フランス帰りのカケルは、「アパーランドの皇帝」として問題だらけのこの国に革命を起こそうとする。かつてカリスマ的人気を集め社会を変革しかけたアイドルグループ・Écluneをプロパガンダに利用しながら。
*この作品は完全なるフィクションです。過激な話が展開されますが、実在の人物・店・団体、そして著者の思想とは全く関係ありません。こんなことしようものなら国は潰れます。
銀座歩行者天国でのアクセルブレーキ踏み間違え事件から3日後の午後3時。世間の注目を大いに集める裁判の判決が出ようとしていた。
被告DはC運輸の配達員。夜通し多量の飲酒をしてトラックを運転、行楽地に向かう家族が乗った乗用車に時速150kmで追突し親子2人を殺した。
「危険運転致死傷罪の適用が争点となっています」
「どう考えても危険運転だろ。何が気に食わないんだ」
「適用ハードルが高いんですよ。安易に濫発するのは人権侵害に繋がる…」
「凶悪犯に人権もクソも無いだろ。これが危険運転じゃなければ何が危険運転になる?」
カケルの叫びも虚しく、危険運転致死傷罪の適用は見送られ、Dには懲役9年の判決が下った。
「裁判官は人か⁈殺人罪適用しても良いくらいなのに、こんな温い判決下して心痛まないのか⁈」
「確かに甘すぎますね。世論は納得しません」
「被告は酒気帯びで速度超過もあったが運転能力の大きな低下は無く……って褒めてどうする!」
「褒めてるかどうかは知りませんけど、危険運転がなかなか認定されないのは問題ですよね」
「ああ胸糞悪い。絶対にDを懲らしめてやる!」
翌日、カケルはÉcluneメンバーのerngを連れて高級ホテルの四川料理店を訪れる。四川料理の名門であるため、少なくとも休日は予約をして訪れるのが確実である。
「はぁ〜、暑い暑い!」
「駅から遠かったですね。こんな立派なホテルなら駅近の方が便利で良さそう」
「駅から離れた方が治安は保たれるだろうね。涼みに来るだけのオバチャンとか外人とかは来ない」
「目的を持って訪れる場所ですね」

カケルはビールを注文した。この店が独自に開発したジャスミンビール(1600円)は、コクがありつつも爽やかな飲み口で、夏に辛いものを食べる際に合わせたい飲み物となっている。一方でerngは未成年のため冷たい茉莉茶を注文した。


ランチのコースを予約していたため、まずは前菜盛り合わせから。蛸は旨味が凝縮されていてツマミとなる。チャーシューは分厚くしっとりしていて満足感があるが、もっと味の濃いものをカケルは期待する。よだれ鶏もベーシックで上品ではあるが、鶏肉との絡みをもっと強くしてほしいと感じる。
「なんか今になって痺れがじわじわ」
「遅いですよカケルさん。私なんてもうビリビリ感じてます」
「今日の俺、どこか鈍感な気がする。口の中にバリアが張られてるみたいだよ」
「疲れているんじゃないですか?」
「かもな。気が立ってあまり眠れないんだ。革命家の性だね」
「マッサージとか行ったらどうです?気持ち良くて眠れますよ」
「そんな気軽に行けるのか」
「行けますよ。フラッと入れるマッサージ店、沢山あります」
「行くとするか」


スープは冬瓜の入ったふかひれスープ。冬瓜がとても熱いためゆっくり食べる必要がある。蟹肉とふかひれが多く入っていて、食感も旨味も存分に感じられる。
「美味しいけどやっぱり気が乗らない。大箱レストランだからサーヴィスがざっくばらんというか」
「まあお忙しいですからね店員さんも」
「この国のレストラン、それも高級ホテルならもう少し細やかな料理の説明をしてほしい。ああ嫌だ、今ちょっと店員キレた」
「キレてました?」
「客に聞こえるところで怒鳴られたらそれは拷問。はあ、やっぱ流れが良くない。昨日のあの判決から」
「ショックでしたねあれは」
「1日経っても悔しいよ。遺族はもっと。この手で断ち切るしかないな」


海鮮料理は海老と烏賊をあっさり塩味で炒めたもの。どちらも身がしまっていて、梅の酸味とヤーツァイの旨味をよく纏っている。枝豆とコーンで食感の多様性を彩る。
「そもそもDにはどれくらいの刑が妥当なんですか?」
「まあ20年かな。少なくとも2倍、18年」
「そうですよね。そもそも何故危険運転が認められないのでしょうか」
高速道路での飲酒運転事故をきっかけに制定された、最高刑拘禁15年(死人が出たら最高20年)の危険運転致死傷罪。しかし重罪である以上法の定義は厳格で、「正常な運転が困難」という状況を客観的に証明する必要があり、裁判官も慎重になってしまう傾向にある。
「さらに、最高刑拘禁7年または罰金100万円という自動車運転過失致死傷罪(過失運転致死傷罪)が新設された。危険運転に満たなくても、従来の業務上過失致死より少しは厳罰化された格好になっている」
「なるほど」
「でも足りないよな。国民感情からは明らかにズレている」
「裁判に感情を持ち込むのは危険、と認識しているのですが……」
「法治国家ではな。でもその法が限界を迎えている。人々の感情に寄り添った法にアップデートしなければならない。そのためにアパーランドが活動している」

中華の定番料理・空芯菜の炒め物。ガーリック炒めと書いてあるが実際はジンジャーが強い。美味いことに間違いは無いが、体も心も火照ったカケルにはtoo muchであった。
「フランスでは重い罪になるんですか?」
「いや、フランスでは危険運転に相当する刑は設定されてない」
「世界標準だと寧ろ重い方なんですねこの国は」
「人が死んだ怪我したよりもどれほど酷い運転だったかをみるのが欧米かな。この国の価値観からしたらドライかもしれない。ただ罪名としては『殺人』だ」
「さつ…じん……」
「アメリカの一部州では、Dのように無謀な運転で人を殺したら無期懲役になり得る」
「結構重い罪になりますね」
「先進国で実例があるのに、何故この国ではそれができないのか。そう思ってしまうね」
「怒りはご尤もです。私が遺族だったら同じこと考えてしまうと思います」
「だろ。今回は飲酒、150km/hという速度超過。まともな運転ではない。殺人罪が認められても良いくらいだ」

燃え滾るカケルの元へ、燃え滾るような四川の名物料理が登場する。
「水煮だ」
「これが水煮ですか⁈血の池地獄じゃないですか」
「鯖の水煮とか想像しているようなら忘れなさい。俺にとって水煮はこれでしかない。唐辛子たっぷりのスープで煮た料理だ」
「水で煮たものしか知らなかったです」
「家出する前の嫌な経験思い出すな。鯖の水煮なんて大嫌い。グチョグチョすぎて思い出すだけで……」

冷めてしまうので早く食べる。牛肉は厚みがあるが柔らかくしっとり。もやしの食感、そしてニンニクらしきものの香りもある。汁は辛そうに見えるのだが、鈍感なカケルは辛さを感じず醤油スープのように平気で飲み干してしまった。
「俺が今水煮みたいなもんだからな。ごめんな、食事の場で愚痴めいたこと垂れて」
「愚痴めいたじゃなくて愚痴です。スパイシーすぎますよ」
「俺のやってることはいつもスパイシーだ。自覚は有るよ。でもこの国の閉塞感を打破するためにはスパイシーさが必要だ。お茶を濁すようなことはしない。正義に向かって突き進むのみだ」
そう言ってカケルは、C運輸に関する情報を確認する。C運輸の社長はマスコミの取材に対し、Dが飲酒していたなんて知らなかった、自分に責任は無い、と主張する。
「本当に知らなかったと思う?」
「怪しいですね。運転手の健康状況を確認するのは、責任者の義務だと思うんですけど」
「だよな。責任逃れしているようにしか見えない」
カケルは一旦席を離れ、アパーランドのメディア班にC運輸への取材を命令する。
「まあ断られるとは思うんだよな。そうなったら次の手を繰り出すことになる。なるべく穏便に済ませられると良いんだけどね」


席に戻ると、真打の麻婆豆腐が登場した。この国に四川料理を広めた偉人の製法を受け継ぐ、焦げる寸前まで火を通し味を凝縮した麻婆豆腐。椀の縁に浮かぶ、辛そうなアブラの環に惹かれる。食べてみると、肉味噌や豆腐の旨味があって白飯が進むも、思ったよりスッキリとした味わいである。繰り返しになるが、口の中の感覚が鈍いカケルには麻も辣も控えめに感じる。

麻婆豆腐に合う、とメニューに書いてあったため注文した、デザートワインのソーダ割り。痺れを丸くしてくれるという点で相性は良い。氷もデザートワインを使用したものらしいが、舐めて溶かしてみてもよくわからない。
「社長が従業員管理を怠っていた場合、攻撃対象は社長にも及ぶ。Dの飲酒運転を許容し、間接的に殺害に関与したも同然。会社全体への罰が必要だろう」
「そうですよね。でも補償の問題もあってややこしそう」
「ややこしいね。それが無ければ破壊的行為をしたいくらいなんだけど、補償源となる財産を壊してしまうとただのテロだ。アパーランドはそんなことしない」
「ちゃんと考えるところは考えるんですね」
「信頼が大事だからね。人様が納得するやり方で強いことをやる、それが民主的な革命家・アパーランドというものだ」


デザートはマンゴーかき氷であった。6,500円のコースで杏仁豆腐やココナッツミルクといったベタなデザートではない凝った物が出てくるのは有難い限りである。果実も恐らく冷凍していないフレッシュなものであり、満足して食事を終えることができた。
「俺はこのままホテルにいる。この後打ち合わせがあるからな。erngはこの後レッスンだっけ?」
「はい。ちょっと可愛い系の」
「ウキウキじゃないか。やっぱerngはそういう系の曲似合うよね」
「見えます?でも意外とハードロック好きですよ」
「見た目で決めるのは良くないね。失礼した」
ホテルレストラン特有の高いサービス料(15%)も含まれるためカケルの会計は1万円を超えてしまった。
「声デカい客もいて落ち着かなかったね」
「確かにちょっとうるさかったですね」
「ヤーさんかと思った。怖い怖い」
「あれカケルさん、意外と怖がりなんですね?」
「な訳あるか。俺が怖がっていちゃ何も守れねえ。あ、もうお相手さんラウンジに来てる。じゃあな」
「行っちゃった」