連続百名店小説『青葉の歌』第1話:きらめけ青葉よ(中国料理堀内/青葉台)

青葉は優しさの象徴である。葉と葉の間から零れる木漏れ日、風にそよぐ時の音、若々しい緑色。青葉の織りなす風景は我々に、安らぎと明日への活力を与える。
青葉は平和の象徴である。葉の形や植生は違えど、青葉は世界の至る所に生育する。太陽に照らされる青葉を愛でる文化は万国共通である。

  

9月の半ば、残暑未だ厳しい昼下がり。アイドルグループ「綱の手引き坂46」のアンバサダーを務めるタテルに1通の報せが届いた。それはメンバーのサリナが卒業を決めたという内容であった。

  

「サリナ…嘘だよな、嘘って言ってよ!」

  

心優しい人が集う綱の手引き坂の中でも、サリナは人一倍優しい人柄である。女性アイドルグループには必ず「聖母」と呼ばれるメンバーが1人はいるものだが、サリナは「聖母の中の聖母」であり、サリナ以上に穏やかな人に出会ったことは無いと、多くの関係者が口にしている。タテルもその1人であった。

  

「サリナがいなくなったら、誰に悩み相談すればいいんだよ。心が傷ついて仕方なかった時、メンバーも俺も皆サリナの言葉に救われた。こんなに素敵な人と、これから先の人生で出会えるか?」

  

喪失感に打ちひしがれるタテルへ、サリナから直接メッセージが来た。

  

突然のおしらせになってしまいすみません。本当はタテルさんがラジオ番組を去る前にお伝えしたかったのですが言い出す勇気が出ませんでした。もしお時間があれば、私の住む街に来ませんか?タテルさんには大変お世話になりましたし、ゆっくりお話ししたいな、と思っています。

  

「サリナ、貴方はなんて心遣いのできる人なんだ。もちろん会いに行きますとも」

  

色々あって少し間が空き11月初頭。青葉台駅北口に降り立ったタテルを、サリナ一家が車で迎えた。
「お世話になっております、綱の手引き坂46特別アンバサダーの渡辺タテルです」
「娘がいつもお世話になっています」
「サリナさん非常に素敵なお方で、一緒にいるといつも心穏やかでいられるんです」
「そう言っていただけるなんて、有難いことです。今日は是非サリナとの時間、楽しんでいってください」

  

桜台交差点を右に曲がると屋敷が現れた。ここがサリナの家だという。冠番組で数々のお嬢様エピソードを耳にはしていたが、想像以上の豪邸に驚きを隠せないタテル。
「すごいねサリナ」
「そんなことないですって」
「じゃあ私達は家で待っているので、2人でお昼食べに行ってきてください」

  

タテルとサリナがやってきたのは、屋敷から信号を渡りすぐの場所にある中華料理店「堀内」。町中華とまではいかないものの至って普通の中華料理店に見える。しかし予約で満席との看板が出ており、予約のとれた2人も13時には去る約束になっていた。
「ちょっと慌しいけど大丈夫ですか?」
「全然平気だよ」
「ありがとうございます。ここ本当に人気店でして、食べログの百名店というものに選出されたみたいでいつも混んでいるんです」
「百名店なんだ。特別な雰囲気しないけど」
「めちゃくちゃ美味しいんですよここ!青葉台に越してきてからずっと通っていて、安心する味なんです」

  

ランチコースもあるが、時間を考えると現実的ではないため定食で我慢することにした。選べるおかずは水餃子・豚肉とキクラゲの玉子炒め・油淋鶏・日替わりのおかずという4択に絞られている。
「サリナは何頼むことが多い?」
「どれも美味しいんですよ!体絞りたい時は水餃子でヘルシーに、ちょっと疲れた時には豚肉で栄養補給、ガッツリ食べたい時は…」
「じゃあ俺は油淋鶏ね」
「ね〜え〜!」
「アハハ、さすが話が止まらないサリちゃん」
「お恥ずかしい…」
「そこがサリナの良いところなんだけどね」
結局サリナは玉子炒めを選択し、もう少し食べたいタテルは茄子のニンニク炒めを単品で追加した。人当たりの良いサリナと比べると、若い店員の接客はかなりつれない。

  

サリナは声もまた穏やかである。穢れのない声は多くの人々を癒してきた。この声を活かしラジオ番組を始めると忽ち話題となり、大物ラジオスターもサリナを絶賛した。リスナーに寄り添った悩み相談には持ち前の情の深さで真摯に向き合い、中には命を絶とうとしていたところを救われた人もいた。
「サリナの声、ずっと聴いていたい。ラジオはずっと続けて欲しいな」
「ありがとうございます。今後のことはまだ決めていなくてですね、少しお休みいただいてまた歩み出せればなと思っています」
「7年半駆け抜けてきたからね、よく休んで今まで出来なかったことやればいいと思うよ」

  

前菜3種盛りには、タテルが単品で見て気になっていたおかずが盛られていた。ザーサイ豆腐の味がクセになる。皮の揚げ感を楽しむ揚げワンタンはもっと食べたい。蒸し鶏ときゅうりの辛し和えはもう少しパンチがあると最高だろう。
「ホテル中華レベルの前菜だよ。いいなここ、夜も来るの?」
「お祝い事があると家族みんなで行きますね。料理いっぱい頼んで、お酒も少しいただきながらワイワイ楽しみます」
「俺も行きたいなぁ」
「いつでもおっしゃってください。綱の手引き坂は離れますけど、私達の絆は永遠ですから」

  

サリナにとって、えのき坂46時代含む7年半の道のりは決して平坦ではなかった。むしろ優しさのせいで荊の道を歩むこととなった。
人生で初めて親の反対を押し切り選んだ「アイドル」という道。それは、ネットで飛び交う心無い声との闘いである。外見やちょっとした言動のせいで叩かれることが多く、純粋なサリナはそれを目の当たりにして吸収してしまう。やがて人間不信になり、親の言う通り止めておけば良かった、とこの道を選んだことを後悔した。

  

言葉は人を傷つけるが、言葉はまた人を救う。えのき坂がファンを着実に増やしていくにつれ、握手会などで温かい言葉をたくさんかけられるようになった。暗い雰囲気を漂わせたら皆が暗くなってしまう。だからいつも笑顔でやさしく。聖母サリナ、ここに誕生する。

  

メイン料理は量が多く、1人でも並の胃袋では満腹になることだろう。ランチであっても何人かでシェアしながら食べる方が楽しめると踏む。

  

タテルの頼んだ油淋鶏は衣がフリットのように厚いが、パリッとした食感もあり趣深い。肉もしっかりしているし、タレの味もよく染みる。飽きてきたら卓上のラー油をかけて香りを足すと良いだろう。

  

サリナから少しもらった豚肉と木耳の玉子炒めは、旨味の汁が下に零れ出ており、3つの具材がバラけているように感じた。これに限ってはシェアせず独り占めするのが正解なのかもしれない。
とはいえ炒め物が中華料理の中で一番難しいことは重々承知のタテル。善人サリナの前では一切批評はせず美味しく頂戴した。

  

サリナのもう一つの魅力は「天然さ」である。メンバーにサリナの天然エピソードを聞けば、面白い話がわんさか溢れ出てくる。謎の雑貨を持ってきたり、謎のインドネシア語をぶち込んだり、大好きな数字「7」に異様に反応したり。山手線のホームにロマンスカーが来ると思い込んでいたり、「明日までに間に合わない〜」と言いながら書いていたレポートの〆切が本当は1週間後だったり、ちんどん屋が来るとすぐ呼び寄せたり。メンバーの家に行く時向かいの家のインターホンを押してしまうなど心配になるエピソードも中にはあるが、それでもサリナが信頼されるのは、学があって心優しいが故のことである。
「面白いんだけど上品で実直で懐が広い。俺もサリナみたいになりたかったよ」
「何言ってるんですかタテルさん、人はみんな違ってみんな良いんですよ。私みたいになろうと思わなくていいですって」
「ありのままの俺でいいのかな?」
「ありのままの自分を受け入れてくれる人のことを大事にしてください。私がオーラリーさんにしていただいたように」
「オーラリーさんはサリナの良いところ引き出して番組を盛り上げて下さっていましたね」
「オーラリーさんのお陰で活躍の幅も広がりました。感謝しかありません。そしてタテルさんも、ありがとうございます」
「お、俺も?」
「メンバーの良いところをたくさん引き出して下さり感謝です。メンバーみんな、タテルさんのこと尊敬していますよ」
「ありがとうだよ、サリナ…」涙に溢れるタテル。

  

定食と変わらない値段のする茄子とニンニクの炒め。ニンニクの香りを茄子が纏っておりこれだけでクセになる。ニンニクもちゃんと太っていて、それでいて残るような臭みもないから上品である。野菜料理にしては高く思えるが、中華の醍醐味「アブラの旨味」を味わえる良品である。

  

杏仁豆腐で安らぎを覚えていると、時刻はあっという間に1時15分前となった。
「あらやだもうこんな時間!タテルさんごめんなさい、もう行かないと」
「さすがお喋り好きのサリナ」
「ね〜え〜!」
「だからそこが良いんだって。俺嬉しいもん、懐に飛び込んでくれるからさ」
「タテルさん…」

  

〜ketenangan pikiran〜

  

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