連続百名店小説『独立戦争・上』第九話(リューズ/六本木)

かつてほどの人気を失いつつある女性アイドルグループ「綱の手引き坂46」。その特別アンバサダーを務める渡辺タテルは、メンバーの自主性を認めるようプロデューサーの冬元に要請しようとしたが、弟でライバルグループ「檜坂46」を支配するカケルの手により「冬元の手から完全に離れる」と捻じ曲げられて伝えられ、独立騒動に発展した。独立の是非を巡り、メンバー内で対立が生じ始め…
*この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。実在の人物・団体とは一切関係ありません。大事なことなので2回言いました。

  

たった5人の運営スタッフが緊急で集まる。
「これってもしかして…」
「解散ならさせませんよ!最悪の終わり方ですそれ」
「でもグミさんに楯突く発言は衝撃的すぎますよ」
「恐らく世代交代が上手くいっていない焦りなんだろうな」タテルは冷静に語り出す。「希典坂や檜坂は新人を早くから選抜に入れ定着させた。それに対し綱の手引き坂は塩漬けにさせすぎた。人気実力の無い先輩メンバーが、新人を差し置いて良いポジションにいる」
「今思えば確かに、新人を売り出すのが遅すぎたと反省しています…」

  

「新人なんて、入れなければ良かったんだ」スタッフの1人が呟く。
「おい、今なんて?」
「4期なんか入れないで、人気絶頂で解散すれば良かったんだ!」
「何故そんなことを言う⁈」
「今の綱の手引き坂は、私の大好きな綱の手引き坂じゃない!」
「運営が揉めてどうする!」タテルが声を荒げる。「俺らがブレていてはメンバーに示しがつかないだろ!足並み揃えないと!」
「…」
「こうなっちゃったのは仕方ない。今はメンバーの関係修復のために出来ることを考えよう」
「独立するかしないか、これが最大の争点ですね」
「独立はしない方が良いと思う」
「私もそう思う。どうしても干されるようであればまた検討すれば良い」
「独立なんかしたら、資金援助も失って地下アイドルみたいにやっていくしかなくなりそうです」
「現状維持でいきましょう。タテルさん、それでいいですよ…ね?」
「ああ…」
「どうしました、虚な表情して?」
「俺は今すぐ独立した方が良いと思ってる」
「…」
「何なら非選抜メンバーの独立を駆り立てたのも俺だ。独立すればアンダーから抜け出せるかもしれない、という主張に賛同してしまった」
「タテルさん…」
「ごめん、足並み揃えようって言った張本人が合わせられなくて。スタッフ失格だよな俺。辞めた方がみんなのためだ。メンバーに伝えてくる」
「待ってください!辞めることないじゃないですか」
「綱の手引き坂の未来は託した。世話になった。達者でな」

  

「そんな無責任な去り方、許しませんよ!」
「…」
「逃げるのは簡単です。でもメンバーは逃げずにどうにかしようとしている。さっき言ってましたよね、スタッフはみんなの手本にならなきゃいけないって?」
「その通りだな。俺、腐りそうになってた。1時間前ミクと誓った約束、完全に忘れていた…」
「話なら聞きますから。去るという選択肢だけは無しですよ」
「わかった。引き留めてくれてありがとう」

  

タテルが独立に躍起となっている理由は、謹慎中のコノとグミを復帰させるためでもあるし、グループ、そしてメンバーそれぞれの未来を明るくするためでもある。グループを潰しにかかるような運営に愛想を尽かし、誰よりも個々人の特性を理解している自分が舵を取って、卒業後の進路を見据えた活動をさせてあげるべきだと考えている。そのことをメンバーに説かなければならないのだが、下手に伝えてしまっては却って独立が遠のく。タテルは慎重に言葉を組み立てる。

  

その夜にはフレンチの予約を入れていたタテル。グループの非常事態ではあるが、雑誌の撮影で修羅場に居合わせなかったナオを連れて行くことにした。

  

グミの二の舞を避けるため人目につかぬミッドタウン傍の路地で待ち合わせ、半地下のフレンチの名店「リューズ」に向かう。隣にはビフテキのカワムラがあり、子連れ客が飛び出してきてヒヤリとしたがそそくさと入店する。2人であったがカウンター席に通された。目の前にはやや緊張感のあるキッチンがある。
「フレンチ食べるの、鎌倉行った時以来ですね」
「すごく楽しかったやつだ。おとなしいナオがとびきりの笑顔を見せてくれて」
「あの時はシェフ1人だけでしたもんね。今日は大人数で」
「これが普通だからね。さあ飲み物を選ぼう」

  

メニューを見ると、グラスワインは殆どが2000円代後半以上と高めの値付け。5杯ペアリングにすれば13000円超となり会計が4万前後になってしまう。タテルは2杯で我慢する作戦を取り、本日のシャンパーニュをまず頼んだ。酒の飲めないナオは国産無農薬茶を選択した。

  

「ルイロデレールか。ベタだな…」
「そんなにありふれたものなんですか?」
「エノテカの主力商品だし、飲み比べにも参加したことある。まあ果実味がしっかりしてて美味しいから、ベタになり得るんだけどね」

  

フィンガーフードはツナマヨ然としたライスクッキーとオリーブのマドレーヌ。そこまで特筆すべきことは無い。

  

ヴィシソワーズもやってきたが、少し緩く物足りない仕上がりに思えた。

  

前菜はホワイトアスパラガスのババロア。

  

なんと中には松葉蟹とキャビアが入っている。しかしこれら高級食材を差し置いて、ホワイトアスパラガスの濃厚さが最も印象に残る。キャビアは濃厚さを足すが効果は限定的。松葉蟹は単体でこそ輝くものであり、濃い味に合わせるものではないと思う。
「ナオ、魚卵苦手…」
「ああそうだったな。まさかキャビアくるとは思わなかった」
「でもこういうところのは美味しいかもしれません」
「一緒に食べてしまえば大丈夫だよ」
「…アカン」
「ダメだったか。まあしょうがないね」

  

続いてホタルイカと筍のソテー。レモンとケッパーのソースがかかっている。イカとレモンは定番の組み合わせだが、ホタルイカとレモンととても相性が良い。春の訪れを祝うかのような軽やかなレモン・ケッパーの酸味がホタルイカを立てる。一方筍は正統派のグリルで、旬の甘味を楽しめる。
MAPS風間(現実世界におけるSMAP中居さんのような人物)のようにこざっぱりとしたウェイターが味の感想を求める。人見知りの傾向があるナオが戸惑う中、タテルが対応する。
「酸味が良いですね」
「ありがとうございます」
「筍も美味しいですね。こんな甘いんだ、って思いました」ナオも口を開く。
「グミも言ってたな。筍って甘いんだね、って驚くグミを笑ったあの日が懐かしい」
「グミさん、本当に戻って来れないんですかね…」
「俺も釈明して許してもらおうとしてるんだけど、もうコントロールが効かない」
「私グミさんにいっぱい救ってもらったんです。上京してホームシックになった時も、追い詰められて休業した時も、グミさんが優しく声をかけてくださって」
「グミは本当に良い人だからな。絶対問題起こす人じゃないし嫌われる人でもないのに…」

  

クマエビ。ハーブの清涼感だったりネギのピリッとした香味、コリアンダーの多大なるクセなど様々な顔を覗かせるソース。クマエビには染み込みにくいので、スプーンでソースと一緒に掬って放り込むのが正解である。アスパラは単体で成立しており、合わせてどうこうではないと思う。

  

「コノもこのまま…」
「同じ関西組だもんな。同じ新幹線で通って」
「抹茶のお菓子コノから渡されて、苦手やねんって言ってビミョーな雰囲気になった話、懐かしいですね…」
「グミとコノを戻す最も確かな方法、それは独立だ」
「独立って…まさかあの宣言通りに、ですか?」
「そうするしか無い。このまま権力に抗っても疲弊するだけだ。現状維持では間違いなく2人は脱退させられる。ならば独立して、決定権を俺らに移行させた方が良い」
「…」
「ナオの言い分も聞くさ。少し考えて」

  

出汁を敷いた桜鱒のグリル。強烈にパリッと焼いた皮と旨味たっぷり柔らかい身のコントラスト、そこに微塵切りした生姜の味、香ばしく焼いた桜海老の香りが効いてくる。奥にあるキャベツはやはり単体で成立している。この複雑性はさすがミシュラン2つ星、食べログ4.0超獲得するだけある。

  

「独立の理由をもう一つ話すと、このまま低調な活動を続けてしまうとメンバーのセカンドキャリアに影響が出る。社会や恋愛を経験する大事な時期をアイドルに捧げたのに、卒業したら後は知らない、で終わらせるのは無責任だと思うんだ」
「確かに、卒業後どうなってしまうんだろう、と思うことはあります」
「カゲや京子みたいに羽ばたいていける人も勿論いる。ナオもその部類だと思う。だけど中には芸能界で生き残る画が見えないメンバーもいる。鳥籠の中で終わりを迎えたアイドルは何をすればいいのか。ならば色々な経験をさせてあげられる、自由な路線を進ませてあげたいと思うんだ」
「そうですね…」

  

赤ワインを追加して、黒毛和牛のイチボ。味つけはこれまでの料理と違いシンプルである。身はやはり柔らかい。和牛らしい脂はありつつも下品に溢れ出すことが無い。ちょうど良い脂の滲み出方を弁えているのである。能登の野菜も皆実直な味で、特に柔く甘やかな芋の味が印象に残る。

  

「私…独立もアリだと思いますよ」
「そう思ってくれるか」
「確かに独立は怖い。このままでも活動はできる。でも私を救ってくれたグミさんとコノちゃんは戻れない。グミさんは私に、『みんなのことを見捨てない』と言ってくださった。独立しなければ、2人を見捨てることになってしまう。そんなの嫌だ!だから私は、独立が良いと思う」
「ありがとう。みんながいての綱の手引き坂だな」

  

ここでチーズの紹介が始まる。節約志向だったタテルだが、ブルーチーズに一目惚れしてしまう。
「ブルーチーズください。ナオも食べる?」
「私はちょっと苦手ですね。クリームチーズにします」
「かしこまりました。デザートワインも飲まれますか?」
「そうですね…どんなものがありますか?」

  

節約節約と抑えていた反動で、デザートワインまで追加してしまったタテル。アルザスの遅摘みゲヴルツで作られた、甘さ控えめの優しい1杯。だが2700円と安くは無い出費である。

  

ブルーチーズは長野県東御市にあるチーズ工房で作られた一級品らしく、青カビのクセと塩気が強く上品に出て、乳感に上手く溶け込む。
「パンと無花果持て余すな。ケチケチしないでもう1種類頼めば良かった…」
「チーズってフランスが一番有名なんですか?」
「まあそうだね。ああ、みんなでフランス行きたいね」
「檜坂さんはフランス公演やって、カケルさんに見そめられたんですよね」
「みたいだね。でも檜坂が海外志向なら、綱の手引き坂は国内を隈無く攻めるのもアリかもね」
「地方出身のメンバーも増えたし、47都道府県ツアーとかしても良いと思います」

  

プレデセールはバニラの効いたキャラメルクリームが素朴ながら美味しいのだが、雪塩ジェラートは力が弱い。
「ただな、全員が独立を認めている訳じゃないんだ。実は今日、独立したいメンバーと現状維持を望むメンバーで対立が発生した」
「えっ…」
「非選抜メンバーが全員独立を要求し、選抜メンバーの一部が拒否した。その中のある者はグミとコノを切り捨ててもいいようなことまで言い出したんだ…」
「何ですって⁈」
「だから俺今どうしようも無くて。どう収拾つければ良いのか分からなくなってる」
「何でそんなことに…」ナオは落ち込んでしまった。

  

メインデセールはアーモンドプリンの上にせとか。ローストしたアーモンドの香りが強く、せとかも負けじと甘味を放っている。喧嘩しそうでしないのが両者の不思議な関係。

  

「綱の手引き坂は個性が強い人たちばかりだけど一丸となれていた。それが俺の、そしてナオの好きな綱の手引き坂だった。だからこそ、もう一回一つになれる可能性はあると信じている。その糸口を探したくて、今日はナオを呼んだ」
「タテルさん…」
「綱の手引き坂にいながら綱の手引き坂に救われたナオが、独立を後押ししてくれた。これは非常に大きいことだと思う。ありがとうな、ナオ」

  

その頃、冬元はカケルに対し焦りを隠せなかった。
「カケル、僕全然歌詞が書けないよ。いい加減ケリをつけてほしい」
「歌詞書いてくれる人はいっぱいいますよ。焦らず待ちましょう、今いちばん面白いところですから」
「どういうことだ」
「また一歩、解散が現実を帯びてきました。これ聴いてくださいよ。メンバー間で独立するしないの対立がある証拠、録れたんです」
「本当かそれ」
「本当ですとも。このまま対立が続けば、いずれMAPSのように解散します。表立った活動もできないでしょうから、冬元先生は綱の手引き坂のことを考える必要がありません」
「そうだな」
「ただ仮に再び結束した場合は独立を求める可能性が出てきます。そうなった場合の処遇については冬元先生がお考えください。今考えた方がいいですよ、鉄は熱いうちに打て、です」
「わかった。出来るだけ重い処分にしてやろう」

  

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