連続百名店小説『雪の中で笑う君は』春パート 第2話(蕎麦倶楽部 佐々木/松本)

女性アイドルグループ・TO-NA(旧称:DIVerse)のメンバー・マナ。DIVerse時代の同期メンバーで、突如グループを卒業して行方をくらましたマシロを探したいと、特別アンバサダー(後にプロデューサー)のタテルに申し出た。タテルはそれを快諾し、マシロの出身地・長野県を旅することとなった。

  

「未だちょっと腹空いてる。やっぱり蕎麦も食おうか」
「急な掌返し。長野で蕎麦なんて安直だ、ってさっき言ってましたよね?」
「そんな逆張り厨みたいなこと言ってない」
「しかもランチをハシゴなんて」
「丼ものと蕎麦って、1食で同時に食うもんじゃん?」
「私食べ盛りの男子じゃないので。でもまあ入るかな」
マイペースなタテルに振り回されるマナであったが、マシロの俤を探すという同じ目的で繋がっているから苦ではないようである。

  

鰻屋の近くにあった蕎麦の名店を覗いてみると、食事メニューはランチセット3,300円のみであるが、量がそこまでではなさそうだと判断して入店する。小料理屋のようなアットホームな雰囲気が漂い、席数は少なめであるが混雑はしておらず、2人はカウンター席に座った。

  

茶と共に早速提供された、食前酒代わりの林檎ジュースと摘みの蕎麦スナック。蕎麦のカラッとした野生みに、〆への期待が高まる。

  

「マナって酒飲めないんだっけ?」
「全く飲めない訳じゃないですよ。一口くらいなら」
長い付き合いでありながら全く掴めないマナの特徴。TO-NAのパーティーの場でも黙々と野菜を食べ続け、タテルに対して積極的に話しかけることもしないマナ。タテルはタテルで自分からメンバーに絡みに行くことをしないので、2人の距離はメンバーの中で最も離れていると言っても過言ではない。だがこのミステリアスさこそがマナのアイデンティティとなっており、両者とも今さら改める気などはない。

  

タテルが日本酒を所望すると、安曇野にある松川村のニューカマー「甍(銀・紅)」を紹介された。後で調べてみると、先程の鰻屋でタテルが飲んだ大信州の酒造にいた杜氏が独立し手がけたものだと云う。綺麗な米感の壁を叩いて割ると、フルーティな味わいがパッと開く。日本酒の最高峰とされる十四代に比肩しうる美しい日本酒である。

  

マナも少しだけ飲んでみることにした。
「あ、これは綺麗なお酒ですね」
「最近の日本酒は洗練されたものが多くて、不慣れな人でも楽しめる傾向にあるんだ」
「こういうのだったら進んで飲みたいと思いますね」
「長野の地酒は全体的に円やかで、甘みのあるものも多い印象。ちょこちょこ試してみるといいよ」

  

ランチセットについてくる小さなおかず達。太さと歯応えがあり胡麻の香りも良いひじきの酢の物。優しい出汁を纏いシャキシャキした鞍掛豆。蕎麦の練り切りには荏胡麻か何かの味噌がかかっている。メニューには書いていなかったが漬物もついている。

  

さらに奉仕品として椎茸と昆布の煮物も供された。
「あれタテルさん、椎茸お嫌いではなかったんですか?」
「誰から聞いたんだ」
「タテルさんが私達と関わり始めた頃、京子と話していましたよね」
「聞いてたのか。ああ苦手だ。だけどちゃんとした店で食べる椎茸なら食えるようになった」
「安物の椎茸は食べない。何と贅沢な」
「人聞き悪いこと言わない!」

  

それにしても何故今、マナはマシロを捜したいと申し出たのか。実は、DIVerseからの初期メンバー3人のうち、マナとミレイが、年末を目安に同時にTO-NAから卒業する方向であった。これから新メンバーが入ることを見越して、いつまでも先輩頼りではグループは若返らない、だから今年いっぱい時間使ってノウハウを伝えて、2人は潔く去ろうとしていた。
「グミは残るのね。良かった……」
「でも30歳過ぎたら途端に卒業するかもしれない、と言ってました」
「寂しくなるな。じゃあ早くて来年の春くらいには初期メン不在となる訳か」
「はい。だから最後の宿題として、マシロの今を知りたい、と思い立ったのです。時間かかると思って早めにお声がけさせていただきました」
「そういうことなら協力するさ」

  

「お二人さんご旅行ですか?」人の良さそうな店主が話しかける。
「はい。いやあこの甍って日本酒、美味しいですね〜」
「でしょ?長野の新しい定番日本酒になると思います」
「これはTO-NAハウスにストックしておきたい。日本酒に馴染みない人でも喜んで飲みますよこれ」

  

日本酒も良いが、信州といえばウイスキーも忘れてはならない。最も高名なブランドといえば駒ヶ岳。同じマルス駒ヶ岳蒸溜所で製造される、廉価ではあるが販売店でしか買えないブレンデッドウイスキー「岩井」にタテルは目をつけた。

  

ワインカスクフィニッシュやシェリーカスクフィニッシュもあったが今回は初めてなのでノーマルのもので。濃い口当たりでフルーティさが際立っているようである。信州ということで何となく林檎をイメージした。
「雪の降る夜のスキー場で、マシロとウイスキーで一献したい。極寒の中ウイスキーで体をカッと熱らせて、マシロが『あったかいね』なんて言って……」
「マシロは多分お酒飲まないですよ」
「まあ飲まなさそうだな」
「アルコール消毒でもかぶれてしまうくらいなので。活動後期は風邪もひきやすかったですし」
「寒いところに居すぎたのか」
「それはあるかも」
「まあ会ってみないとわかんないや。妄想だけ自由にさせてくれ」

  

豚の角煮(写真撮り忘れ)も、出汁主体の優しい味付けでさらりと食べられる。出汁の染みたお大根は酒飲みの間のチルにうってつけである。

  

ここで愈々マシロのことについて聞き込みを始めることにした2人。勿論直球で「マシロは何処にいるか」などと訊ねるのは躊躇われるので、身の上話をして相手が食いつくことを期待する作戦にした。タテルが喋ろうとすると要らぬ芝居や情報が入って話が逸れてしまいかねないため、マナに第一声を任せることとした。
「実はですね、松本にいるかはわからないんですけど、生き別れた親友の想い出を辿っているんです」
「生き別れた親友ですか。それはそれは……」
「色白で妹っぽくて、寒いとすぐ喜ぶ子なんです。雪があるとすぐ雪玉作って投げてきたり、雪を砂のように掬って城建てたりする。寒いの苦手な私も、その子が笑顔でいると思わず笑顔になるんです」

  

「……あれ、あなた前そんな話してませんでした、あっちのテーブルで?」
「おいマナ、ここ来たことあるのかよ?」
「覚えてない……」
「あれ、記憶違いかな?それだったら失礼しました。そろそろ蕎麦の準備しましょうか?」

  

〆の蕎麦は、差額を出せば鴨やとろろなどの蕎麦にも変更できるようだが、もり蕎麦原理主義者のタテルは変更無しとした。

  

この日の蕎麦は、聖高原で有名な中信麻績村、ここに来るまで経由してきた茅野の実を使用。九割三分の蕎麦である。タテルはすっかり出来上がっていたが蕎麦の香りを確と感じ、野生みの強い印象を受けた。

  

「あ、思い出したかもしれない!」

  

8年前の夏、上高地を訪れた帰りにこの蕎麦屋を訊ねていたマナとマシロ。歩き疲れた上、避暑地に甘えてきた体には堪える松本市中心街の暑さ。暑いのが苦手なマシロは疲れを隠せずにいたが、蕎麦前を食べると途端に元気を取り戻していた。
「次は冬の上高地行きたいね」
「ああいきたいね」
「ぶっぶー。上高地は冬季閉鎖だよ。マナちゃん疲れ過ぎ」
「試してたの私のこと?」
「冗談。他にもいっぱいあるよ、雪が綺麗なとこ。今度はどこにスキー行こうか?」
「温泉あるとこにして。すぐ暖をとりたい」
「まったく、マナちゃん寒がりなんだから」
「雪玉投げるのとか勘弁だからね。物陰から急に現れて投げつけられたの怖かった」
「雪があるとやりたくなっちゃうんだよね」
「まったく」
「じゃあ一緒にお城作ろう?楽しいよ」
「まあその方が平和か。付き合うよ」

  

この日の蕎麦も麻績産と茅野産であった。本物の蕎麦の香りを確と感じて、幼気な子供のようなマシロが大人の頷きを見せる。
「安心する香り。東京のお蕎麦は物足りないんだよね」
「そうなの?私には違いが判らない」
「心を無にして、全神経を蕎麦に集中させて。いつもの蕎麦からは感じ取れない香りがあるはずだよ」
「……本当だ。これが蕎麦の香り」
「良かった。これからもいっぱい、長野のお蕎麦食べようね!」

  

「という訳で、タテルさんに教わる前にマシロから蕎麦の魅力を学びました」
「良い話じゃん。何故忘れる?」
「マシロの顔しか見えてなくて。あんなに妹感のあるマシロが、あまりにも大人に見えたんです」
「大人の階段昇ってた訳か。きっと今は立派な大人なんだろうな」
「何処で何してるんだろう?本当に会いたい……」

  

会計は現金のみ。蕎麦セットに日本酒とウイスキーで5,000円台の会計であったようである。
「見つかると良いですね。ごめんなさい、力になれなくて」
「こちらこそすみません、来たこと忘れていて」
「いえいえ」
「偶然2人が来た店に来られたのも、再会への先触れだと思います」
「再会できたらまた来ますね。今度こそは忘れません!」
「頼むぞマナ」

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