連続百名店小説『WM』第4部(炎神/水戸)

茨城大学の卒業生・渡辺美加(29)と渡邉美佐(26)は、茨城大学の近くで今時な紅茶カフェ「ごじゃっぺ」を営んでいる。そこに客としてやってきたのは、現役茨大生の渡辺実奈(18)。同じワタナベ、同じイニシャル、同じ茨大生である3人は出逢ってすぐ打ち解けた。美加と美佐は共に恋人を亡くした悲恋がトラウマとなり、恋することを拒んでいる。一方の実奈は茨大の同級生・渡部猛太と交際しており、美加と美佐は実奈の恋を全力でサポートすることを心に決めた。
*年齢は第1話時点。

  

実奈がごじゃっぺに通い始めてから半年、恋こそ発展してはいたが、猛太は相変わらずごじゃっぺに来たことがない。実奈が何度誘っても、何かしら理由をつけて来店を拒否する。実奈は1人でごじゃっぺに来て、本人の前では言える訳ない猛太への不満を吐露する。
「猛太くんったら、毎日エナドリとコーヒーばっか飲んで。それでいて授業中寝てるし」
「カフェイン摂りすぎて耐性がついちゃったのかな」
「それ典型的な男子大学生あるある。どうにもならないね」
「そうですか…たまにはここに連れてきたいんですけどね」
「うちコーヒーは一切ないからね。紅茶の美味しさを知ってもらいたいけど」

  

「美加さん!リクエストなんですけど、こんな商品どうでしょう?」
「なるほど…これなら猛太くんも試してくれそう」
「でも難しそう。下手にやると酷評されそう」
「そうだ実奈ちゃん、一緒にメニュー開発手伝わない?」
「いいんですか?」
「ごじゃっぺ3人目のスタッフとして、この店盛り上げて!」
「給料はちょっと少ないかもだけど、その代わり猛太くんとの恋が実るよう惜しみなく協力するから」
「ありがとうございます!精一杯働かさせていただきます」

  

「猛太くん、明日から私ごじゃっぺでバイトすることになったから」
「ホントかよ?」
「私がバイトする店と言われたら、来ないわけにはいかないでしょ?」
「行かない。カノジョが働く店に行くの、却って恥ずかしい」
「そんな水臭いこと言わないでよ」
「それだけは勘弁だ。付き合って1周年の記念日、俺が食事奢るから、頼む!」
「しょうがないね…」

  

そんな記念日に予約した店は、水戸駅の近くにある四川料理店「炎神」である。記念日は土曜日で、人気の店と聞いたため余裕を持って3週間前に予約を入れた。
「美加さん美佐さん、付き合って1周年の記念日、炎神を予約しました」
「人気店じゃん。お昼時は大行列だよ」
「夜はあまり行かないけど、料理の質は間違いなく高い。良い店選んだね」
「じゃあ私たちも早く予約しないと、すぐ埋まっちゃうから」
「ありがとうございます」
「私たちは別の席から実奈ちゃんの様子見守るね」
「猛太くんがどんな人なのか、実奈ちゃんとどういうノリで付き合っているのか、みっちり観察させて」
「ごめんなさいストーカー紛いのことさせてしまって」
「これも全てあなたの恋を実らせるためよ。気にしないで」
「緊張とかしないで、いつも通りね」

  

記念日当日、いつも通り水戸駅近くの映画館、サザコーヒーのコースを辿った後、ホテルテラスザガーデンのロビーで時間まで休憩していた。
「結婚したらあんな素敵なウェディングドレスが着れるんだね」
「実奈はショートヘアで大人っぽいから絶対似合うさ。楽しみだな」
「ありがとう。結婚式は何の曲流そうか?」
「おいおい気が早いって。まあやっぱ髭男かな」
「やっぱそうだよね。115万キロのフィルムとか」
「ちょっとベタかな。同じ髭男なら敢えてイエスタデイとか」
「いいねいいね!世界から後ろ指さされても私たちは遥か先へ進む、ってね」
「間違いなくエモい。泣いちゃうな俺。実奈も泣くだろ?」
「私はクールだから人前では泣かない」
「今の言葉忘れないからね。こういうこと言う人ほど泣くんだから」
「泣かないって!ってか猛太くんの方こそ泣かないでよ。頼り無いから」
「まあいいじゃないか。泣きたい時は泣けばいいだろ」
「そうね…」

  

予約の時間になったので、ホテル前の大通りを横断し駐車場を抜けて店に向かう。営業開始直後だったため人が一気に押し寄せていたが、気持ち遅めに訪れたためスムーズに入店できた。予約の無い客には先の読めないウェイティングが生じており、やはり夜は予約が必須だと覚った。

  

実奈と猛太の座ったテーブルの隣に、美加と美佐はいた。実奈は2人の存在を確認するとすぐ平静を装い、猛太とメニューを吟味する。コースを頼もうと思っていたがそういったメニューが無く(おそらく予約時に注文しなければならない)、アラカルトから何品か選ぶことにした。

  

「ピータンのサラダと梅山豚レバーの低温調理…」
「ピータンもレバーも、私の苦手なものばっかじゃん」
「冗談だよ。せっかくだから茨城の食材祭りにしよう」
常陸太田のチーズ、県内の農家から届く野菜、(メニュー数は絞られるが)常陸牛や奥久慈軍鶏など、茨城食材に満ち溢れたメニューが並ぶ。その中でも特に目を引くのが、東京では高級食材として扱われる幻の豚・梅山豚(メイシャントン)。看板食材として多数のメニューに使用されている中、点心から焼きまんじゅう、そして前菜のつもりで雲白肉(=肩ロース厚切りしゃぶしゃぶと旬の温野菜のサラダ仕立てピリ辛四川にんにくソース)を注文した。

  

美加と美佐はコースを頼んでいたようだが、コースの内容を窺い知ることはできない。食べログの口コミを見てもコースを事細かにレポートする者は皆無であり、アラカルトで注文するのがこの店の主流みたいである。
「ゴチやってるみたいで楽しいね」無邪気な実奈。
「あんま調子乗るなよ。1万円は超えないようにしないと」
「全然大丈夫だよ。1品1品そんな高くないし」
「料理のヴォリュームも結構ありそうだし、これくらいでいいかもね」

  

変わったものが好きな猛太はホワイトドラゴンハイボールを飲み物に選んだ。白酒を炭酸で割ったもので、独特の香りがクセになる。そしてお通しの肉団子は、生姜が効いた餡にこの後の料理への期待を見出す。肉団子において消されがちな肉のアイデンティティもそこそこ感じられる。

  

続いてやってきたのは、雲白肉ではなく梅山豚の焼きまんじゅう。豚肉そのものの味は判別しにくいが、脂身がコクを生み、甜麺醤を効かせた味付けも一流。

  

店内は満席で料理の提供に時間がかかっている。店員を呼び止めても少し待たされることが多いが、お喋りなどしていればそこまで気になる程ではない。
「実奈、この夏はどこ行こうか」
「ちょっと遠いところ行きたいね。ハワイアンズとか」
「ハワイアンズいいね。海行きたいな」
「水着どこで買おう?アベイルくらいしかないかな」
「Tシャツでもいいんじゃね?俺別に水着見てデレデレしたい訳じゃないし」
「何それ。まあ肌がベタつくの嫌だしTシャツでいいか」

  

実奈の様子を見守る美加と美佐は、今まさに育まれている恋の模様を見て、老婆のような目線で懐かしんでいた。
「私たちもあんな感じで恋してたんだな、って思い出す」
「あの時は全く考えもしませんでしたよね、相手がこの世からいなくなること」
「夢中だったからね、気にもしなかった。本当に突然だったもん…」

  

涙目になる美加と美佐を尻目に、実奈と猛太に次の料理が運ばれた。来たのは雲白肉ではなく水戸麻婆豆腐。奥久慈の豆腐、水戸の象徴的食材である納豆・梅干しを投入。ベースとなる四川麻婆自体がまず由緒正しい美味しさである。
納豆は天狗納豆という会社の作る「ほし納豆」で、ご飯が欲しくなる納豆の味わいを感じつつも、中華における豆豉のような役割を果たしているから麻婆豆腐との親和性が高い。
吉田屋の梅干しも、酸味が麻婆豆腐に適応している。気をつけなければならないこととして、冷めてしまうと四川要素が弱体化して納豆と梅干しが悪目立ちするため、さっさと完食する必要がある。

ライス単品は普通盛りで250円

  

「そろそろ〆を頼んでおいた方が良いかな。俺汁なし担々麺食べたい」
「私は汁ありがいい」
「汁なしは譲れないな。そもそも実奈、油そば好きなんだから汁なし派だろ」
「決めつけないでよ。汁なしは激辛だから嫌だ。汁ありは茨城の胡麻使用で絶対美味しいって」
「でも本格四川なら黙って汁なしだろ」
「だいたい猛太くん食へのこだわり強すぎ!」
「実奈だって好き嫌い多すぎだろ!合わせるの大変なんだよ」
「そう言うなら紅茶カフェ来てよ!」
「絶対行かない!」

  

すると突如、見かねた美佐が仲介に入る。あくまでも偶然居合わせた体で実奈に話しかける。
「あれ実奈ちゃん、奇遇だねこんなところで会うなんて」
「すみません、喧嘩なんかしちゃって心配おかけして」
「実奈、もしかしてこの人が?」
「はじめまして、カフェごじゃっぺの渡邉美佐です」
「ごめんなさい…聞こえてましたさっきの喧嘩」
「聞こえてました。でも怒ってませんよ。実奈ちゃんから色々話は聞いてますから」
「実奈、あまりベラベラ喋るなって」
「怒らないであげてください。私が実奈ちゃんにお願いしたんです、恋を実らせてほしいって」
どういうことか分からず戸惑う猛太。
「あ、次の料理来たみたい。実奈ちゃん、ここの担々麺は汁なしの方が名物なの。言うほど辛くはないから安心して」

  

漸く登場した梅山豚の雲白肉。よくよく見たら前菜ではなく十分メインを張れる代物である。梅山豚は驚くほど清澄な肉質で、低温調理によりしっとり仕上がっている。四川風の病みつきになる味を纏っているからご飯が止まらない。もちろん脇を固めるブロッコリー・茄子・舞茸も、ソースと合わさり堪らない味となっている。果たしてこれが梅山豚の実力なのか、それとも調理技術が高いだけのか、は判然としないが、美味しければそれでいいのが2人の考え方である。

  

「ごめんねさっきは、わがまま言って」
「こちらこそ悪かった。それにしても美佐さん、なぜいきなりあんなことを…」
「私からちゃんと話すね」

  

美佐と美加が抱える悲恋のトラウマについて解説した実奈。
「それは辛いな」
「でしょ。話すだけで涙が出ちゃう…」
「だから俺たちに思いを託した訳か。良くなかったな、ごじゃっぺなんか行かないとか強がっちゃって」
「来てくれる?」
「行くよ。こんなに俺たちのこと思ってくれるなら、行かないと失礼さ」

  

汁なし担々麺は美佐の言う通り、四川料理に慣れた人であれば激辛という程では無い。日本人向けにしたせいか味は濃いめであり、食事の〆としてはかなり重く感じることだろう。

  

鉾田あまえるトマトジュースを使ったレッドアイで口直ししながらデザートを待つ2人。
「はぁ、お腹いっぱいだあ…」
「デザート食べないと死ぬね」
「この店は1回じゃ不完全燃焼だな。もっと大人数で5,6回くらい来店してメニューを1周したい」
「梅山豚の酢豚や麻婆豆腐、奥久慈軍鶏の炙り焼き、あとシンプルな料理も捨てがたい」
「俺次来たら梅山豚のラードご飯食べよう」
「ラードご飯⁈デブ飯じゃん」
「香港では人気らしいよ。恵比寿のホテル以外で初めて見た」
「へぇ〜、じゃあ今度それ頼もう」

  

デザートに頼んだ杏仁パフェはのっぽの出立ち。高級ソフトクリーム「クレミア」を受け止めるラングドシャを取ると、茨城名物アンデスメロン、硬さの中に仄かな桃らしさを感じられる川中島白桃、といった季節の果物、中腹にはソフトクリームと杏仁豆腐、底にはもう一度川中島白桃と茨城の茶を纏ったクッキーが入っている。都心の洗練されたパフェと比べると芋臭さが感じられるが、満足感は十二分にある。

  

会計は1万円を少しはみ出したが、これだけ食べてこの値段なら満足であろう。
「美加さん美佐さん、今日はありがとうございました」
「良かったよ無事仲直りしてくれて」
「すみませんご心配おかけして。俺今度ごじゃっぺ行きます!」
「来てくれるの?ありがとう!」

  

1週間後、宣言通り猛太はごじゃっぺに初来店した。
「実奈ちゃん、ずっと研究してたんだよ。コーヒー派の猛太くんでも飲める紅茶。実奈ちゃん、持って来て〜」
「お待たせしました、紅茶エスプレッソです」
「濃く煮出した紅茶よ」
「味が尖らないようにするの、大変だったんだからね」

  

「…美味しい。これなら俺も満足だ」
「良かった!猛太くんのために頑張って良かった!」

  

気に入った猛太はその後ごじゃっぺの常連となり、客足の鈍る夏休み期間も入り浸っていた。
「実奈ちゃん猛太くん、今度4人でお出かけしましょう」
「はい!俺、海行きたいです!」
「待って猛太くん、海は…」

  

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