連続百名店小説『老婆の診療所』CASE 3(煮干乱舞/武里)

埼玉県越谷市まんげん台、独協学園の近くにある、新米医師の美玖とその母・由佳、祖母のタケの3世代で営むクリニック「金山診療所」。タケは凄腕の医師で理解ある患者からの信頼は厚いが、一癖も二癖もあるため評判が芳しくない。
一方、国家公務員として厚生労働省で働く建。彼も医者を目指していたが医学部受験に失敗し別の道を歩まざるを得なかった。

  

金山一家の朝ご飯は豪勢である。ある日はチャーハン、ある日は海鮮丼、またある日はステーキなど、重たいものを平気で平らげる。90歳のタケも例外ではない。
そんなタケはある日、朝の情報番組で特集されることになった。リポーターがタケにインタビューを行う。
「タケさん、90歳でも現役バリバリでいられる秘訣は何でしょう?」
「よく食べることだね。特に朝食を多めに摂ります。今朝は七面鳥を1羽丸ごといただきました」
「そ、そんな食べるんですか⁈」
「朝食べないと元気出ませんからね」

  

朝に七面鳥を1羽食べた金山一家だが、午前診療を終えるとしっかりお腹が空いていた。美玖が昼食場所の提案をする。
「武里に煮干ラーメンの名店があるんだけど、行かない?」
「煮干ラーメン?初めて聴くわねぇそんな食べ物」
「濃厚な味で美味しそうなんだ。でもおばあちゃんは嫌いかな…」
「いや、食べてみたい。ラーメンなら家でも作れないからね」

  

由佳も賛同し、3人は武里へ車を走らせる。運転を担当するのはタケである。
「前の車邪魔ね。よし、追い越しちゃえ!」
90歳とは思えないハンドル捌きでアクロバットを決めるタケ。車内は大いに揺れる。
「おばあちゃん、危ないって。心臓に悪い」
「心臓は強くしとかなきゃね。いつ脈が乱れるかわからないから」

  

煮干乱舞。武里駅から距離的には離れていないように見えるが建物に阻まれており迂回が必要である。駐車場は目の前にあるように見えるが店専用のものではなく、30分だけ無料のコインパーキングに駐める羽目になる。大した名所もない街であるため、平日の昼間で客入りは半分くらいしかなかった。

  

「美玖、この前独協学園の同窓会行ってきたんでしょ?楽しかったかい?」
「楽しかった!変わらず仲良くしてくれて」
「友達は大事にしなよ。私なんて長く生きてると友達みんないなくなっちゃって、寂しいものよ」
「みんな忙しそうにしてるし、お医者さんになった身からすると体調の心配しちゃうんだ。ほらこの子、もうすぐ結婚するんだけど、昔は痩せてたのに、今やこんな太っちゃって…」
「待って、顔が真ん丸だよ!」
「ホントね。ちょっと不自然」由佳もまた心配する
「ちょっと怪しい。美玖、クッシング症候群の疑いがあるってちゃんと伝えた?」
「伝えるわけないでしょ、楽しい同窓会なのに!」
「高血圧で命の危険あるのよ。何も言わないなんて見殺しにするようなもの」由佳まで美玖を責める。
「お母さんまで何よ。わかってるよ一大事であることは。でもその場で言ったら雰囲気ぶち壊しじゃん」
「じゃあその子呼び出して。私が診るから」

  

胃が元気すぎる3人は「特濃」「肉」中華ソバの塩を選択した。特濃と謳う通り煮干しの味が濃く出ている一方で、この類のラーメンに有り勝ちなくどさはスライス玉ねぎが打ち消してくれる。濃さの奥に淑やかさもあり食べ疲れることはない。肉も低温調理でしっとり綺麗に仕上がっている。
「でも豚肉や鶏肉で赤み残っているのは良くないわね」時代遅れのタケは憤慨していた。
「おばあちゃん、じっくり火を入れることによって火は十分通しつつも柔らかく仕上げているから。安全かつ美味しい調理法なんだよ」
「流行ってるの?」
「うん。人気のラーメン屋ではこれがステータスだって」
「誰が言ったの?」
「友人の看護師」
「名前は」
「京子さん」
「ふーん…」
「訊いといて何よ!」
食事休憩の時でさえ面倒くさいタケに、美玖は苛立ちを隠せない。

  

タケの特集が紹介された直後の午前診療、例の美玖の友人がやってきた。
「食事量は普通ですか?」
「はい、取り立てて多く食べたりしていませんし運動もしています」
「その他気になることは?」
「あ、そういえば体毛が濃くなった気が…」
「やっぱりそうだ。ぶつけてできたアザが治りにくいとかない?」
「あ、あります!」
「間違いないわね」

  

その後の検査の結果、タケの読み通り、彼女は副腎腫瘍によるクッシング症候群を発症していた。腫瘍を摘出しさえすれば症状は回復するという。
「良かったわね、脳溢血とか心筋梗塞になる前に病気わかって。これで安心してお嫁に行けるわね」
「ありがとうございます。美玖ちゃんから連絡来た時はびっくりしたんですけど、今朝の特集で凄腕の方だと聞いて、全くその通りだなあと思いました…」
「あらそうかい。ありがとね」
「美玖ちゃんもありがとう」
「私はそんな凄くないよ。おばあちゃんみたいな医者になれるように頑張るね」

  

タケのことを称賛する者もいれば貶す者もいる。出勤前の建もタケの特集を目にしていた。驚きと共に溢れ出たのは憤りの感情である。
「おのれババア、やりたい放題して調子に乗りやがってよ!メディアも持ち上げるなよ、何が『元気な老人特集』だよ。一生恨むからな!あの時のこと…」

  

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