茨城大学の卒業生・渡辺美加(29)と渡邉美佐(26)は、茨城大学の近くで今時な紅茶カフェ「ごじゃっぺ」を営んでいる。そこに客としてやってきたのは、現役茨大生の渡辺実奈(18)。同じワタナベ、同じイニシャル、同じ茨大生である3人は出逢ってすぐ打ち解けた。
*年齢は第1話時点。
翌日、約束通り実奈はごじゃっぺの前に現れ、美加の運転する車に美佐と同乗した。昨日は客として実奈に接していた美佐だったが、今日からは友達として気さくに話しかける。
「今日は勝田の方に行くから、20分から30分くらいかかるけど大丈夫?」
「承知いたしました。勝田ってどの辺ですか?」
「隣のひたちなか市の中心街。今日行く蕎麦屋は駅から大分遠いから、車はマストなんだ」
「茨城はとにかく車が無いと不便。運転免許は取っておいた方が良いわよ」
「ありがとうございます、美佐さん」
「実奈ちゃんが素敵なキャンパスライフを送れるように、私たちもサポートするからね」
11時を少し過ぎた頃、ひたちなかを代表する蕎麦屋「木挽庵」に到着した。開店までは未だ30分弱あり、日曜とはいえ猛暑の中であったためか一番乗りの到着であった。店の前には「現金のみ」「ご飯ものやうどんは扱ってない」「時間に余裕のある人だけ来てください」「咳が酷い状態での入店は他の客の誤解を招きかねないので控えてください」など仰々しい張り紙(気持ちはわかるが)が点在している。
「ちょっと圧がありますね…」
「安心して実奈ちゃん。噂では接客がああだこうだ言われてるけど、そこまで酷くはないから。車の中で暫く待とうか」
「はい」
「実奈ちゃんどう、生活で困ってることない?」
「料理作るの苦手で。いつも同じ物ばっか食べてます」
「私たちはパパッと惣菜で済ませることも多いですよね」
「そうそう。ヨークベニマルのハムカツとか美味しいよ」
「ハムカツ苦手なんですよ私」
「ホントに⁈」
「ハムはハムで完成しているのに、それを揚げるなんて考えられなくて。食べたことないですけど嫌です」
実奈のあまりの食わず嫌いの激しさに絶句する美加と美佐。すると突如大きな音が鳴り、フロントガラスを見てみると鳥のフンが飛散していた。
「大丈夫ですか⁈」
「大丈夫大丈夫。この店ではよくあることだから」
「あそこにいつも鳥が来るんだよね。そろそろ洗車しなきゃ、と思ったタイミングでいつもここに来るんだ」
「独特なルーティンですね…」
結局後客がやって来ることなく、開店時刻少し前に店内に入れてもらえた。しかし店を出る頃にはウェイティングが発生しており、人気店であることに疑いは無い。
「今日は私たちがご馳走するから、遠慮しないで」
「いいんですか?ありがとうございます…」
「実奈ちゃん、蕎麦は食べれるんだよね?」
「蕎麦は大好きです」
「天ぷらは?野菜系が多いけど」
「もしかしたら食べれないのあるかもしれません」
「じゃあ各々蕎麦頼んで天ぷら盛り合わせにしましょう。私は二色そばで…」
「待って。天ぷら盛り合わせ+二色そばよりも、田舎そば+天せいろの方が100円安い」
「ごめんね実奈ちゃん、お金の話しちゃって。私たちカツカツなの」
「察してはいました。いいですよ、私はせいろ1枚で。田舎そばというもの、食べてみたいです」
「じゃあ美佐ちゃんが天せいろ、実奈ちゃんが田舎そば、私が鴨南蛮ね」
「(美加さんだけちょっと贅沢…)」
老爺にしか魅力が理解できない調度品に囲まれた、田舎の民家らしい威厳のある内装。実奈にとっては新鮮な空間であり、気持ちが高まったようで自ら美加と美佐に話を振る。
「どうしてカフェを開こうと思ったんですか?」
「私が学生だった頃、近くにそういう店が無くてちょっと寂しかったんだよね」
「たしかに茨大の周辺って何もないですよね。ココスくらいでしょうか」
「そうね。で私本当は人と話すのが苦手で就職面接は全部落ちた。そうなったらいっそのことカフェ開こうと思ってね、美佐ちゃんに思い切って声かけてみたの」
「そうそう。美加さんと同じ授業に出席していたらグループワークで一緒になって、名前が一文字違いでお互いビックリしたんです」
「すごい偶然ですよね。そりゃ仲良くなりたいと思います」
「何かの縁だと思って誘いに乗り、カフェを開いた。そしたら狙い通り茨大生の人たちが来てくれるようになったんだ。特に県外出身の人がね」
「ということは、私もその一員ですね」
「ありがとうね、見つけてくれて」
まずは田舎そば。茶色さのある渋い仕上がりになることが多いが、ここのには透明感がある。1本1本は短めで、蕎麦の香り自体はそこまでしないのだが、少しつゆにつけるとその出汁が蕎麦を引き立てる。
実奈は美佐からせいろそばを少し貰った。こちらもそれ自体に香りは無いが、極少量のつゆにつけると味が輝き出す。とはいえ蕎麦本来の味とは感じにくいもので、退屈になって結局つゆに浸して食べてしまうのが人間の性である。
実奈は美佐から大葉の天ぷらを貰った。軽くサクッと揚がった衣を纏っており、スナック感覚で美味しく食べることができた。その他のタネも素材が良く、蕎麦に退屈してしまう人は是非天ぷらを頼むべきである。
「実奈ちゃんって出身どこ?」
「博多です」
「そうなんだ。じゃあ故郷の方が都会なんだね」
「そう…ですね」
「茨大って意外と都心から来る人多いよね。うちのお客さんもそういう人多くてさ」
「都会の雰囲気を思い出させる数少ない場所だって言われるね結構」
「私も東京から来た茨大生と付き合ってて」
「えっ?実奈ちゃん恋人いるの⁈」
「はい。付き合い始めてまだ1ヶ月ですが」
美加と美佐は暫く二の句が継げなかった。実奈は気まずさを察知しすぐ話題を切り替えようとする。
「あ、この蕎麦湯ずいぶんドロドロしてますね!まるでどぶろくみたい!」
「気遣わせた?ごめんごめん」
「いえいえ!出会って2回目で恋バナは早すぎましたね、すみません」
「いいのいいの!まあ私たちは恋愛は、ね」
「そうそう、今はカフェ経営に集中しないといけませんからね」
「彼氏さんも良かったらカフェに連れてきて。サーヴィスしてあげるから」
「ありがとうございます!でも今は東京に帰省しちゃってまして…」
「やっぱりそうよね…」
「茨城に戻ってきたら連れてきますね!」
その後も2日から3日に1回のペースで実奈はごじゃっぺを訪れ、3人で世間話に花を咲かせる。通い続けて2ヶ月弱、3人の関係性はみるみる深まり、ようやく美佐が口を割る。
「私、恋はもうしたくないと思ってる。恋人を亡くしたあの悲しみ、味わいたくないから」
美佐はカフェを開いて間も無く、同じ茨大生でサークルの先輩であった和田マサルという男性と交際を開始した。マサルは海が大好きで、夏になれば2人でよく海水浴に行っていた。毎週のように海沿いをドライヴし、大洗の水族館と牡蠣小屋、阿字ヶ浦の蛤専門店には何度足を運んだか数えきれない。
そんな幸せな日々が、美佐の目の前で消え果てた。ある夏の日、いつものように海水浴をしていた時のことであった。マサルはここ1週間研究に没頭しており、ろくに睡眠もとっていなかったと云う。ようやく海に来れた、これからまた忙しくなるから次いつ来れるかわからない、といっていつも以上に海水浴を楽しんでいた。そして帰り際、浜辺に上がったマサルは美佐の前で突如胸を押さえて苦しみ出し倒れた。限界を迎えた心臓が発作を起こし、美佐は教習で学んだ心臓マッサージを施したものの、非力な美佐ではマサルの魂を体に戻すことが叶わなかった。
「それ以来海を見ること自体がトラウマで。恋ももちろんできなくなった」
「そんな…」
絶句する実奈。木挽庵で何気なく恋の話を持ち出したことを反省する。
「いいのよいいのよ、恋の話は誰でもするもの。私が酷く恐れているだけの話」
「そう、恋はいいものだと思う…普通ならね」
消え入るような声で美加が言う。
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