人気女性アイドルグループ・TO-NA。新メンバーを迎え、新章の幕開けの矢先、TO-NA特別アンバサダー(≒チーフマネジャー)のタテルが、週刊誌の事実無根の記事に心を痛め飛び降り自殺を企てた。あろうことか止めに入ったTO-NAキャプテン・グミが屋上から転落、意識不明の重体に陥る。タテルはグミを突き落とした疑いで逮捕された。
キャプテンを失ったTO-NAはメンバーの多くが憔悴して活動は停滞。グループ解散も視野に入るほどであった。一方でタテルらを執拗に追い込んだ野元は、自身が手がけるガールズグループ「THE GIRLS」が人気を集めており鼻高々であった。
そんな中、前々から野元の動向を怪しむ者がいた。タテルの弟で女性アイドルグループ「Éclune」のプロデューサー・カケルである。秘密裡に野元の行動を追ってみると、タテルとグミの事件に関してある疑いが浮上した。
ここで速報です。今夜20時頃、東京都墨田区にあります建物の屋上より、人気アイドルグループ「TO-NA」のメンバー・グミさんが転落し、胸を強く打って意識不明の重体とのことです。警察は現場にいたタレントでTO-NAスタッフの渡辺タテルさんから事情聴取をしており、殺人未遂の疑いで逮捕状を請求する方針です。
スタッフがメンバーを突き落としたかもしれない、という前代未聞の事態に、世間は大きく騒ついた。数多の蛮行(言いがかりではあるが)が報じられていたこともあって、世間のタテルに対する印象は地に堕ちてしまった。TO-NAだって何事も無かったかのように活動できる訳が無く、キャプテンの受傷に憔悴し部屋に籠るメンバーが続出した。
「ご愁傷様だね君たち」
TO-NAハウスを訪れた野元は、本意ではない見舞いの言葉を大久保と一部メンバーに投げた。
「まさか君たちの信用していたタテルがメンバーを殺すとはね、夢にも思わなかったでしょ。僕があれこれ言ったところで心の傷は癒えやしないだろうけど、ゆっくり休んで落ち着いたら頑張ればいいよ。あそうだ、今度代々木体育館でやるフェス、代わりにTHE GIRLSが出てあげてもいいけど…」
「ちょっと待ってください」
メンバーのレジェが声を上げる。野元は豆鉄砲を喰らった鳩のように口を窄めた。
「タテルさんがグミさんを突き落とすなんて、どう考えても有り得ません。メンバー一人ひとりに真摯に向き合い愛してくれる方なんですよタテルさんは。それにタテルさん自身も、『突き落とす訳がない』と否認しているんですよ」
「切り取りは良くないね。突き落とす訳がない、でも俺が飛び降り自殺などしようとしなければグミさんが落ちることは無かった、グミさんが死んだとしたら原因は俺だ。これが発言の全容だ。全容を踏まえて発言してほしいものだね」
「だとしても事故の可能性は無いんですか?例えばタテルさんが浮気報道を目にして飛び降りようとして、グミさんが助けようとしたら足を滑らせて……」
「どうしてタテルじゃなくてグミが落ちたというの?納得いく説明をしてもらいたいものだね。警察は確固たる証拠があるからタテルを逮捕した。公権力がタテルの罪を認めようとしているのに、君達は反抗する気かい?犯罪者を庇うグループTO-NA、そういう認識で良いのかな?」
「……」
「レジェちゃん、君は未だ若いね。人間というものは、あなたの思っている通りに行動するとは限らないんだよ。タテルがグミを殺した、だから警察はタテルを逮捕した。それが現実だ。嫌でも受け入れるんだね」
弁論には滅法強いはずのレジェが野元の圧に負けた。通夜のような雰囲気に包まれるTO-NAハウス。
「グループ崩壊の危機、どう乗り越えるか楽しみにしているよ。まあ綿菓子のように軟弱な君達のメンタルでは、このまま萎んで終わりかもね。今年の夏は暑いからね、すぐ溶けちゃうんだろうな」
野元はそう言い残して、北叟笑みながらTO-NAハウスを後にした。
レジェの主張通り、タテルが本当に殺意を持ってグミを突き落としたのか、については疑念がある。ハラスメント加害者・風間を一刀両断していたカケルも、タテルのことについては訝しげであった。自身の運営するSE○のアカウント「アパーランドの皇帝」にて考えを表明する。
この事件、何かがおかしい。タテルは良くも悪くもTO-NAメンバーを大切にしている。なのに何故メンバーを、それも頼りになるキャプテンを殺すのか。あまりにも突拍子の無い心の変化で、不自然にもほどがある!タテルも容疑を否認している。単なる事故か、はたまた他殺か。慎重に議論すべきだ。
リプ欄はカケルへの反論で埋め尽くされた。
都合良く解釈したいだけだな
事故はまだしも、他殺なんてあり得ない
風間のことはすぐ断罪したくせに、結局身内は守るのかよ
アンタに任せりゃこの国の悪人が一掃されると思ったのに、見損なったよ
「まあそう言いたくなるよな、現状は。でもこっちは真相への手がかりを持っている。一泡吹かしてやるとするか、野元友揶大先生」
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カケルは半年前から動いていた。風間が芸能界を去り、TO-NAがオーディション開催を、野元がTHE GIRLS結成を決心した頃、アパーランドの隊員から食事の誘いを受けるカケル。
「お前の家の近くにあるフレンチだと?どこに住んでるんだ」
「二子玉川です」
「お前な、住宅街の店に気安く誘うな。夜だと満員電車に乗って行くことになるぞ。本当に美味いフレンチなら都心に沢山あるでしょうに」
「本当に良いとこなので。俺が保証します。俺が奢るので」
「……奢りなら行くか」
駅から百貨店を通り抜けても徒歩10分と遠い場所にある住宅街。
「この街はハイソなので、フレンチやイタリアンの店が沢山あるんですよ」
「ふーん」
「わかんないですよね、すみません」
「いや、わかるね。駅でまさかハンドソープの試供品貰えるとは思わなかったよ」
「あれ2週間に1回は来ますよ。あれ使い勝手悪くて、いつもスルーするんです」
「贅沢な。俺の生まれた街ではカレー屋の割引券か怪しい宗教のビラしか配られない」
「宗教のビラは確かに要らない」
「だろ。だから嫌気さしてフランスに逃げたんだ」
「それは大袈裟じゃないですか?」
カケルお得意のジョークが決まったところで店に入る。店内には大きなテーブルがどんと置いてあって、角を挟むように2人は着席した。
「今日は沢山飲みたい気分です。ペアリング、フルでいっちゃいません?」
「飲みたきゃ飲めば?俺はそんな飲めないと思う」
「フランス時代は飲まなかったんですか?」
「飲まないね。革命家活動が忙しかったから。飲んだとしてもボトル半分くらい……」
「十分飲める口じゃないですか」
「ボトルはマグナムね」
「じゃあフルいけますって。遠慮しないで飲みましょう」

ということでワインペアリングのfull(40ml)を注文する。新年明けて間もない時期ということで、少しランクの高いシャンパーニュが先ず供される。果実味ふくよか、白レーズンのようにきゅっと纏まる。


ボルピー社12ヶ月熟成生ハムに淡路島玉葱のキッシュを包む、この店のスペシャリテ。本格的な機械でスライスされる生ハムはかなり薄めのカットだが、キッシュの塩味と合わさることにより本領を発揮する、
「美味いじゃないかこれ」
「ですよね!僕大好きなんですこの料理」
「西洋料理の醍醐味『チームプレー』の賜物だ。素材同士が手をとり、単一の時以上に力を発揮する」
「ちょっと何言ってるかわからない」
「何でわからないんだよ」
「わかってるじゃないですか。この国における定番の掛け合いです」
「知らない。何となく大柄の男2人が言ってそうだけど」
「ピンポンですよ。絶対知ってますよね」
「何のことだか」

アルザスのリースリング、開けて3日目で落ち着いた味わいと云う。確かな果実感とドライな味わいが同居。芳醇さが紅茶のように延び行く。

シェフの修業元における定番料理、雲丹のコンソメゼリー寄せ。落ち着いたコンソメの中にウニの味わいが光る。たしかな美味であり、ワインと合わせても磯臭さが悪目立ちしない。
「お兄さんのこと、未だ嫌いですか?」
「大嫌いだ。この前も偉そうにジョプチューンで審査してて腹立った。ファミレスのオムライスに何ムキになってんだか」
「このオムライスね、歌舞伎座横の有名喫茶店のより高いんですよ。食べたことあります?」
「無いです」
「あの店はチキンライスのケチャップもふわとろ卵のバターも贅沢に効いていてものすごく美味いのに1000円を切る。それを上回る強みはありますかね?」
タテルの質問に狼狽えるファミレス社員。現場は変な空気に包まれた。
「勘違いしてほしくないんですけど、美味いんですよ。お肉も確と入ってるし。だけど値段が引っかかって。だからさっき質問したんです。残念ながら答えが出なかった。となると一流料理人と全く同じ基準で評するしかなくなって、チーズが悪目立ちしていて合格は出せないな、と。せめて一つでも強みをご教示いただけたら、○上げてたかもです」
この発言によりタテルは炎上してしまう。TO-NAを運営する手腕こそ認められているものの、タレントとしての好感度はかなり低下していた。カケルも勿論タテルの振る舞いに辟易する。
「理屈臭いのか宗教的なのかわからない。ブレブレすぎて不愉快だ」
「独特な価値観してますよね。手作りチョコを否定したり子供嫌いを前面に出したり」
「印象悪くなること、わかんないのかな。東大出てるくせに馬鹿すぎる」
「オクシモロンですねそれ」
「ちょっと何言ってるかわかんない」
「何で(以下略)

ランドック=ルーション(フランスとスペインの国境付近)を代表する造り手・ドメーヌゴビー。オレンジワインとは珍しい。杏っぽいというか紅茶っぽいというか?ちょっと不思議な貫禄のある1杯。


水分を飛ばして旨味を凝縮した牡蠣。牡蠣の磯臭さは水分に依るところもあるから、こうやって調理してくれると有難いと思うカケル。マスタードやエシャロットを使ったソースとの相性もとても良い。
「カケルさん、芸能界の闇については何か手打たないんですか?」
「ありすぎて困るな。Écluneの子から聞いた話だけど、番組収録の休憩中に10代の女性タレントがマネジャーらしき人に怒鳴られていて、こっちまで怖くなったって」
「闇オブ闇ですねそれは」
「名物社長の事務所所属らしい。DP社、とか言ったかな」
「野元社長ですね。あの人は厄介ですよ。カネーの虎に出てた頃から暴言連発」
「それはテレビ番組?」
「そうです。パワハラ社長の鬱憤晴らし大会。毎回のように武闘派社長が怒鳴るから観ていて不愉快。一方の野元は、話術で相手をおちょくるんです」
「怒鳴られて大変だね」
「いえ、これくらい慣れないとダメです」
「中々根性あるね君。僕は褒めるよ、この企画書。よく書いたね、こんな中身空っぽのもの」
「えっ……」
「こんな甘い見通しのビジネスで500万貰おうなんて、君の根性には恐れ入るよ。あ、憧れやしないよ。だって何の役にも立たない根性だから」
「……」
「君、好きな食べ物はなんだい?」
「カレーですけど」
「ならインドで暮らしたらどうだい?きっと人生観変わるよ。根拠のない自信で人の時間を奪うその性格、改められるんじゃない?それまで君とは関わりたくないね」
「番組初期から末期まで出演しておきながら出資金ゼロ。金なんてさらさら出す気無くて、ただ自分の顔を売って言いたいこと言うだけの老害です」
「自分に酔いしれすぎたたぬき親父ってか。気になるなそいつ」

アルザスのオレンジワイン、とは言われたが見た目も味わいもロゼに近い。
「オレンジワインをペアリングに組み込むなんて、フランスのグランメゾンだとあまり無いんだよね」
「やっぱり。フランス人はどっしりしたものが好きそう」
「そうでもないよ。カジュアルな場では自然派ワインが流行ってる。いずれ自然派ワインの時代が来るかもしれないね」


鴨のテリーヌとハーブのサラダ。テリーヌは滑らかで鴨の個性が解る。ハーブのアクセントとも両立。
「野元野元……おっ、YouTubeやってんじゃん。なになに、『野元ビジネスチャンネル』?全然唆られないな」
「チャンネル登録者数1.2万の弱小チャンネルです」
「逆によく1.2万いるな」
「カネーの虎は人気番組なので、その名残ですかね」
「物好きがいるもんだな。うわっ、動画の内容もイタそうなのばっか」
「説教臭いんですよね。信者でも無い限り観たいとは思いません」
「コメント欄も酷評の嵐。偉そう、老害、名ばかりの社長、こういう大人になってはいけない、クソ右翼……右翼なんだこの爺さん」
「それはちょっとわからないです」
「帰ったら動画観てみよう。ああ嫌だな、説教聞くの。飛ばし飛ばし観るか」


日高の手前・浦河の白子。すごい濃厚という訳ではないがすっきりとして弾力もある。高知県産トマト(毎年5月にだけ採れるものらしい)の凝縮された甘い旨味も印象的。

合わせられたワインはブルゴーニュのピノノワール。発酵の香りが強く、味わいもスモーキー。魚介に赤ワインを合わせるなんて、とは思うがこれくらいのクセがないと白子とは渡り合えない。
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ここで一旦、事件後のTO-NAの様子を見ることにしよう。屋上から転落したグミではあったが、幸いにも腕の良い外科医が率いるチーム医療が施され命は繋がった。しかし意識が戻っておらず、支障無くアイドル活動に戻れる保証は無い。プロデューサー大久保とサブキャプテンのカコニが医師の説明を受ける。
「1週間以内に意識が戻らない場合、後遺症が出る可能性が高くなります。具体的には記憶障害や麻痺などです」
「麻痺…ということはもう踊れなくなる?」
「何とも言えません。もしすぐ意識が戻れば、数ヶ月リハビリして回復する可能性はあります。ただ1ヶ月も戻らないことがあれば、踊るどころか寝たきり、植物状態も有り得ます」
「植物状態……」
言葉を失う大久保とカコニ。
「近くに行って声をかけても良いですか?」
「良いですが、1つ覚悟を」
ICUに入室する2人。グミの顔は包帯に綺麗に包まれていた。覚悟を決めていても衝撃を隠せない。
「そんな……」
「鼻骨骨折、そして皮膚に傷跡がある状況です。ただご安心ください、今の形成外科の技術で9割方は元通りになるでしょう。今はそれよりも、意識が早く戻ることを祈りましょう」
TO-NAハウスに戻った2人。ダイニングにメンバー達が集っていたが、重い空気が漂う。
「殺した!」
「殺してない!」
「でも捕まってるんですよ。何らかの手は加えたんじゃないですか?」
「わかんないでしょ、それは!」
「とにかくタテルは悪魔だった。良い人ぶって、自分の思うようにメンバーを操りたいだけだったんだよ」
「そうそう。食事に行くのも、一流を学ぶためじゃなくて自分の欲求を満たすのが目的だったんだ」
「何もわかってない!タテルさんは親身ですよ!悩み相談にも乗ってくれたし、売り出し方や将来の人生計画も考えさせてくれた……そんな人がグミさんを殺す訳ないじゃないですか……」
「アンタはいいよね尽くしてもらえて。こちとら何もしてもらってない。ただの迷惑野郎だよ」
カコニは意を決して諍いの平定を試みる。
「喧嘩しないで!今はグミさんの快復を祈ろうよ」
「それまで私達はどうすればいいんですか?」
「そうよ、このまま何事も無くいつも通り、とはいかないですよ」
「タテルのせいでTO-NAのイメージは最悪です。私達、もう終わりなんですよ」
「ちょっと待って、終わりなんて……」
「私もう脱退します。田舎に帰る」
「私も。居心地悪すぎます」
「へぇ、逃げるんだ。卑怯だね」
「賢明な判断をしたまでだよ」
解決の糸口が掴めない。TO-NAの内部崩壊は決定的なものとなった。
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カケルの二子玉川会談に話を戻そう。自然派ワインが続いていたが、次に現れたのは古典的なシャルドネが2種類。左は軽い口当たりながら確とした黄金色の果実味。右は芯のある黄金色の果実味。
「左は158cmちょいのギャル女子、右は163cmの大人しめ女子、って感じかな。友達同士でさ、可愛いんだよな2人とも」
「何鼻の下伸ばしてるんですか」
「想像しちゃって」
「カケルさんロマンチストですよね」
「じゃないと人間味のある革命なんてできやしないよ」


魚料理のメインは九絵。肉厚で身の引き締まり、旨味ともに抜群。ゼラチン質の箇所も残してあるのがまた面白い。魚の旨味をバターソースが孕み、キャビアのアクセントも効果的である。
「あと俺が気を揉んでいるのが、この国の週刊誌ってやつ」
「ああ、嘘や悪口のオンパレードですよあれは」
「一生懸命やってる人を馬鹿にして金稼いで、要らない商売だよ。フランスでそういうことしてたらすぐ訴訟になる」
「この国においては芸能人より週刊誌が強い。芸能人が訴えても世論はメディアの味方です」
「不健全だな。だから俺らが、週刊誌系メディアを監視するメディアを立ち上げる。アパーニュースとでも名付けようか。煽りコタツ記事に対する批判をねちっこくしてやる。そして真に糾弾されるべき相手を批判する。マスコミがすべき本来の役割を、国民に見直してもらうんだ」

最後のワインは、ボルドー左岸、メドックの陰に隠れがちなペサックレオニャンの赤ワイン。渋みの貫禄もありながら、若々しい果実味が芯となって在る。
「スモウレスラーに喩えると、玉鷲関になりますね」
「俺は相撲が嫌いだ。裸ポニーテールの太った男の闘いなんて見れたもんじゃない」
「またサルコジみたいなこと言って」
「40歳でも現役バリバリ、若手を圧倒して優勝戦線にも食い込む兵」
「知ってるじゃないですか。本当はお好きなくせに」
「バカ言うな……」
「口綻んでますよ。我慢しようとしても無駄です」


肉料理は宮崎坂元牛を選んだ。腕にあたる部位「クリ」からたっぷり2切れ。赤身ではあるが濃厚な脂がじわり溶け出し、トリュフを使った濃厚なソースと抜群のコンビネーションを見せる。

「おーこれこれ、冬の定番じゃがいもチーズグラタン。これが一番美味いんだよね」
「わかります。じゃがいもが甘くて堪らないんですよね」
「フランスでも大定番の料理。思い出すな、冬真っ盛りの田舎の街で車がエンストした時のこと。寒さに耐えかねて近くの家に上がらせてもらったんだ。それだけでも嬉しいのに、マダムがじゃがいもグラタンを作ってくれて。それがものすごく美味かった。凍てついた体に沁みてさ、涙出ちゃったんだよね」
「カケルさんでも心震えること、あるんですね」
「そりゃそうさ、人間だもの。ありがとう、良い料理店教えてくれて。住宅街のフレンチがァ、なんて言ってごめんな」
「いえいえ。でもちょっと心配です、カケルさんのこと。もしかして生きづらさ覚えてます?正直に仰ってください」
「…まあちょっとな」
「ですよね。なんか先入観に囚われて、あらゆる物事を受容できない性格なのかな、と思った次第です」
「疑う癖がついてるからな」
「悪いことではないですよ。でも徹底しすぎると辛いと思います。例えばの話ですけど、もしタテルさんと野元さんを同列で嫌っているのだとしたら、それは間違いです」
「間違い……」
「カネーの虎での野元さんはただ悪口言いたいだけ。ジョプチューンのタテルさんは、料理自体は美味しいことを認めていた。質問への回答いかんでマルあげる余地も残していた」
「まあ全然違うな。タテルの方がマシではある」
「身内にしか解らない事情はあると思いますが、タテルさんは悪人ではないと思いますよ。あの人は認めようとする人です」
「手作りチョコや子供嫌いの話は説明つかないだろ。野元と同等の過激さだ」
「それは煽りメディアの過激な見出しです。本人が発信した原文読めば、まともな主張であることがわかりますよ」
「まんまと踊らされてるな、俺」
「煽動メディアは敵視して良いと思います。あと野元も。でもタテルさんはTO-NAのことを常に考えているようだし、メンバーのことを無下にはしない人だと思うんです。歩み寄ってもいいと思いますよ。全部は認められなくても、少しでも良いので」
「君の熱意には負けたよ。少しずつね」
食後はデザートかチーズを選択する。
「本当はどちらも出てくるのがフランス流なんだけどね」
「そうなんですか?チーズはオプションで勧められるものかと」
「最近の店ではオプションのことも多いけど、基本は含まれてる。デザートワゴンと同じような感覚さ」
「食べ放題みたいなもんなんですね」
「まあな。それ考えると、この国はあまりチーズの文化が浸透してないし、輸入物が殆どでコストが嵩むんだろうな。ワゴンサーヴィスには適さない風土なのかも」


この国のスタイルをみとめたカケルはデザートを選択。年に一度仕込むか仕込まないかと云うヌガーグラッセに出逢うことができた。砂糖ではなく水飴で甘さを加えていて軽やかな仕上がり。フランボワーズのジェラートもヴィヴィッドな酸味に目覚める。
「あ、食後に飲み物ついてくるの、これは逆にこの国独自のサーヴィスだね」
「向こうではついてこないんですか?」
「ああ。それこそ別料金だ」
「じゃあ小さなお菓子も出てこない?」
「それは出てくる」
「飲み物無いと重たそうですね」
「フランス人はその辺慣れてるからね。俺はコニャックと一緒に嗜むタイプ」
「かっこいい……」

エスプレッソを選択したカケル。口当たりは円やかで、杏仁の味がする。

お茶菓子のボンボンショコラは青葉台の北の外れにあるショコラトリーのもので、味は週替わりらしくこの日は赤ワイン味。ワインの果実味とカカオのフルーティさが相性良く、味は強く口溶けは上品に仕上がった一級品のガナッシュに驚く。
「帰国して初めてのフランス料理だったけど、レベル高いな」
「是非色んな店行ってみてください。この国は魚介が多めですけど」
「土地土地の特性を活かすのが最善だからね。良い傾向じゃない?」
「ですね。次はここのシェフの修業元、訪れても良いと思いますよ。ボリュームがあって古典的で、カケルさんにもハマると思います」
「予約してみる。ありがとう」
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素晴らしい晩餐の余韻を十分消化した翌日、野元の動画をチェックするカケル。噂通り説教臭く、最新の動画では右寄りの発言も目立った。野元の保守アピールは日に日に過激さを増し、カケルはそれらをスマホのメモに書き溜める。そして6月のある日(グミ転落事件の約1週間前)、決定的な問題発言が展開され、カケルはアパーニュース最初の記事を投稿した。
話題のガールズグループ「THE GIRLS」に不穏な影?所属事務所「DP社」社長・野元友揶が極右思想を押し付けていた!
先の選挙でTHE GIRLSのメンバーに極右政党への投票を要請した、と発言していた野元。その政党は軍国化・反知性主義を掲げており、多くの国民がその政党の台頭に危機感を覚えていた。その潮流に乗り、さらにカケルが纏めていた今までの極右発言も記事に盛り込んだことにより、アパーニュースは注目を集め良いスタートダッシュを切った。
「このままだとTHE GIRLSが危険に晒される。この勢いで救い出してやろうじゃないか」
転落事件で内部崩壊の危機にあるTO-NA。大久保がカコニを呼び出した。
「危機を救えるのは君だけだ。君がキャプテン代行をやれ」
「はい。でも私にできるのかな……さっきは争いを止められなかった」
「そっか……じゃあ今の気持ち、俺に吐き出してみて」
言葉に出して気持ちを整理するカコニ。その目からは大粒の涙が溢れる。
「よし、その想いをちゃんとメンバーにぶつけろ誠実なカコニなら大丈夫だ。勇気を持って」
カコニは全館放送でメンバーに呼びかける。
サブキャプテンのカコニです。先ず、この放送を以て、グミさんが復帰するまでの間私がキャプテンを代行することとなりました。異議があれば本日中にスタッフにお申し出ください。
そして皆へ。逃げずに闘いませんか?事情や考えは色々あると思いますが、このまま逃げてTO-NAが無くなったら、グミさんはどう思います?帰る場所が無いとわかったら悲しみますよ。グミさんが愛し守ってきたTO-NAを私達の手で壊したくない。私達だって、このまま逃げて後悔なく平気で生きられる訳が無い。
だから進むしかないのです。私達のこと、蔑む人もいるでしょう。でも負けてはいけない。皆でグミさんの帰る場所、作りましょう。そして仮に無実であれば、タテルさんの帰りも待ちましょう。納得した人は、ダイニングに集まってください。
カコニの熱い言葉に胸を打たれるメンバー達。最終的には全員がダイニングに集まり、一致団結して活動を継続することを決心した。
「辞めようだなんて言ってしまってごめんなさい。そうですよね、辞めて何も良いことないですよね」
「私達はTO-NAとして色んな景色を見る決意をした。グミさんだって、グループが後輩が成長する様を見たいって仰ってた。立ち止まる訳にはいかないですよ本当に」
「TO-NAはへこたれない!」
「今日から活動再開ですね!」
未だ意識不明のグミに思いを馳せ、絶えそうな炎を再び燻らせたTO-NA。一方その頃、タテルは牢の片隅で慟哭していた。