かつてほどの人気を失いつつある女性アイドルグループ「綱の手引き坂46」。その特別アンバサダーを務める渡辺タテルは、メンバーと話し合いながら、自由に活動するためプロデューサーの冬元の手から離れることを画策するが…
*この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。実在の人物・団体とは一切関係ありません。大事なことなので2回言いました。
「ご苦労だった」
「寒空の下3時間半も待って、奇人のフリして押しかける。すごく嫌でした」
「ありがとうな。今度良い店連れて行ってやるから。タテルはどう対応した?」
「全然答えてくれませんでした」
「そりゃそうだよな。でも恐怖を植え付けることには成功したと思う。取り敢えず俺は冬元先生に言いふらすから君達は暫く静観で」
「はい!」
ある金曜日の夜。本職は普通の会社員であるタテルが、業務終わりに綱の手引き坂の事務所を訪れる。
「おつかれみんな…」
「タテルさん、お疲れ様です!」
「ああ、みんなの声聞くと安心するよ…」
涙するタテル。
「どうしたんですかタテルさん?」
「普段の仕事、ミス続きでさ。いつも迷惑かけてしまう」
「タテルさんでもミスするんですね」
「そうなんだよ。もう怒られてばっか。自分のことが嫌になってしまう」
「…」
「でも俺には綱の手引き坂がいる。君達が楽しそうに歌って踊って戯れ合っている姿を見ると安心するんだ。君達の多幸感は、俺の生きる糧だよ」
タテルの熱い想いを聞き涙するメンバー達。純粋で面白く、熱意あふれる彼女達にはもっと高みを目指してほしい。そしてもっと多くの人に綱の手引き坂を知ってもらって幸せになってほしい。だが現状は明らかなコンテンツ供給不足であり、応援してくれるファンもどんどん離れてしまっている。
「じゃあシホ、行こうか。もうすぐイタリアンの予約の時間だ」
「わぁ楽しみ!初めてだタテルくんとの食事」
「俺もすっごく楽しみにしてた。ごめんな今まで連れ出せなくて」
「寂しかったですよ。さあさあ、行きましょう!」
六本木ヒルズ方面から、大江戸線麻布十番駅に差し掛かるところまで歩いてきた。ここを南に入れば目的の店「ピアットスズキ」の入居するビルがある。エレベーターで3階に上がり、店内奥の厨房が見えるカウンター席に通された。テレビでもよく見かける鈴木弥平シェフは時に一喝し、時に和気藹々としながら、十名ほどいる調理スタッフを束ねていた。
料理はおすすめコースの最安値、11000円コースを選択。アラカルトもかなり充実していて、食べたい料理をリクエストし後はお任せ、という賢い使い方も可能だと云うが、注文時には知る由が無かった。
飲み物のメニューはどうやら無くて、タテルは何の気無しにスプマンテ、酒が飲めないシホはオレンジジュースを注文する。
「緊張してるかシホ?」
「してる」
「一流店だからといって肩肘張ること無いから。家族で偶に贅沢するくらいの気持ちでいれば良い」
「タテルくんがいると心強いね」
「任せなさい」
挨拶代わりの一品はホワイトアスパラガスの冷製スープ。クリーミーな味の雪原を抜けると、春らしいアスパラの旨味がいた。
さらにパンは、王道のバゲットからつまみ系のグリッシーニまで4種類と豊富な取り揃え。ヒラヒラしたやつが程よい塩気で気に入った。
ここで厨房の弥平シェフが挨拶する。いつもなら一言二言交わすところ、「ああ」と言っただけで会話を打ち切ってしまったタテル。
「タテルくん、どうして瞳そらすの?変な空気になったよ」
「察してよ。弥平さんラビットの回し者だよ」
朝の帯番組『ラビット』。他局がワイドショーに特化する中、笑い溢れるバラエティ番組を放送し人気を博している。弥平氏はその番組の常連出演者であり、同じジャンルの食べ物を審査しランキングを作る企画に出たり、実際にスタジオに来て料理を振る舞うことも多い。料理対決に負けて番組名物の電撃を浴びたことすらある。
一方番組開始当初から、坂道グループのメンバーが1人3ヶ月交代の曜日レギュラーを務めていて、当初は綱の手引き坂メンバーが数珠繋ぎをしていた。しかし番組の人気が確固たるものになるにつれ、檜坂や希典坂メンバーにその座は取って代わられ、綱の手引き坂メンバーはレギュラーはおろかスタジオにさえ呼ばれない。ロケゲストとしても年に1回呼ばれる程度である。
5種前菜盛り合わせの登場。しかしタテルは呆然とした。魚介にウェイトが偏っているからである。
「5品中4品魚介か…」
「私お魚好きだから嬉しい!」
「あげようか?俺さ、西洋系の料理で食べる生魚苦手なんだ」
「いや、お腹いっぱいになっちゃうからいらない」
「そっか…我慢して食べるよ」
平目のカルパッチョはオリーブオイルとチーズで身のコクが立っているが、淡白な印象は否めない。
鯵はシャンパンヴィネガーで。旨味のしっかりある鯵に酢が効いていて寿司らしいテイストがある。
鰹はソースのコクから入り鰹らしい味へと変わっていく。鰹にありがちな血臭さも無い。
美味しいか不味いか聞かれれば間違いなく美味しい生魚トリオであったが、タテルには量が多すぎた。シェフは茨城出身だから魚介に拘りたい思いがどこかにあるのかもしれないが、野菜が主役の品を1品でも入れた方がバランスが良い、と心の中だけで評するタテル。
蛸は黒胡椒により味を引き立たせる。アンチョビポテトには特徴なし。
那須の仔牛のポルケッタ。柔らかくクリーンな肉質でバジルチーズソースがよく合う。最後まで大事にとっておいて良かったと安堵するタテル。
「ねぇタテルくん、綱の手引き坂って業界内でどういうイメージなのかな?」
「可愛くてパフォーマンスが良い上に、お笑いができるアイドル」
「やっぱお笑いのイメージあるよね」
「あるね」
「でも最近思ったんです、お笑いができるアイドルに存在価値あるのかなって」
業界内では笑いの取れるアイドルと話題になっていた綱の手引き坂であったが、そもそも番組においてアイドルに笑いなど求められておらず、芸人に花を添えるくらいが丁度良いとされている。ガツガツ笑いを取りに行く綱の手引き坂は芸人の目の敵にされ、さらにとあるメンバーが女優の乗った吊り橋を揺らしガチギレされる事件も発生。結果、綱の手引き坂はラビットから締め出される運びとなった。
「またラビット出たいな…」
「ね。シホはすごく面白かった。代打アシスタントの時の挙動は爆笑しちゃった」
「MCのワカシマさんも喜んでいたと思うんだけど、全然私達に絡んでくれない。局でお会いしても一言挨拶交わして終わりだもん」
「完全に忘れ去られたね」
気を取り直してアスパラのチーズ焼き。これはどう考えても美味いやつである。カリカリに焼かれつつもチーズらしい食感・味を残してある。アスパラ自体にも瑞々しさがあり、うずらの半熟卵を纏わせて丸みも加える。
「最後にラビット出たのは1年前のロケかな。パフェ食べたやつ」
「あったね」
「でも私オンエア観てショック受けた。スタジオの皆さん全然私に触れてくれない。芸人さんばかりヨイショしていた」
「たしかにシホのワンショットでは仏頂面してたな」
「綱の手引き坂、嫌われているのかな…」
「嫌われる要因はあると思う。芸人は何年もかけて売れっ子になるけど、綱の手引き坂は3年で売れた。それでいて不遇アピールするのが腹立たしい、という風潮がある」
「何それ?私達どれだけ苦労してきたか…」
「アイドルは賞味期限が短い、という前提を無視するとそういう考えになる。勿論この考え方が正しいとは思わないけど、芸人からしたら3年で売れっ子になるなんて受け入れられないだろうな」
「悲しいよそれ…」
沈んだ気分の2人へ、冷製ジェノベーゼが登場。バジルの香りにリコッタチーズ特有のコクが加わり病みつきになる。トマトもフルーティでえぐみが無く、パスタに融合する。
「これずっと食べていたい。食べてて気持ち良いもん」
「楽しんでくれて何よりだよシホ。はしゃいでいるシホが大好きなんだ」
「そう言ってくれてありがとう」
「油断するとすぐ殻に篭るからさ。明るいシホでいてほしい」
続くパスタはパッパルデッレに鳩のラグー。ラーメンと紛うほどに味の濃い幅広麺。繊維がほろほろと解ける鳩肉もしっとりしていて味わい深い。
一方その頃、檜坂を支配するカケルはプロデューサー冬元に会っていた。
「おう、渡辺」
「苗字呼びやめてください。兄貴のタテルと混乱しません?」
「そんなにタテルが気になるか。わかった、カケルって呼ぶよ」
「頼みますよ。今日は綱の手引き坂の件についてお話ししたいことがありまして」
「綱の手引き坂な。京子抜きでも上手くやれてそうだな」
「まあそうですね。ただこの前偶然こんな会話を耳に挟んだんです。聞いてください」
「…僕の手を離れたい、だと⁈本当にグミとタテルがそう言ったのか⁈」
「ええ。俺も驚きましたよ、たまたま電話予約入れようとした店で会話が聞こえちゃって」
「もし本当だとしたら、恩知らずもいいとこだな。グミはまだしも渡辺」
「苗字呼びやめてください。俺のことじゃないですよね」
「失敬。タテルは恩知らずだな。いいさ、勝手にすればいい」
「俺も丁度良い機会だと思いました。綱の手引き坂にはさっさと出て行ってもらいたいんです。笑いが取れるアイドル、とか言っておきながら大して面白くない。ただ下品なだけ。パフォーマンスも中途半端なのに私達はライヴでこそ輝くとかホラ吹いてる。そんな奴らと檜坂が何故同じ事務所にいるのか、って話ですよ」
「分かるが事務所分けるのは面倒くさいぞ。色々調整しなければならない」
甘鯛と蕗の薹。高級食材ではあるが臭みが目立つ。鱗を立てて焼きクリスピーにするか、蕗の薹と乳製品でソースを作るなどした方が違和感なく食べられるとタテルは踏んだ。
「シホが今レギュラー番組持っていないの、不思議なんだよね。正統派美人がふにゃふにゃした喋りで変なこと言うラジオ、毎週楽しみにしてたのに」
「変なこと、って何よ」
「ヒゲとかハゲとか言って、小学生男児っぽいのが好きなんだよね」
「ねぇやめてよ、私26歳の女子!」
「ハハハ。シホのそのキャラクター、絶対需要あると思うんだ。だのに何故使ってくれないんだろう皆…」
仔牛のカツレツにボスカイオーラ(*きのこをふんだんに使ったイタリア料理のこと)。レモンの爽やかな酸味が効いたソースがカツレツによく合う一方、きのこを合わせて何か、ということは無い。奥の筍も置くならもう少し量が欲しい。
「渡辺様、お腹に余裕があればお料理の追加如何でしょうか?シェフ自慢の青唐辛子パスタがございます」
「食べたいな…よし、腹一杯にならないうちに早いとこ平らげていただきます」
「私はお腹いっぱい。タテルくんだけ食べて」
青唐辛子のパスタは〆に相応しいオイルパスタ。しかし青唐辛子の味がそこまで強くなく、全体を俯瞰して見ても素朴すぎる味であった。
「やるとしたらやっぱバラエティかな」
「それが綱の手引き坂の醍醐味なんだよな」
「もっと色んな芸人さんタレントさんと絡みたい」
「それもそうだし、メンバーだけで面白いことやってほしくもある」
「でもそのチャンスなかなか巡ってこない。VTR観たり話聞いたりするだけの番組にしか呼ばれない」
「今の綱の手引き坂は中途半端なのかもしれない。大喜利力は新宿凪咲に及ばないし、イカれ具合は希典坂のTENETに勝てない。そんな状況で『バラエティやりたい』と言っても誰も聞いてくれない」
「私たちの努力、報われないのかな…」
「アイドルの世界に奇跡などない」
「えっ…」
「一度落ちたアイドルは二度と浮上しない。これは業界内の通説だ。でも今、檜坂が榎坂時代の停滞から復活している。バラエティ番組でもよく見るし、パフォーマンスにも磨きがかかっていて海外でも人気。極めつけは紅白に返り咲いた。この奇跡を前に、綱の手引き坂も奇跡を信じずにはいられないだろ」
シホの目に涙が浮かぶ。
「私、もっと頑張らないと…最近積極的に活動できてなくてもどかしく感じていたけど、ブログとかYouTubeとか、皆に観てもらえる場所はたくさんある。言い訳せず、自分にできることをやりたい」
「シホは可愛くて面白くて、魅力に満ち溢れた人だ。俺もサポートするよ、一緒に頑張ろう!」
デザートでついに我儘を発動するタテルとシホ。1種類に決めきれず、金柑のゼッポレとズッパイングレーゼの2つを盛り合わせてもらうことにした。
ゼッポレはシュー生地の軽いように思えてどっしり構える食感、金柑のみっちりした柑橘感、そしてクリームの華やかさが畳み掛けてくる。
ズッパイングレーゼにはたっぷりのシロップが染み込んでいる。恐らくグレナデン(ザクロ)シロップなのだろうか、優しい甘さに首ったけとなる。チョコガナッシュの味もはっきりしていて、合わなさそうな2つの甘みが上手く融合している。まさしくシホとタテルの関係性を象徴しているようであった。
食後の飲み物はコースに含まれないため、ケチなタテルは頼まないという選択肢をとった。一方でシホは大好きなカフェラテを注文する。落ち着いたところで漸くシェフに挨拶を、と思ったが21時で早上がりしていたようでとうとう会話は叶わなかった。
「まあラビットは檜坂に任せておこう。綱の手引き坂はそれに負けない番組、自前で作ろうぜ」
「いいねそれ」
コース単体は11000円であったが、タテルの会計は飲み物2杯と青唐辛子パスタの分も加えて17000円強となった。お土産のラスクをもらい退店する。
「初めての高級イタリアン美味しかった〜!」
「シホが満足してくれたならそれで良い。受動的に頼むよりも、自ら懐に入りに行く姿勢が大事なんだろうなこの店は」
「それ、今の私達にも言えますよね。待っているだけじゃグループは動かない。積極的に運営さんに掛け合わないとダメな気がします」
「一昨日もグミとそういう話してたんだ。1人だと気が引けるけど、皆で交渉すれば心強い」
「今日は色々収穫があって楽しかった。ありがとうタテルくん」
一方のカケルと冬元。
「そういえばこの前のつなあい、綱の手引き坂メンバーのシホが不適切な言動してましたよね」
「観てないからわからない。映像あるか」
「ウゥッ!」えずくカケル。
「生足を載せた使用済みマシーンだと⁈なんと下品な!」
「坂道グループのメンバーが言っていいことでは無いですよね、冬元先生?」
「そ、そうだよな…」
「不適切にもほどがありますよこれ!来週から放送中止にさせましょう、ウルトラマンコスモスのアレみたいなの出して」
「いや、いきなり放送中止はまずいと思う。世間から反感を買いかねない
「そう…ですね」
「まあ下品であることは事実だ。とりあえず来週の放送で謝罪のお断りを入れさせる。今後もこういうことが続くようなら、放送時間の見直しも検討だ」
翌日、タテルも交え会議を行う綱の手引き坂メンバー。お土産のラスクを食べながら議論を交わす。一般的なものと異なりほろほろ砕けドライフルーツもたっぷり入っていてかなり美味しかった。
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