連続百名店小説『nao』6th memory:瞳そらさないで(イチリン ハナレ/鎌倉)

アイドルグループ「TTZ48」のエースメンバーだった直(享年19)。人気絶頂の最中、突如自ら命を絶ってしまった。兄でタレントの建(24)は地元鎌倉を歩きながら、直と過ごした日々を思い返す。

  

再び住宅街を抜け、今小路に出て北に進む。左手に寿福寺が現れたが、予約の時間が迫っていたため目もくれなかった。電波の入りが悪い住宅街に入ってしまい、目当ての店の場所がわからなくなった。朧げな記憶を頼りに小道に入ると、およそ中華料理店とは思えない邸宅に辿り着いた。中に入ると緑が生い茂っており、建の苦手な虫がぞろぞろと飛んでいた。逃げるようにインターホンを押し、中に入れてもらう。

  

和風の古民家。畳の上をスリッパで歩くとは、なかなか不思議な感覚である。カウンター席の部屋、いちばん端っこの席に案内された。

  

暑い季節の入口、まずはとりあえずビールということで、前々から気になっていたプレミアムビール・ロココを注文した。本当に一流の飲食店にしか卸されないというビールで気にはなっていたが、いざ飲んでみるとかなりの薄口。もっと濃いめの口当たりを期待していた建は肩透かしに遭った。おそらくこのビールは真っ白なキャンバスみたいなもので、料理に合わせ姿を変えていくのだろう。または漫画家を支えるゲゲゲの女房のようなものか。いずれにせよ建にはその魅力が理解できなかった。

  

料理1品目は酸辣湯。普通のスープに見えるが思いの外酸味がバシッと決まっており、シャキッとした筍とグニっとした海老・イカに一流の雰囲気を覚えた。

  

続けて牡丹海老の紹興酒漬け。素手でいただく。ありがちな臭みはなく、建のような不器用な人でも食べやすくできていた。手に臭いが残ることも不安視していたが、フィンガーボウルに少し手を浸すだけで臭いは完全に消え去った。
好き嫌いの多い直も、海老をはじめとした海鮮は大好きだった。そういえば今日のメニューは全部、直でも食べられそうな品だ。こういう店にいつか家族4人揃って行きたかったものだ。しかし両親は積極的に高級店に行くことを躊躇うし、直はもういない。結局建はひとりぼっちなのである。

  

ここからはよだれ鶏ゾーン。まずは普通に鶏肉を食らう。ナッツと程よい量のパクチーがオリエンタルな上品さを演出する。鶏肉は赤身中心だがしっとり仕上がっている。

  

鶏肉がなくなったところに焼餃子がやってきた。肉の食感が強い。
元来酢醤油か酢胡椒しか合わないはずの焼餃子だが、このよだれ鶏のタレには不思議と合うのだ。

  

さらに山椒を練り込んだ麺でタレを吸い尽くす。これ自体はあまり特徴を感じなかった。

  

五島列島のサワラ。シンプルな見た目とは裏腹に、脂がしっかり載った身で満足度は高い。ナンプラー醤油による味付けに、建は直の性格を重ね合わせる。控えめな性格の直がTTZ48というグループの力を引き立てたように、ナンプラー醤油のさり気なさがサワラという素材を主役に立て、「日本人の作る中華料理」の醍醐味を演出する。

  

ここでビールがなくなったため、紹興酒5種飲み比べセットを注文した。5本のボトルが目の前に並べられる様は壮観で、母を連れて来ていた隣の女性が建に話しかける。
「すごいですね紹興酒」
「そうですね…」
人見知りの建は最初は戸惑ったが、まもなく冷静さを取り戻す。
「よくこういう店行かれるんですか?」
「はい、めっちゃ行きます。特にフレンチとか」
「若いのに立派ですね。左から2番目の紹興酒、めちゃくちゃ美味しいですよ。美味しすぎておかわりしちゃいました」
左から2番目は石庫門という紹興酒で、複雑味があり一流の1杯である。
「これは12年物ですが、20年物のヴァージョンも飲んだことがあって、そっちだと円やかさが際立つんです。紹興酒は歳を重ねるほど丸くなる、人間と同じですね」
「そうなんですか。よく心得ていますね、感心しちゃいます」
一番右は夏でも飲みやすい爽やかな入りが特徴。一方一番左は見た目通り濃い味で、まるでコーヒーのようだった。バニラアイスにかけても美味しいとのことである。

  

「あ、名刺渡しますね。タレントとして活動しております渡邉建です」
「タレントさん!しかも東大卒…すごいですね」
「さんまさんの番組に何度か出させていただいております。あと、ご存知じゃないかもしれませんが、TTZ48のメンバーだった、渡邉直の兄です」
「直ちゃん!知ってますよもちろん。急にあの…」
「そうです。急にいなくなってしまった直です」
「あの子めちゃくちゃ可愛い子でしたよね」
「ありがとうございます。僕の自慢の妹、忘れてもらいたくなくて、今僕がタレントとして活動しているんです。まだ全然売れてないけど…」

  

続いて、劉さんのレシピを基にしたという回鍋肉。皮で包んで北京ダック風に齧りつく。豚肉は出来合いのものにはないクリーンな脂身を蓄えており、甘辛のタレが引き立てる。何とも贅沢ないただき方である。

  

「思い出した!建さん、よく陣内智則さんにツッコまれてますね」
「そうです!この前も僕のYouTubeチャンネルの名前にツッコミいただいて」
「陣内さんにツッコまれるって、相当名誉なことじゃないですか」
「毎回僕のこと気にかけてくださってるみたいで、頼れるアニキって感じです。それに、直も陣内さんのことが大好きだったんですよね…」

  

部活引退直後、直の15歳の誕生日。両親からのプレゼントはNETA JINのDVDだった。
「嬉しい!お兄ちゃんと一緒に観る!」
建の部屋で陣内智則のネタをたらふく堪能する2人。
「いやあめっちゃ腹ちぎれた。陣さんって本当天才」
「お兄ちゃんも陣内さんみたいな芸人、なったらいいんじゃない?」
「俺はボケしかできない。初めてのライヴでツッコミの加減間違えて大変なことになったし。それに俺、自分でネタ書けないからな」
建の所属するお笑いサークル「笑論法」は、原則ライヴ毎にコンビを入れ替えるシステム。建は毎回相方にネタを書いてもらう「受取師」に徹していた。誰かに調理してもらえばおかしさを十二分に発揮できてインパクトを与えることができるが、1人では難しい。
「でもお兄ちゃん面白いから、絶対売れると思うよ」
「そうか…頑張ってみるよ」

  

「で今は、YouTubeショートに1人コント上げてます」
「へぇ〜、面白そう。家帰ったら観てみますね」
「ありがとうございます。良かったらチャンネル登録と高評価、お願いします」

  

続いて野菜料理から、ターサイの炒めが登場。野菜だけだと単調になりそうなところ、肉がまたオリエンタルな雰囲気を纏っていて面白い。

  

TTZ48として日々活動に勤しんでいた直は、忙しかったせいか自分からは連絡をよこさなかった。建は夜中に度々電話を試みるがなかなか出てくれず、ようやく電話が繋がっても、疲れたような声で話すから、もう構わないでほしいと思われているようで寂しかった。そんな折、建はテレビに映る直の異変が気になった。
「あれ?直、なんか痩せてない?」
心配した通り、激務に心と体が追いついていない模様だった。老婆心から建は直にLINEした。
「お前ちょっと痩せすぎてないか?野菜だけじゃなくて肉も食べろ。スタミナつけないとやっていけないぞ」
しばらくして返信があった。
「太れないから。ちょっとでも太ったら文句言われるんだもん。お兄ちゃんにはわからないよね」
「いや、体壊したら終わりだもん。無理すんなよ」
「無理なんかしてないから!しつこい!」
今まで反抗したことのない直が、珍しく楯突いてきた。大好きな妹に突き放された建は涙を堪えられず、年甲斐もなく両親に泣きついた。
「直、絶対無理してるって!2人からも何か言ってやってよ!」
「あのな建、心配なのはわかるけどあまり声かけない方がいいと思う」父が諭す。
「妹のことよくわかってると言うけど、私の方がもっとわかってるから。直は甘えるのが苦手なの」
「母さんに似たよね。母さんだって全部自分でやろうとして、で文句だけは言うもんね。『言われなくても手伝って』とか言うけど、言ってくれればいくらでも手伝うから」
「いやいや、言わなくても手伝ってください。お父さんも建も」
「こだわり強いんだもん…」
「そういうことだから建、あまり干渉するな」
「…」

  

〆の担々麺は量を選べる。普通なら大盛りにしたいところだが、雲母の白玉にお腹の余裕を吸い取られたため普通盛りにした。胡麻のちゃんと効いたスープが体に染み、シコシコの麺もまた心地よい。
隣の女性とすっかり打ち解けた建は、今まで行った美味しいお店を数多紹介する。
「中華街の中華だと、状元樓や同發がいいですね。イタリアンは山下公園近くのサローネ2007。和食は高い店が多いけど、藤沢の幸庵はリーズナブル。ケーキ屋だと中央林間のメゾンジブレーや恵比寿のレザネフォールが大好きです」
それを聞いていたスタッフも、建におすすめの店を訊ねるほどだった。
「建さん、売れてないって言うけど、グルメタレントとしてやっていけると思いますよ」
「そうですかね…まぁ今度ブログもやることにしたので、みんなに見てもらえるよう頑張ります」

  

中国茶を注文し、デザートは湘南そだちの苺を使った杏仁豆腐、というよりはパンナコッタか。もう少し複雑なデザートを期待していたが、中華料理とは得てしてそういうものである。

  

  

最後のお茶菓子の方がむしろ豪華で、東方美人茶クッキー、白胡麻生キャラメル、山椒入りガトーショコラピーカンナッツ載せ、マカダミアチョコ、西洋果林のスペイン風ゼリー…全てが丁寧に作られていて一流パティスリーレヴェルの質である。その中でも特に東方美人茶クッキーが、お茶とクッキーが最高にマッチしていて印象的だった。

  

これだけしっかり飲み食いして、お会計は15000円を割った。非常にリーズナブルである。直も連れて来たかった。成人や卒業、還暦といった人生の節目を、直と共にこの店で祝いたかった。直をアイドルにさせた後悔の念は強くなる一方である。

  

また1人となった建だったが、店を出て鎌倉駅方面へ戻ろうとすると、少し前に店を出ていた隣の親子と再会した。近くの寺を拝観していたため時間差が埋まったのだ。
「今日は本当ありがとうございます、美味しい店いっぱい教えてもらって」
「いえいえ、まだまだ未熟です」
「好きなこと極めるって、いいことですよ」
「…ありがとうございます」

  

建は俳句を趣味にしているという女性の母の種探しに付き添うことにした。目的地は寿福寺の山中にある実朝の墓。
「俳句やっている方って、プレバト俳句のことはどう思われるんですか?」
「まあ観ないね。夏井先生は確かにすごい俳人だけど」
「そういうもんなんですね。思い出うるうるサングラス…」
女性の母は足腰がしっかりしていて、山道の段をスムーズに上る。途中落石の危険がある道を迂回したが、それでも実朝の墓まではそう遠くなかった。

  

源実朝。鎌倉幕府の3代将軍だったが暗殺され、ここで源氏の家系は途絶えてしまった。ここにある実朝と北条政子の墓は、やぐらの中にひっそりと佇んでいる。そこに源氏の栄華は感じ取れなかった。
「夜になると、月が煌々と光る一方で実朝の墓は真っ暗闇。林先生はこの対比を句にしてましたね。現代文講師らしい」
「林先生って、あの『今でしょ!』の人?」俳人が問う。
「そうです」
「なるほど。私も一句できました。家帰ったら拵えよう。建さんも句会、参加してみませんか?」
「えぇ、私なんかができるのか…」
「気軽にお越しください」
「ありがとうございます」

  

アイドルとして輝きを放っていた直の栄華もまた、何もしなければ実朝のように埋もれてしまうのだろう。直の思いは間違いなく誰かの心に生き続けているけど、いずれは薄れゆくものである。直がいた日々を末永く多くの人の記憶に焼き付ける、その使命を、建は一段と強く認識した。

  

直、外の世界には良い人もいるんだ。あっちの世界で何をしているのかわからないけど、引きこもってネットばかり見ないで、リアルな人との交流を楽しんでくれ。そうしている方がずっと、幸せなはずだから。

  

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