連続百名店小説『瞳の中のセンター』㊁試練の2015(ミッシェル・ブラン/ジェイアール名古屋タカシマヤ)

今でこそ綱の手引き坂46の特別アンバサダーを務めるタテル(25)だが、そんな彼が初めて本気で推したアイドルは、元NGY48の菅田アカリ(31)である。高校時代以降のタテルの人生をいつも彩ってくれたアカリ。2人のあゆみを振り返りつつ、タテルはアカリに対して抱くある心残りを解消しようと動き出す。

  

卒業発表の翌日の昼下がり、タテルはタカシマヤで買ったミッシェルブランのスイーツを前にアカリとの思い出に浸っていた。ヴァレンタインの時期になると東京のデパートでここのチョコを毎年のように買うが、常設店は名古屋にしかなくて、チョコ以外のものを食べるのは初めてであった。
タテルは2015年のアカリのブログを見返していた。アカリの幸せを願うようになった大きな転機を思い返しながら、菓子をつまむ。

  

推しをアカリに一本化したタテルは受験勉強に勤しんでいた。予備校に閉館まで籠る日々が続く中6月、また総選挙の日が到来した。
「あれ、今日早いね。どうした?」
「祭りがあるので!」
受験生として望ましい行いではないのかもしれないが、この日だけは意気揚々と予備校を引き上げた。家に帰りテレビ中継にかじりつくタテル。
「続いてアンダーガールズ、32位〜17位の発表です!第32位、獲得票数○○○○○票、○○○48チーム○、○○○○」
次々と名前を読み上げていく司会の特光。
「まさかまだ呼ばれないよね。でも緊張するなこのテンポ…」
「第18位、…、NGY48チームY、菅田アカリ」
「えっ…アカーン!」茫然自失のタテルは、気づけばお祭り男のように叫んでいた。
アカリもまた、憮然とした表情でステージに上がる。悲しいとか悔しいとかを超越し、もぬけの殻としてその場に立ち尽くしていた。

  

16位以内に入れなかったので、スピーチはアンダーガールズらが並ぶ列で軽く喋るくらいだ。
「楽しむということを忘れてしまいました…」
号泣しながら語るアカリ。この時彼女の中では一旦はグループを離れることを決意していたという。素の自分で勝負する勇気も自信もなかったから、「アイドルとしてのアカリ」として皆を楽しませてきた。でも「アイドルとしてのアカリ」として自分を縛りつけることに限界を覚えていた。18位という結果を前に、「アイドルとしてのアカリ」は崩壊していったのである。

  

毒々しいほどヴィヴィッドなマカロン。ミッシェルブランお得意のリコリス(甘草)・ヴィオレ(すみれ)・ショコラ・ローズをいただく。ガナッシュは流石の出来で、生地も重たすぎないきれいなマカロン。特に光っていたのはリコリスの独特な甘みである。またショコラの実力の高さが、ショコラのマカロンにも出ていた。

  

アンダーガールズ16名の集合写真。マカロンボックスのように色とりどりの衣装と笑顔で写るメンバー達。その中で1人、笑顔が消え腑抜けてしまったアカリ。はたから見れば不貞腐れたただの態度悪い奴かもしれないが、実際は「アイドルとしてのアカリ」の抜け殻として放心状態であったという。
そして彼女は「人間としてのアカリ」へと転換した。それは決して今までの持ち味を捨てるということではない。「アイドルとしてのアカリ」を支え続けてきた1人の人間として、もう一度アイドルを頑張ろうという決意であった。そしてそれが、大方の予想以上の逆襲へと繋がってゆく。

  

続いてタテルはフィナンシェをつまむ。小さめのサイズで6個入りという独特のシステムだ。しっとりとした生地とバターの味わい。間違いなく一流の仕上がりである。

  

タテルはタテルで、東大を目指してはいたが成績はイマイチだった。こんな調子で東大なんか行ける訳がなかった。そんな折のこの総選挙、余計に心が持っていかれそうになった。でもそれはアカリのためにならない。アカリはこれからもアイドルでいてくれる。ファンとして恥じない存在でありたい。
タテルはアカリのブログの一言一句を噛み締め日直日誌につらつらと思いを書き出す。日直でない日も、隙間時間を見つけては米粒のように小さい字でびっしり欄を埋め尽くした。受験勉強そっちのけのような振る舞いだが、不思議と学力は伸びていた。東大模試ではE判定が続いたが、何故か現代文の文章がするすると頭の中に入ってくるようになった。やがて東大現代文名物「120字記述」も難なくこなせるようになり、現代文が得意科目になった。それは林先生とかのおかげではない。作り物のアイドル像を捨て人として生まれ変わったアカリが紡ぐ言葉の数々が、タテルに哲学となって蓄積されたからである。タテルの現代文の恩師はアカリなのだ。

  

最後はチョコサンド。要素だけ見ればアルフォートだが、分厚いチョコレートは単体でも成立するほどカカオの香りが強い。サブレはやや控えめではあるが、カカオの尖りを抑えるくらいには力がある。

  

季節は秋になり、タテルはついに人生初の握手会への参加を決意した。土曜日の午後、学校で東大数学の補習があるのを抜け出してアトランティコ横浜までやってきた。広く無機質な会場にゴシック体の標識が並ぶ。①は松井ジュレナ、「菅田アカリ」の文字は②にあった。
「ここに並ぶんだな」
20人くらい並んでいただろうか。握手会の申し子にしては思ったより列が短かったが、人気の高さは間違いない。タテルは何を喋ろうか悩んでいた。あれこれ考えはするがどれもしっくり来ない。そんなこんだで順番が来てしまった。

  

何を喋ったのか、全く覚えていない。終わった後の感覚はとても不思議だった。すぐ終わってしまった夢の時間、これは本当に十分な会話だったのか。それともコミュ障の自分にしてはよくやれた方だったのか。呆気にとられたまま、次参加する部が始まるまで3時間ほど横浜の街を散策した。

  

そして2回目の握手、あまりにも古風な学生服を着ていたというのもあったのだろうが、タテルは噂通りもうアカリに認知されていた。タテルは嬉しかった。でも喋ったことは覚えていない。推しを目の前にして、用意した言葉は中途半端になってしまうものだ。

  

日誌に思いを綴る日々は年明け、センター試験の1週間前まで続いた。最後にしたためた言葉は、「自分を信じる」。東大に受かる見込みは薄いままであったが、タテルは行けると信じていた。今まで蓄えてきたアカリの言葉を胸に、東大入試に臨む。

  

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