連続百名店小説『瞳の中のセンター』㊅揺れる2019(うな富士/鶴舞)

今でこそ綱の手引き坂46の特別アンバサダーを務めるタテル(25)だが、そんな彼が初めて本気で推したアイドルは、元NGY48の菅田アカリ(31)である。
高校時代以降のタテルの人生をいつも彩ってくれたアカリ。2人のあゆみを振り返りつつ、タテルはアカリに対して抱くある心残りを解消しようと動き出す。

  

エイジの言う通り、タテルは翌週も参戦した。例によって待ち時間は長く、レインボーブリッジを一望できる歩道橋のベンチに座って待機していた。
「あらあら、オールナイト不比等に出られる方かな?」
タテルの隣に馴れ馴れしく座ってきた中年男。あまりにも距離を詰めすぎである。おまけに酒臭い。
「ボクさびしんぼなので一緒にお喋りしましょ」
「えっ…」

  

その後タテルは中年男の自慢話を延々と聞かされた。
「あ、アーニャさん出るんだよね。『レモンジュース』歌う練習しようっと。じゃまたあとでね」

  

「あぁ地獄だった。何アイツ」

  

2019年に入ると、タテルはいよいよ卒業研究に取り掛かった。とはいえ1年で成果をあげられるものではないから、大学院進学が前提となっている。
一方推し活の方はというと、えのき坂が綱の手引き坂に改名し、元号が令和になったタイミングで、タテルは京子に重きを置きだした。アカリのこと以上に、京子はじめ綱の手引き坂メンバーのことを考える日々。つなあいも毎週録画してちゃんと観るし、気に入った回は何度も見返すのだ。研究室に綱の手引き坂のファンの先輩がいたことも後押しとなっていた。

  

そんなタテルに、天罰ともとれる悲劇が起こる。大学院に行けないことになったのだ。知識はあったつもりだが、研究に対する熱意がないことは明白で、それを完全に見透かされた格好である。もう9月だったし、卒研も佳境に入っていたから就活はできない。タテルは夢追い人になるしかなかった。

  

生放送が始まると、参加者は一塊となり天カメに手を振る。先ほどの中年男はこれでもかというほど前に出て叫んでいた。控えめなタテルは戸惑った。

  

そしてコーナーが始まると、中年男はアーニャの背後をとった。何とも怪しい。タテルも近くに位置し、男の挙動を警戒した。

  

案の定男はアーニャを触りにかかった。すかさずタテルは男を跳ね退ける。このまま派手なことをし続けると進行の邪魔になると考え、カメラが外方を向いたタイミングでエイジと共に隠密に男を遠ざけた。
「おい、何するんだ」抵抗する男。
「それはこっちのセリフです!明らかに触ろうとしてたでしょ!」
「してないって!」
「いやしてました、警察呼びますよ」
湾岸警察から駆けつけた警察官により男は連行された。

  

タテルには留年する、卒業する場合はそのまま去るか研究生として来年も研究室に残るかという3つの選択肢があった。悩んだ挙句、中退と卒業では箔が全然違う、でも自分は研究者に向いていないと判断し研究室を離れる選択をした。
そうなるとタテルは研究に対する思い入れを完全に喪失した。卒業に影響のないよう励みはしたが、空き時間は専らゲームをする、人より遅く来て人より早く帰るなど、研究者としてあるべき姿からは程遠かった。
綱の手引き坂に浮気したタテルだったが、アカリへの愛を捨てた訳ではなかった。アカリへの愛を否定するということは、タテルが東大生であるというアイデンティティを失うことに等しい。そのため劇場行きは欠かさなかった。11月末、研究のことなど忘れて名古屋に上陸する。綱の手引き坂のことを考える日々であったが、この日ばかりはアカリのことをただ考える。

  

最初の目標は、超人気ひつまぶし店のうな富士。東京から新幹線を使えば好きな名古屋市内のJR駅で降りられる、という特権を有効活用し中央本線鶴舞駅で降りた。早めに着かないと混むと考え開店40分前に着いたが、月末の平日だったので誰も並んでいなかった。結局開店と同時に到着してもすぐ入れたようで、モーニング食べてから行けば良かったと後悔した。今となっては市内に4店舗、東京にも進出している(=関東民なら遠路はるばる行く必要がない)ので、市内の店舗なら行列にはなりにくいはずである。

  

熱燗を嗜んでいると出てきたひつまぶし。炭火焼きがバリっと決まっていて、あつた蓬萊軒のものより印象に残るものだった。驚くべきは肝焼き。恐れていた臭みはなく上質な濃さだけがある。それはフォアグラに近い上質さである。

  

アカリのことに専念するつもりではあったが、ちょうど綱の手引き坂がCocco壱とコラボしていた時期だったので、限定コースターを貰いに上飯田の店舗で限定商品「鶏ちゃんカレー」を食べた。考えてみればNGY48だってCocco壱とコラボしていた。NGYを捨て綱の手引き坂をとった者同士として、何だか親近感が湧いてきた。

  

その日の公演は、アカリを慕ってグループに入ってきたメンバーの卒業公演だった。NGYのメンバーの中には、アカリの熱狂的なヲタとして加入してきた人も多いのだ。6年前には想像していなかった構図。人として人を愛し人に愛されるアイドルへと変貌を遂げたアカリ、そしてそのアカリを深く愛するメンバー達を前にして、タテルは今までの行いを反省した。しかし後には引けなくなっていた。結局タテルは綱の手引き坂推しの手を緩められなかった。

  

痴漢男の処理は穏便に済ませたため生放送に影響はなかったが、タテルはまたも思いを伝える機会を逃してしまった。失意のまま広場に残っていると、アーニャが声をかけてきた。
「守ってくれてありがとう」
「えっ…あ、はい…」
「あの人、私のことを追ってくるストーカーなんです。なるべく顔に出さないようにしていたんですけど、本当は怖くて…」
アーニャはアイドル時代から大物にも臆せずグイグイ接するキャラで、芯の強い人というイメージがあった。そんなアーニャを怖がらせるとは、余程あぶない人物だったのだろう。
「ひどい話ですね」

  

「ところで『思いを伝えたい』って、誰にですか?」
「あぁこれっすか?…元NGY48のアカリさんに」
「もしかして、同じ事務所の私に言えば会わせてくれるんじゃないか、なんて思ってません?」
「えっ…」
「思ってますよね」
「はい、ちょっと…」
「ダメに決まってるでしょ!」
「…」
「なんで直接言いに行かないの?」
「そ、それは…」
「意気地なしね。ちゃんと喋って!」
「は、はい…10年近くずっとアカリを推してきたんですけど、途中からだんだん違うアイドルを推すようになって」
「で?」
「去年アカリは卒業したじゃないですか。その時、アイドルとしてのアカリにちゃんとさよなら言えなくて…」
「ならいっそう、直接言うべきでしょ。ファンクラブ入ってないの?」
「入ってないです」
「アカリさんへの愛、そんなもんなんですね。しょうもない」
「…」
「おい重村、初対面の人にその態度はないだろ」マネージャーが制止に入る。
「いやいいんです、所詮俺は小物なんです。俺に人を愛する資格なんてなかったんだ」
「やめろって、自分を下げすぎだ」エイジも入ってきた。
「アンタ、名前は?」
「タテルです。渡辺タテル」
「わかった。来週も来るよね。それまで頭冷やして来い!」
「ごめんなさいね渡辺さん。おい重村、さすがに失礼だぞ!」
怒るマネージャーと共に、アーニャは去って行った。

  

「ごめんなさい、変なことに巻き込んでしまって」エイジに謝るタテル。
「いいからいいから。来週も頑張ろうな」

  

NEXT

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です