連続百名店小説『老婆の診療所』CASE 6(ソットテット/春日部)

埼玉県越谷市まんげん台、独協学園の近くにある、新米医師の美玖とその母・由佳、祖母のタケの3世代で営むクリニック「金山診療所」。タケは凄腕の医師で理解ある患者からの信頼は厚いが、一癖も二癖もあるため評判が芳しくない。
一方、美玖の幼馴染で、国家公務員として厚生労働省で働く能勢建。彼も医者を目指していたが医学部受験に失敗し別の道を歩まざるを得なかった。

  

「建さん、気持ちは分かりますがこちらとしてはこれ以上処分とかできないと思いますよ」
「それはわかってる」
「お姉様、スティーブンス・ジョンソン症候群でしたよね。風邪薬などの副作用で、服用から2週間くらいして発症する」
「そうですよ」
「あれをタケさんのせいにするのは酷ではないでしょうか」
「ああ酷だよ。でもタケは完璧で究極の医者なはずだ。なら何故診療所に駆け込んだ時点で適切な処置をとれない」
「ただれがある時点で疑っても良いはずですよね。あ、でも建さんはその当時その病気の存在知らなかったのですか?」
「知らないよ。大学生になってから『ほんとにあった怖い家庭の医学』観て初めて知った」
「誤診と言えば誤診なのでしょうが、マイナーな病ではあるので医療事故とするのはやはり無理があるかと…」
「うるせぇ!とっととあの診療所を潰すんだ」
「それはできませんって」
「潰せる潰せる!あの老害を医学界から退場させろ!」
「めちゃくちゃですよ」

  

「能勢君!電話口で何気を立ててるんだ」上司が建を諌める。
「とにかく金山診療所を潰せ!」
そう言い捨てて建は電話を切った。

  

「君今何て言った?」
「金山診療所を潰せ、と」
「いち厚労省職員の分際で特定の診療所を潰すとは何事だ」
「正義の鉄槌です」
「生意気な。局長の許可を貰ったと嘘をついて保健所職員を指示し不要な立入調査をさせた。公権力の濫用だ!処分が下ると思うから覚悟しとけ!」

  

一方、立入調査を受けた金山診療所。タケは保健所職員の言うことなど聞かず自分流を貫いていた。この日は二十歳のOLが疲労感を訴え受診していた。
「あら、随分と痩せちゃって。ちゃんと食べてるかい?」
「食べてるって!」
「今日の朝ご飯は?」
「アタシ朝食は食べないタイプ」
「良くないわね。昨日の昼と夜は?」
「湯通しした野菜」
「薬は?」
「薬?まだ若いのに飲むわけないっしょ」
「タメ口利くのは勝手だけど、嘘だけはつかないでちょうだい」
「嘘ついてないし」
「貴方の痩せ方、不自然なのよ!下っ腹見なさい」
「わぁ!太ってる…」
「筋肉が弛んで腸が出っ張ってるのよ。私は全部お見通しだからね、白状なさい」
「下剤とフロセミド飲んでます…」
「でしょ。偽性バーター症候群だね。カリウムが欠乏して筋肉の働きが悪くなる。そのまま放っておくと心臓止まるよ」
「し、心臓が止まる⁈」
「ああそうだよ。そんなに痩せて何が得られるんだい」
「モデルさんみたいな細い体に憧れて…」
「馬鹿な真似はよしなさい。筋肉量が少ないから体への負担がすごい。肥満よりタチ悪いからね」
「…」

  

土曜日の午後ということで、金山一家は春日部へ繰り出した。
「『匠大塚』ってあるでしょ。あれ昔はロビンソン百貨店だったの。よく反物買いに行ったわね」
「おばあちゃん着物大好きだもんね」
「美玖の結婚式には、今までで一番高価な着物着ていきたいね。いい人見つかったかい?」
「いやぁ、まだまだ新米だから、恋愛する余裕ないですよ」

  

その近くの駐車場に車を停め、予約していたイタリアンの名店「ソットテット」に入る。1階は調理場のみのようで、2階に登り名前の書いてある席につく。ランチは何時間も滞在するような店ではないが、土曜は予約で埋まっていると思った方が良い。

  

ランチセットは春日部周辺の街で作られた野菜使用のパスタが週替わり3種と日替わり1種、レギュラーメニューがモッツァレラトマトと香り豚のラグー(後者は週末になると売り切れがち)、合わせて6種類から1つ選ぶ。どれも惹かれるから1種類に決めるのは酷で、複数人で行ってシェアするのが得策と思われる。美玖は鶏ひき肉と岩槻産小松菜のパスタを選択した。セットのドリンクは追加料金200円を払い、杉戸産甘夏シロップの炭酸割りにしてもらった。

  

「おばあちゃん、立入調査大変だったね」
「突然来たからびっくりだよ。私何も悪いことしてないのに」
「迷惑だよね。おばあちゃんはちょっとお節介なだけで診察は的確。今日もよく薬の乱用を見抜いたよね」
「あそこまで弱ってたらオーバードース考えるでしょ。頭に入れておかないと」
「でもちょっと説教臭すぎたからね」珍しく由佳がタケに噛み付く。「あの患者さんすごく落ち込んでいたもん」
「自分の体を蔑ろにするなんて最悪の行為。強く叱らないと」
「心のケアも必要よ。あんなになるまで薬飲むなんて(自主規制)の所業よ」
「お母さんだって口悪いじゃん。似たもの親子だね」
「アンタもいずれそうなるわよ」

  

ドリンクがやってきた。炭酸は出来立てのようで鼻の下を擽ってくる。あまり冷えていない温度加減がかえって甘夏の苦味を丸め込み美味しくいただける。

  

多種類の葉野菜・根菜が入ったサラダ。ドレッシングの主張も量も控えめであるため、野菜そのものの味を楽しむものと捉える。美玖とタケは喜んで食べ進める一方、野菜を好まない由佳にとっては苦行であった。
「美玖、ちょっと食べる?」
「由佳、いい歳した大人が野菜食べられないなんてみっともない。体に悪いわよ」
「わかってるよ。でも健診で異常出てないし、ちょっとくらいいいよね」
「良くない。自分の分はちゃんと食べ切りなさい」

  

いよいよパスタの登場。スープパスタとまでは言わないが水分量の多い仕上がりで、麺に味が絡んでいないか心配になる。しかし肉肉しさのある鶏ひき肉、甘みすら感じられる小松菜の力強さにより味がしっかり麺に載る。フレッシュトマトが混ざる汁も旨味たっぷりであり、香味野菜っぽいものが入っているのか、良い味に仕上がっている。

  

量多めのパスタではあるが金山一家にとっては寧ろ少ないくらいである。この後オークウッドに行くというのにデザートまで頼んでしまった。杉戸の卵とアマレットで仕上げたイタリアンプリン。オマケ程度のクオリティだと勘繰っていたが、濃厚な口溶けにアマレットのキレが加わり望外の美味であった。

  

「美味しかった!」
「この店はしっかりしてるわね。他の料理も間違いなく美味しいと思う。今度は夜のおまかせコースだね」
口うるさいタケも大満足の店であった。

  

一方私欲で金山診療所を潰そうとした建には停職処分が下った。逆上した建は上司に暴力を振るう。

  

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