人気女性アイドルグループ「TO-NA」のメンバーでキャプテンのグミは、屋上から飛び降りを図ったタテルを引き戻そうとしていた時、顔面めがけて飛んできた鳩に驚きのけぞって落下してしまう。意識不明の状態が2週間続いたが幸い意識を取り戻し、記憶能力なども正常であった。
一方のタテルは、証拠が無いにも関わらず殺人未遂の容疑で逮捕。弁護士山本の献身と革命家カケルの暗躍により悪徳検事を蹴散らし、不起訴を勝ち取った。TO-NA運営に復帰するとあきたフェスを大成功させた。
何者かが鳩を操りグミを殺害しようとしたと考えていたカケル。そこへ、あの手この手でTO-NAを妨害していた芸能事務所「DP社」社長・野元が自ら接近してきて……
「野元先生、ようこそ我が日本ファース党へ」
「国保君、よろしく頼むよ。僕は前から決めていたんだ、余生は国を動かす大きなことをすると。好きな日本を、日本人を取り戻して、誇り高く死ぬんだ僕は」
「野元先生の影響力があれば鬼に金棒です。間違いなく国民は目覚めますよ。そしてサヤコさん、貴女も心強い。私は国の母になる、何て素晴らしい宣言なんだ!」
「有難きお言葉を」
「丁度良いところに衆院選と都知事選がありますね。そしたら衆院選には国政に携わりたいサヤコさん、都知事選にはカリスマ性の高い野元先生を擁立しましょう」
「一生懸命選挙活動します。外敵には鷹のように激しく、同志は鶏のように包み込む」
「目指す先は違えど心は一つだ。寂しくはなるが、日本を良くする一心で互い頑張ろうサヤコちゃん」
野元は清々しい気持ちで青山を闊歩する。そこへカケルとÉcluneメンバー2名が通りかかった。
「ここで会うとは奇遇だね。何してたの」
「和食の名店に。野元先生連れて行ってくださらないもんですから」
「この辺の日本料理だとあそこか。君はハズレを引いたね」
「はっ?すっごく美味かったし!」
「そうですよ、舌が肥えすぎです」
「君は誰?強がらなくて良いからね。カケルちゃんも、目上の人への口の利き方、ちゃんとメンバーに指導しなさい」
「アンタみたいな捻くれ者には敬語なんて不要だ」
「大丈夫かい?僕は間も無く政治家さんになるからね。外人と陰謀論に支配されたこの国を解放するため、汗水流して働くつもりだよ」
「益々排外主義が広まるな」
「君みたいな左巻きが偉そうに言うことじゃないね」
「俺を左だと言うならそれは間違いだ。寧ろ自国民ファーストは是だと思ってる。ただ何でもかんでも叩く風潮を作って人々を抑圧するやり方は認められない、それだけだ」
「ふっ。お兄さんに似て正義感が強いようだね。そんなんじゃ心臓が幾つ有っても足りないよ」
「俺には仲間が居るから大丈夫だ。君みたいなモンスターとは違ってな」
「僕がモンスター?ならそのモンスターを生み出したのは君だよ。GIRLSに僕の行為を告発するよう唆したでしょ?」
「知らないね」
「まあ僕はGIRLSに力注ぐのを止めようとしていたところだったからね。エイジの俳優デビューも本気じゃないよ。熱意はあるけど演技に幅が無い。圧が強いし洒落も言えない。真面目すぎたね彼は」
「騙してたのか。最低だなアンタ」
「だから僕、社長の座追われても無傷なんだ。これ強がりじゃないからね?」
「そのうち化けの皮剥がされるぜ。良い死に方しないだろうな、たぬき親父さん」
都知事選と衆院選のダブル選挙が始まった。都内では選挙演説が活発に行われており、ある日の恵比寿駅西口では野元とサヤコの街頭演説に黒山の人集りができていた。タテルと大久保、TO-NA新メンバーのダリヤも偶然居合わせていたが、店の予約の時間に遅れそうなため目もくれない。
「ついこの前までアイドルのプロデューサーやってたのに、追われた途端政治家に転身。予想はしてたがしぶとい奴だ」
「アタシの故郷、汚しに来ないでほしいっすよ」
「かっけぇなあ、故郷が恵比寿って。俺なんて足立区だぞ」
「十分都会でしょ?」
「荒んだ人は多いし…」
「タテルくん、止めなさいそういうこと言うの。また週刊誌に襲われるだろ」
「バイブス上がる街だぜ足立区は。あたしゃ憧れだ」
渋谷方面へJRの線路沿いを少し上り、東横線の通る方面へ左に入る。住所は恵比寿西の住宅街、小さなパーキングから階段を挟んだスペースの奥に店への入口がある。建物だけ見ているとジムが入居していて、とても飲食店のある空気を感じない。
「渡辺様3名様ですかね?」
「あ、そうです!ここでしたか」
「迷いやすいですよね、すみません」

7月1日、日付が変わった瞬間に予約争奪戦に参加し勝ち取った9月下旬の枠。3ヶ月弱の間に色々あって訪問が危ぶまれていたが無事に来店することができ感動も一入。初めての来店の場合、手前側のカウンターに案内される傾向にあるが、この席は薪火の目の前の席であり、店のアイコンたる薪火での調理の様子を間近で観察できる反面とても暑い。
「良かったよ、今日は涼しくて」
「昨日まで猛暑だったからね。運が味方した」

ペアリングは8杯2万円と高めであったため、暫くはビールで通すこととする。名店に愛される平和酒造のクラフトビール。苦味の殻の中にフルーティさがあり、確かなコクに満足する。

「恵比寿出身だとさ、高級な店よく行くの?」
「行かないっすよ。全然マック松屋CoCo壱です」
「ウェスティンとかMASA’Sとか」
「行かないですよ。タテルさんの方がご存じすぎる」
「じゃあ今度行くあそこも」
「存在は知ってるけどね、行けないっすよ。だから楽しみではある!」

木更津KURKKU FIELDSのモッツァレラを使用したカプレーゼ。大きめのサイズだが一口でいかないと中の水分が溢れ出して惨事になる。するすると水のように入る中に乳のコクを見出す。粗塩が当たると塩味が光るのも面白い。
シェフが薪火と相対する様を見ていると、背中が火に照らされていて何とも暑そうである。会話の内容は必然とサウナの話題になる。
「サウナは近所にあって偶に行きますね。皆さんも行かれます?」
「彼女はよく行くんです。ね?」
「ええ。つい最近先輩に教わって、同期と2人でサウナ巡りしてます」
「素敵ですね。水風呂入れます?」
「あれ冷たいっすよね。でも気持ち良いです。超絶chill」
「あれさ、寒暖差で血管ちぎれない?」
「タテルさん馬鹿げたこと言わない」
「血圧の乱高下で突然死のリスクあるんだよ。たけしの家庭の医学でやってた」
「え〜、なにそれ」
「医療番組の面したホラー番組。再現ドラマ内で軽く100人は殺された」
「Dope!イカれてる〜、楽しそう」
「怖いもの知らずだなダリヤ」
「リングの曲流れるやつだよね」
「大久保さん御名答!きっと来る〜、くるっくぅ〜、カラダぐぅ、爆ぜるぅうぅ」
「タテルさん、明日ラップ教えますね」
「くぅ〜……」

中国浙江省キャビアのタリオリーニ。キャビアは塩気を控えめにし、魚卵のコクに振り切った印象。冷製パスタとはいえ麺が締まりすぎていないからキャビアとよく融合して美味しい。さらにこの月は、薪で燻製をかけた富山の白海老も合わせて。燻製により生海老特有の香りが演出される。
「中国でキャビア生産されてるんですね」
「そうなんですよ。意外かもしれませんが、キャビアの2/3くらいが中国産なんです」
「意外。フランスやロシアのイメージなのに」
「中国産なんて嫌だ、と思っていたんですけど食べてみたら美味しくて。先入観だけで避けるのは良くないですね」
「固定観念に囚われない。ダリヤみたいに、女子がバズカットして何が悪い」
一方その頃、野元は演説で古いしきたりを礼賛していた。
「満員電車に乗って朝9時に出社し夜遅くまでバリバリ働く。上下関係を尊重し、上司の言うことを素直に聞く。それこそが日本人の美徳なんです。働き方改革だの言ってサボりを推進する風潮、感心しませんね。それに地方創生とか言って、東京から人を企業を追い出す話があります。世界に誇る都市・東京をなぜ弱体化させるのか!東京を守る、そのために私は奮闘します!」
さらにサヤコも、日本の音楽シーンの現状を変えたいと主張する。
「日本の音楽業界はK-POPに支配されている。それに感化され目がチラチラするような髪色・メイクのアーティスト気取りが増産されています。由々しき事態ですよ。楽曲よりも取り繕った外面や音楽性に関係ないキャラクターに重きを置く。だからJ-POPはナメられる。素材を大切にし言葉を大切にするのが日本人というものです。楽曲を大切にしない者は干されるべき。歌謡曲を大事にしましょう!」
「今頃バカげたことばっか宣ってるだろうな、野元とサヤコ」
「私みたいなラッパーは真っ先に迫害だな。ああ悍ましい」
「差別を煽って軍国主義を復活させる気だ、ファース党は。快進撃など許してはならん」


続いては秋刀魚のカルパッチョにとろ茄子、そしてウイキョウのサラダ。赤いソースはアーモンドやオレンジなどを混ぜ合わせたものである。秋刀魚の身、茄子の文字通りのとろ感、ウイキョウの青さ、ソースのナッツ感が渾然一体となって咀嚼される。それでも食後感は正に秋刀魚の個性であり、西洋の一体感と日本の素材主義を両立させている。
牛肉の肉塊を切り出すシェフ。
「300gぴったりに切れるかな?」
「それ『ぼかぼか』のやつですよね」
「俺は毎日のように観てるから自信あるぜ」
「じゃあ今度TO-NAハウスでやりましょ。外したらタテルさんもバズカットです」
「Oh, my gosh……」
ただこれは違う客に提供される肉であり、この後3人が食べる肉はラムである。
「サヤコまで出馬してる。はっ、笑止千万だよ」
そう述べるカケルは、サヤコの首を刎ねる準備を万全としていた。グミが屋上から落ちたのは、タテルのせいでも無ければ偶然の事故でも無い。サヤコが鳩を利用して遠隔で突き落としたことを見抜いていた。後は鳩を誘導した証拠固めであるが、現時点では鳩の羽根が落ちていたことしか判明しておらず、より科学的な裏付けが欲しいところであった。
「そうだ、カケルさんから質問きてたな。タテルくん、あの事件の時、変な音聞かなかったか?」
「音は聴いてないような。でもなんか一瞬、体がウッてなった感覚がありました」
「わかった。返しておくよ」
「もしかしてアレですかね?」
「アレ?」


宝玉卵のスフレオムレツが焼き上がる。黄身のコクが濃く、オムレツ単体でも十分頼もしい。さらにチーズ、赤パプリカ、サワークリームでコクや塩気を演出。ここまでくるとモン・サン・ミシェル産ムール貝が脇役に徹する。それくらいオムレツの仕上がりが見事である。
「超音波ですよきっと」
「超音波?エグっ!」
「超音波は動物を追い払う際に使う。上手く利用して鳩をグミの顔面へ誘導したのだろう。人間には聴こえないが、感じてしまう人もいるらしい」
「タテルくんは繊細だから、感覚憶えてるんだろうね」
カケルも同じような仮説を立てており、実証を試みようとしていた。
「ん?『黒沢の実験だよチャンネル』?面白そうだ、依頼してみよう」
「えっ?超音波で鳥を操る実験?」
「協力してほしい」
「無理無理、無理ですよ!動物を痛めつけるのは炎上リスクが高い」
「だよな。不躾な依頼ですまなかった」
「ダミーを使用して実験するのなら全然構いませんよ。時間かければかけるほど精巧な物作ってみせます」
「取り敢えず1ヶ月で頼みます。その間俺もガリレオの物真似磨いてきます」
「実に面白い、ってか?難しいわよ、一生懸命やりなさぁい」


タテル一行には真魚鰹のフリットが提供された。南半球では旬であるオーストラリア産トリュフを。ソースは酸味の強いドレッシング仕立て。この酸の香りがトリュフの香りと融合して鼻を擽る。
「このいっぱい載ってる野菜、何?」
「根セロリ。苦手か」
「いや、美味いっすよ。独特の香りの中に芋のようなコクもあって、oh, exotic!」
「いいねダリヤ、言葉の節々からラッパー感じる」
「性なので」
「TO-NAのラップパフォーマンスも大好評だ。ダリヤのコーチングのお陰だ」
「役に立てて嬉しいっす」

未成年のダリヤをよそに申し訳ないところであるが、タテルはワインをグラスで合わせてもらうことにした。まずはシャブリらしい酸味がありつつ、自然派ならではの果実の厚みが押し寄せる白ワイン。アルコール感をこの後の松茸と合わせて愉しむと良いらしい。


またもや中国の雲南省から、秋の味覚松茸。具材のマッシュルーム以外余分な物は一切加えず、素直に松茸を味わえるリゾット。混ぜ合わせると香りが立つ。これくらいの大きさ薄さで食べる松茸が一番良い塩梅で香りを楽しめる。
「俺初めて松茸を美味いと思った。やけにボタニカルな奴が多くて苦手だったんだよね」
「松茸ならアタシ好物っすよ。秋になったらちゃんとした奴買って、家でしゃぶしゃぶしちゃいます」
「やっぱ金持ちじゃん。普通買わないもん松茸なんて」
「焼いても美味いっすよ。ステーキの付け合わせにします」
「なんて贅沢なプレート」
「今度ウチ来ます?私が焼きますよ。和牛とアンガス牛どっちにします?」
「話が早い。君には興味が湧きすぎてるよ。度胸があってのびのびしていて」
我が強く一匹狼のように見える新メンバー・ダリヤだが、グループには上手く馴染めているようである。先輩へのラップ指導もそうだが、同期とも関係は良好。歌やダンスなど自分に足りない能力を素直に認め、不明点はエリカやアリアなどに臆せず訊ねる。バンビ・遥香など遠慮がちなメンバーに対しては積極的に話し相手になっている。
「アタシ、TO-NAに入ってやっとかけがえの無い仲間を見つけられたと思うんです」
「ラッパー仲間とかいなかったの?」
「表面上の付き合い、って感じっすかね。元々友達少なくて、まあ虐められてたし……」
ダリヤはあまり身の上話や暗い話をしない人であった。初めての食事の時も過去を語らなかったし、タテルが捕まった際も、揉める他のメンバーからは距離を取ってノーコメントを貫いていた。急なカミングアウトに、目を丸くする大久保とタテル。
「生きてる意味無いな、って思ったんです。それでラップに現実逃避して、皆さんから上手いとか心震えるとか言って貰えてはいたんですけど、満たされない何かがあって。それを探すためグループ活動を選んで、TO-NAに入ったらみんな優しくて。柄にもねぇけど嬉しいよ……」
「ありがとう、本音語ってくれて。俺もダリヤを採って良かったと思えた。ラップという新たな切り口を与えてくれて、TO-NAに新たな息吹を齎した。ダリヤの居場所、生きる意味にTO-NAがなっているのなら、こんな幸せは無いよ」
「私だけじゃなくて同期全員がTO-NAに救われています。性格に難があっても、人生に汚点があっても、そもそもTO-NAに興味が無くても、スタッフさんがグループの一員にしてくれて、先輩が優しく興味深げに接してくれる。こんなバラバラの個性の集まりでも自然と纏まることができた。精一杯生きようと初めて思えました」

キャンティクラシコの産地ながら、そのルールに囚われず作ったサンジョヴェーゼ。赤く透明な空間にチェリーのコア。チェリーボンボンのノスタルジー。とても軽やかながらチェリーの香が確とある印象的な1杯である。


タスマニアの仔羊。薪焼きによりラム特有の香りを残しつつクセを抑え、先端の脂身が少ない箇所は水分が均等に残りクリアな肉質をクリアにしている。持ち手寄りの肉は脂がたっぷりでラムの個性が強め。最後骨周りはゴム手袋を装着して手づかみで。少し塩を振って食いかかると脂の旨みが出て良い。アスパラも、細くはあるが甘みは申し分無しである。
「Marvelous!綺麗な肉質の肉にかぶりつく幸せ!」
「似合うね手掴みが」
「最初から手掴みでいってる」
「間違いじゃないよ。ワイルドで素晴らしい」
「骨付きって最高っすよ」
「じゃあTボーンステーキも蟹脚みたいにひょいと」
「アハハ、それは無理っす!」


口直しに桃。ブランド名はとろももだが、林檎のように硬いタイプである。オイルの塩気がセクシーな甘みを引き立てていて、イタリアン料理人の矜恃を感じる。
「GIRLSの人達、どうなっちゃうのかな……」
大久保がぽつりと呟く。
「そうですよね、突発的に事務所辞めて、どこ行くんでしょうか?」
「DP社に戻っても良さそうだけど」
「絶対的権力の社長が退いてから後継者争いが泥沼化していて、サポート体制が手薄かと思われる。それに自分から抜け出した以上、戻るのは厳しいだろう」
「大手事務所が拾うんじゃないっすか?能力は申し分無しだし」
「そう思いたいんだけど、拾った事務所に対し野元が圧をかけるかもしれない。それを恐れて皆無視してもおかしくは無い」
「野元が娑婆に居る限り、THE GIRLSに未来は無い、と……」
実際事務所を飛び出したTHE GIRLSは、抑圧から解放された反動で過食症になり、活動もできないでいるため堕落した生活を送っていた。エイジの連絡先を持っていたためあたってみるが全て繋がらない。誰かが救わなければならないが、誰も救えない状況がもどかしい。

とはいえ他所は他所。彼らはTO-NAのこと、そして目の前の食事のことを考えていれば良いのである。最後のボロネーゼに向けてブルゴーニュの上品なピノ・ノワール。発酵感のある香り。味わいはアロマなどの派手さが無くかなり控えめ。合わせる料理の味で彩るキャンバスに思えた。

ボロネーゼは量の指定ができる。キャビアのタリオリーニを基準に決めると良いだろう。タテルは最初100gと宣言してシェフをたじろがせてしまい、申し訳無さから80gに減量した。
ボロネーゼと聞くとトマトなどの味に頼るイメージがあるが、ここの物は余計な味付けをせずとも肉の旨味がとても濃く、タヤリンの軽やかさも相まってスイスイと食べられる絶品パスタである。

「生きてて良かった……」
タテルが呟く。
「〆のパスタって幸せだよね。シンプルなのに絶対に美味くて、何グラムでも食べられる。多めに巻きつけて頬張る幸せ、二度と味わえないと思っていたから……」
「どうしたタテルさん、急にしんみりして?」
「俺は何回も心が乱れて、死を選ぼうとした。何者でも無い日々に嫌気がさした時、TO-NAに出逢った。失恋して肝臓を壊しにかかった時、TO-NAの皆に支えてもらった。そしてCLASH砲に追い込まれ飛び降り騒動を起こした時、やっぱりTO-NAの皆が潔白を信じてくれた。生きてて良かった、当たり前のことなのに何で忘れちゃうんだろうね」
「本当だよ。メンバーも振り回されて大変してるんだから。二度と忘れるな」
「もう大丈夫。こんな頼もしい新メンバー、そんな彼女達に奮い立たせられた既存メンバー。TO-NAはこれから面白くなっていく。そこに携われる俺は何と幸せなことか。どんな苦境に立たされても忘れない、『TO-NAは俺の生きる意味である』ことを」
「辛い時は辛いと誰かに言う。死を選ぶ前に誰かを頼れ。その『生きる意味』を再確認するために」

デザート1品目は青蜜柑のグラニテ。下に果実が入っているとても酸っぱく、ジュレ・グラニテおよびハーブクリームで甘みを補う。蜜柑のアイデンティティを感じ、口の中で舌鼓を鳴らしながら味を斉える。
「グミも少しだけど自力で歩けるようになりました。ただ少し動くだけで疲れ果ててしまうみたいで」
「仕方ない。あれだけの大怪我から回復したんだ。記憶も正常だし、生きてるだけで偉いよ」
「そうですよ。焦っちゃダメっす、ゆっくり待ちましょうタテルさん」
「だよな」
「グミさんのリハビリ風景見させてもらいました。すごいしんどいはずなのに、目が前を向いている。千尋の谷に落とされたライオンが這い上がろうとする時の目力です。なんてエナジィに溢れた人なんだろう」
「グミは常に熱意に溢れている。俺は結成当時から応援しててさ、全然お客さんいない頃の話も知ってる」
「そんな時代が……」
「全力でパフォーマンスすれば見てくれている人もいる、ってメンバーを鼓舞していた。その強い気持ちを買われてキャプテンになり、売れてからも炎を絶やさず先頭を走る。そんな姿勢に憧れた人が皆、TO-NAの一員になっている」
「マブいっす。生かしてもらった以上はどんなに時間かかっても完全復活目指すんだ、って力強く仰ってました」
「グミらしいな。想いひとつに、皆で支えよう」


木次パスチャライズ牛乳のプリンに、兵庫県産パッションフルーツ。底のアールグレイキャラメルソースと合わさるとミルクの力が発揮され、パッションフルーツの強い酸味も丸くなる。
2時間ぶりにスマホのロックを解除したタテルは、TO-NAメンバーのスズカからLINEが来ていたことに気づいた。
今恵比寿ですよね?駅周辺が大変なことになってるみたいです!良ければ迎えに行きますよ。近くにパーキングあります?
「大変なこと?何だろう?」
「ニュースサイトを……えっ?」
「多様性なんてクソくらえ!性別は2つ、コロナで重症化・後遺症は甘え、TVの悪ふざけで笑うのは低俗、学校で悪目立ちして先生に怒られるのは天才じゃなくてビョーキ…」
「くたばれ野元〜!」
演説も終盤に差し掛かった頃、何者かがファース党の選挙カーに火炎瓶を投げ込んだ。野元とサヤコは降りていたため怪我は無かったが、運転手が火傷を負い病院に搬送された。犯人は取り押さえられてもなお野元らに吠え続ける。
「陰謀論者!反知性主義者!金の亡者!此んなのが政治家に成って堪るか!」
「容疑者は30代男性。名前は未だ出てない」
「まあ怨恨でしょうね。野元さん恨む人多いし」
「わからないけどあり得るな。いくら何でも暴力に訴えるのはダメでしょ」
「そうだねタテルくん」
「でも内心は、消えてもらった方が安心ではある。良くないですよ勿論ね、そんなこと願うのは」
「気持ちはわかるよ」
「合法的に消すとしたら、何かの罪で逮捕される……でも罪にはならないか」

悩んでいる内に食後のカプチーノが仕上がった。ダリヤにはハートの、そしてタテルには何故かダブルハートのラテアートが仕上がった。
「オモロっ」
「ハハハ。タテルさん、中身は乙女ですもんね。スイーツは全種類制覇するし、財布は猫ちゃんいっぱいだし」
「バレたか〜。まあ悪くは無い」
小菓子の焼きたてフィナンシェは、朝目覚めのカプチーノのように力強い芳香。最後にして、ボロネーゼの次に印象に残った食べ物である。
「スズカが後10分くらいで外のパーキングに着くそうだ。出発の準備をしよう」
「夜の都心突き抜けるドライヴ。Awesome spectacles!」
タテルの食事分はビール1,500円、ワインが各2,500円、合わせて4.5万。そこにサービス料10%で何とか5万円弱に収まったが、自分としては3万くらいの満足感しか感じられなかったとタテルは云う。
文化祭のお化け屋敷のような通路の先へ行ってお手洗いを済ませ、スズカの到着を確認して店を後にする。手土産に支店のスイーツショップで売られているレモンケーキを貰い、スズカと合流する。
「天現寺から首都高に乗ります!真っ直ぐ行けば良いかな、ダリヤちゃん?」
「はい。明治通りを右折っす」
スズカの見出したドライヴルートは、都心環状線経由でレインボーブリッジを渡り、湾岸線を辰巳まで走って深川線・向島線でTO-NAハウスに戻る、という夜景満喫コース。都会っ子であっても毎回息を呑む景色である。しかし台場を過ぎた辺りから、タテルの表情が曇る。犯人の実名が公開されたのである。
「エイジだ」
「えっ⁈あのエイジさんが⁈」
「野元に俳優デビューを約束されていたが裏切られた。他の所属タレントへの束縛もあった。謝罪も無く政治家へ。許されない。……と供述してる」
「DP社にいたんですねエイジさん」
「馬鹿なことを。一流俳優になるんじゃなかったのかよ?」
「そりゃ野元の行いは非道だけどさ、襲撃したら同じ穴の狢っすよ」
「手段間違えてんだよ。馬鹿すぎる。台場の海で語った夢は何だったんだよ。手を切ったとはいえ悔しすぎる」
「まあしょうがない。エイジのことは忘れなさい」
「いやあ、逮捕は流石にショックですって」
「前科がつくと、芸能活動は厳しいですよね」
「もう関わることは無いっすよ」
「そうなんだけどね、1回で良いから話したい」
楽しいはずの湾岸線ドライヴが、前を向けるようになったタテルの心に暗い影を落とした。一切言葉を発することなく、仏頂面のまま流れる景色をぼんやり眺めて終わる。
「まったく、余計なことするなエイジは。これだから頑固者は」
恨み節を述べながらカケルが向かった先は、負傷した運転手の病室。野元とサヤコが付き添いとして訪れていた。
「いやぁ〜ご愁傷様です」
「カケルちゃんじゃない。冷やかしに来たのかい?」
「は〜い、冷やかしですよ。お二方とも屋上へどうぞ」
NEXT