埼玉県越谷市まんげん台、独協学園の近くにある、新米医師の美玖とその母・由佳、祖母のタケの3世代で営むクリニック「金山診療所」。タケは凄腕の医師で理解ある患者からの信頼は厚いが、一癖も二癖もあるため評判が芳しくない。
一方、美玖の幼馴染で、国家公務員として厚生労働省で働く能勢建。彼も医者を目指していたが医学部受験に失敗し別の道を歩まざるを得なかった。
「能勢!お前なんてことを…犯罪だぞ!」
「ああそうですよ。もういいんです、前科だ前科だ!いくらでももらってやるわ!」
自暴自棄になった建。すると突如その場に倒れ込んだ。
「能勢、大丈夫か⁈」
「めまいがして…」
「とにかく君は暫く自宅待機だ。ゆっくり休むがいい。まあ永遠に休むことになるかもだけどねぇ」
一方ランチを済ませた金山家は再び車に乗り込み、春日部駅から続く道に出て川を渡り湯楽の里を過ぎて最初の角を右に曲がる。案内があるので多分わかりやすいと思う。お菓子の館オークウッドのお出ましである。金山家はいつもここでバースデーケーキを買うという。
土曜日の昼間、カフェは満席で2組待ちであった。その間美玖と由佳はショップに移動し持ち帰りのケーキを選ぶ。ショーケースには10種類弱の素朴なケーキが並ぶ。何点か見繕いカフェで食べることにした。
一方タケは気がかりな患者を思い出し無償で電話再診を行う。
「坂本畳…じゃない、失礼しました。金山診療所の金山タケです。先程お熱があるということで受診されましたが、少し気になることがございまして」
「あ、はい…」
「海外旅行してたって仰ってましたよね?」
「ええ」
「かなりお疲れではなかったですか?」
「疲れました。初めてだったんですよ海外は」
「うんうん。話変わるけど、お口のトラブルありません?」
「え…ああそうだ、歯が痛かったんだ。多分虫歯かと思います」
「もしかして今、首痛くない?」
「…たしかにちょっと痛いです」
「アンタ、今すぐ救急車で病院行きな!」
「はっ⁈」
「縦隔炎。虫歯の穴にバイ菌が入って、首の組織、そして終いには縦隔という左右の肺を隔てる部分まで降りてくる。そこまで来ると胸が圧迫され、血液に入ると体中がバイ菌に侵略されて死ぬ!」
「怖い!怖いって!」
「胸は未だ痛くない?」
「はい、何とか」
「今すぐ治療受ければ大丈夫だから。電話して良かったわ、お大事になさってください」
お互い用を済ませてカフェに戻るが、回転はかなり悪くさらに5分ほど待つ。ランチのラストオーダーは過ぎていたが、何とかキッシュを注文することができた。
「おばあちゃん、休む時はちゃんと休まないと」
「いいや、放っておいたら見殺しにするところだった。休むのもいいけど、やることやってからだよ」
「はーい」
キッシュはかぼちゃと粗挽きソーセージがたっぷり入っている。卵のふるふるした部分も楽しみたいところではあるが大満足した。
セットドリンクとしてエルダーフラワーソーダを注文した。華やかな香りのドリンクをセットにできるのは有り難いことである。
「おばあちゃん、私おばあちゃんみたいなお医者さんになれるかな」自信無さげに呟く美玖。
「不安になることない。私だって新米の頃はミスも多かった。でも自分は医者の資格を持っている。国からお墨付きを得た選ばれし人なんだ、と少し誇ってみたら、頑張ろうという気概が生まれた」
「選ばれし人、か…」
「医者としての責務を全うする。この意識は絶対持つ」
「うん」
「美玖も選ばれし人よ、自信持ちな」
ランチにはデザートとしてプチサイズのデリスショコラがついていた。オークウッドを代表するケーキのひとつで、見た目は野生味溢れるものの、口溶けが一級品。チョコの味もとても強く、土台のビスケットや胡桃で貫禄を足している。テオブロマのサンフォアキンなどと並び、日本で5本の指に入るチョコレートケーキであると筆者は考えている。
そしてカフェ限定のデザートからティラミス。チーズ・コーヒー・マルサラが渾然一体となって大人の香りを演出する。強いて言うなら少しマルサラが強いかもしれない。一方でコーヒーアイスは惰性で食べてしまう味であったが、ティラミスと合わせればコーヒー味を補強できてより良いバランスを実現できたのかもしれない。
「美玖、医者として心掛けなければならないこと、まだあるけどわかる?」
「患者さんの身になって考える」
「そう。意識はしてくれてると思うけど、まだまだ足りてない」
「…」
「医者は医学のことよく知っているけど、患者さんは知らないでしょ。専門用語並べても理解してもらえないから言うこと聞いてくれない。丁寧に説明してあげなきゃ駄目よ」
「わからない人の気持ちに立つ…」
「そうだよ。だから『ほんとにあった怖い家庭の医学』なんかはよくできてるね。体内の様子、病が進行するメカニズム、わかりやすく描いている」
「でもあれ怖すぎない?夜も眠れなくなるくらい怖いんだけど」
「まあちょっと脅しが強すぎるかな。フォローはしてあげないとね」
愈々ケーキタイムに突入。まずはこれまたオークウッドの看板である「宇治」。抹茶の味がちゃんとする。スポンジに染みる少し多めの水分量でケーキとしてのバランスも取れている。人々に愛されるだけある作品といえる。
プリンもまた面白い。口溶けなめらかではあるがキャラメルミルクジャムがかかっているのも相まってねっとり重厚な仕上がり。
タケは突如、自身の老化についてぼやき始めた。
「90過ぎると衰え感じるね。手元は狂うし文字も読みにくいし」
「さすがのおばあちゃんでもそういうの感じるんだ」
「老いに抗うのも限界があるかもしれん」
「おばあちゃん、そんな悲しいこと言わないで。おばあちゃんには生涯現役を貫いてほしいな」
「美玖…」
「正直危なっかしいな、と思うことはある。でもおばあちゃんのその粘り強い姿勢が多くの患者を救っている。だから辞めないでほしい」
「そうか。励みになるね」
「私もおばあちゃんに早く追いつけるよう頑張る。サポートしてあげられるようになる。だから、これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」
「はいはい。そんな堅苦しく言わなくて良いよ」
バスクチーズケーキはそこまでチーズの味が強い訳ではないが、密度は高い方で満足できる。
苺モンブランは苺1粒をピスタチオクリームとホワイトチョコクリームで包んでいるという構成で、それぞれの要素が綺麗に仕上がっているが苺要素がもう少し欲しい。
14:30から予約制のアフタヌーンティーが始まるため、店内待合スペースに人が増えてきた。最後のケーキ「エクラテ」をそそくさと食べて退散する。ベリーの存在感が強いバタークリームケーキで、タケはノスタルジーを覚え、由佳と美玖は美しさに惚れる。
「たくさん食べた〜!」美玖は多幸感に包まれていた。
「ここのケーキは美味しいわねぇ、老若男女に愛される店だ。あと何回、3人でここのケーキを楽しめるかね」
「そんな、何回とか数えないでよ。いつまでも、でいいじゃない」
そう指摘する由佳の顔は、どことなく曇っているようであった。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
プロットに組み込めなかった焼き菓子のレポ。
フィナンシェは標準的。
いちじくと胡桃がたっぷり!食感を楽しむパウンドケーキ。「チョコマサ」も買えばよかった…
ハード系はバターの味が円熟していたと思う。特にミルクティークッキーは紅茶味もまろやかさもよく実現されて夢中のまま完食。
NEXT