連続百名店小説スピンオフ『多幸感の湧き立つところ』最終話(シャモニー/東武宇都宮)

人気女性アイドルグループ・TO-NAからニュウが卒業を発表した。多幸感を売りにするTO-NAの中でも特にピュアな性格でファンを癒してきたニュウ。TO-NA特別アンバサダーのタテルは、ニュウの生まれた宇都宮の街を旅しながら、多幸感の源を探す。

  

「会いたいです、定期的に!」
「良かった。会わない、って言われたら寂しいもん」
「家族以上に多くの時間を共有してきた仲間ですからね、会わないなんて考えないですよ。この前京子さんと一緒にかき氷食べに行きました」
「あんだけ忙しくしててもメンバーと会ってるからな京子は。グループを抜けたとしても、TO-NAの絆は永遠だ」

  

大通りを横断し、東武宇都宮駅へ続く商店街「オリオン通り」に入った2人。土曜でなく日曜の夜であるためか、人通りは疎らである。しばらく歩いていると目当てのバー「シャモニー」が現れた。

  

「ニュウ、ひとつ注意点がある。このバーは中に入ったら一切の撮影が禁止だ。今から作る思い出は目にしっかり焼き付けて、心の中のアルバムにしまっておくんだ」
「かしこまりです!」

  

入店すると先客はいなかった。オトワからの客であることを伝え席につく。
手渡されたメニューには、「チャンピオンカクテル」なるものが7,8種類ほどラインナップされている。青い酒を飲みたいタテルは先ず「クールマリン」を注文した。

  

突き出しに殻付きの落花生が登場する。それ以外にもしょっぱいものから甘いものまで、様々なつまみが黒板メニューに載っている。
「おつまみどうしようか?俺お腹いっぱいだからいらないかな」
「私もお腹いっぱいですね。欲しくなったら頼みましょう」

  

クールマリンはジンをベースに、ピーチ、ブルー、ミントのリキュールにレモンジュースを合わせる。最後に緑色のドレンチェリーを沈めて。目にも鮮やかな、心地よい甘みである。思わず黙り込んで味わってしまう。

  

「いやモヤさまか!」ようやく発声するタテル。
「美味しくてつい喋ること忘れてしまいました…」
「せっかくだからマスターと会話しようか。オトワのスタッフさんから聞きましたけど、あの方と一緒にお食事されるんですか?」
「そうです!彼とは18の頃からの仲でしてね」
先程まで黙々とグラスを磨いていたマスターが、U字工事のような明るい喋り方で応答する。
「オトワさん昔はこの辺にありましたからね、その時は毎日のように一緒に食べてました」
「あ、オトワさん昔は駅近だったんですね」
「そうなんです。今は遠いから少なくなりましたが、オトワさんからここに来る方多かったですね」
「フランス料理食べてバーに来るってお洒落ですね」
「だろ、ニュウ。今度1人でもやってみるといい」
「1人は恥ずかしいですよ。またタテルさんとお供させてください」
「構わんよ」

  

引き続きチャンピオンカクテルから、ポルトハーモニー。赤と白のポートワインを使った2層構造のカクテルである。まずは下層の白い部分だけ飲むと、バニラの香りがお洒落さを演出する。続いて上層の赤と混ぜると芳醇さが加わる。

  

「今夜は泊まりですか?」
「いや、東京に帰ります」
「そうですよね。宇都宮も交通の弁が良くなって、泊まる人も少なくなりました。お陰で夜は寂しいですね」
「確かに日帰りで行けちゃいますもんね。東京から盛岡くらいまでなら日帰りにしちゃいます」
「そうなりますよね。バーテンダーとしては、高速バスなんか有り難いですね」
「高速バスですか?」
「大会があると自分でお酒とかグラスを持っていかなきゃならないので荷物が重くて。新幹線だと置き場困るでしょう」
「持ち上げて上に置くの大変ですもんね」
「最近は荷物置き場もあるけど追加料金かかりますし」
「北関東から東京くらいだったらバスは便利ですよ。遠くだと飛行機なんで、事前に荷物送ってもらったりします」
「大変ですね…あ、そろそろ次のカクテルを」
「タテルさん、私フルーツが気になります」
「ニュウはフルーツ大好きだもんな。多くのバーでは季節の果物を使ったカクテルを出している。ここは1杯注文してみようか。俺は柿にする」
「私は洋梨にしてみようかな」

  

タテルには柿とコアントローのカクテルが供された。柿のとろっとした口当たりにオレンジの爽やかな香りがぶつかる傑作である。

  

この辺りで次の客が入ってきた。タテルとニュウは2人きりでの会話を楽しむことにする。
「さっき卒コンでゲーム大会やることになったじゃないですか。でもちょっと不安になってきました」
「どした?」
「歌とダンスを生業にしているグループが、ライヴでゲーム大会をメインに据えるのは異例じゃないですか。批判されそうな気がして…」
「そう?別に何とも思わないけど」
「えっ?」
「いいじゃんゲーム大会やっても。法律で禁止されている訳じゃあるまいし。みんなと同じことだけしていてもつまらないでしょ。ニュウを象徴するプログラムだ、堂々とやろうぜ」
「タテルさん…」
「ただ中途半端だけは良くないぞ。全力で練習して全力で戦いなさい」

  

続いてウイスキーを所望する2人。バーに慣れているタテルではあるが、ウイスキーの知識は皆無に近いためバーテンダーに見繕ってもらう。
「スコッチとかバーボンとか…」
「スコッチでお願いします」
「クセありかクセなしか…」
「ニュウはどっちが好み?」
「初めてなんで、クセなしが良いですかね」
「俺いっつもクセありにしちゃうから丁度良かった、クセなしにしよう」

  

出てきたのはABERLOURの16年であった。バランスの良い王道の香り味わいに惚れる2人。
「ニュウはウイスキーもいける口か。立派だ」
「お酒は基本何でも飲めますね。焼酎とか紹興酒も飲めます」
「こんなに初心なのに大人の嗜みも分かっている、なんて魅力的な人なんだ…」
「ありがたいです…」
「卒業後はゲーマーの道を極める?」
「極めたいです!」
「悠々自適にやってほしいな。語弊を恐れずに言えば、田舎っぽいところがすごく親近感持てるわけだし」
「そうですね。車の免許も取りましたし」
「いつの間に⁈」
「もう大変でしたよ〜、学科試験のひっかけ問題に対応するの」
「あれは理不尽よね。まあとにかく自分をしっかり持っているところが素敵。ガツガツせず、自分の思うがままにいれば大輪の花がにぱぁっと咲くさ」

  

最後のカクテルに選んだのは、ブランデーベースのチャンピオンカクテル・アモーレローザ。ピーチ、ベルモットロゼ、パインジュースなどを混ぜ、最後に薔薇の花を添える。赤葡萄の赤紫色した芳醇な味わいをグッと閉じ込めた軽やかな作品である。

  

「タテルさん、私からプレゼントがあります!」
「おっ、楽しみだね。そのサイズ感はもしかして、うしのピルクル?」
「そうです!私のイメージカラーのオレンジ色にしました。おそろですね!」
「嬉しいよ、これ2期生だけが持つ結束のアイテムだよね?」
「卒業メンバーは皆、お揃いのものをタテルさんにプレゼントしてるじゃないですか。私からはやっぱりこれかな、と思いまして」
「光栄だよ。デスクに置いておく。これでいつもニュウのことを思い出せるな。心が乱れた時はこれを見よう。ニュウが齎してくれたハッピーオーラを思い出して、踏ん張り直せる気がするよ」
瞳が潤むタテル。それを見たニュウも涙した。

  

5杯たっぷり楽しんで会計は1人8000円。地方都市のバーはやはりリーズナブルである。ただし現金しか使えないので準備を忘れないようにしたい。

  

二荒山神社の麓の広場に辿り着いた2人。
「あの階段の上にある鳥居のように、ニュウはみんなを照らしてくれるだろう。今日1日、ニュウの生まれた街を旅してきて強く実感したよ。卒業してもニュウは必ず、俺らの幸せの源であり続けると」
「感謝と優しさを忘れず、これからも生きていきます。みんなに愛されるおばあちゃんになれるように!」

  

その後本人の希望通り、卒業イヴェントとしてゲーム大会が開かれた。有名プロゲーマーが数多く参戦し、実況もプロのeスポーツ専門アナウンサーが担当して、ファン垂涎のTO-NAにまつわる小ネタをたっぷり入れ込んでくれた。熱戦の数々に会場は大熱狂。ニュウの人柄も相まって、伝説のイヴェントと相成った。

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