連続百名店小説スピンオフ『多幸感の湧き立つところ』第1話(オトワレストラン/宇都宮)

まだ暑さの残る10月のある日、人気女性アイドルグループ「TO-NA」のメンバー・ニュウはTO-NA特別アンバサダーのタテルと面談をしていた。
「私ニュウはTO-NAを卒業したいと思います」
「そっか…まあ予感はしていたよ」
「みんな卒業とかせず永久にいてほしい、というタテルさんの信念を裏切るのは心苦しいです。でも腰の状態が思わしくなくて、これ以上パフォーマンスを続けるのは困難でして…」

  

涙腺が崩壊するニュウ。
「無理して腰壊したら今後の人生に響くからな。気を遣わせてしまってごめんよ」
「謝らないでください。タテルさんのグループを愛する姿勢、尊敬していますから…」
「卒業後の人生を保証するのも俺の仕事だ。ニュウが気負うことなど無いよ」

  

10月末のある日、レッスン終わりのニュウを捕まえてタテルが最後の旅の提案をする。
「ニュウって生まれは栃木県だけど、栃木のどこ生まれ?」
「宇都宮ですね。でもあまり記憶がありません、2歳くらいの時に群馬に移ったので。あ、餃子は好きですよ」
「じゃあ宇都宮の餃子、食べに行こうか」
「食べたいです!」
「あと宇都宮といえばオトワレストランだね。世界に名を轟かすフランス料理店なんだけど」
「タテルさん好きそうですね」
「そう。寧ろ俺はこっちを主目的にしてる。ニュウがいずれ卒業することは見込んでいたから、もしそのタイミングが来たら、門出祝いに2人で行きたいな、って考えていたんだ」
「え…ありがとうございます〜!」
「優しいニュウを連れて行くにはぴったりの場所だと思う。11月下旬で予約取っておくから楽しみにしててな」
「はい!」

  

Tablecheckで予約を入れた次の日、レストラン側より苦手食材に関する質問の返信があった。他店では類を見ない丁重な確認でありタテルは少し戸惑ったが、不安点は解消しておいてこそ最高のサーヴィスとなる。

  

そして当日、ワインもしっかり飲む心意気の2人は新幹線で宇都宮駅までやってきた。オトワレストランは中心地から少し離れた幹線道路沿いにあり、タクシーまたはバスでのアクセスとなる。
「行きは迎車料金もかからないし、万全のコンディションを維持するためにもタクシー乗ろうか。帰りはSUBARU前という停留所から東武宇都宮に移動する」
「了解です!」

  

少しタクシーに乗れば、モータリゼーションの気がある郊外都市の街並みが広がる。ラウンドワンを越え橋を越え左に入ると、前にあるヨーロッパ風のヴィラからクリスマスのゴスペルが大音量で聴こえてきた。オトワレストランはその手前にある。

  

「ついに来てしまった。伝説のレストランだよ」
「タテルさんが言うくらいだから相当すごいんでしょうね」
「すごいところだよ。様々な飲食店でシェフやサーヴィスの方と会話してきたけど、オトワさんは誰もが認知していて憧れにしている」
「そんな存在が私の生まれた街にあるなんて、誇らしいです」

  

入口付近に立っていると妙齢の男性に出迎えられ、円形のウェイティングスペースに案内される。
「素敵な空間ですね」
「家族経営でこんな立派なハコ持てるって、相当評判良くないとできないことだと思う」
「家族経営なんですねこの店」
「そうそう、音羽一族。本場フランスの重鎮シェフに師事していたお父様が開いて、長男が料理長、長女がマネジャー、次男はシェフとしてもミシュランの星を獲得しているのにマネジャー」
「それは贅沢ですね。経歴聞くだけで強そうです」
「今日は最大限飲み食いしよう。せっかくここまで来た訳だし、ニュウの明るい未来も祈念して」
「楽しみですね」

  

先程の妙齢の男性により席へと案内される。その途中では窓越しに厨房の様子が見え、全国からシェフが集まっていることを紹介される。

  

席に着くとメニューの書かれた紙が渡される。3つあるコースの内、今回は真ん中のコース(ルレ・エ・シャトー、17000円)を注文していた。間も無く飲み物の注文を訊かれる。
「ニュウはワイン飲む?」
「飲みますよ。お酒大好きですから!」
「イイネ。じゃあアルコールペアリングでお願いします」

  

ペアリングはシャンパーニュから始まる。ピノ・ノワールを使っているからか少し赤みがかっており、コクがしっかりある。造り手のブリスは奇しくもオトワと同じ家族経営である。

  

黒トランペット茸のスープ。スプーンで掬っても良いのだが、ここはカップを手に取って、コーヒーを飲むように直接口の中にぶち込もう。茸のお洒落な旨味を確と感じられる。
「はぁ〜、落ち着きますね。ちょっと寒かったから沁みます」
「温かいもので胃を落ち着けて、この後の料理を楽しむ態勢を整えるんだ」
「それは有難い。どうしてもフランス料理って緊張しちゃうんですよね…」
「ニュウはフレンチ初めて?」
「家族で1回だけ行ったような気はするんですけど、小さかったのであまり記憶ないですね」
「まあ普通は行かないよな。俺下半期に入ってから今日で8軒目だよフレンチ行ったの」
「それはワラ」
「しかも年内にもう1軒行く予定だ。今度はカホリンを連れて函館にな」
「すごいですね。タテルさんとフランス料理食べに行ったメンバー、みんな楽しかったって言ってましたよ」
「一流がわかるようになればグループの格も上がるからね。楽しみながら社会勉強もできて一石二鳥だよ」

  

続いてフィンガーフードが2種類登場する。

  

落花生の殻の中に埋もれたピーナッツタルト。那須産チーズ「みのり」が削られているが、やはりピーナッツのコクが印象的である。少し黒胡椒らしきものが効いているのも良い。

  

木板の右下の頂点に配置されているのは日光マスのタルト。マス独特の香りが端から濃く感じられ、苦手な人はとことん苦手かもしれない。
「真ん中じゃなくて隅っこに置くところがいとをかしですね」
「洒落てるよな」
「お花とイクラを交互に並べているの、すごく綺麗じゃないですか?」
「そう言われたらそうだな。仕事が丁寧」
「チーズもモコモコしていて可愛いし、見て食べて二度美味しいですね」

  

ワイン2杯目はアルザスのマルセル・ダイス。リースリングとピノ・グリを使っており、程良い甘みを感じる。

  

合わせる料理は栃木の旬野菜サラダ。多種多様の野菜が盛られていて楽しみがある。先程のみのりチーズから抽出されたホエイのソースが、ややもすると無味乾燥になりがちな野菜達にコクを与える。
「俺憧れてたんだよね、花やハーブを散らした自家農園野菜のサラダ」
「お洒落ですよね。こんな色とりどりの野菜を一度に食べる機会なんてそうそう無いです」
「都心の店も良いけど、時代は地方の地産地消レストランだ。スズカと行ったウシマル、カゲと行ったジュエーメ、ベリナと行ったオオツ。次はヴィラアイーダにも行きたいな」
「タテルさんすごいです、よくこんなにスラスラと店の名前出てきますよね」
「店の名前と芸能人の出身地はよく覚えてる方だと思ってる。まあ役に立つ機会は限られるけどね」

  

大して憧れはしないスペックを披露したところで、次に登場したのはオレンジワイン。先ほど登場したマルセル・ダイスの長男が手がけたもので、燻製香と言うか何と言うか、独特な味がする。ただタテルはオマール海老の余韻とワインが混ざると臭みを感じてしまう体質にあるため、なるべく口内をクリアにしてこのワインを味わった。

  

バターを塗って焼いたオマール海老に金時人参、苦味要員のチコリ。ソースにはオレンジを使用しており、柑橘のニュアンスが強い一皿である。飾らないオマール海老の味を楽しめる。

  

「ニュウみたいなピュアな人、人生で初めて出会った。生まれたての赤ちゃんみたいにピュアだ」
「それ京子さんにも言われました」
「やっぱそうなんだよ。見ていると癒され郷愁をそそられる、あき竹城さんみたいな存在だ」
「嬉しいですね。あきさんみたいな優しいおばあちゃんになりたい、って私も思っています」
「ニュウが孫達を囲んで一家団欒している姿が想像できる。幸せでいてほしいな」

  

2022 Pouilly Fuisse Terroirs Raresは、シャルドネのみ使用したブルゴーニュの王道白ワイン。コクがあって、この後のパイ包みに合う。

  

そして蝦夷アワビのパイ包みが登場。鮑・帆立のムース・板海苔が包まれている。バターソースの縁には鮑の肝ソースもあしらわれている。まずは鮑を単体で食べてその旨味を堪能し、半分咀嚼したところでパイを口に入れると、パイとバターの重厚感および海苔の香り高さで悦に入る。海苔の味は鮑を凌駕するし、そもそも鮑の身はパイから剥がれやすいので、鮑だけをまず口に入れるのが一番良い食べ方だと思う。

  

「すごく美味しいです!もう幸せすぎて〜」
「お楽しみいただけて何よりです。まさか有名人の方に来ていただけるとは」
「いえいえ、僕なんかまだしがない男ですよ」
「観てますよラーメンYouTube。美味しそうなラーメンと詳しい解説、楽しんでます」
「ありがとうございます」
「高級な店だけでなく庶民的な料理にも精通しているのですね」
「そうですね。ラーメンもそうですしカレー、うどん、和洋菓子など手広く食べ歩いています。日本料理だけちょっと不案内ですね」
「それでもすごいと思いますよ」
超一流グランメゾンのサーヴィスに褒められ有頂天のタテルであった。

  

続いて魚料理から、鱗を逆立てカリカリにした甘鯛。菊やサフランのソースは独特な香りで、磯の雰囲気に上手く溶け込む。

  

合わせるワインはスペイン産。海に近い場所で作られていてスッキリとしている。軽やかな白ワインは淡白な白身魚によく合うものである。

  

「栃木にもよくいらっしゃるんですか?」
「年に2回くらいですかね。でもニュウが栃木の生まれなんです」
「本当に数年なんですけどね、栃木には思い入れがあります」
「そうなんですね」
「栃木生まれのニュウのために、足利と日光でドラマ撮りました。ラストシーンでは天ぷらのまつむらさん使わせてもらいました」
「まつむらさんは良い所ですよね」
「私高級天ぷら初めてだったんですけど、タテルさんに楽しみ方教えてもらって、すごく美味しくいただきました」
「人参が特に美味しかったですね。旨味が凝縮されていて」
「渡辺様、やはり手慣れていらっしゃいますね」
「北関東や埼玉はナメられがちですけど、実際は美味しいものいっぱいあるんだよ、ってアピールしたいんですよね。そのお手伝いをメンバーにもしてもらっていて、ニュウも栃木の良さを広めてくれているんです」
「嬉しいですね。今後ともどうぞよろしくお願いします」

  

肉料理は和牛。綺麗な焼き具合で脂の入りも程よく納得の味わい。胡椒を主体にしたソースで少しばかり刺激を加えているのも良い。奥にある無花果のピューレ・根セロリと栗のピューレは単体で食べても美味しいし、肉に塗って脂を丸め込むこともできる。
タルトの中にはレンズ豆と鰻が入っていて、不思議な空気感を醸し出していた。百戦錬磨のタテルも味の描写に詰まってしまう。

  

赤ワインはローヌから、2020 Chateauneuf du Pape。
「この銘柄は俺でも知ってる。何種類もの葡萄を組み合わせているのにすごく纏まっていて果実味が美しいんだ」
「ホントですね。これはワイン詳しくなくても美味しいとわかります」
「和牛の肉質にもピッタリのワインだね。ペアリングのクオリティも一流だ」

  

デザートの前にチーズを勧められたため、最大限この店を楽しみたい2人は注文することにした。

  

ペアリング外ではあるが、チーズに合わせてソーテルヌを用意してもらった。格付け1級のシャトー・クーテのもので、甘さが主張しすぎない上品な1杯である。

  

そしてチーズ。この日は4種盛り合わせであり、ピスタチオを挟み熟成した水牛のカマンベール、ジャージー牛の白カビチーズ、蝋でコーティングしたオランダの熟成チーズ、ロックフォール(山羊乳のブルーチーズ)。どれも上質なチーズである。
スプーンに載っている蜂蜜は、県内鹿沼にある黒田養蜂園で作られたケンポナシのハチミツ。クセのない甘美な梨の香りが強烈に印象に残り、タテルはすぐググってオンラインストアにアクセスした。
「TO-NAハウスに置いておこう。ボイトレの時に舐めると喉のケアをしつつリラックスもできそうだ」
「歌はどうしても苦手ですね。どうしても独特な口調になってしまって」
「ニュウは万人が認めるヴォーカリスト、パフォーマーではないのかもしれない。だが持ち前の多幸感でみんなを癒してくれる。それだけでニュウはTO-NAにいる必然性があると言える。ニュウの活躍する姿を見て、心安らぐ人はいっぱいいる」

  

目に涙を浮かべるニュウ。
「卒業を止めはしない。でもパフォーマンスが腰痛のせいでできなくなって、居場所が無くなったからTO-NAを抜ける、と思っているのだったらそれは間違いだと言わせてほしい」
「そう思っているところはありました。だから今、そう言ってもらえてすごく安心しました」
「ニュウはこれからもTO-NAの一員だ。ニュウがグループに齎してくれた多幸感、守って見せるから」

  

デザートはニュウのようにホワホワとしたメレンゲ主体の菓子「ウフアラネージュ」。卵は地元の「魔宝卵」を使用し、メレンゲの中にはその黄身で作ったカスタードが入っている。周りにはシャインマスカット、県北産青柚子を使ったピューレと水ゼリー、ココナッツの飴など要素が多めであるが、調和が取れていて心落ち着くデザートである。

  

「この後はどちらへ?」
「駅の方に戻って餃子を食べようと思います。香蘭とかどうかな、って思ってるんですけど」
「あそこは有名ですね」
「混んでそうですよね…」
「餃子事情に詳しい者がおりますので聞いてみますね」

  

食後の飲み物に合わせる小菓子も手が込んでいて、栗の味がしっかりする琥珀糖、優しい味わいの玄米茶マカロン、柔らかいほうじ茶のクッキー。ボンボンショコラにはみかんペースト、そして先程登場した黒田養蜂園のみかん蜂蜜が使われていて香りも味も抜群である。

  

「香蘭さんは夜であればそこまで混んでないですね。あともう1軒行くとしたら悟空の肉餃子もオススメです」
「せっかくだから2軒行ってみようか」
「行きましょう!」
「その後バーに行こうと思うんです。シャモニーっていうところなんですけど」
「シャモニーさんなら若旦那と知り合いですよ。一緒に食事行く仲です」
「そうなんですね!」
「何時ごろ行きますかね?連絡入れておきますので!」
「ありがたいです!19時くらいにしておきますかね」

  

世界の狭さを実感したところで会計とする。あれもこれもと食べたから1人5万円まで跳ね上がることも覚悟していたが、ペアリング12000円、チーズとソーテルヌが共に2300円、ミネラルウォーター800円、そこに税とチャージが10%ずつ加算され1人あたり4万円強に収まった。昨今の物価高で値上がりはしているが、世界水準のフレンチをたらふく堪能してこの値段は十分お得である。

  

土産のフィナンシェを頂いて店を後にする。
「憧れの店に来れて嬉しかったです。今度は夏頃お邪魔したいですね」
「私もオトワさんみたいに憧れられる人になります!今日はありがとうございました!」

  

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