連続百名店小説『青葉の歌』第2話:日ざしのような愛で(ピュイサンス/青葉台)

人気アイドルグループ「綱の手引き坂46」のメンバー・サリナ(25)がグループ卒業を発表した。アイドル界随一の人柄の良さで多くの人に癒しを与えてきたサリナはある日、綱の手引き坂特別アンバサダーを務めるタテル(26)を自分の住む街に招待した。

  

屋敷に戻ると、タテルは中へ通された。ダイニングルームで父母と歓談しているとあっという間に八つ時となった。
「タテルさん、ケーキ買ったので食べていってください」
「この辺だともしかして…ピュイサンスさんですか?」
「よくご存知ですね。流石スイーツマスターのタテルさん」
「す、スイーツマスターですか?」
「サリナから聞きましたよ、タテルさんは美味しいスイーツ沢山ご存知だって」
「もう、サリナったら…」タテルは少し照れた。

  

ここでタテルはサリナの部屋に案内された。皿に盛られたケーキ、インドネシア産の高級紅茶が運ばれると、再び2人きりの時間が始まる。
「広〜い!なんか『徹子の部屋』みたいだね」
「もう、大袈裟ですよ!」
「噂通りだ、アジアンな雑貨がたくさん置いてある。これがカエルのギロか!」
「鳴らしてみます?」
「…落ち着く。いい音だ」
「ですよね。あ、あとこれは誰にも紹介してないんですけど、5匹組の熊さんです!」
「綺麗!これもしかして、シーグラス?」
「そうそう!…ごめんなさい舞い上がってしまって。すごい綺麗で、眺めていると心洗われるんです」
「優しい色合いだもんね。俺も欲しくなったよ」
「でしょでしょ!…ごめんなさい、タテルさんに『でしょ』は良くなかった」
「サリナ、俺に敬語使う必要ないって。同い年でしょ」
「そうですけど…」
「友達みたいな感じで話そうよ。俺そんな偉い人じゃないし…」
「タテルさんがそこまで言うなら…わかった!」
「ありがとうな」

  

そしてスペシャルトークラジオ『サリナの部屋』が始まる。
「タテルさんピュイサンスを知っててくれてありがたい」
「有名だし俺のYouTubeの視聴者さんからも行ってほしいってリクエストあったんだ。サリナは良く行くんだ?」
「頻繁には食べないけどね。絶妙に遠いから車で行くんだけど、駐車場も少し店から遠くて、おまけに勾配の中腹で止めづらいの」
「それは大変ね」
「でも並木道にあるからめちゃくちゃ綺麗!青葉の季節に来てほしいな。欅の葉はとにかく美しくて…」
「ありありと情景が浮かぶよ」

  

まずは看板のスイーツ、ピュイサンス。きめ細やかなナッツやサクサクがバタークリームを覆う。マカロン様の生地も一応いるが、全体的にフワっとした仕上がり。外側のサクサクがもう少し粗ければ形が定まってわかりやすいのだろうが、それでもそこはかとない風味がタテルの手を止めさせない。
マルキーズは甘さかなり控えめのチョコレートケーキ。甘いのが好きな人は肩透かしをくらいそうなくらいカカオに依存。それでいて軽い仕上がりに驚かされる。

  

「この前さ、サリナの悪口言うアカウント見つけちゃってさ。こんなに優しくて思いやりのあるサリナのこと悪く言う奴って何なんだろうって思った。フォロワー見てみたらエロ垢ばかりで、乱痴気野郎のくせに生意気だなって」
「タテルさん、『○○のくせに』って言っちゃダメ!」
「あっ…」
「人には人それぞれの趣味があるのに、それで区別するようなものの言い方をするととっても悲しくなる」
「…」
「もちろん悪く言われるのはつらいよ。でも一段高いところから見下ろしても何も解決しない。『○○のくせに』とか言わないようにしよう」
「Minta maaf…」

  

サリナの情の深さと懐の広さの前で、タテルは己の不道徳を嘆いた。サリナの持つ正義感こそが真の正義であり、自分が今まで持っていた「他者を貶める正義感」は偽物だと気付かされたのである。
「サリナって誰に対しても優しいんだね。俺も本当はそうしたいけど、どうしてもできない。この世の全ての物が邪魔で仕方ない、なんて思う時もあるし…」
「そんな時は、自分に優しくしてくれた人のことを思い出して」
「優しくしてくれた人…家族とか学校や塾の先生、友達、職場の同僚、東大イクエーションの演者さんスタッフさん、そしてサリナ含めた綱の手引き坂メンバー」
「その人達のことを思えば、自分はひとりじゃない、って実感する。今まで包まれていた優しさを無碍にはできない、と思って素直な気持ちに戻れる」
「サリナ…」
「少しずつでいいからね。やさしくしてあげたい、という気持ちがあれば必ず認めてあげられるようになる」
タテルの心がポッと温まった。

  

甘いチョコケーキを求める人にはこちらのマニフィックを。ジャンドゥーヤのコクが効いたチョコムースにオレンジの香りがふと灯る。サクサクした食感もあって綺麗にまとめ上げられている。

  

引き続き、サリナのお悩み相談コーナー。
「東大出てYouTubeやったけど上手くいかなくて。同い年の活躍見てると焦るんだよね。京子なんて歌にドラマにバラエティに大活躍だし、QuizHockこうくんなんてクイズ番組の常連だけど俺の方がクイズできるっちゅうの」
「うんうん」
「鳴かず飛ばずで心機一転就職したけど、すぐ余計なことして怒られてしまう。東大卒なのに使えない野郎だな、って思われている気がして」
「タテルさん、自分に自信ないよね?」
「自信?…言われてみればそうかも」
「そうだよ。もっと自信持ってほしい!タテルさんは立派な人間!」
「立派…なのかな」
「そうだよ。自分を一番信じてあげられるの、自分しかいないんだから!」
「だよな…」
「と同時に、自分の限界をちゃんと知って、人に頼ることも大事。タテルさんも知ってると思うけど、抱え込みすぎて休業することになったメンバーもたくさんいて、その度に『もっと甘えてくれれば良かったのに』と思うんだ。タテルさんも今のうちから甘えることを覚えてほしい。自信は大事だけど過信はしちゃダメ」
「ありがとう…」
サリナの真摯なアドヴァイスに感動するタテル。サリナのラジオを聴いた人はこうやって心が解放されるのだと実感し、胸に込み上げるものがあった。

  

最後に戴くスイーツはサヴァラン(写真は実店舗ではなく新宿高島屋「パティシェリア」で購入したもの)。普通のサヴァランよりもクリームの分量が多いが、そのコクが酒や生地にある棘を丸くしてくれるので一体感が生まれる。オレンジの香りも程よく、サヴァランといえば左党に捧げるスイーツというイメージがタテルにはあるが、これは甘党であっても納得のいく美しい逸品である。

  

「あとね、タテルさんさっきから人と比べすぎ!」
「えっ?」
「誰かと比べることなんて時間の無駄。タテルさんにはタテルさんの良さがあるんだから!」
それを聞いたタテルは号泣した。
「そうだよな…そうだよな!人を羨んでも、何も始まらないよな!」
「わかってくれて嬉しい。たぶんタテルさん生き急ぎすぎだと思うんだ。お笑い芸人さんだって10年20年かけてやっと売れるわけだし。焦って失敗するより、確実に歩みを進めよう。積み重ねた経験は絶対に無駄にならないから。私はいつも味方だからね!」
タテルは涙を流し続けた。心に溜まっていた膿を出し尽くさんとするかのように。恐らくメンバーもこうやってサリナに相談して涙を流してデトックスして、メンタルブレイクの危機を凌いだのであろう。

  

サリナは優しい人だ。でもそれは「叱らない」という意味では無くて、間違ったことは間違いだとはっきり報せ、その上で相手を思い遣った助言を説くという、嘘偽りのない「優しさ」を持っているということである。だから数多くの人に信頼される。タテルも今、その魅力に救われた。

  

「俺の人生相談ばっかになってしまった。ごめんね色々話しちゃって」
「いいのよ全然。こうやってお話しするの、ラジオみたいで大好き」
「それならありがたい」
「曲かけたくなるね。綱の手引き坂で特に好きな曲ある?」
「サリナのユニットといえば『りさすてぐまーいやー』だよね。『沈黙した恋人よ』が大好きなんだ」
「私も大好き。かけようかけよう」
「じゃあ曲紹介お願いします!」
「はい!それではここで1曲お聴きください。『沈黙した恋人よ』」

  

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