おい足立丸、力が出てないぞ」
相変わらず芯が折れたままの足立丸に対しノエは何か言いたげだった。しかし稽古中の力士に話しかけるのは御法度。ノエは出かかっていた言葉を一旦飲み込んだ。

  

3時間に渡る稽古が終了すると、ノエはそのまま部屋に残ることを許された。
「ノエさん、お元気で良かった」親方もまた、久しぶりの再会を喜んでいた。
「せっかく来てくれたから、ちゃんこ食べていきなさい」
「よろしいのですか?ありがとうございます」
「稽古見学は久しぶりですか?」
「はい。関取の皆さん一生懸命稽古に打ち込む姿、心打たれました。でも1人気がかりな方がいて」
「ほう」
「名前申し上げてもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ、言ってやってください」
「足立丸関です」
「わかります。アイツ全然力入ってない。亀侍がいなくなってからずっとあんな感じなんです」
「そうなんですね」
「横綱になるという約束果たしてもらわないと。せっかく良い押しの技術あるのにもったいない」

  

強烈な押しを武器に順調に出世していた足立丸。もうすぐで十両昇進、関取になるという段階で亀侍を亡くした。すると力が抜けて持ち味を発揮できなくなり、気づけば三段目まで番付が落ちていたのだ。

  

「…」
「ノエさん、どうしました?」
「正直言うと、私も亀侍関がいなくなってから相撲が見られなくなって、だから足立丸関の気持ちがすごくよくわかります」
「そっか、ノエさんは亀とお付き合いしてたんだった。恋人を失って、さぞかしお辛かったでしょう」
「はい。でも今私はこうしてまた相撲を見られるようになった。だから足立丸関にも奮起してもらいたいのです」
「わかった。じゃあ午後ゆっくり話し合おう」

  

ちゃんこを食べ終え、親方の部屋に集まった足立丸とノエ。
「ノエは期待しとるぞ、足立丸が横綱になること」
「なりたいですよ横綱」
「でも最近のお前はとにかく力が出てない。怪我してるわけでもないのに。やる気あんのかい?」
「もうどうにでもなれ、って感じです」
「どういうことだねそれは!」
「虚しいんです、何もかもが。もう辞めたい」
「…」絶句するノエと親方。
「辞めればいいさ。辞めたところで親御さんに顔向けできるのか?相撲一本でやってきて、これから先の人生何をするというのだ?」
「そ、それは…」
「無責任なこと言うんじゃない!」
「そうだよ丸ちゃん!亀ちゃんの思い踏みにじる気⁈」ノエにまで詰め寄られる足立丸。
「亀ちゃんずっと言ってたんだよ、丸と一緒に横綱やりたいな、って!すっごくキラキラした目で夢を語っていた。そんな亀ちゃんはもうこの世にいない。亀ちゃんの無念を晴らすのは丸ちゃん、あなただけなんだよ!」
言葉遣いを乱してまでも思いの丈を伝えたノエに、足立丸は呆然とした。程なくして目に涙が浮かぶ。
「力が出ない自分が悔しくて悔しくて…足掻いても足掻いても横綱が遠くなっていく」
「…」
「亀と誓った理想の自分になれなくて、どうすればいいか全くわからない」
「まずは自分と向き合うことだな。その先に答えは自ずと現れるだろう」
親方の温かい激励を受け取ったところで足立丸は雑魚寝部屋に戻った。

  

「ありがとうございました、綱友親方。これで足立丸関も一皮剥けそうですね」
「あの涙は本物だと思う。明日から変わってくれることを祈るまでだ」
「…私正直言って心配です、足立丸関のこと」
「確かにな」
「親方とお弟子さん達以外で誰かが支えてあげないと崩れてしまいそうで…」
少しムスっとした親方。
「失礼しました。少し語弊がありましたね。何が言いたいのかというと、私も足立丸関を支えてあげたいんです」
「そういうことか。いいんじゃない、やってみれば?」
「ありがとうございます!」

  

その後も部屋に滞在し続けたノエ。気づけばもう夕方だった。
「今日はタニマチの方が焼肉をご馳走して下さる。17時前に亀戸ホルモンに着くように部屋を出るからな。ノエさんも良かったら行きません?」
「良いのですか?」
「ここで会えたのも何かの縁ですから」
「ありがとうございます!でも服に匂いが…」
「気にしなくて大丈夫ですよ。超強力の消臭剤があるので」少しおどける足立丸。
「ではお言葉に甘えて…」

  

平日17時5分前の亀戸ホルモンにはそこまでの行列はできていなかった。それでも18時近くになると満席になるから、早めに行くのが得策である。総勢14名の大所帯がテーブル数卓に分かれて座り、足立丸は親方とタニマチのいる席に振り分けられた。味濃いめのキムチ、普通に美味しいもつ煮をビールと共にいただきながらホルモンの到着を待つ。

  

「この店に来たらまずは3点盛りからだな」
右からハツ、塩ホルモン、豚タン。どれも塩味で、この味付けがこの店を名店に押し上げる所以。特に豚タンの旨味を引き出すのに長けているようだ。ハツも臭みがなく、この自慢の塩味を纏って美味しくいただける。一方で塩ホルモンは少し脂っこすぎた。

  

「足立丸くん、どうしたものかね。みるみる番付が下がっている」苦言を呈するタニマチ。
「その話なんですけどね、今日腹を割ってお話ししたんです。亀侍がいなくなってから完全に上の空で、でもそのままじゃダメだ、もっと自分と向き合え、と」
「そうなんだけどね、もう足立丸くんには期待が持てない。俺にはわかるんだ、そういう雰囲気出てるのが」
「いや、心入れ替えて頑張りますから」反論しようとする足立丸。
「ムリムリ。向き合うとか心入れ替えるとか、口だけならいくらでも言える。これからは平塚乃梅くんに期待だな。2人の席交換してくれ」

  

その時、他のテーブルにいたノエが声を上げる。
「まずこの状態で席代わるのは危険です。巨漢が動けばお腹がぶつかって事故起こります」
「何だねキミは!」
「それに何ですか、『雰囲気でムリだとわかる』とか『口だけ』とか?足立丸関に失礼極まりない!」
「黙れ、小娘が!」
「黙りません!私は足立丸の恋人だから!」
「えっ⁈」驚く力士達。
「き、聞いてないよ…」特に唖然としていた足立丸。
「丸ちゃんは行動を起こしてる!ここに来る前、自分の何がいけないのか、後輩力士に聞くなどしてノートにメモしていました。変わろうという姿勢、ちゃんと見えていますから!」
「…勝手にしろ!」
「もう関わらないでください」
「何だとテメェ!」
「話しかけんなクソが!」
10万円を置いてタニマチは去っていった。

  

「ノエさん!何てことしてくれた…」
「いいや、責めることはない。あんなタニマチなら俺らには必要ない」親方がフォローする。
「それにしてもノエさん、本気で言ってます?俺の恋人だなんて」
「本当よ」
「マジかよ…」
「丸ちゃんのこと、ちょっと不安だから。私にしかできないこともあると思うし。あなたの心の支えでありたいな」
「…ありがとう。じゃあこれから僕のこと、よろしくお願いします」
「おめでとう足立丸〜!」部屋の皆から祝福される足立丸とノエ。

  

その後もたくさんのホルモンを食べたようだが、色々あったため詳しいことは覚えていない。1つだけ覚えていることとして、正肉であるカルビはある程度のレベルの焼肉店ならどこでも食べられるものである。最後はコムタンスープで内臓を落ち着ける。
「もうちょっと肉食いたかったなあ。コムタンスープに入っているのかと思った」
「確かに、春雨がたっぷりで肩透かし食らった」
「肩透かし食らったら黒星だよ。縁起悪いこと言わない」
笑い合う力士達。しかしこの部屋には、笑ってはいられない厳しい現実があったのだ。

  

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