フランス帰りのカケル(21)は、「アパーランドの皇帝」として問題だらけのこの国に革命を起こそうとする。かつてカリスマ的人気を集め社会を変革しかけたアイドルグループ・Écluneをプロパガンダに利用しながら。
*この作品は完全なるフィクションです。実在の人物・店・団体、そして著者の思想とは全く関係ありません。こんなことしようものなら国は潰れます。
速報です。今日午前11時頃、○○県△△市のコンビニエンスストアに軽乗用車が突っ込む事故が発生しました。この事故で店内にいた40代男性と20代女性が足の骨を折る重傷を負いました。軽乗用車を運転していた77歳の女性は警察に対し、アクセルとブレーキを踏み間違えパニックになった、と話しているとのことです。
Écluneメンバーと共にワイドショーを観ていたカケルは怒り心頭であった。
「ったくこのクソババア、何がアクセルとブレーキ間違えただよ。バカじゃねぇの」
「口が悪すぎますよカケルさん。気持ちはわかりますけど」
「警察もとっととお縄にすればいいものを、何故捕まえない?」
「確かに逮捕されないとモヤモヤはしますね」
「だろ?ヨボヨボのジジババが運転なんかするな!そういえばこの前もタテルの腹立たしいドラマ観た。何が100歳の医者だ、手元ブルブルで人の肌に穴開けまくって。とっととお隠れになれ」
「カケルさん!あれはフィクションですから、ムキにならないでください」
「もういい!これ以上温い芝居は観たくない。tzn、天ぷら食べに行くぞ。準備できた?」
「できてます!」
「おっ、美脚が映えるモノクロコーデ。流石パリコレモデルだ」
急に態度を軟化させるカケル。
「銀座に行くからには、お洒落しなくちゃなので!」
「ドレスコードは無い店だぞ。暑くないのか」
「お洒落は我慢が肝心。カケルさんもせめて襟付きシャツ着ましょう」
金曜夕刻の銀座4丁目は、プレミアムフライデーを謳歌する人で溢れていた。この近くに、この国で一番の天ぷら名人がいる。噂を聞いたカケルは予約サイトの通知をオンにし、空席通知が来た瞬間向こう見ずで予約を入れていた。
「本当はPRICEのドーム公演観に行く予定だったんですからね。急すぎますよ」
「そうでもしないと予約ができないんだって。月初めにもできるけど、どちらにしても日時限られるし」
「まあPRICEの公演は落選したので事なき得ましたけど。振り回しすぎないでくださいね」
17:00の予約、その2分前にビルの1階へ到着。9階へある人気天ぷら店へ向かうエレベーターは1台しか無く、途中の階にも店はあるのでタイミングが合わないと待つ羽目になる。
9階に到着。2人は反転L字型カウンター席の折れ曲がった部分を挟む形で着席する。例の天ぷら名人からは少し離れた位置であり、会話ができる余地は無かった。
「さつまいもはコースに含まれません。別立てで用意いたしますけどどうしますか?」
「えっ、含まれてないんだ。tzn、食べる?」
「さつまいもは好きですけど、別料金なら要らないです」
「この店のスペシャリテなんだけどね。まあ頼まないなら頼まないで……」
「頼みます!頼みますよ」
「チョロいな」

飲み物はとりあえずビールとする。サケのラインナップも確認したが、保守的で古臭い冷酒4種・燗酒2種のみであり惹かれない。摘みも古典的に枝豆。銀座という土地にありながら近所の天ぷら屋のようなノリであり、カケルのように考えすぎてしまう人は戸惑ってしまうことであろう。
「外国人が多いですね。さすが天ぷら名人のお店です」
「どうやって予約できるんだろう?邦人でも容易ではないのに」
「うーん、どうなんでしょう?特別な予約サイトがあるのか」
「食材の説明も難しいだろうに。tznは今日出てくる食材を何個正しい英語で言えるか」
「バカにしてます?海外の活動に向けてちゃんと勉強してますから!」
「海老は?」
「……エービィ」

早速シュリンプの頭が2個出てきた。頭ではあるが身の剛健さを感じ取り、衣が淡雪のように纏われていてメリハリが効いている。
「名人は面白いことを言ってる。天ぷらは蒸し物らしい」
「揚げ物ですよね」
「マジレスしてあげるな。確かに外側は揚げているが、具材は衣に包まれて、具材自体が持つ水分で蒸されている。それにより具材の甘味や旨味やらが凝縮される」
「よくわかんないです」
「食べてみたらわかるかも。わかんないかもしれないが」

海老2本。確かに弾力があってふっくらしている。天ぷらが蒸し物であることをカケルとtznは理解した。
「高級天ぷらってこんな感じなんですね。普段食べる海老と全然違くてびっくりしてます」
「フランスではオマール海老をよく食ったもんだ。海老は身が引き締まってなんぼ。プリプリプリプリ言って喜んでるこの国の民は愚かだ」
「また強い言葉。プリプリでも良いじゃないですか」
「水っぽいというか安っぽいというか。張り合いが無いんだよそういう海老は。細い身でも感じる物がある、この国の海老は素晴らしいものだね」

契約農家で採れたホワイトアスパラ。太いものが丸々1本分供される。
「美味そう。フランスでは定番の食材だからね。あーん……熱っ!」
「すごい汁ですね。一口でいかないとダメだ」
先端はホクホクして流石の美味さ。しかし根元に泥臭さを感じてしまう。
「これが大味というやつか」
「そんなに気になります?」
「気になる。敏感なんだよな俺。天ぷらは蒸し物である以上、素材の質がよくわかってしまう。繊維の解ける様を愉しみたかったのに、泥臭さを感じてしまうのは残念だ」

それでも蓮根で持ち直す。シャキシャキした食感と、ほんとにほんとに仄かな甘み。蓮根のあるべき姿を確と味わった。
「さっきからやたらと紙取り替えますね。サイドから手が伸びてきてちょっとドキッとします」
「それは思った。天ぷら1つ1つの量が多くて吸う油の量も多いから懐紙の取り替えも頻繁に行われる。背後からじゃなくて前から取り替えをしてもらいたいところだね。あとペースも速すぎる。食べきる前に次のタネが来ちゃう」
「文句多いですねカケルさん」
「なんだかなあ」

鱚は単に塩だけだと味がよくわからず、天つゆにどっぷり浸けて美味しくなる。

オクラも素材自体に味わいが無く、天つゆで補完する必要がある。
「どうも素材の良さを感じない。天ぷらは地方で食べるものなのかな」
「食べに行ったことあるんですか?」
「無い。タテルのグルメブログ見てそう思っただけ」
「なんだかんだで気になるんですね、お兄さんのこと」
「そ、そんなことないさ。ただ美味い飯を眺めたいだけだい」
「目が泳いでますよ。素直になりましょう」
「焼津、高崎、富山、足利、秋田。アイツは地方ばっか攻めてて楽しそうだ」
退屈するカケルはスマホでネットサーフィンを始めてしまう。
「懲役4年か。人轢き殺しといてたった4年かよ」
「何の事件ですか?」
「小田市でババアが小学生を轢いた事件。自分の注意散漫を棚に上げて車が悪いだの小学生が飛び出しただの言い出したクソババア」
「クソババアとか言うのやめてください。確かに酷い言動ではありますけど」
「ただただ自分の落ち度を認め、誠意ある謝罪をしたのなら4年でも受け入れる。自分だっていつ加害者になるかわからないから大きな口は叩けない。でも反省ができない猿は10年20年閉じ込めないと」
「次の天ぷら来ますよ。ゲッ……」

ピーマンはtznの苦手食材である。よりによってピーマン嫌いが裸足で逃げ出しそうなサイズ感で提供された。
「カケルさん、食べてください私の分……」
「ラッキー。俺はピーマン大好きだからね。おっ、苦味も衣の油分と交じれば旨味となる。こりゃ美味しいね。残念だなtzn、お子ちゃま舌で」
「いいもーん。私まだ20歳なってないし」
「こんな背が高くて大人びた19歳はそうそういないよな。でも対面してみると子供っぽい。面白い奴だなtznは」
「褒めてます?」
「褒めてるさ。長い手脚はダンスが映えるから大きな武器になる。まあもう少しキレが欲しいな。しなやかなのも良いけどビタビタに決めた動きも欲しい。そうすればÉcluneはよりパワーアップする」

一方で天ぷらはカケルにとって映えない。アオリイカはガシガシした身をフリフリ解く感覚があるが、やや臭みが目立つ。

玉葱は層を横断して噛もうとすると中心部が脱落してしまう。中心部だけそのまま食べざるを得なくてそれがかなり味気ない。ここはどうにかして蕩けさせた方が美味いと思う。
「外側は美味いんだよな。玉葱は衣と一体になってスナック感覚を楽しめる、とタテルは書いていた」
「実は私も読んでますよ、タテルさんのブログ。天ぷら美味しそうでした」
「あれは確かに美味そうだった。地方の天ぷらが素材勝負なら、都心の天ぷらは技術勝負、とか言ってたな」
「TO-NAとÉcluneも似たような関係ですね」
「TO-NAというお遊戯団体は知らん」
「TO-NAはメンバーの個が強い。Écluneはそれに比べると個は弱いけど技術で圧倒する。ÉcluneはÉcluneらしくパフォーマンスすれば良い、と思うんですよね」
「TO-NAと比較することは無いけど、言っていることは正しい。多様性とはそういうことだよな」


別料金のスペシャリテ、さつまいも。中はねっとりしすぎない程度に柔らかい。一方で衣は焦がしてあって、ねっとりからがっしりへのグラデーションが綺麗にできている。
「カケルさん今日ずっとジジイだババアだ言ってますけど、そんなにお年寄りの方が憎いですか?」
「んなこたねえよ。まともに生きている老人だって多い。ここの天ぷら名人だって80歳近いんだぞ。薄いけどがっしりとした衣に仕上げる。素材は抜きにしても、揚げ・蒸しの技術は一級品だ。そういう人達を否定できるか?」
「それは否定できない……」
「まともに運転できる高齢者から免許を取り上げる必要は無い。そのまともか否かを見極める仕組みが整っていないのがこの国の問題だ。そしてまともじゃないと判断された高齢者にはどういうフォローをするか。それをこれから議論しようと思う。決して姥捨山を作ろうとはしていない、それだけは間違えるな」

一度は気を取り直していたカケルであったが、穴子に再び顔を顰める。カリカリとした衣は美味いのだが穴子自体に臭みがあり、最後までそれに慣れることはなかった。

追加していた日本酒(桃の滴)も、名前からしてもっとフルーティなものを期待していたが、辛口でコクも無い。
「ただこの世には理不尽が多すぎる。老い先短いジジババが未来のある若い人を殺す構図、どうにかしないと」
「免許返納を推進する動きは起こっていますけど、頑ななご老人はご家族が説得しても聞く耳持たないらしいですね」
「一番厄介な人種だな。こういうのからは強制的に剥奪しないと」
「剥奪したらしたで、無免許運転しそうですけどね」
「無免がバレたら拘束されるべき。無免で人を怪我させたらタキヤマプリズン送りで良いだろう」
「こうしりょく、ってやつですか?」
「抑止力、って言いたい?」
「恥ずかしいよ……」


追加の天ぷらはスルーして、〆の食事には天茶。素材への期待を捨てることにより、却って海老のグニグニ感に驚く。貫禄のあるかき揚げであった。
「鮑まるごと揚げてましたね。食べたかったなぁ」
「上のコースにすれば良かったのかな?いやでもここは安くてなんぼだと思う」
「タテルさんの食べていた地方の天ぷら、4万近い支払い金額になってましたもんね」
「素材の差かな。逆に考えれば、銀座でこの値段というのは得なのかもしれない」

カット西瓜で口を鎮める。会計は2万円弱であり、カケルの言う通り銀座にしてはリーズナブルである。
「自分らしく生きたいと願う人々に突如襲い来る脅威。周りの人々を悲嘆に暮れさせ、ニュースで知る我々の胸を痛めつけるような事故は1件たりともあってはならない」
「それは本当その通りです」
「政府は外交やら経済政策やら自己保身やらで目を向けてくれない。なら俺らがやるしかない。色々強い手段を講じることになるだろうが、それは全てこの国を良くするため。ついてこい、アパーランドの民よ」