連続百名店小説スピンオフ『猫が虎になる時』(メイ/五反田)

世界的人気のフィールドアスレチック番組「SASIKO」で最終砦進出目前まで進む快進撃を果たした、人気女性アイドルグループ「TO-NA(旧:綱の手引き坂46)」のメンバー・メイ。その先にある魔城陥落を目指すため、TO-NAからの卒業を決意していた。

  

「みんな、今日はメイから発表がある。メイ、前に来なさい」
「はい。私メイは1月いっぱいでTO-NAを卒業します」
寂しがるメンバー達。それでも、SASIKO完全攻略のために卒業するという旨を伝えると納得してくれた。
「本当はもっとTO-NAで輝くメイを見たかったけど、新しい夢のためなら応援しなくちゃだね」
「背中で語るメイさんの姿、カッコいいです。ずっと応援してます!」

  

タテルはメイの門出を祝うレストランの予約を入れていた。店の名前は「メイ」。五反田にある、ジビエ料理が名物のフレンチである。
「ジビエって何ですか?」
「牛豚鶏以外の肉…と思ってたけど違うような気がする。ちゃんと調べてみよう」

  

ジビエとは狩猟により得る肉のことである。牧場や養豚場などにおいて人の手で育てる畜産と対になる。そして今回コースにラインナップされていたのは、カルガモの肉であった。
「カルガモって、横断歩道渡ってる鳥さんですよね」
「まあそうだな」
「それ食べちゃうんですか⁈可哀想に…」
「メイ、お前は猫なんだろ。猫は鳥を食らうものじゃないのか」
「そうなんですか?」
「俺の飼い猫の次郎丸はよく鳩を捕まえてきた。困ったもんだよ」
「それは大変ですね」
「メイはこれから野生児になる。そのためにはジビエから力をもらって漲らせなければな」

  

五反田駅から御殿山方面へ東に行く道を歩き、スギ薬局の角を右に曲がると店がある。こじんまりとしていて外界との物理的な距離は無いが、インテリアは立派なレストランそのもので安らぐ空間となっている。

  

「メイ、飲み物はどうしようか?俺はがっつりワインペアリングしてもらうけど」
「せっかくのお食事だから、メイもペアリングにします」
「よっしゃ」
年明けからはワインエキスパートの資格取得を目指すタテルは、メニューの後ろにあるワインリストを暫し眺める。ボルドーメドックの2級ワインはボトルで6万円台、1級マルゴーは15万だ、ローヌにはシャトーヌフドゥパフが数種類名を連ねている、など比較的目につきやすいところだけ見てメニューブックを閉じる。

  

まずはブラン・ド・ブランで作られたシャンパーニュ「グートルブ・ブイヨ」。シェリー酒のようにリザーヴワインを継ぎ足して作っているからか、入りが重厚。じっくり味わっているとブランデーのニュアンスを覚える。

  

一口前菜が2種類。セミドライトマトのサブレで挟んでいるのはクリームチーズとマッシュした里芋。トマトの味わいが時間差で強くなる。ペーストの方はチーズの味が強く、里芋はまったり感を演出する捨て石のような働きをする。
もう一つは鹿肉の煮込みとマッシュルーム。鹿肉の独特な味わいをマッシュルームが引き立てる。苦手な人は苦手かもしれないが、野生児になりたいメイは美味しく頂戴した。

  

「こんなこと言うのもなんだけどさ、俺、最初綱の手引き坂を好きになった時、京子の次にメイのことが好きだった」
「そうやったん?タテルさんが綱の手引き坂に関わるようになった時、メイにはあまり構ってくれへんな、と思っとった」
「スズカとかカゲとか、外番組に出るメンバーが気になっちゃったからね。メイはあまりにも物静かだったから、ちょっと話しかけづらくてさ」
「せやったか…」

  

シンプルな牛蒡のポタージュで胃を温める。後味に牛蒡の円みがある。

  

「でも俺は好きになった時から信じてたで、メイがSASIKOで活躍することを。今に至るまでずっと願っていた」
「それはめっちゃ嬉しいです」
「足が速くてバク転ができて逆立ち歩きができる女の子、好きになっちゃうよな」
「運動できる女の子が好きなんですか?」
「せやで。綱の手引き坂の前に好きになったアカリさんもそうやし。京子は例外だけどな」
「京子はホンマ足遅い。リレーの時も1人だけ画面から消えてた」
「京子がアンカーの時点で諦めてたよ。でも歩くのは速いからね」
「タテルさんが歩くの速いから」
「そうなんよ。俺も京子も歩くのが速くて走るのは遅い。だから通じ合えたんだろうね」

  

2杯目のワインは、コート・デュ・ローヌの北の方、ヴィオニエ100%の白ワイン。金木犀をはじめとした花の香りがあり、飲んでみると甘さの無いがソーテルヌのような余韻を感じる。

  

せいこ蟹・ずわい蟹の身をほぐし、エシャロットで和えたものをカリフラワーのムースに載せて。蟹の味わいを率直に表現し、魚介の風味をエシャロットが立てる。カリフラワーのコクがそれを受け止める。西洋わさび?が華やかなアクセントとなる。

  

「タテルさん江戸っ子ですよね。ところどころ関西弁になってますけど」
「ホンマや。メイの関西弁がうつっとる」
「神奈川出身のアヤもそうやったからな。アカン私タメ口になってる!タテルさんの方が1つ歳上なのに」
「ええやんタメ口で。アヤも俺の一つ下だけどのっけからタメ口やったで」
「ホンマですか?じゃあメイもタメ口で」
「俺もエセ関西弁全開で行くで」

  

3杯目はブルゴーニュのヴォルネイ。ピノ・ノワールを使用。華やかな果実味の中に渋みのアクセントがある。

  

フォアグラのパイ包み。中にはブロッコリーと里芋のシチューが入っている。先にシチューだけ食べてから、味の濃いフォアグラを落として混ぜる。フォアグラの油分がシチューに溶けただけで悦に入る。シチュー自体も密度が高く、フォアグラをどっしり受け止める。こうなるとどうしても根菜達が捨て石になってしまうが、料理としては素直に美味しいものである。
「なんか私たち、パイ包みスープ食べるの下手やな」
「パイの剥がし方がわからへん。手で触ったら熱いし油まみれになるし」
「スプーンだと上手く力入らんよな」
「ポールボキューズでトリュフスープ食べたいけど、これやとカッコ悪い。練習しとこう」

  

次は濃い味の魚介と相性の良いシャルドネ。ブルゴーニュのシャントレーヴ。日本人女性が生産していることでも有名で、シャルドネのコクがありつつもフローラルなキレがある。

  

濃い味の魚介とは白子。ムニエルにし、どんこ椎茸、香芯大根とハーブのマリネ、ポテトフライ、いんかのめざめのソースと合わせる。白子は焼きがしっかり入っていて、濃厚さよりかは香ばしさを覚える。ワインは白子の潜在的な臭みを立ててしまうため、どんこの旨味でワインを嗜む。

  

「しっかしメイも最初の頃は無口でヘラヘラで泣き虫で、社会に出ていたら心配になるキャラだったよな」
「なんかすぐ人見知りしちゃうんですよね」
「それはそれで面白い個性なんだけどね。普段は大人しいのに体力自慢、このギャップに惹かれるんだよな。ちなみに部活は何やってた?」
「茶道です」
「めっちゃ文化系じゃん。なんで?」
「USJで遊びたかったから」
「気持ちわかる。マイペースでもあるんだね」
「でも茶道はちゃんとやってましたよ。抹茶点てるの得意やで」
「それは気になる。今度やってほしいな」

  

ラングドッグのロゼワインが登場。すっきりとした柑橘系の味わい。なおここまで水は提供されておらず(直後にタップウォーターが提供された)、口に残っていた椎茸の旨味を引き立てた。

  

魚料理はヒラスズキのカダイフ揚げ。淡白ながら、身が程よくほぐれているから旨味を確と感じられる。春菊のソースでコクをプラスする。美味しくてもう少し量を欲しく思ったが、この後のジビエが量多めなのでこれくらいが丁度良いのかもしれない。

  

「いよいよジビエだね」
「なんか緊張する〜」
「秋冬フレンチの醍醐味だからね。最後にひとつ大人の一流を知って、TO-NAを飛び立ってほしい」

  

合わせるワインはローヌを代表する銘醸地、シャトーヌフ・デュ・パプ。多種多様の葡萄をブレンドしておりフルーティさが段違いである。
「なんか見たことあんなこれ。…ニュウと行ったオトワレストランで出てきたやつだ」
「かぶることあるんやね」
「しかもあの時は和牛だぞ。今回はコテコテのジビエ。幅広いなぁ」

  

そして茨城県産カルガモがやってきた。ジビエでは定番の、胆や血を煮詰めたサルミソースがたっぷりかかっている。
「くさい〜!」
「これがジビエなんだよな。まあ俺も初めてなんやけど」
「そうなん?」
「こんなにクサクサなものだとは思わんかった。でも食ったら美味いで」

  

その期待通り、口に運べば臭みなんてなんのその、肉質の良さと命の力強さを心ゆくまで堪能できる。奥にある腿肉は硬めだが、ナイフで切れ目を入れて食べれば咀嚼は難くない。
「ん〜、パワーが漲ってきた〜!」
「ええやんメイ!猫が虎に進化しそうだ!」
「それは無いです」
「おーい!俺も無いと思ったよ!」
「テキトーなこと言わんといてください」
「でも俺が肩入れできていない間に逞しくなったよなメイ。後輩にご飯奢って話も回して、男前って呼ばれるようになって」
「男前なのかな?でも前より喋れるようにはなった」
「仲間内では大声だもんね。びっくりしたもん、キャプテンより先に『明日は7時に空港集合!』って叫んだの」
「恥ずかしいよ〜」
「声デカいことは良いことだ」

  

メインは2種類の調理法で提供するのがこの店のスタイル。カルガモのレバー、下仁田ネギなどを蕎麦粉のガレットで巻き鴨南蛮のイメージ。カルガモの臭みをネギが抑える。全体としてはちょっとフワッとしていた感じも否めない。

  

ペアリングは6杯で終わりだったが、ソムリエに提案されたためもう1杯持ってきてもらった。先程の赤とは一転、樽のどっしりと効いた420日熟成ワイン。フルーティなものも合うが、ジビエにはこういう渋めのワインを合わす方がしっくり来る。

  

「メイ、卒業後は芸能界に残るのか?」
「芸能活動、という感じになるのかな?お仕事があれば受けたいけど」
「芸能界に残るかスポーツ選手になるか、はたまた経営者になるか。いずれにせよSASIKOは本業とはなり得ないから、肩書きは持っておいた方がいいと思う」
「そうですね…」

  

デザートはホワイトチョコムースやオレンジのジュレを重ねたグラスデセール。ムースがしっかりしていている分、柑橘の酸味苦味とかがもっと効いているともっと楽しめると思う。

  

「私、ひとまず地元に帰ろうかと思います」
「そっか…寂しくなるな」
「関西なら『ナニワ・ターミネーターSASIKOのトラ』に入れそうなので」
「もしかして、山田GATSBYさんの弟子になるのか?」
「考えてる」
「女性初の弟子か。それは面白そうだな。でも過酷な予選会を男達と競わなきゃならない」
「来年のSASIKOに出られなくなるかもしれないことは覚悟しています。でも私には根性が足りていない。根性があれば最後あのマットに上がれたと思っています」
「そうでしょうね…」
「山田さんには入隊の話をしました。ちょっと考えさせてほしい、とは言われましたが」
「いずれにしても俺の手からは離れることになるのか」
「そうですね。でもたまにはアドヴァイスください」
「勿論だ」

  

食後の飲み物はカモミールティーを選択。シトラスやローズヒップも配合されていて、新しい道を踏み出そうとするメイのように力強い。

  

キャラメルクリームを挟んだラングドシャ。ラングドシャの存在感が強い。クリームではなくガナッシュにした方がバランスが取れると思う。

  

「俺のところにも辰巳さんから話が来ている。TO-NAから新たに2人送り込んでいいよ、だって」
「え、めっちゃいい機会じゃん!」
「パルとリオを送り込もうと思ってる。メイが活躍してくれたお陰だ」
「嬉しい…」
「また英才教育やって、メイのライヴァルに育て上げてみせる。だからメイも出場権勝ち取れよ」
「はい!」

  

6杯ペアリング12000円に追加の1杯で1000円、税サ加えて会計は1人あたり30000円ちょっととなった。
「メイと出逢えてホンマ良かった。俺の夢を現実にしてくれてありがとう」
「こちらこそですよ。こんなにSASIKOに向き合わせてくれて感謝です。最後に1つプレゼントさせてください」
「猫の箸置き…可愛い!」
「私も使ってる箸置きです。オソロですね」
「離れていても心はひとつ、だな。虎になったメイ、これからも俺たちを楽しませてくれ!」

  

来る2025年、メイは卒業セレモニーで盛大に門出を祝われTO-NAハウスを去った。地元関西に戻り、SASIKOの虎に入団。魔城陥落のための最後のピース「根性」を鍛える日々を送っている。
そしてもう一つ、メイはスポーツクライミングの日本代表を目指すことにした。SASIKO魔城陥落を目指すライヴァルである小島あやめと同じ道を志す。物怖じしていたあの頃の猫は今や虎となり、世界に名を轟かす日は直ぐそこまで来ている。

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