連続百名店小説『雪の中で笑う君は』夏パート 第3話(川上庵/軽井沢)

女性アイドルグループ・TO-NA(旧称:DIVerse)のメンバー・マナと特別アンバサダー・タテル。DIVerse時代、逸材とされながら突如卒業、行方をくらませたマシロを捜していた。すると白糸の滝にて、マシロが突如倒れてしまった現場に遭遇。マシロの叔父である池上から話を聞き、曰くマシロは重病を患っていて、かつてのメンバーやファンに闘病中の姿を見せたくないとのことである。

  

マシロとの別れを突きつけられ言葉を失う2人。
「この後のご予定は?」
「川上庵を予約しています。19時に」
「いい店選びですね。まだ時間あるからここでゆっくりしましょう」

  

8月は21時まで開店しているちもと。冷房が効いていない過酷な空間ではあるが、他の店に入る気力も無いため留まることにした。
「会えないのなら、せめてマシロに言伝をお願いします」
「構わんよ。まあ内容にもよるが」

  

2人は手帳を取り出し、時間いっぱいマシロへの伝言をしたためる。結果として伝言ではなく手紙の長さの文章となってしまったが、池上はそれを確と受け取り、マシロに渡すことを約束した。

  

「申し訳ないな、マシロに会わせられなくて」
「間接的に繋がれただけでも嬉しいです。ちもと餅もご馳走様でした」
「元気でな。何かあったら連絡します」

  

旧軽銀座を駅方面へ戻り、分岐が現れたところに川上庵が見える。昼間通った時には100人近い行列ができていたが、夜でも20人くらいの列が発生していた。しかも夜は予約ができて酒を飲む人も多いから、回転はかなり悪いと思われる。
「マシロと来た時は1時間並んだなぁ……」
「来たことあったんだ」
「軽井沢の有名店ですもんね。はぁ……」
「気持ちはわかるが、落ち込んでいては店に失礼だ。今夜は飲もう。美しい酒は傷心を癒してくれる」

  

本当はよなよなエール(生)などの地ビールも飲んだみたいところだが、腹が膨れてしまいそうなため日本酒に専念する。長野の地酒が10種類程取り揃えられていて、3種利き酒セットの扱いもある。

  

十六代九郎衛門はアルコール度数抑えめ。構えはどっしりしていて、そこから甘みが少しずつ溢れる。和田龍登水もまた甘みがあって華やか。そして7号酵母の発祥蔵がそのルーツに向き合い醸すMiyasakaは、6号酵母の新政にもあるような、甘味と酸味による複雑性が魅力である。
「長野の日本酒は優しくて甘みのあるものが多い傾向にある、と思ってる」
「マシロみたいですね。もう何でもマシロに結びつけちゃう」
「日本酒は土地土地の水がその個性に寄与する。マシロも優しい水と甘美な米を摂取して育ったんだろうな」

  

*筆者は実際1人で訪問しており、一部ハーフサイズで提供してもらいました。

  

お通しは蒲鉾。上面に切り込みを入れ胡瓜を挟むという芸を施してある。
すぐ出てきた摘みが蕎麦味噌。蕎麦の実の他に鴨肉のミンチが練り込まれており、肉の旨味と味噌によりまったりとした味わい。蕎麦の実の香ばしさも勿論あって良い摘みである。少し濃いと思ったら、添えられた胡瓜や茗荷に味噌をつけて食べても良いが、まあ味噌だけで終始楽しめるものである。

  

「タテルさんのチョイスって渋いですよね」
「蕎麦屋だから仕方ないだろ。マシロとは何食べたんだ」
「待ってください、思い出そうとすると込み上げてきちゃう……」
「サラダか」
「そうですね、サラダと天せいろ」
「次来た時は温製サラダ頼もうかな。今日は味噌の気分だから」

  

信州味噌を使った生麩田楽。もちっとした生麩に合わせる味噌は甘めであり、蕎麦味噌とはまた違った一面を見せている。

  

「タテルさんはマシロへの伝言、何書きましたか?」
「そもそも俺のこと知らないだろうからな、しっかり挨拶から始めて……」

  

 初めまして。TO-NAのスタッフをしております渡辺建と申します。私はメジャーデビューした頃からDIVerseのファンとなりまして、いつの間にか運営に携わるようになり、メンバー1人1人に向き合って個々の魅力を引き出しています。
 私がファンになって間も無く、マシロさんはグループを卒業されました。雪ん子ぶりっ子、「冬の女の子は無敵」発言、『Smile and Smile』MVでのエモーショナルな立ち振る舞い……マシロさんがグループ内で残した功績を知った途端、もっと早くマシロさんのことを知って推せば良かった、と強く後悔しました。今でもマシロさんのことを考えると胸が一杯になります。そして、マナのマシロさんを捜したいという申し出をきっかけに、僭越ながら私もマシロさんに会ってみたいと思いました。迷惑でしたらすみません。
 そんなマシロさんが今、大変な病を患っていることを知りました。池上さんから病状については解説いただきましたが、かなり厳しい状況であることは痛感しております。私から何か言うのは大変烏滸がましいことかもしれませんが、治ることを信じてください。そうしないと、治るものも治らないと思います為。そして自慢の写真、これからも撮り続けてください。
 今でもTO-NAのこと、気にかけていると伝聞しております。体調が良ければ、あきたフェス、配信で観てください。貴女の愛する仲間、その遺志を継いだメンバー達の勇姿を観てください。そしてできれば、完全寛解した暁には、TO-NAの皆、DIVerse時代の同志に、顔を見せてください。一日でも早い回復を、心からお祈り申し上げます。

  

「長いよな。でもそれくらい気持ちが溢れちゃって」
「良いじゃないですか。マシロ、ぶりっ子とか褒められると喜ぶ性格なんです」
「らしいな」

  

ディナー限定の鶏の炭火焼き。これが兎に角絶品で、塩焼きというシンプルな調理ながら、雄々しい粗塩が鶏の旨味、皮目の香ばしさ、控えめながら確かな脂の味わいを引き立てる。心に深く刻まれる鶏料理である。

  

マナがマシロに綴った文章。
 マシロ、久しぶり。元気……な訳ないか。再会がまさかこんな形になるとは、ね……。叔父さんから話は聞いた。病気で弱っている姿を見せたくなかったんだね。でも私は見てしまった。たぶん一番見せたくない相手だったと思う。ごめんね。
 実はね、今年の終わりに私、ミレイと一緒にTO-NAを卒業するんだ。その前に一番の心残りを解決したくて、想い出振り返りながらマシロのことを捜してた。1人だと寂しいから建さんにお供してもらった。春は松本に行った。松本城、怖がらず登り降りできたよ。マシロと一緒に行った蕎麦屋さんもシュークリーム屋さんも訪れた。相変わらず美味しかったよ。その後広報紙を手に取って、マシロの撮った白糸の滝の写真を見つけた。写真家やってるんだな、って思った。聖地巡礼みたいな感じで白糸の滝を訪れたら、マシロが倒れていた。
 マシロは優しくて強くて、年下なのに私より考え方が大人だよね。ちょっと食べ物の好みにうるさかったりくっついてきすぎなところはあったけど、それも全て大事な想い出。オーディション会場で初めて会った時からお互い運命感じてさ、乗り物の座席はいつも隣だったしホテルはいつも同じ部屋。休日は必ず家で集まったり出かけたり。ステージ裏でもギリギリまでくっついていて、よくスタッフさんに注意されたよね。こんだけ一緒にいても、話題に尽きるどころか話し足りないとさえ思う相手なんて、マシロしかいないんだよ。おばあちゃんになっても一緒にいる約束、やっぱり守ってほしいよ。どんな姿であっても、マシロはマシロ。私の大好きで大切な存在のマシロなんだよ……調子の良い時で構わないから、会って話しよう。そして何より、生きていてね。絶対に病魔に打ち勝つんだよ。あの頃のマシロを思い出して。絶対に乗り越えられるから!

  

タテルはその手紙を読んで、DIVerseを知るようになる前から育まれていた2人の友情がありありと浮かぶものだから涙が止まらない。
「絶対にマシロに伝わってほしい。こんなん書かれたら、気持ちが動かない訳ない」
「どうでしょうね。頑なところもありますから……でも伝わってはいると信じます」
「だな。闘病の苦しみを俺らが理解できる訳ないけど、少しでもできることがあれば。寄り添えれば」

  

せいろそばは胡桃だれで戴く。酒が入っていても感じられる蕎麦の香り、円やかな味わいの胡桃。蕎麦そのままと胡桃だれにつけるを繰り返して最後まで味わう。

  

池上から送付してもらった、マシロ撮影の写真を眺めるタテル。安曇野、地獄谷野猿公苑、野沢温泉など、冬の景色が多めである。
「どれも綺麗だ。やっぱり冬だと元気になるようだなマシロは」
「夏のマシロも可愛いですけどね」
「それはそうよ。四季問わずマシロは可愛い」
「白いワンピースが似合ってました。そこにちょっとそばつゆ飛ばしちゃって涙目になっちゃったり」
「そこは年下みたいなリアクション」
「私のシミ抜きテクで元通りにして、すごく喜んでくれた。みんな冬のマシロを愛でますけど、夏こそ真骨頂だと思うんです」
「春夏秋冬通して、つまり1年通してずっと健康体でいる。そういうマシロを待ち望んでいる訳だ。不安は絶えないけど、完全寛解を祈ろう。そして事情が許すのであれば、また公の場に現れてファンを楽しませてほしい」

  

まだ食べられそうであったため鶏皮せんべいも追加していた。醤油の香ばしさをこじ開けた中に鶏皮の脂の旨み。これが堪らない。

  

日本酒も追加する。安曇野の御湖鶴から、とっておきのしぼりたて樽生酒。先程の3種以上に活き活きとした濃いフルーティさ。唯一無二のはっきりとした味わいである。

  

マシロへの想いを綴り、病気を治す力だけでも与えて少し気分が上向いた2人。そこへ池上からLINEの着信があった。

  

マシロの容態は落ち着きました。少しではありますが会話ができる状態です。そこで僕から手紙を渡してみました。しかしマシロは、マナさんからの手紙を少し読んで僕に返し、そのまま寝込んでしまいました。マナさんに姿を見られてしまったこと、だいぶショックだったようです。やはりこれ以上、マシロに会うことは考えないでください……

  

「嘘だろ。頑なすぎる……」
「……」

  

食後に頼んでいた杏仁豆腐。ミルクの濃いどっしりとしたものであり、涙ながらであっても味がよくわかるタテルは、胸がいっぱいのマナの分まで掻き込んだ。
「マナ……お前だって泣きたいだろ?」
「泣きたいですよ……でも決めてますから、泣かないって」
「俺は駄目だ、耐えられない……」

  

タクシーで軽井沢駅へ向かい新幹線に乗り込む。マシロ捜しは思わぬ形で中止となり、2人は憮然とした表情のまま帰京した。

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