連続百名店小説『nao』5th memory:翼を広げて(茶房 雲母/鎌倉)

アイドルグループ「TTZ48」のエースメンバーだった直(享年19)。人気絶頂の最中、突如自ら命を絶ってしまった。兄でタレントの建(24)は地元鎌倉を歩きながら、直と過ごした日々を思い返す。

  

一周忌の法要から20日ほど経った木曜日の夜、建は再び鎌倉に降り立った。1年ほど帰って来なかった実家に、短いインターバルでまた戻って来た。鎌倉の一流中華の予約がとれたから帰ってくる、と表向きではしていたが、本当の理由はそれだけではなかった。

  

翌朝、建はいつものように材木座海岸にいた。

  

直、またこの海岸に戻ってきてしまった。お前のことを皆に忘れて欲しくないから、まずは俺が頑張らなきゃいけない。だから今まで敢えて鎌倉に帰って来ないでいた。でもやっぱり、お前に会いたくて会いたくて仕方ないんだ。

  

そして建は、直の上京当日の朝を思い出す。

  

いつものように海に繰り出した2人。
「この海ともしばらくお別れだな、直」
「そうだね。お兄ちゃんといっぱい遊んで楽しかった海…」
そう言って直は涙を浮かべた。
「寂しいよな。不安か、アイドル活動?」
「…」
「そうだよな。俺が勧めておいてアレだけど。でも直なら大丈夫。俺の自慢の妹だ、絶対みんなのことを幸せにできる、勇気づけることができる」
「そう?」
「頑張っておいで。俺も母さんも父さんも、全力で応援するから」
「ありがとう…」
「でもつらいことあったらいつでも戻って来て。その時はまた、この海で遊ぼう」
肩を組み、優しい眼差しで直を見つめる建。
その2時間後、直は東京へと旅立った。

  

「あの時直を引き留めていれば、今でも直は幸せに生きていたんだろうな。そもそもアイドルを勧めたのが間違いなんだ。俺って本当無責任な奴…」

  

家に戻った建を待ち受ける母。
「建、朝ごはんちゃんと食べなさい」
「嫌だ、朝食べるとお腹痛くなる」
「私だってお腹痛くなるのよ。我慢しなさい。ほら、豆腐ハンバーグできたよ」
「豆腐ハンバーグ?食べる、食べる!」
ハンバーグは直の一番好きな食べ物だった。でもバレーボールを辞めると運動量が減ったから、体型維持のため直は豆腐ハンバーグを好んで食べるようになっていた。
「アンタって本当に直のこと好きね。じゃなきゃ豆腐バーグなんてヘルシーなもの、食べないでしょ」
「バレてるか…」
「アンタの考えることはお見通しよ」

  

そそくさと朝ご飯を食べ終え、仏壇に手を合わせる建。そこには直の大好きだったトリケラトプスのぬいぐるみが置いてあった。
「お前本当恐竜好きだったよな。恥ずかしそうにやっていた恐竜モノマネ、可愛かったのに…」
運営の大きな期待により、加入早々シングル表題曲のセンターに抜擢された直。整った顔立ちと優しい声で忽ち人気を集め、TTZ48の新エースとなった。
しかし人見知りで引っ込み思案な性格はそう簡単に変わるわけがなく、メディアに出ても積極的に発言することは少なかった。冠番組でも目立った活躍はできず、何でこんな子がセンターなんだ、という批判の声も多くあった。
「母さん、俺って間違っていたよな…」
「何よいきなり」
「直をアイドルにさせた俺、本当に許せなくて…」
「別にアンタだけの責任じゃないでしょ。みんなでGOサイン出したんだから、それは私もお父さんも同じ」
「言い出しっぺは俺なんだ。俺が全部悪いんだ…」
「そんなこと言って、直が喜ぶとでも?」
「…そうだよな。こんなこと言っても仕方ない」
「後ろばっか見ないで、早く公務員になりなさい」
「また公務員かよ…しつこい。キレてもいいですか?」

  

「これから駅の方行くんでしょ?車で買い物行くけど、一緒に乗っていく?」
「うん」
鎌倉駅西口にある紀ノ国屋にて母と別れ、住宅街を山の方へ進む。緩やかな坂を上ると左手に、人気の甘味処が現れた。金曜の10時半、待ちは3組ほどと悪くないタイミング。
メニューを吟味するが、大半の人は宇治白玉あんみつを頼むということらしいので、建もそれに乗っかった。飲み物は抹茶を頼むつもりだったが、ほうじ茶と昆布茶がサーヴィスだというので思いとどまった。
15分くらいして席についたが、そこからさらに30分待った。12時にランチの予約をしていたが、意外とギリギリになってしまった。

  

やっとのことで登場した白玉あんみつ。この店自慢の白玉は、プレーンが1つに抹茶味(白玉というより緑玉)が4つ。あと2つあれば願いが叶いそうだがそうはいかない。

  

なるほど特別視されるだけのやわもち食感。つきたてのように柔らかく、ねっとりとした餅感が広がる。しかし白玉粉らしい苦味が増強されていた。この苦味により、自慢の白玉はあんみつの中で黒い羊扱いされる。あんみつとしての調和はそこには無かった。

  

外にはあっという間に坂の下まで延びる大行列。これだけのために人は1時間以上も待つのである。
虚無感を覚えたままランチに向かおうとする建。左に曲がればトンネルがあるが、まるで黄泉へと続いていて、直がその先にいるように思えた。

  

お前がこの世から旅立った後も、誹謗中傷による悲劇は後を絶たない。ネットは人を傷つける言葉で埋め尽くされているし、マスコミもそういった言葉を見つけては記事にして煽ってくる。この世は悪口に支配されているようだ。性善説は死に、良心というものは消え去った。不寛容という名の全体主義に染まってしまった世界、俺はどう生きていけばいいのだろう…

  

虚無感が絶望感に変わった建は思わずトンネルに入ろうとしたが、次の店とは逆方向になるため踏みとどまった。右手に抜け、寿福寺方面へ線路沿いを歩く。

  

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