連続百名店小説『独立戦争・上』第八話(すきやばし次郎/六本木ヒルズ)

かつてほどの人気を失いつつある女性アイドルグループ「綱の手引き坂46」。その特別アンバサダーを務める渡辺タテルは、メンバーの自主性を認めるようプロデューサーの冬元に要請しようとしたが、弟でライバルグループ「檜坂46」を支配するカケルの手により「冬元の手から完全に離れる」と捻じ曲げられて伝えられ、独立騒動に発展した。冬元の圧力により、メディアは綱の手引き坂に不利な報道をせざるを得なかった。
*この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。実在の人物・団体とは一切関係ありません。大事なことなので2回言いました。

  

まずは連日報道しております綱の手引き坂46の独立騒動ですが、ここで皆様にお詫びしなければならないことがございます。今まで綱の手引き坂メンバーに非があるような報道姿勢をとっておりましたが、メンバー側の弁明を何故報じないのか、というお叱りを多数いただいております。報道は公正でなければならない、という基本理念を無視し続けてしまったこと、大変申し訳ございませんでした。
綱の手引き坂独立騒動の報道について、メンバーに都合の良い情報を発信しないよう圧力がかかっています。その圧力により今まで報じることのできなかった、綱の手引き坂特別アンバサダー・渡辺タテル氏による「独立宣言が捏造された」という主張を取り上げたいと思います。

  

「クソ、テレ日は報じやがったか!」憤るカケル。
「しかも好感度高めのキャスターが司会の番組が舵を切った。これでは世間がどんどん綱の手引き坂寄りになってしまう」冬元も焦りを隠せない。
「でもコノとグミの謹慎を解くまでには至っていません。それに新たな火種が燻っているようです。独立うんぬん以前に解散もあり得ますね」
「解散、ね…」

  

件の報道の翌日、檜坂と綱の手引き坂の合同事務所にやってきたメンバーを、浮かない表情のスタッフ3名が出迎える。
「皆さん大変です…私たち以外のスタッフが全員退職しました」
「はっ⁈嘘でしょ…」
「3人だけ⁈」
「昨晩のnews ichiの勇気ある報道が、却って冬元先生を逆上させてしまったようです。運営も堪忍袋の緒が切れたみたいで、辞めたスタッフは希典坂やIMCなどの運営に移籍したみたいです」
「綱の手引き坂運営のノウハウと反省を活かして、青君をトップアイドルにしてやる、なんて意気込む人もいました…」
突如後ろ盾を失ったメンバーは唖然とした。カケルらスタッフと仲良くしている檜坂メンバーの姿を見て号泣する者もいた。
「タテルさんは辞めてませんよね?」
「辞めてないです。多分まだ知らないはず…」

  

昼食を食べていたタテルの元へも、メンバーから運営スタッフ大量辞任の件が知らされた。
「スタッフがこぞって辞めただと⁈」
「はい…3人しか残ってません」
「3人⁈ 」
「マネジャーもメイクもスタイリストもいません!」
「厳しいな…ミーグリとか歌番組の出演とかどうするんだよ」
人気を失ったとはいえ大手アイドルグループであることに変わりは無い綱の手引き坂。3人で回すことは困難を極める。
「タテルさん、正社員になってくれませんか?」
「正社員ね…なりたいのは山々だけど、本職もあるから」
「そんなこと言ってる場合じゃないです!」
「…」
「タテルさんは誰よりも綱の手引き坂のことを考えてくれています!私たちにはタテルさんの力が必要なんです!」
「…本職のボスと相談してみる。そうだ、俺1人力になってくれそうな人知ってる。京子の卒コンで出会った大久保さんって人なんだけど、ちょっと連絡してみるね」

  

「ご無沙汰しております、渡辺タテルです」
「ああタテルさん。綱の手引き坂、どうなってるんですか…」
「見えない圧力がかかっています。実は今日、スタッフの殆どが辞職する事態になりまして…」
「えっ…」
「大久保さん、社員になってメンバーのサポートをしてもらえませんか?」
「わかった。やるよ」
「ありがとうございます!しかも二つ返事で」
「あの夜約束しましたからね。この非常事態、乗り切りましょう」

  

その後、タテルも何とか本職を休職し運営に合流した。たった5人のスタッフで、早速テレ日の歌番組の収録に臨む。
「ごめんなみんな。メイクは自前でやってくれ」
「タテルさん、衣装運ぶの手伝ってください!」
「はーい、今行く!大久保さん、メンバーのコメントまとめてディレクターさんに伝えてください」
「承知した!」

  

歌番組の収録は無事終了したが、その後もやることは多い。ブログチェックはすぐやり方を覚えられるからまだ良いが、公式YouTubeの編集、ライヴの演出プラン考案などプロフェッショナルが要求される箇所はメンバーを頼るしか無かった。案件獲得の営業も行うが、一連の独立騒動でイメージダウンを食らっており苦戦する。

  

ある土曜の昼、タテルはメンバーのミクを連れて、1ヶ月以上前から予約していた六本木ヒルズ内のすきやばし次郎を訪れる。
「ついに私の大好きなお寿司、きましたね」
「俺あまり寿司は食べないけど、この前コノと行った小松弥助はすごく美味しかった。次郎さんもきっと極上なんだろうな」
「私もすっごい憧れの店でした。訪れることができたの、タテルさんのお陰です」

  

しかしタテルには不安があった。大将が威圧的で、客前でも弟子を叱るという口コミが目立つからだ。中には大将の政治的思想の強さを指摘する人もいた。客に対して緊張を強いる店はタテルが最も嫌うものである。

  

入ってみると男性1人客が2名と外国人のカップルが1組。大将はそのカップルに対し中国のことについてあれこれ語っていたが、台湾からのお客様だったためか口調は穏やかであった。まもなくタテル達にも挨拶をしてくれて、飲み物の注文を聞かれたが凝ったものは無いと予習していたのでとりあえずビールとした。

  

「ミク、主演ドラマ好評だったね」
「『老婆の診療所』ですか?あれは良い思い出になりました。女優業やっていきたいですね」
「坂道は女優の登竜門でもあるからな。これからも女優案件狙ってみるよ」
「ありがとうございます。続編もやりたいですね」
「今度は俺もがっつり絡みたいね。この前は殆ど別働だったから…」

  

早速出てきたのは平目。突然の登場で面食らい写真を撮り忘れる。7割くらい噛み締めたところで身の甘みが出てくる。

  

フィードバックを纏めている内にすぐ次のネタが来てしまう。歯切れの良いスミイカ。歯切れは良いのだが味の密度が低い。

  

ビールを飲む暇も無く平貝の大きな貝柱。臭みこそ無いが、これだけ大ぶりでは飽きてくる。また、多くの人が指摘するようにシャリの酢がきつく、その日のコンディションにも依るが口の中が麻痺してしまう。結果ネタの良さを感じ取りにくいのである。

  

間1,2分でまぐろ赤身。ほのかな甘みの余韻がある。

  

ここで大将が弟子に小声で指導する。口コミで噂になっていたスパルタ指導の始まりか、と思ったが穏やかなまま終わった。邪推だが、欧米人や中国人がいなかったせいか良いように振る舞っていたのかもしれない。

  

それでも落ち着く暇なく中トロ。上品な脂の旨味。これはシャリ云々を差し置いて満足できる。

  

中トロの余韻を味わう間も無くコハダ。ネタがビッグサイズで、口いっぱいに広がる身の旨さと穏やかな酸が良い。

  

赤貝。最早食感を「ふりんふぁんふぁんふりんふぁんふぁんふりんふぁんふぁんふぁん」という言葉で表現したくなるテンポ感である。Bling-Bang-Bang-Bornとどちらの食感が好みかは人によるだろう。

  

鯵。あまり特徴が無い。

  

しょっぱい味付けをしていない自家製いくら。弾けてシャリと融合すれば卵かけご飯みたいになるとのことだが、いくらとしてのアイデンティティを尊重してあげた方が素材も喜ぶと思う。たださすが一流店、海苔の香りが良くとにかく食欲をそそる。

  

車海老は最初は尻尾側を、次に味噌のある頭側を食べる。これがただ海老をご飯に載せただけという感覚で、酸の強さのせいで調和も取れておらず口に残ってしまう。頭側の味噌が何とか取り持ってくれようとするが、停戦条約が結ばれる気配は無い。

  

脳の処理容量を超えてしまったタテルは次のネタのことを失念した。

  

気づいたらバフンウニが登場した。ふるふると震える雲丹を頬張ると、濃厚な入りから水感、そして海苔の香りと合わさって磯の味へとシフトする。

  

藁焼きカツオ。芳しい藁焼きの香りが最後まで持続し、身も血の混じりが無いピンクでノンストレス。絶品である。

  

ここで再び大将が弟子に指導する。弟子が効率的でない動きをし、もっと頭を使って仕事するよう指摘する大将のボルテージは、口コミで予習し抱いたイメージの3割くらい。こうなると綱の手引き坂の置かれた現状の方がよっぽと苛烈である。

  

穴子はスッと溶けて無くなる。ここまでの所要時間は30分弱。2万円を超える食事とは思えない速さの提供である。

  

ここからはめいめい好きなネタを追加する。えんがわやらムラサキウニやらハマグリやら追加するミクの横で、あまり気が進まないタテル。どうしても目について仕方なかった大トロだけ頼むことにした。

  

しかしこれが中トロより弱く感じてしまう。やはりシャリの強い酸が多大な影響を及ぼしているのだろう。

  

ギョクが出てコースは終了である。海老の香りがよく感じられる一方、カステラのような甘みもあり面白い。そして大将の修行論に聞き入る。
「修行はつらいから修行なんですよ。つらくなければ修行でも何でも無いですからね。逆に修行を乗り越えればどんな困難も乗り越えられます」
「次郎さんは99歳でも本店で握り続けています。まだまだ美味しい寿司を追求したい、と言っております。進化を求める姿勢を崩さなければ、人は何時迄も体を壊すことなくやっていけるものです」

  

「いくらスタッフが減っても、私たちが腐ったら終わりですよね」
「そうだな。綱の手引き坂の可能性は終わってない。やれることをやる。全力で仕事を取りに行く」

  

コースの基本料金24200円は事前に決済していたため、追加したビールと大トロの分をここで支払う。
「5100円か…ビールが1000円としたら大トロは4000円超ってこと?」
「タテルさん、それが一流ですよ」
「まさかミクから一流を教わるとは思わなかったよ」
「寿司なら私にお任せください!」

  

事務所に戻ったミクとタテルは、メンバーらが口論している様を目の当たりにした。
「独立なんて有り得ないでしょ!」
「このまま元の鞘に収まったとして、今までと同じように活動できると思う?スタッフさんも減って、圧力が無くなる保証も無いし」
「でも独立は無茶ですって!シングルは出せますしライヴもある」

  

「みんな、何揉めてるんだ」
「メンバーの何人かが独立したいって言い出したんです」
「待て、独立したいって言っているのは誰だ…なるほど、非選抜メンバーが中心か」
「正直私たち失うものないので。現状維持のままの方が怖くて…」
「気持ちはわかるけどさ、ちょっと自分勝手じゃない?」
「現状維持でもやがて仕事失うよ。なら独立して新しい可能性を探すべき!」

  

「お前らちょっと待て。喧嘩なんて綱の手引き坂らしくない」
「仲良くしようよ…」
「現状維持となると、コノさんとグミさんはどうなるんですか?」
「はっ…」
「このまま脱退になる可能性が高い。独立すれば戻せるとは思う」
「やっぱ独立なのかな…」
「別に良くないですか?2人とも年長ですし、グミさんはキャプテンとは言いつつ自分が目立ちたいだけだし…」
「…おい、何てこと言うんだよ!」
「私もそう思います。そろそろ若い人にキャプテンやらせてください。綱の手引き坂は先輩が幅を利かせすぎですよ」
「やめろ!恩知らずにもほどがある!」
「タテルさんも大概ですよ!いい加減にしてください…」
綱の手引き坂内の火種が遂に爆発した瞬間であった。

  

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