連続百名店小説『老婆の診療所』CASE 1(スパイスカレー モクロミ/せんげん台)

埼玉県越谷市、まんげん台駅から西に1kmほど離れた団地にある地域密着型のクリニック『金山診療所』。新米医師の美玖、その母の由佳、祖母のタケの3世代で営んでいる。しかしタケは既に80歳を過ぎており所々ガタが来ていた。
「じゃあワクチン打ちましょうね」
「ちょっと待ってください、手元覚束ないようですけど大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫」
「え…痛ったぁ!どこ挿してんだよ!」
「あらごめんなさい」
「ごめんで済むかよ!危なっかしいと思った!」
「そう言われましても」
「ヤブ医者め!二度と来るか!」
「勝手にどうぞ」
「とっとと辞めちまえクソババア」

  

一方の美玖も、来る患者来る患者への対応に苦慮していた。
「歯が痛い。虫歯かも!舌癌で死んじゃう!」
「落ち着いてください、虫歯になったら即癌になるなんて話はありません」
「だってテレビでやってたもん!」
「あれは虫歯治療の詰め物がとれて、舌を長い間刺激し続けた結果癌化しただけなんです」
「ずべこべ言わないでどうにかして!」
「まずは虫歯かどうか診てもらって、詰め物が取れたらまた作り直してもらってください」
「癌かどうか診てくれないの⁈」
「専門外のことなので何とも…歯医者か口腔内科に行って診てもらってください」
「もう、何なのこの子は!失礼にも程があるわ!」

  

「おばあちゃん、またしつこい患者に絡まれた。何で内科なのに虫歯診なきゃならないの?」
「美玖、あなたちょっと冷たすぎるよ。患者は不安抱えて来るわけだから、苛ついちゃ駄目」
「そういうおばあちゃんはどうなのよ。注射挿す場所間違えるなんて、そろそろ引退した方が…」
「余計な心配しないで勉強したらどうだい。体は動くし、まだまだやらせてもらうよ」

  

ある日の午前診療終了後、美玖と由佳は診療所近くにあるスパイスカレーの名店「モクロミ」を訪れた。余裕のある空間使いではあるがカウンター6席のみの小さな店。飛び込みでも入れないことはないがLINEから予約するのが確実で、昼は11:00から40分刻みの5部制。2人は13:40スタートの5部を前日に予約し訪問した。レギュラーメニューはポークと豆キノコペーストの2種類、そこに週替わり1種類が加わり3種盛りにする人が多い。美玖はキノコの気分でなかったため、ビーフと週替わりからココナッツビーフキーマの2種盛りにした。

  

「おばあちゃんのこと、医者としてどう思う?」
「尊敬する」
「うん…まあ尊敬はするけど、最近ちょっと衰えが激しそうでさ」
「確かに不安だけどね。でも言うこと聞かないってわかってるからさ」
「若い人が何言っても無駄よね」
「おばあちゃん、ああ見えて腕利だからね。慕ってる人も多いし簡単に辞めれないんじゃないの?」
「しょうがないね」

  

ポークカレーには食べ応え満点の豚バラ肉が入っている。それを包むルーはフルーティで、野菜の旨味をよく活かした仕上がりとなっている。
ココナッツビーフはエスニック風に聞こえるが、甘ったるくなく万人に受ける味である。極粗挽きの牛肉が入っているため食べ応えも抜群。余裕でライスをおかわりしてしまう。
紫キャベツのアチャールが素直な味で地味に美味しい。蓮根のアチャールは唯一スパイスのクセを感じたが、総じて幅広い層の人々が美味しいと思えるスパイスカレーであった。予約方法が独特で間違えると怒られそうな雰囲気を醸し出していたが、実際会ってみると店主は腰の低い方で、最後のお見送りまで丁寧にしていただいた。

  

診療所に戻った美玖は午後の部に向け準備する。
「…いい匂い。えっ、おばあちゃんステーキ焼いてる!」
「食べるかい?」
「いらない。お母さんとカレー食べてきたから」
「カレーなんて食べに行くものじゃない。家で作って好きなだけおかわりするのが醍醐味なのに」
「スパイスカレーって言って、家では作れない類のものなんだ」
「ずべこべ言わない。ってかさっき虫歯がどうたらとか言ってた患者さん、何で帰したの?」
「帰すよそりゃ。歯の問題は歯医者じゃないと解決できないもん」
「あんた、それでも医者かい?」
「えっ…」
「その歯の痛み、本当に歯から来てるのかね?」
「歯…じゃないとしたら?」
「心臓の可能性あるよ!カルテ見て!」
「…高血圧、喫煙歴もある」
「今すぐ呼んで、心臓の検査するよ!」
「はい!…」

  

その後その患者は診療所に到着して間も無く心筋梗塞を発症。しかしタケの素早い対応で一命を取り留めることができた。
「おばあちゃん、ごめんなさい。自分はまだまだ未熟者だなと思いました」
「心臓由来の歯痛は有名な症例。引き出しに入れておかないと。安易に切り捨てるんじゃないよ。あらゆる可能性を考えて適切な措置を施す、これが医者の仕事」
「はい、責任もって患者さんと接します」

  

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