連続百名店小説『雪の中で笑う君は』春パート 第1話(山勢/松本)

雪原に繰り出す1人の少女。名前をマシロという。少女、といっても高校生ではあるのだが、両手いっぱいに雪を掬っては手を離して溢すという動作を、あどけない笑顔を見せながら繰り返していた。
「冬って楽しいね、マナちゃん!」
「そうだね。でも寒い」
「もう、マナちゃんったら猫みたい。すぐこたつで丸くなっちゃう」
「いいじゃん丸くなっても」
とは言いつつも笑顔を見せる、マシロの親友マナ。彼女は笑顔を作ることが苦手なのだが、マシロの振る舞いの前では自然と笑顔になってしまうと云う。

  

2人は人気アイドルグループ「DIVerse」の初期メンバー。長らくインディーズで活動していたがその人気は凄まじく、2019年春に満を辞してメジャーデビュー。デビューシングルの『ZUN』は100万枚近く売れるスマッシュヒットを記録した。しかしその頃、マシロは心身の不調を理由に活動を休みがちとなる。雪のように色白で、ぶりっ子に定評のある人気メンバーであったマシロ。多くのファンが不安に苛まれる。

  

そしてその夏、公式サイトに「マシロに関しまして」というお知らせが掲載される。

  

体調不良により活動を休止しておりましたマシロでございますが、この度本人の申し出により、8月25日をもちましてグループを卒業することとなりました。卒業に際する公の場でのセレモニーにつきましては、本人の意向を尊重いたしまして、無しとさせていただきます。代わりにビデオメッセージにて、最後のご挨拶とさせていただきます。

  

この度は突然の卒業発表となってしまい申し訳ございません。本当は直接挨拶をすべきところではございますが、あまりにも心身の調子が優れず、皆さんの前に姿を見せることができません。こんな形で終わることになってしまい申し訳ございません。芸能界も引退します。どうかこれ以上、私のことを探さないでください。皆さんの心の中に少しでも私が生きていれば、それだけで私は幸せです。

  

未だ高校3年生、この先何年もスーパーアイドルとして活躍する未来が待っていたであろうマシロの脱退に、ファンやメンバーは心を痛めた。
間も無くマシロはメンバーとの連絡先を全て消去し、故郷の信濃へ帰っていった。探さないでほしい、という本人の意向に従い、ファンもメンバーも、心の奥底でマシロに思いを馳せつつ、詮索は控えていた。

  

そして卒業から6年が経とうとしていた2025年。DIVerseはデビュー時の勢いを失い、栄華を取り戻さんと事務所を独立しTO-NAに改名した。メンバーは墨田区内で共同生活を送っていた。DIVerseの12人いた初期メンバーも続々と卒業して3人にまで減っていたが、マナは未だ残っていた。

  

晩春のある日、自分からはあまりスタッフに話しかけないマナが、珍しくタテルに声をかける。
「タテルさん、マシロのこと探しに行きたいです」
「マシロ?急にどうした?」
「昨晩ふと思ったんです。マシロ今どうしてるのかな、って。そしたら全然眠れなくて」
「なるほど。たしかに俺も会いたい。でも探さないでって言われてるし」
「やっぱりそうですよね」
「本人の意思だからな。それに卒業してもう6年、マシロは穏やかで安定した暮らしをしていることだろう。もう俺らが踏み込める領域に居ないんじゃないかな」
「じゃあせめて、マシロの故郷に行きません?探すとかじゃなくて、少しでも近くに居てみたいんです」
「まあ信濃路の旅なら喜んでするさ。マシロの出身地って長野市だっけ?」
「県内を転々としていたみたいで、DIVerse合格当時は松本在住でした」
「じゃあ松本に行こう。ブクマしてた鰻屋があるんだ。予約取れるかな」
その鰻屋は人気店であり、食べログの星は4.0を超えBRONZEの表彰を受けていた。Tablecheckで予約を試みると、意外にも直近の日付が空いていたためすぐさま押さえた。

  

旅行当日。朝飯の天むすを購入し、新宿発の8時……ではなく9時ちょうどのあずさに乗り込む。タテルの脳内には『あずさ2号』のメロディが流れていて、旅情に浸りつつ、マナと同じようにマシロとの思い出を重ねていた。

  

「あれ、タテルさん泣いてます?」
「え?いや、今日は逆さ睫毛が酷くてね」
「強がらないでください。誤魔化そうと思ってもすぐバレますからね」

  

新幹線とは違い在来線をゆっくりと走るあずさ。松本までは2時間39分の旅路であった。

  

タテルにとっては初めての松本。一方でマナにとっては2回、マシロと共に訪れた土地である。マナは慣れた調子でタウンスニーカーというコミュニティバスに乗り込む。

  

「マシロとはどこに行ったの?」
「お蕎麦屋さんとか行きましたね。あ、ここです!行列できてる」
「すごい。観光客向けの店っぽいけど」
「いいじゃないですか別に。私ちょっと驚きましたからね、松本行くって聞いて真っ先に鰻屋さん提示されたの」
「松本でNo.1の店だからな。信濃に来たら蕎麦、なんて固定観念は取り払おう」

  

松本で最も食べログ評価の高い鰻屋に到着した。伝統的な和の趣ある扉の先には東京の洗練されたレストランにあるような廊下が続いていて、空間を広く使ったゆとりのあるダイニングに辿り着く。

  

予約時に注文できるコースは割高そうであったため回避しており、アラカルトメニューを眺める。うな重・白焼定食・単品蒲焼・単品白焼・肝焼き・すっぽんスープといった少数精鋭のラインナップ。勿論メインはうな重である。
「マナって内臓系苦手だったよね」
「はい。肝焼き食べようとしてます?」
「ああ。じゃあすっぽんはどう?」
「食べたことないですね。試してみようかな」
肝焼き1本とすっぽんスープ2杯を注文すると、用意できるか一旦確認しにはける店員。一瞬緊張が走るが、まもなく売り切れていないことが確認され一安心である。

  

タテルは真っ昼間から酒を飲む心意気全開である。地ビールの取り扱いは無かったので地酒を選択した。大信州の超辛口純米吟醸。フルーティなニュアンスも十分ある入りだが、後から痺れるような超辛口が口内を支配する。

  

「松本だと他どこ行った?」
「あまり覚えてないですね。松本駅着いて、そのまま上高地に行ったことならあります」
「いいねぇ。風光明媚で夏は避暑地。冬は銀世界でこれまた美しそう」
「残念でした。マシロ曰く、冬の上高地は雪が深すぎて閉鎖らしいです」
「あらま」
「冬の長野だと、初期メンバー達でスキーに行きました」
「楽しそう。大学生の青春、って感じするな」
「でも私、寒いの苦手で。カフェに暖をとりに行こうとしてたら、マシロがスキーそっちのけで雪と戯れていまして」
「ハハ。マシロらしいな」
「冬って楽しいね、とか、マナちゃんったらこたつで丸くなる猫みたい、とか言われちゃって。ちょっと馬鹿にされたような気がしたけど、それが逆に嬉しくて」
「俺も一緒に雪遊びしたかったな……」

  

肝焼は一見すると均質に思えるが、実際は3層に分かれている。上段は全くクセがなく、パリパリした皮目と若々しいゼラチン質の身のコントラストを楽しめる。肝らしい肝は中段にあって、まあ苦いが辛口の大信州とよく合う。下段は苦味の名残ありつつ、再び上段のフレッシュさに戻る。

  

マシロに対してあまり興味が無いような素振りを見せていたタテルであったが、実は大好きで、最推しにしていた可能性もあったと云う。現実彼のDIVerseにおける最推しはクールでならした京子であったが、その真逆にあるぶりっ子を好む傾向にあり、正統派ぶりっ子との呼び声高いマシロには興味津々であった。冠番組では一たびカメラに抜かれればウインクを飛ばす、拳を顎の下にやって首を傾げるなどの振る舞いをしていて、体の内から自然と湧き立つぶりっ子の仕草であるとタテルは評価していた。メンバーが怪談話をしている最中も、マシロは後ろでカメラ目線を決め時にウインクをかます。その姿はまるで雪ん子であり、あまりにも可愛くて涙が出てしまうのだと云う。
「やっぱり好きなんですね、マシロのこと」
「当たり前でしょ。あんな可愛い子、ほっとけないって」
「タテルさんのぶりっ子好き、わかりやすすぎます。私のこと全然見てくれないし」
「悪かったな。兎に角あの時はものすごく心が痛かった。今でも堪えるよ、マシロの卒業は……」

  

すっぽんスープにはもも肉とエンペラが入っている。すっぽん特有の繊細な旨味がスープに溶け出し、エンペラはプルプルと、もも肉は鶏肉のようである。初めて食べるマナもご満悦であった。

  

「だからさ、俺もちょっと探してみたいんだ、マシロのことを」
「最初からそう言えば良かったのに」
「まあセンシティヴな話だからさ、やり方考えるよね」

  

マシロは卒業の理由として、SNSにおける中傷を挙げていた。芸能人には最早つきものとなってしまった有名税であるが、(自然派とはいえ)ぶりっ子という属性のせいか余計に加熱していたようで、心が弱ってきたところに殺害予告を食らってしまった。その加害者は最終的に逮捕されたが、マシロはすっかり疲弊してしまい、卒業に繋がったとされている。いま少しでもDIVerseの話をちらつかせたら、マシロは辛い記憶を思い起こされて鬱になってしまいかねない。
「血眼になって探すのとかは無し。店員さんとの会話で『友達の故郷が長野で〜』とか言うくらいで」
「それとなく仄めかすくらいに、ですね。はい、厳守いたします」
「ビジネスパーソンかよ。そんな堅くならなくていいから」

  

マシロの幸せを願いながら、うな重を戴く。

  

表面がキャンディのようにパリッと焼かれており、皮目はゼラチン質の食感。控えめの味つけであり繊細な美味さ。ご飯を掻き込んだり山椒をかけたりするのは勿体無いと思うくらいである。感覚を研ぎ澄ませて食べるべき鰻重であり、泥臭さを求める人には物足りないかもしれない。

  

長野県産のワイン「Terre de ciel」の赤。自然派らしい若さの中に、少し重さや酸味を感じる。鰻のような重みのある日本料理に確かに合う。

  

「マシロは今何をしているのかね」
「マシロの性格からして、好きなことを仕事にしている可能性はあります」
「顔を出さなくてもできる、マシロの好きなことって思いつく?」
「農業とか。野菜が好きだったので」
「画が思い浮かぶな。もしかしたら、もう結婚して子供がいるかもしれない……」

  

6年という年月は、恋を実らせ家庭を作るには十分すぎる長さである。もしそうであったら、探すなんてことは絶対にしてはならない。芸能界に嫌気がさして去った人を、芸能界に染まった人が追いかけてはならない。普通の人として生きる幸せを邪魔してはならない。マシロとは今生の別れである。

  

「おばあちゃんになっても親友だね、って言ったはずなのに。どうして連絡取ってくれないんだろう」
悲しくなってしまうマナ。しかし涙は流さない。マナは泣かない人だからである。不可避だったコロナ感染の1回を除き、体調不良による休みは無い鉄人。芸の派手さこそ無いが、TO-NAのメンバーを支える縁の下の力持ち。だから誰に対しても涙は流さない。最後の鰻を口に含んで、騒めく喉を鎮めた。

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