連続百名店小説『東京ラーメンストーリー』85杯目(健太/高円寺)

グルメすぎる芸人・タテルと人気アイドルグループ「綱の手引き坂46(旧えのき坂46)」の元メンバー・佐藤京子。2人共1997年生まれの同い年で、生まれも育ちも東京。ラーメンYouTuber『僕たちはキョコってる』として活躍している2人の、ラーメンと共に育まれる恋のようなお話。
三ノ輪の基地(マンションの高層階の一室)でついに同棲を始める2人。しかし綱の手引き坂46が独立騒動で揺れに揺れ、メンバーのことを大切に思う京子はひどく落ち込んでしまう。

*時系列は『独立戦争・上』第7話以降に相当します。

  

1人残されたタテルも実家に戻ることを考えたが、拘りの強い性格上一人暮らしの方が気楽だと言い戻らないことにした。重圧に押し潰される日々の中で、1人の時間がタテルには不可欠であった。

  

追い討ちをかけるように、運営スタッフの殆どが離れ、綱の手引き坂は活動の幅をより狭めることとなった。タテルは穴を埋めるため本職を休職して正社員に就いたが、今度はメンバー間で不和が発生し余計心を痛めてしまう。

  

この一連の流れは連日ワイドショーで報道され、京子も当然気を揉んでいた。プロ意識は高いから仕事中こそ抑えているが、自分を育ててくれたグループが壊れようとする様を、かけがえのない仲間が傷つく様を見て人知れず涙に咽ぶ日々。

  

「京子、話しかけてもいいか?」タテルからLINEが来た。
「無理。今ようやく涙がおさまったところだから蒸し返さないで」
「悪かった。こんなことになってごめんな…」

  

ある日、気晴らしにラーメンを食べに行くタテル。最後に京子と一緒だった高円寺駅に再び降り、今度は北口から北上して赤ともピンクとも言えない色に舗装された小さな商店街に辿り着く。「ジョイフーズサンコー」と書かれた店が実はラーメン屋であり、豚骨ラーメンらしいクサさが店の外から漂う。都内では5本の指に入る本格派豚骨ラーメンの店であり、ガレージのような空間の中で屋台の雰囲気を再現している。待ちがあったため後ろの広い空間で暫く座っていた。

  

「博多(長浜)豚骨は俺の地元で一緒に食べた田中商店以来か。あの時は楽しかったなぁ、タテルくんだけ高菜入れすぎてスープの色変わってる〜、なんて笑い合っていた。でも今はそんなことしている場合じゃなくなった。本当なら京子と楽しい日々を過ごしているはずだった。今日も京子と一緒に笑い合いながら麺を啜っているはずだった。現実はどうしてこうも残酷なんだろう…」

  

ラーメンはあれだけ臭っていた割には控えめな濁り具合。スープを飲んでみても薄口すぎて、田中商店の味に慣れたタテルは美味しさを理解できなかった。また、チャーシューがモソモソしているのはしょうがないとしても、味玉ではなく茹で卵を入れるというのは、ナチュラルな白身とスープとの相性が良くなく疑問である。

  

高菜や木耳、紅生姜などは2席で1つを共有する。隣にいたのは京子ではなく独りよがりっぽい男であり、木耳を取るタイミングがバッティングしてしまい気まずくなる。替玉などするはずも無く、そそくさと店を去ったタテル。
「こんな気持ちで来店してしまって申し訳ない。現実に戻ろう。綱の手引き坂を守って、京子を元気にさせるために」

  

その後何とかメンバー間の仲を回復させることに成功したが、冬元サイドに対する信頼は皆無であったため、結局綱の手引き坂は改名・独立の道を歩むことになった。怒った冬元は彼女達を都心から締め出すという暴挙に出、メディア出演は実質不可能となってしまった。大切なグループをメンバーを守れたか、と問われたら、否と返さざるを得ない。

  

「京子、メンバーは皆仲良しに戻った。グミとコノも復帰できた。だけど大きな後ろ盾を失った。おかげで世間は綱の手引き坂を忌み嫌っている。ゼロからのスタートは確定的だ」
「どういうことそれ…」
「こうなってしまったのは俺の責任だ。綱の手引き坂が元の人気を取り戻すまで、俺は持てる力全てを彼女達に捧げることにした」
「それはそうね…」
「これ以上京子につらい思いはさせられない。京子は京子らしく生きてほしい」

  

文字を打つ指に涙が落ちるタテル。気力を振り絞り、最後の言葉を投げる。
「俺は逝かなきゃだ。別れよう。」

  

  

『独立戦争・下』および『東京ラーメンストーリー シーズン19』に続く

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