かつてほどの人気を失いつつある女性アイドルグループ「綱の手引き坂46」。その特別アンバサダーを務める渡辺タテルは、メンバーと話し合いながら、自由に活動するためプロデューサーの冬元の手から離れることを画策するが、弟でライバルグループ「檜坂46」を支配するカケルの影が忍び寄る。
*この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。実在の人物・団体とは一切関係ありません。大事なことなので2回言いました。
バーへ歩いて行くタテルとヒヨリ。
「ここはかどわき。トリュフを使った和食が楽しめる店」
「行ったことあるんですか?」
「無い。高いもん。グループがもっと大きくなったら一緒に行こうね」
「頑張る」
「タテルくん、ヒヨリちゃん」
「おう、アヤ。雑誌撮影お疲れ様」
「今日も可愛いお洋服たくさん着れて楽しかった!」
「活き活きとしてるね。さすが綱の手引き坂のお洒落番長」
19:55頃に店に到着したが扉が開かない。向かいの住区センター様の敷地で、今日は休みなのか、でもSNSを見ても臨時休業の告知は無い、もしここが駄目なら代わりにどこへ行こう、など5分くらい逡巡していると物音がし、カーテンが払われて開店を確認した。この日はたまたま準備が遅れていたようである。
ひょうたん島のようにボトルが並べられている様は壮観であると共に、地震が起きたら壊滅しないか心配にもなる。メニューは存在しないため、マスターが先客の酒を拵えている間、タテルとアヤがバー初心者のヒヨリにアドヴァイスする。
「初めてだとフルーツカクテルが良いと思うよ。旬の果実を使ったカクテルというのも一つの醍醐味だ」
「私がタテルくんと初めてバー行った時はオレンジジュース使ったカクテル飲んだな」
「『ヨコハマ』ね。あれはやっぱ横浜で飲んだ方が良い。オレンジジュースならウォッカベースのスクリュードライバーはどうだろう?」
「あじゃそれにしてみます」
スクリュードライバーで様子見するヒヨリの傍で、タテルはウイスキーベースの強いカクテル・ラスティネイル(1800円)を戴く。入りは甘口だが、口内の上部を焼き払う強さを確かに感じ、油断すると喉をつんざいてくる。
「綱の手引き坂もついに選抜制になっちゃった。しかも2人とも選抜から外された。正直どうよ?」
「悔しいよそりゃ」
「やっぱりな、とは思いましたけど、そうやって諦めてしまうくらい私は力不足なんだな、と実感して悲しくなりました」
「あのフレンチ会で俺は、月並みでも興味を持ってくれれば魅力に気付いてもらえると話した。でも人は結果しか見てくれない。不人気アイドルだから見る必要無し、って皆思ってしまう。どうすればいいのか、俺もわからないでいる…」
強めの酒が欲しくなったタテルとアヤは、先客が最初の酒を飲みきらない内にマティーニ(1700円)を頼む。アレンジとしてオレンジビターが入っている。マスターが1分以上丁寧にかき混ぜる。口当たりは思ったよりも円やかだが、スパイシー、そしてドライな味わいは流石マティーニである。一方でヒヨリはキウイのフルーツカクテルを頼んだ。
選抜制導入に伴いタテルが一番危惧していたことは、選抜メンバーとアンダーメンバーとの間に分断が生じ、今までのような一体感が失われることである。
「選抜チームと別働になって、せっかく仲良かったメンバーと険悪になる可能性が高い。こうなったらもう、皆仲良くが持ち味の綱の手引き坂は終わりだ」
「安心してください、選抜発表後も変わらず仲良くしてますよ」
「私達そんな脆い仲じゃないから。わかるでしょタテルくん?」
「勿論わかる。でも信頼関係って、簡単に崩れ去るものなんだよ。やたらと分断を煽る外野の声もうるさいしね」
「それは悲しいです。綱の手引き坂は未来永劫超絶仲良し!」
その頃、独立宣言をでっち上げるカケルは冬元と相談し、ありもしない不仲説を組み込もうとしていた。
「綱の手引き坂は選抜制になって選抜されなかったメンバーは『何故あの子は選ばれたのか…』という不満を漏らしています。特に新人の4期生らの仲は最悪。とある4期生が、選抜された4期にパワハラをしているとの情報も入っています」
「カケル、さすがに嘘は許されない。お前が一番わかっているだろ?」
「はい、嘘は許されません。でも、この世には嘘をつかないと乗り越えられない事案だってあるわけです。それをどう正当化するのか、俺にはその腕があります」
「呉々も慎重にな。カケルのことだから大丈夫だとは思うが」
タテルはここでカクテルから単一の酒へ移行しようとする。ウイスキーが定番ではあるが、以前訪れたバーでブランデー人気の低さを嘆いたバーテンダーがいたことを思い出し、コニャックからラグランジュ(3500円)を注文した。さっとスマホで調べた通り、5cm,3cm,至近の順で強くなる香りを嗜む。口の中で転がすと、表現する言葉が見つからなくて悔しいくらい高貴な味わい。だが口内環境が悪かったのか、転がしすぎると変な味が加わってしまう。一流に慣れているはずのタテルでも安くないブランデーをそのまま嗜む良さを理解しきれず、今度からはフレンチハイボールを頼もうと決心した。
「まあ元気出していこう。アヤもヒヨリも終わった訳じゃないんだから。アヤは得意のメイクとファッションを極めてメンバーを立ててあげれば良い。ヒヨリはせっかく本音出せるようになったのだから、毎日ブログかインスタどちらかは投稿する。短くてもいい、くだらない内容でもいい。それがヒヨリの強みだと俺は思うから」
「ありがとうタテルくん」
「ありがとうございます」
「メンバー皆均く魅力を引き出すのが俺の仕事だ。誰も見捨てやしない。そして、諦めたくなるような停滞感に、俺は抗う」
翌日夜の会議、タテルとメンバーがみっちり話し合い、以下の内容を運営にぶつけてみることにした。
・次のシングルのカップリング曲はメンバーまたは外部の作詞家に作詞を任せ、曲もメンバーが選定に関わる。表題曲は従来通り。
・選抜制は廃止する。
・カップリング曲は3作に2作の頻度でユニット曲とソロ曲、残り1作は期別で統一する。
・シングルとアルバム、合わせて年4回リリースする。
・ライヴは周年ライヴと全国ツアーを年1回ずつに加え、国内外の音楽イベントにも積極的に参加させる。全国ツアーは、客入りの少ない仙台、名古屋、福岡を1日ずつにする。
・4期生だけの地上波冠番組をやらせる。
・外番組への出演は、なるべくメンバーが積極的に参加できるような番組を選ぶ。
「タカハシさん、議事録ちゃんととれましたね?」
「確認しますか?」
「どれどれ…ありがとう、よくまとめてある。これくらいなら冬元先生も受け入れてくれると思う」
「後で冬元先生に送っておきますね」
「頼んだ」
しかしこのタカハシという人物にはカケルの息がかかっていた。
「綱の手引き坂運営のタカハシさん、ぶっちゃけどう思ってますか、綱の手引き坂のこと」
「正直私は檜坂さんが好きです。綱の手引き坂に関わるつもりは無かったんですけどね」
「嫌だろ」
「嫌です。メンバー大して可愛くないし変なのばっかだし」
「どうだ、これからは檜坂に身を委ねないか?」
「はい、今すぐにでも異動したいです」
「じゃあその望み、叶えてやろう。ただ一つ条件がある。タテルが冬元先生の手から離れることを画策している。恐らくそれに関する会議が行われるはずだ。君にはそこで書記をやってもらいたい」
「書記なら何度かやらせてもらってます」
「じゃあ話は早い。議事録できたら俺に送って」
「どういうことですか?」
「俺がそれを添削して君に送り返す。送り返したものを冬元先生に送れ」
「わかりました。上手くいくかわかりませんがやってみます」
指示通りカケルに議事録を送ると、以下のように修正されて返ってきた。
・次のシングルは全曲メンバーまたは外部の作詞家に作詞を任せ、曲もメンバーが選定に関わる。
・選抜制は廃止する。
・カップリング曲は全てユニット曲またはソロ曲。期別曲は飽きました。
・シングルとアルバム、合わせて年4回リリースする。
・ライヴは関東で年10公演、関西で年2公演。国内外の音楽イベントに10回以上出演する。
・1期〜4期で各々地上波冠番組をやらせる。
・外番組への出演はメンバーが積極的に参加できるような番組を厳選する。7割くらいは断るイメージで。
・最終的には冬元先生の手を完全に離れる。
翌朝、冬元はこのメールを目にして呆然とした。カケルが週刊誌にリークするとメディアは挙って取り上げ、愈々独立騒動へと発展する。
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