連続百名店小説スピンオフ『巴里五輪噺』(渡辺料理店/門前仲町)

ある日の昼下がり、女性アイドルグループ「TO-NA」のアンバサダーを務めるタテルは、事務所にてメンバーのインスタをチェックしていた。投稿のチェックを一通り終え、次はストーリーズの内容を確認しようとした矢先、渡辺料理店のストーリーズが更新されていることに気づいた。

  

明日17:00から2名席空きがあります!お電話お待ちしております!

  

「59秒前に出てる!これは急がねば!」
予約困難として知られるビストロレストラン、渡辺料理店。毎月頭に2ヶ月先の予約が解禁されると、何百回電話をかけても繋がらない熾烈な予約合戦が発生する。キャンセルがしばしば発生するため、タテルはそこを狙いこまめにインスタを確認するようにしていた。一度日曜にキャンセルが出た際はやはり電話合戦に敗れ予約できなかったが、この日は平日であり、5回目の電話で見事枠を確保することに成功した。

  

夕方、メンバー全員が参加するミーティングにて。
「朗報だ。明日の夕方、予約困難フレンチの予約が取れた」
「えっ、すごい!」
「予約困難って聞くだけでワクワクしますね」
「まったく、能天気だなお前らは。行けるのは1人だけです」
「え〜⁈」
「仕方ないでしょ、2人枠しか取れなかったんだから。連れて行く人は公正にルーレットで決めます!」
「全然公正じゃないですよね?決めてますよね連れて行く人」
「お前らオリンピックに毒されすぎだ。まあいいや、出でよルーレット!」

  

「…完全に柔道団体のアレじゃないですか。やってますね」
「何がだよ。大学で学んだプログラミングの技術を使って作ったオリジナルルーレットだ」
「余計怪しいですって」
「ずべこべ言うならみんな連れて行かないからな。聖なるルーレットは静粛に回さねばならぬ」
屁理屈でメンバーを黙らせルーレットを回す。

  

止まったのはマリモであった。
「フレンチとmarryした20歳!マリモおめでとう!」
「ほらやっぱり決めてたじゃん」
「幼少期フランス育ちだから選んだんでしょ」
「どうせフレンチの味わからないだろ、ってナメてるでしょ私たちのこと!」
「スケベな顔しやがって、小遊三師匠かぶれが!」
「それは今関係無いだろ。とにかく相手はマリモです。スケジュール問題無い?」
「はい問題無いです。有難いですフレンチにお誘いいただけて」

  

フレンチの前にかき氷はいかがですか

  

門前仲町のカラオケボックスに1時間半入り浸り、良い時間になったので店に向かう。
「タテルさんの選曲、昭和から令和まで幅広いですよね」
「でしょでしょ?マリモちゃんも愛の讃歌を歌い上げていたの凄かったね。流石フランス育ち」
「シャンソン好きなんですよ。軽やかだけど情感篭っていて」
「オリンピック開会式のセリーヌ・ディオンみたいに、大舞台で歌ってほしいね」
「いやいや、烏滸がましいですって」
「わからんよ、やってみないと。あのスケボーの女の子だって、遊びでやってたことが金メダルクラスの技だったからね」

  

川と並行する細道にある名ビストロ。カウンター席に横並びで座り、まずはシャンパーニュを注文する。夏の林間学校で夕立に遭遇した画が思い浮かぶ、少しじとっとした味であった。

  

お手頃なコースもあるが、メイン料理が黒板に記載の無いものになり、食材のグレードが少し下がる。好きなものを選んでコースを組み立てるのがこの店の醍醐味だと考えるタテルは自分でメニューを選ぶことにした。
「俺憧れなんだよね、シャンパーニュ飲みながらメニュー吟味するの」
「確かにカッコいいですね」
「黒板のメニューを眺めながらああでもないこうでもないってしてたらいつの間にかグラス空いてた、ここまでできたらパリジャンだね」
「やってみよう。私『ドーバーチュルボ』というのが気になります」
「いいとこ目つけたね。デカくて肉厚な高級平目なんだ」
「それは美味しそうですね」
「後は前菜3品いけるかな?で肉料理と…」
「ドーバーなんですけど、かなり大きいんですよね…」女性店員が話しかける。
「そんなに大きいんですか?」
「はい。2人で分けてもかなりの量で、たぶん肉料理は入らなくなります」
「残念だけど他のにしようか」

  

その他メイン料理やフォアグラも、黒板にある料金のままでは1人だと食べきれないとのこと(1人客の場合は量を減らして調節してくれるし値段もその分安くなるが、ジビエなどの希少食材には適用不可)。悩んだ挙句、前菜からメヒカリ、魚料理からオマールのリゾットを1人1皿ずつ食べることにし、フォアグラのポワレと京鴨を2人でシェアすることにした。

  

「そういえばここ江東区はスケボー2大会連続金メダリスト・堀米雄斗選手の出身地だ。あの逆転劇は大したもんだよ」
「失敗続きの中、最後のトリックで大技を成功させた、あの精神力はすごいものです」
「それでいてメダルは全部カビンゴにかけるんだろ。親しみ沸くよね」
「可愛すぎますね。そう言えば東京五輪の頃から思っていましたけど、スケボーのカルチャーって独特ですよね」
「オリンピックは落ち着いてる方だけど、この前観たスケボー番組なんて出場者みんなめっちゃカマしてた」
「カマすってどういうことですかね」
「俺もわかんねえ。失敗してもみんな楽しそうだし、訳分かんねえけど何かいいな、とは思った」
「タテルさんもスケボーやりません?」
「やる訳ないだろ!俺が乗るとボードが折れる」

  

前菜1品目はメヒカリのフリットに柿と根菜のマリネ。かっちりと揚がった衣の中に、メヒカリの素材の良さをひたすら感じる。身も大ぶりで満足感がある。下には大根と人参が敷かれ、柿と合わせて膾のように戴く。西洋料理は要素の掛け合わせが乙であると日頃タテルは語っているが、この皿に関しては各素材をそのまま味わう日本料理的な趣がある。

  

地元ベーカリー「たむらパン」のバゲット

シャンパーニュが空いたため、ここからは料理に合わせてお勧めのワインを持ってきてもらうことにした。
「次フォアグラでしょ、たぶんデザートワインを提案されると思うな」
「もうデザートですか?」
「フォアグラは味が濃いから、甘口を合わせるのが定番なんだ」

  

果たしてタテルの読み通り、提案されたのはソーテルヌであった。高貴な甘さに酔いしれる2人。

  

そしてフォアグラのポワレが仕上がった。表面をガリっと焼き、季節の果物(無花果)と合わせる王道の一皿。昨今の鳥インフルの流行により出回っていなかったフォアグラを久しぶりに味わえる喜びを噛み締め、妙な脂っこさも無かったため2人は5口で食べきってしまった。フルサイズでも問題無かったようである。

  

「マリモが気になった競技は?」
「フェンシングですかね。男女共にメダル獲得した」
「いつの間に日本のフェンシングは強くなったんだ?」
「ヨーロッパのスポーツですからね。まあでも剣道と似たところありますよね」
「たしかに。日本人にもフェンシングのポテンシャルはあったわけだ。ただ市民権は得てないよな、やっぱり剣道の方が主流で」
「エペとかフルーレとか、よく解らないですよね」
「加納虹輝選手が金メダル獲ったのは?」
「たしかエペですかね。突きだけしかできない種目です。男子団体でも銀メダル獲りましたね」
「あれ、団体で金獲ったのは?」
「男子フルーレですね。どちらかと言うと防御が主です。女子団体はフルーレとサーブルでそれぞれ銅ですね」
「あれ、旗手を務めた江村選手がいるのはどっちだっけ?」
「サーブルです。斬ることもできます」
「めっちゃ詳しいじゃん」
「結構好きなんですよ。ヨーロッパ育ちなんでよく観てました」
「さすがだな。俺がわかるのはあと宮脇花綸選手くらいだ」
「フルーレですね」
「小1クイズで3000万獲った人だから印象に残ってる。賞金で遠征費賄ってメダリストになる、夢あるよね」
「コノさんも3000万獲得で話題になってオールナイトニホンのパーソナリティ就任でしたからね」
「俺も出たかったなぁ。レギュラー放送終わっちゃって残念」

  

次は肉料理の登場ということだったので、重めの赤ワインを持ってきてもらった。

  

宇治の鴨は胸肉を蜂蜜味のローストにしている。蜂蜜により入りが軽やかになり、香草バターと合わさるとオリエンタルな味わいになる。肉の味わい自体はそこまで重厚ではなく、少し不完全燃焼の気を感じた。。付け合わせのポルチーニ茸およびジロール茸も少し水分が多すぎた印象である。

  

「終わってみれば日本選手団は金メダル20個でしたけど、なんか少なく感じますよね」
「その気持ちめっちゃわかる。金メダルを期待された選手が悉く獲れなかったからな」
「球技が大苦戦でしたよね。バレーボールとかサッカーとか、行けそうな空気あったのに」
「男バレ初戦の逆転負けの時点で嫌な予感がした。球技全般において日本がトーナメントを勝ち上がっていく画が、俺の中では全く見えなくなっていた。あと前回金メダル獲った有力女性選手が悉く不振だったな。阿部詩選手、須﨑優衣選手に四十住さくら選手…」
「詩さんの負けは衝撃的でしたよね。あの号泣シーンは観るのつらいです」
「メディアが挙って取り上げすぎ。カメラを逸らしてそっとしてあげるべきだったと思うよ」
「リアルを映したい気持ちも解りますけどね、観る側は複雑な感情を抱きます」
「オリンピックって特別な舞台すぎるんだよね。オリンピックで金メダル獲った=その競技の世界一、というイメージがあるけど俺は違うと思ってる」
「なるほど」
「例えば柔道世界ランキング1位の選手のうち、金メダルを獲った選手は半分だけ。しかも東京五輪に至っては半分にも満たなかった」
「そうなんですね」
「何をもって世界一とするか定義するのは難しいけど、少なくともオリンピックの覇者=世界一、とはならないかな。世界選手権とかとは注目度も空気感も違うから、オリンピックは競技大会ではなくお祭りとして観る方が精神衛生上良いと思う」
「随分と思い切ったこと言いますね」
「まあ選手はそんなこと思うつもりは無いと思うし、自由にすれば良いと思う。オリンピックを目指さないという選択肢も重宝されるべきだ、と言いたいだけ。さっき話したスケボー番組も、生業とはするけど指定強化選手にはならずのびのびと技を磨く人が集まっていて、それはそれで立派なエンタメになるわけだから」

  

オマール海老のリゾットが仕上がった。胴体から爪までたっぷりの身が載っていて、入りは柔らかくも奥まで噛むと歯応えを感じる。米の部分も旨味が凝縮されており、〆に相応しいガッツリ飯である。

  

「肉2種類とかにして、もう一皿くらいいけたかもね。やっぱりドーバーいけば良かったかな?」
「今まさに調理されていますけど、本当に大きいですね…5人で分けて丁度良いくらいです」
「今度は4人枠狙って、ドーバーとか熊とか食べたいね」
「熊ってすごいですよね。味の想像が全くつかない…」

  

デザートは別腹のため2品注文した。まずはヌガーグラッセ。石神井にあるブロンディールの物を思い浮かべていたタテルは、グラスで提供されて肩透かしを食らった。ただ軽いアイスとたっぷりナッツの食感という王道の仕上がりで最終的には満足した。

  

もう一つは葡萄のデザート。これまたグラススイーツであり、何となく平たい皿のデザートを食べたかったタテルはまたも肩透かしを食らった。赤白のワインジュレが思ったよりアルコールが効いていて面白かったが、葡萄の味わいは中くらい。毎朝のようにマスカットを食べ、ここに来る前にクイーンルージュに出会ってしまったタテルには感じるものが無かったようである。
「でもライチのグラニテ美味しいですね。図らずもかき氷みたいなものを食べることになるとは」
「君が満足ならそれで十分だな」

  

会計は1人2万円強。好きに選んで食べてこの値段なのでお得感は高い。
「パリオリンピックはやけに審判の質が悪すぎた。こんなに審判を信用できない大会は初めてだったと思う」
「そうですね。素人目から見てもそう思います」
「そもそも実施したいと名乗りを上げる都市が減っているし、諍いも絶えないし、オリンピックも過渡期を迎えているんだろうな」
「でもパリ五輪のお陰でフランスへの関心が増しましたもんね」
「リネールが日本のフレンチ食べたらどう思うかな?本国とは違って海鮮とジビエが充実してるけど」
「別物に感じるかもですね。でも美味しいと思って下さるかも」
「ガストロMAPSに来てほしいね。これぞ国際交流だ」

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