エキストラ俳優・宮本建。演技力は誰にも負けないと自負するも、芽が出ず不貞腐れる日々を過ごす。
そんなある日の現場、建は同じエキストラ俳優の山田ハルカに出逢った。前向きで優しい姿勢で場を和ませる彼女を目の当たりにし、建は真っ直ぐ夢を追おうとする。
ハルカは膝を負傷していた。遅刻ギリギリだからと新宿駅の人込みの中で走ってしまい、歩きスマホの男にぶつかり転んでしまったと云う。歩ける状態ではあるが、撮影への参加は困難であった。
「歩きスマホ野郎、クソやん」加害者への怒りが先に来る建。「どくさいスイッチで消せればいいのに」
「建さん、そういうことは口に出さない」
「そうだな。ああダメだほっとけない、病院行ってくる俺」
「えっ⁈撮影始まりますよ」
「しょうがねえんだよ。監督すみません、ハルカの元に行ってきます!」
監督に何も言われることなく現場を走り去る建。電話口からちらっと名前の聞こえた病院に急行する。待合室にハルカはいた。
「建くん!撮影はいいの?」
「ああ。俺にとってはハルカの方が大事だ」
「ごめんね心配かけて。私、歩けはするけど激しい運動はしばらくできないって…」
「ざけんなよハルカ!」
「えっ…」
「人込みで走ってぶつかって転んだんだろ。バカじゃないの」
「それは本当にごめんなさい…」
「怪我して現場に迷惑かけるなんて、俺だったら絶対しない。プロ失格だ」
ハルカは泣き出してしまった。間も無くして建も泣き出す。
「エキストラ仲間から話聞いてる。バイト先の飲食店で1日に50枚も皿割ったとか、会社勤めしてた頃A4コピー紙1パック発注するところを10パック発注したとか、訪問客に出すお茶を入れる時間違えてメロンソーダ入れてたとかさ!天然すぎて心配なんだよ!お前はみんなを幸せにしてくれる。だからこそ、放っておく訳にはいかないんだよ!」
「建くん…」
「あなたのこと、守らせてほしい。俺初めてなんだよ、誰かのこと心から守ってあげたいと思えたの!」
「そんなに私のことを思ってくれてたんだ」
「どうだ?意思は尊重するから!」
「…お願いします」
「ありがとなハルカ。ゆっくり治して、一緒に夢追おう」
こうして2人は交際を始めた。建は明る日もその次の日も一人暮らしのハルカの元を訪れ、膝の怪我のせいでできない身の回りのことを手伝う。他人の話はスカすことで悪名高い建が、くだらない話をして顔を綻ばせる。相変わらず天然な言動を繰り返すハルカに呆れつつも、退屈な心を刺激してくれる存在として有難っている。
「建くん今日も来てくれた」
「変なことしてないか心配でさ。家で飛び跳ねたり」
「もう〜、子供じゃないんだから。建くんは忙しくないの?」
「バイトは忙しいししんどい。だからこそハルカの顔が見たくてさ」
「そうなんだ。エキストラの仕事はどう?」
「まあぼちぼち、ね」
自らを取り巻く苛烈な現実を、ハルカに言い出す勇気が無かった建。実はあの日突如現場を抜け出した後、監督は激怒して建の所属事務所にクレームを入れていた。これまでも指示を無視したり、監督に上から意見をしたりと現場での評判がよろしくなかった建は、とうとう事務所から契約解除を告げられる。事務所を介さず募集のかかる案件もあるにはあるが、エキストラの仕事はこれまで以上に激減することとなっていた。
ハルカの怪我が完治した頃、建は漸く次の案件にありつけた。同じく撮影に参加するハルカと共に、スタジオのある御茶ノ水にやってきた。新御茶ノ水駅直結の吹き抜けのある地下空間、カレーの名店「エチオピア」の支店があったため入ることにした。
「ここは大学時代にもよく来てた。そんなに高くないのに味は本格的だからさ」
「そうなんだ。あれ、ビーフって何肉だっけ?」
「牛肉でしょうが。えっ、じゃあチキンは何だと思ってる?」
「えーっと、うさぎ?」
「おいおいおい!どうしてそうなるんだよ。じゃあポークは?」
「さかな?」
「動物性ですらなくなったよ。すごいねハルカ、想像以上にぶっ飛んでる」
「褒めてくれて嬉しい」
「そんなつもりないんだけど…」
結局建は、同じ値段なら豚や鶏よりも贅沢なものをと、ビーフカレーを選択した。ハルカもそれに乗っかるが、カラさが0(これでも市販のカレーの中辛相当)または1〜70倍の中から選べるシステムで、あろうことか35倍を選択した。
「おいおい大丈夫かよ?罰ゲーム並のカラさだろ」
「私カラいの強いんで!」
「バカみたいにカラくしても大丈夫な類の人種か。美味しさファーストの俺には理解できないね」
「別にいいじゃん、世の中にはいろんな人がいるんだよ」
「まあそうだけどさ、くれぐれも胃腸ぶっ壊すことの無いようにな」
有難きおかわり自由のポテトを3個食べた建はいよいよカレーに向き合う。エチオピアの代名詞、スパイスが主体だが奥にはご飯に合うコクを孕んでいるシャバシャバのルー。生に近いピーマンも一種のスパイスである。脂身と赤身のメリハリがついた牛肉は程よい噛み応えであり、それが5欠片ほど入っているのは贅沢である。
建は市販の辛口に相当する3倍にしていたが、これくらいが丁度良いと思われる。
「ハァ、ハァ、ハアアアァーッ!」
「言ったでしょハルカ、やっぱカラすぎるって」
「でも大丈夫!だんだん慣れてくるから」
「全然慣れてなさそうだけど」
「まあまあまあ。この一口は大丈夫…じゃなあいやぁ〜!」
「やめろそのパントマイムみたいな動き。笑われてるぞ」
平日のランチタイムであったため、店員が冷蔵庫からマンゴープリンを取り出し置いていく。濃厚な味わいが、カラさにやられた口内を鎮める。
「あ、ちょっと飲み物買いたい。先行ってていいよ建くん」
「わかった」
すると先に入っていたエキストラ役者が建を囃し立てる。
「あ、事務所を追い出された宮本建だ」
「クビにされてやんの!やっぱあの態度じゃなぁ」
「懲りないねぇ、もう潮時だと思うけど」
「しー!デカい声出さないで!せめてヒソヒソと…」
「え?建くん、事務所辞めちゃったの?」遅れて入ってきたハルカが聞き取ってしまった。
「あの、それは、えーっと…」
「アハハ!辞めたなら辞めたって言ってよ〜!隠すことないって!」
軽いノリで笑い飛ばすハルカ。隠し事から解放された建は安堵の表情を浮かべた。
「ごめんな、言い出しにくくて」
「だいじょぶだいじょぶ!良かったら私の事務所来ない?」
「入れてくれるかな?」
「私の紹介だし、だいじょぶだよ。社長さん優しいから」
その後建は、監督に従順に、謙虚な姿勢でエキストラの演技を務め果たした。撮影が終わると2人はハルカの事務所に向かい、社長は二つ返事で建の事務所所属を承認した。
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