連続百名店小説『独立戦争・下』第8話「一瞬を勝ち取れ」(カトリカ/東向島)

人気に翳りが見えていた女性アイドルグループ・綱の手引き坂46。色々あってプロデューサー冬元の手から独立することになり、怒った冬元は彼女達を都心から締め出した。グループ名「TO-NA」に改名し流れ着いた先は墨田区。新プロデューサー・大久保、特別アンバサダー・渡辺タテルのサポートを受けながら、「地域密着型アイドル」として活動を始めた。
冬元は暴露系インフルエンサー集団「GARASO」を編成し、TO-NAの活動を邪魔しようとする。一方冬元と共に綱の手引き坂追放を煽っていた檜坂46(実質的)プロデューサーのカケルは、突如TO-NAを救う方向に寝返る。

*この物語はフィクションです。食レポ店レポを除き、実在の人物・組織とは一切関係ございません。もちろん誰かを批判している訳でもありません。

  

八広ライヴへ向け、墨田区民も協力する姿勢を見せる。ある仕立て屋は、ミクの描き上げた図を元に28人分の衣装を作成した。照明や音響の機材は墨田区内の町工場が多数名乗りを上げて制作する。
「このネジは世界一の強度を誇ります。線状降水帯がもたらす豪雨にも、70m/sの風にも負けません」
「素晴らしい技術ですね。これが我が国の諸々を支えていると思うと誇らしいです」
「TO-NAも世界中で愛されるグループになってくださいね。応援してます!」

  

練習にも気合いが入る。菅井ちゃんにオカマ口調できついことを言われながら歌を磨き、トモキから何度も火炎放射を喰らいながらダンスを揃える。自分達だけの手でやろうとしていた最初の頃には無かった熱気が練習場に充満していた。

  

そしてライヴ前日、タテルはMAPSの神山に呼び出された。東向島の住宅街に良いイタリアンの店があるから一緒に食事しよう、とのことだった。

  

「よっ、タテルくん!」
「お疲れ様です神山さん」
「明日ライヴでしょ?タテルくんも色々動くもんね、力つけておこうぜ」
「ありがとうございます!」

  

名店などありそうもない下町の住宅街をくねくねと歩いていく。ちょっとした公園の近くに、小さなイタリアンの店があった。本当に本当に小さな店で、動かせる2人掛けテーブル4脚、最大で8名しか入れない。そのため土日祝はあっという間に予約が埋まってしまう。

  

メニューは紙とボードの2箇所に書かれており、ボードにはその日のお勧め前菜・温菜をラインナップ。紙の方にはその月を通して提供しているピッツァとパスタが載っている。ドルチェピッツァが充実しているのが特徴的といえよう。
「今週のpastaって何でしょうね?」
「聞いてみようか。…桃とさくらんぼの冷製パスタだって。この前も食べたやつだ、すごい美味しかった」
「じゃあそれ頼みましょう!」

  

加えて、この店定番のパスタ1種とピッツァ2種、ボードにある本日のお勧めからフルーツサラダと肉料理を注文。飲み物にビールを頼むと、墨田区らしくアサヒビールの中瓶が登場した。
「それにしてもめっちゃ頼みましたね。さすが大食いの神山さん」
「だってここ美味しいんだもん」
「もしかしてここでも…」
「勘が鋭い。MAPS再結成の密談で使わせていただきました。今回は本当にメンバー5人だけでね」
「水入らずで、ですね。あれ?ということは、朝倉さんもいらっしゃった?」
「いたよ」
「そういえばLINEグループにも朝倉さん入ってきましたよね。これって…」
「朝倉くんもまたMAPSやりたいって言ってくれた」
「…嬉しいですね、ついに再結成ですか!」
「でもまだ内緒にしてほしい。タテルくんもわかってるとは思うけど、色々気を遣わないといけないからね」

  

まず杏のサラダが登場。生の杏を丸々1個使用し、生ハムやクリームチーズを贅沢にあしらった食べ応えのあるサラダ。サラダとは言うけど野菜の要素は少ない。
「生の杏ってなかなか酸っぱいですね」
「確かに。メロンかライチの方が良かったかな」
「生ハムやチーズと合わせて食べたいですね。あ、ここにあるソース甘めです!」
「鋭いねタテルくん。ガストロMAPSに来たら難癖つけてきそうで怖い」
「言いませんよ!細木数子さんや中尾彬さんみたいに肝据わってないです」
「ハハハハ。でも来てほしいね、TO-NAと一緒に」

  

続いて豚肉のオーブン焼きが登場。単色で何とも映えない料理だが、柔らかい身にバルサミコ酢(?)の酸味と濃厚さが効いていて悪魔的に美味いのである。炭の香りの強い竹炭パンでソースを拭い取ると、味は濃いがやみつきになること間違い無し。
「ガストロMAPS以外にも何か一緒にやりたいこと、ある?」
「うちのメンバーは人狼が大好きなんです」
「人狼?何だろう?」
「大人数でやる騙し合いゲーム、ですかね」
「楽しそうだ」
「MAPSオリジナルの役職を決めてやると面白いかもです。指スマみたいに流行りますよ」
「いいじゃん、やってみよう!」

  

納豆ピザ。ヴィジュアルでは海苔や半熟卵が優っているが、味はしっかり納豆を主役に立てている。たまに来るマヨネーズ(?チーズ+卵かもしれない)と納豆の相性がやんごとなく、これがもっと頻繁に合わさってくれるとより楽しめる気がする。

  

苦味が欲しかったタテルはカンパリソーダを注文。濃いめに作ってくれて大満足であった。
「明日ライヴだけど、仕上がり具合はどう?」
「熱気むんむんですよ!」
「熱気むんむん!イイネ!」
「この料理みたいにアッツアツのダンス講師とヴォーカル講師を招聘したんです。メンバーも熱意を持って練習しております」
「いやあ、観に行きたいね。でもあいにく俺は仕事があるんだ」
「それは残念ですね…」
「村上が観に行くって。アイツはそんな忙しくないから」
「アハハ。確かに5人の中では最も悠々自適してる感ありますね」
「映像とか録ったら是非見せてね」

  

続いて辛いPasta。麺は細めの平打ちで、これを何という名前で呼べばいいかはわからない。火を吹くような辛さではなく、オリーブやケッパーの酸味も加わって悪魔的な美味さになっている。
「いくらでも食べたいですね。1kgいけちゃうかもです」
「1kgってすごくね?」
「それくらい美味しい、ってことです」
「良かった、連れてきた甲斐があったよ。そういえばタテルくんって、何者なんだろう?よくわかってなくてさ」
「話してなかったですね。元々僕は芸人なんです」
「芸人なんだ。全然わからなかった」
「もっと言うと東大卒です」
「えっ⁈東大生なんだ。確かに知的な雰囲気はあったけど」
「東大出て芸人やって、でもなかなか芽が出なくて。親からは『諦めて公務員になれ』って言われてるし、周りからも『東大出たくせに』って白い目で見られて、自分は何してるんだろうと思って。正直生きるのが嫌になっていたんです」
「そこまで追い込まれていたんだ…」
「綱の手引き坂に出会ったのはその時でした。どんな嫌なことがあっても、綱の手引き坂のことを思うと前向きになれる。そこに綱の手引き坂スタッフ募集のお知らせがあって、ダメ元で行ったら採用されたんです」
「運命的な出逢いというわけだ」
「旅やドラマ撮影を通して各メンバーの魅力を見つけ発信して、もっとみんなのことが好きになった。なるべく長くグループにいてもらって、卒業したとしてもなお幸せな道を歩めるようしてあげたいと思った。俺にとって、TO-NAのみんなは生きる希望だから」
深く頷く神山。タテルの目には光るものがあった。

  

桃とさくらんぼの冷製パスタ。余計な調味は無く、果実の味を立てる仕上がり。
「黒胡椒とかオリーブオイルがかかると締まりがあってより美味しくなりそう」
「タテルくん、相変わらず食レポが正直すぎる!タテルくんはタテルくんでタレントとしてやっていけそうだけどね、グルメ系とか」
「実を言うと、タレントになる夢、諦めていません」
「タテルくんがタレントとして売れる線ね。アリだと思うよ」
「MAPSさんのような国民的冠番組持ちたいですね。具体的にやりたいことも決まってて、教育系とオモシロを融合させた番組をテレビでやりたい。あと旅番組もやりたい」
「明確なヴィジョンがあるの心強いね」
「TO-NAが綱の手引き坂以上に大きくなって東京ドームに立てるようになったら、俺はTO-NAの運営を離れます。大久保さんや関口くんなど、頼れるスタッフは沢山いる。僕がいつまでもいるのは違うのかな、って」
「潔い決心、大事だと思う。でも大きくなるまではいてあげてね。人気取り戻せないまま去るのは無責任だよ」
「はい!」

  

最後はチョコレートのpizza。チョコクリームをたっぷりかけ、フィヤンティーヌで食感をプラス。生地の中には練乳らしきものも染みていて、最後の最後で再び悪魔的な美味さを堪能した。

  

合わせて頼んだウイスキーのロック。氷はやけに小さめだが、チョコ味によく合う酒である。

  

お手洗いに行こうとすると、なんと店主夫妻の居住スペースにお邪魔することになる。その入口には猫がいて、人は苦手なようですぐ逃げてしまうというが、猫に嫌われがちなタテルを見ても逃げなかった。席に戻ってきたタテルは晴れやかな表情をしていた。
「どうした、いいことあった?」
「猫が逃げませんでした」
「良かったじゃん。この前は逃げられちゃったもんね」
「俺も少しは優しくなれたのかな。きついことは全部講師に言わせて、俺は優しく接することにしたんです」
「それが良いよ。顔つき、穏やかになったもんね」
「余裕も出てきました。全てが良い方向に向かっている気がします」

  

鱈腹食べて飲んだため会計は17000円になった。全て神山が奢る。現金のみの支払いで、店主は何故か金額を確認せずそのまま金を受け取るので、客側は誤って払い過ぎないよう確実に数える必要がある。
「ちょっとツッコミどころはあるけど、確かな技術と下町らしいアットホームさを両立させた稀有なイタリアンですね」
「通いたくなるでしょ。今度はメンバーも連れてくれば?」
「秘密の話する時にピッタリですね」

  

別れ際、神山がどうしてもTO-NAメンバーに伝えておいてほしいことをタテルに伝える。

  

ライヴって一瞬だよね。いっぱい練習しても一瞬で終わっちゃう。でもその一瞬に向けていっぱい頑張れば、それは永遠に語り継がれる一瞬となる。そして次の一瞬へと繋がる。一瞬のためにしてきた努力、全部出してこい!

  

「ありがとうございます!明日が楽しみになってきた」
「遠くからだけど応援してるよ!」

  

翌日の夕刻、普段は人の少ない八広駅が賑わいを見せる。会場となる八広野球場では、グルマンズ和牛のステーキ、力士軍団のちゃんこ鍋、かき沼提供の日本酒、イナガキさん率いる神崎町の農家が作った米と野菜料理など、TO-NAにゆかりのある人々が屋台を出していた。

  

「すみません、サイリウムの点け方ってわかりますか?」
「ああ、これはここを長押しすると光るんです。何色にしたいですか?」
「グミさんが推しメンなので…水色と紫ですね」
「じゃあこことここ、押してください」
「ありがとうございます、助かりました!オレンジとホワイトということは、ヒヨリさん推しですか?」
「そうです!鵠沼のラーメン屋さんで偶然出会って、息子に優しくしてくれて好きになりました」
「素敵ですね。私も麻布十番の和食店で偶然会って気さくに話しかけて下さったんですよ」
「グミさんってスタイル抜群ですよね!」
「そうなんですよ!もうびっくりしちゃって。でもヒヨリちゃんも良いじゃないですか」
「良かったですよ!憧れますね。さすがグミさんとヒヨリちゃん、TO-NAのツインタワー」

  

関係者席にはMAPSから唯一来た村上に加え、おえど男子の新大橋も来ていた。
「村上さん!ご無沙汰しております」
「新大橋くん!君もTO-NAの応援に?」
「そうですそうです!村上さんも、ですか?」
「この前TO-NAの子たちとあって意気投合しちゃった」
「面白いですもんねTO-NAの子たち。本当はこんなところでライヴする人じゃないのに」
「俺もそう思ってる。だから今度呼ぼうかなって、俺たちの配信番組に」
「楽しみですね、MAPSさんとTO-NAの共演。でも村上さんは素晴らしいです、TO-NAのために行動できていて。俺らも救ってあげたいと思うんですけど、何していいか全然わからなくて」
「まあいいんじゃない。おえど男子は現役バリバリのグループだから無理することはない。救いたいっていう気持ちがあれば、それだけで良いと思うよ」

  

裏で集結するTO-NAのメンバー。タテルが発破をかける。
「今日一生懸命パフォーマンスをすれば、とげとげの日々も全て救われる。夢の東京ドームに大きく近づける。一瞬の勝負に勝った先の景色、みんなで見に行こう。じゃあ円陣組んで!」

  

青天を衝き白雲を穿つ、仲間と共にあの頂へ!我ら世界のTO-NA!

  

「はい!」
「よっしゃ行くぞ〜!」

  

満員の野球場でライヴが始まった。綱の手引き坂時代以上に磨きのかかったパフォーマンス。観客のヴォルテージが最高峰に達していたその時、照明機材がメンバーのベリナめがけて落下した。

  

「危ない!」
ベリナを押しのけたタテルの頭部に、機材が直撃した。

  

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