連続百名店小説『MOSO de BOSO! 2』⑨純愛ラプソディ(うなせん/小見川)

人気アイドルグループ「綱の手引き坂46」の特別アンバサダーを務めるタテルは、車好きで話題のメンバー・スズカと2泊3日の千葉旅行をする。約1年ぶりの房総ドライブを楽しもうとする2人を、謎の男・ワタル率いる「脱帽しなかった男」が追っていた。

  

そこへ警察がやってきた。ワタルは暴行容疑で現行犯逮捕される。一方のタテルは意識はあったものの体を強く打ちつけており、近くの救急病院に運ばれ手当てを受けた。
「タテルさんごめんなさい、こんなことになって…」
「なあに。スズカとスズカの愛車は無傷だ。それだけでも嬉しいよ」
そう言うタテルの顔からは精気が消えていた。結局大事に至ることなく2人はそのままホテルに戻るが、道中では一言も会話をしなかった。

  

「俺、ちょっと1人になりたい」

  

タテルに心の傷を負わせてしまったという自責の念に駆られ、部屋に戻ったスズカはただ号泣するばかりであった。2日間車中で楽しく生配信していた頃には戻れない。明日はもぬけの殻となったタテルと共に、暗い雰囲気のまま帰ることになるのだろう。

  

〽︎雨だって晴れだって願いは届かない…
徒に時を過ごし22時を回った頃、スズカは展望温泉に入って気を紛らわせようとした。しかし利用時間がちょうど終わったところであった。負けてばかりの人生もいいもんだ、といつもなら流せるはずのスズカも回復不能なほどに塞ぎ込む。

  

〽︎I’m a mess I’m a mess 明けない夜に…
タテルも1人になったらなったで放心状態に陥り何も手につかないでいた。
「ダメだ、死んでしまいたくなる。スズカ大丈夫かな…」

  

電話をかけてみると、1コールもしないうちにスズカが出た。
「スズカ、ごめんな1人にさせて。寂しくないか」
「寂しいですよ。もう涙が止まらなくて…」
「俺もやっぱ寂しい。1回下で会わない?」
「行きます」

  

「会いたかったよスズカ。目の周りがすごい腫れてる…」
「ずっと泣いてました」
「悲しませてごめん。ちょっと海見に行こうか」

  

22時の海には誰も人がいない。果てしなく広がる闇の中にあるのは、波の音と鏤められた星の数々だけであった。
〽︎Wondering stars 未だ暗い空に…
歌いながらスズカはまた涙を流す。ただそれはさっきまでの涙と違って、安心感による心地良い温かみを含んでいた。
「海は素敵ですね。全ての痛み悲しみを洗い流してくれる」
「だよな。誰もいない静寂ってすごく落ち着く。無になれるから」
「まさか犯人があの古参ファンだとは思いませんでした」
「あ、あれが例の古参ファン?!…2日に渡って俺らを尾行してたなんて、やっぱ好きなんだろうねスズカのこと。素直になればいいものをさ…」
「タテルさんってホント優しいですよね」
「どうした?」
「自分の身を投げ出して私と私の愛車を守ってくれた。タテルさんの勇気が無かったら、私もっと立ち直れなかった気がします」
「スズカを悲しませることは俺が許さない。負け顔は好きだけど、悲しい顔はしてほしくないから!」
「タテルさん…」

  

スズカはタテルの胸に顔をうずめる。そのまましばらくずっと、2人は動かないでいた。
「…もう日付が変わろうとしている。朝日見たいもんね、早く寝た方がいいな」
「ありがとうございます。安心して寝れそうです」
「しっかり寝るんだぞ。この前みたいに寝不足すぎて翌日俺に運転任せるとか、勘弁だからな」
「大丈夫ですよそれは」

  

翌日の朝6時。空は白み、朝日が顔を覗かせ始めた。
〽︎朝陽が水平線から光の矢を放ち…
「はあ、泣ける…」
「2人で朝日を迎えることができた。旭市で迎える朝日」
「また駄洒落言ってる。でもいい駄洒落です」
「『旭』という字自体が『朝日』を意味してる。朝日が美しい土地だから『旭』と名付けられたのかな」テキトーなことを言うタテル。
「今日も楽しい1日になりそうですね!」
「そうだね」
「今日の私はパリピちゃんです!」
「いいぞいいぞ、本当は真面目さんなくせに」
「それ言わないでください〜」

  

展望風呂と朝食を堪能し、酸いも甘いも知った想い出の九十九里を去る。
〽︎ああ九十九里浜…
「今日も声出てるねスズカ!」生配信を盛り上げるタテル。
「もちろんですとも!朝日見て温泉入って、朝から楽しいことばっか!」
「今日のスズカはパリピちゃんだyo!」
「Yo! Yo! Yo! Yo! 今年は暖冬、真夏の太陽!」
「季節が真逆だ PON PON PON!」

  

訳の分からないラップを交わし合い、香取市小見川にある鰻の名店「うなせん」に到着したのは丁度正午であった。しかし予約した時間は12:30である。
「すみません、早く着いちゃったんですけど…」
「鰻出てくる時間は早くならないと思いますが、席で待っていて大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!」

  

2階の座敷に案内される2人。2人以外誰もいない広間は心が安らぐ。肝焼きや卵焼きといったつなぎの品は見当たらず、思ったほどクセがない先付けの兜煮を食べながら、テレビを観てまったりと過ごす。
「マラソンか。大変だよね、よく走れると思う」
「タテルさんすぐバテそう」
「持久走とか大嫌いだもん。1km20分」
「アハハハ!歩いた方が速いじゃん!」
「そうなんだよ。俺歩くのは馬鹿みたいに速いんだ」
「ですよね。ホテルから海行くまでもすごい速歩きでしたし」
「無駄にせっかちだからね。でも速歩きできればテレ東の旅番組で大活躍できる」
「バス旅とかですか?」
「そうそう。ルイルイさんに食らいつけるくらいの速歩きはお手のものだから。テレ東さん、この俺にオファーください」

  

無駄話をしていたら、早まることはないと言われていたにも関わらず12:25に鰻重がやってきた。せっかちなタテルには嬉しい誤算である。ちなみに昼食時の小見川駅に銚子方面への電車が到着するのは11:25と12:28、成田方面は11:39と12:39であるため、駅から徒歩でのアクセスを考えている方々には12:00か13:00の予約をお勧めする。

  

肝心の鰻重、大きな特徴は身の肉厚さである。鰻臭さは程々にあるものの、パワフルな旨味がそれを凌駕する。
「どっぷりしてますねこの鰻」
「この子も走るの遅そう。その分脂を蓄えて美味しくなってる訳だ」
「タテルさんみたいです」
「俺を食材にするな!」
「冗談ですよ」
「腕上げたなスズカ。面白ポイントちゃんと弁えて」

  

〽︎形では愛の深さは測れない…
蜜柑を食べながらご機嫌のスズカとタテルの元へ、13時に予約していた家族連れがやってきた。
「あヤバい、歌ってるの聴こえちゃった?」
「お姉ちゃん歌上手いね」子供がスズカに話しかける。
「やだあ聴こえてた。でもありがとう」
「お姉ちゃんは日本一歌が上手いアイドルなんだよ」タテルが首を突っ込む。
「やめてくださいよ」
「今度また神連チャン出るんだって」
「ホリケンタさんが出てるやつ?」
「そうだよ。応援してあげて」
「がんばってねお姉ちゃん」
「ありがとう。頑張るね」

  

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