連続百名店小説『東京ラーメンストーリー』34杯目(さわ/中板橋)

この店は現在閉店しております。

  

グルメすぎる芸人・TATERUと人気アイドルグループ「綱の手引き坂46(旧えのき坂46)」のエース・京子。2人共25歳の同い年で、生まれも育ちも東京。ひょんなことから出会ってしまった2人の、ラーメンと共に育まれる恋のような話。

  

ソロライヴ本番2日前。いつも通りラーメンを食べて英気を養う。中板橋駅に降り立った2人が向かったのは、これまた名店の「さわ」。開店間もない時間だったため行列は回避できた。

  

「本番まであと2日。どうだ、自信ついてきたか?」
「うん。歌うの、楽しくなってきた」
「それはいいことだ」
「タテルくんは配信で観るんだよね?」
「配信?いやいや、現地行くけど」
「ホント⁈珍しい!」
タテルがアイドルのライヴを観に行くのは珍しい。大勢の人がいる場所が苦手だし、ステージから遠い席だと生の姿は見づらい。結局モニター越しで観ることに変わりはないと判断し、より安くゆったり観られる配信を好むタテル。だが今回は違った。
「今回は京子のためだけの晴れ舞台。京子だけをじっくり崇める日。レーシック受けて視力も良くなったし、たまには参戦しようかなって」
「めっちゃ嬉しい。より気合いが入る」
「関係者席じゃないからね。普通にチケット当てたから」
「タテルくん、全然関係者席にいていいと思うけど」
「俺は特別扱いが嫌いだ。あくまでも一般男性として京子のことを応援させてくれ」

  

ラーメンがやってきた。いたって普通の醤油ラーメンにみえるが、スープのバランスが途轍もなく良い。言葉で表現するのは困難だが、間違いなく正統派の美しさである。
「京子、この美しさだ」
「何よいきなり」
「このラーメンのように美しい声、響かせてくれ」
「いいから早く食べよう」スカす京子。
チャーシューは中華街で食べるような出来。ワンタンには生姜が入っていて、肉らしさを引き立てつつあっさりと食べられる仕組みになっている。

  

「美味しかったぁ!」
「美味しかった。喉もよく潤ったし、今日も歌い込む!」
タテルと別れ練習に向かう京子。小股で歩くその後ろ姿は、小さくも逞しく見えた。

  

ライヴ当日、開演は夕方だったためタテルは横浜観光をしていた。ロイヤルパークホテルでケーキを食べながら外を眺めていると、京子のファンとして名高いクウェート人が、同じ京子のファン50名くらいと記念撮影をしていた。中東の人にまで愛される京子と仲良くさせてもらっていることを、タテルは誇らしく思っていた。と同時に、誰からも連まれない自分を哀れに思い始めた。中学生になるとタテルは暗黒時代を脱したものの、人を寄せつける力というものはこの期に及んで持ち合わせていなかった。

  

孤独を感じたまま会場に入るタテル。席はステージ左端で、生の京子の顔を覗くのが難しい位置だった。結局モニターとステージを交互に見ることになり、配信で観れば良かった、という思いが一瞬よぎった。

  

しかしその思いはすぐ消え果てた。京子の力強い声が、ライヴ会場の音響で増幅される。外からは絶対に味わうことのできないずっしりとした感覚。タテルの心は始終震えていた。

  

〽︎好きだよと言えずに初恋は
タテルの初恋エピソードで色がついた京子の『初恋』は、中年層はもちろん、この曲を知らないであろう若者の心を鷲掴みにした。世代を越えて歌い継がれる名曲。村下孝蔵氏もきっと喜んでいることだろう。

  

〽︎愛しくて愛しくて幸せを噛み締めてる
続けて、今時の人気バンド・淡色理科の曲。ヴォーカルの長屋安子とは大の仲良しで、ラジオ番組でも共演した京子。思いを込めて噛み締めながら歌う。歌詞はまるでタテルと京子の関係を表しているようで、タテルは涙が止まらなかった。

  

その後も因縁の『First Love』や自身のソロ曲など15曲を90分間堂々と歌い上げた京子。美しくて美しくて、タテルはしばらく帰れないでいた。

  

スマホの電源を入れると、京子からLINEが来ていた。
「ステージ裏に来て」
「いや、このまま帰る」タテルは相変わらず信念を貫こうとした。
「初恋の話してくれたタテルくんもプレーヤーの1人。いいから来て!」
「わかった。行くよ」

  

スタッフに迎えられバックヤードに降りたタテル。そこには綱の手引き坂メンバーも集っていて、そのうち数名は泣き腫らしたためか目の周りが赤くなっていた。
「京子、めっちゃ良かったよ!」
「ありがとう。緊張したけどやり遂げたよ」
「みんなめっちゃ泣いてるね。俺も泣いた。歌聴いてこんな泣いたの初めてだよ」

  

それを聞いた京子も、また涙ぐむ。
「こんな沢山の人に私の歌で泣いてもらえてすごく嬉しい。歌、諦めなくて良かった…」
「俺も嬉しいよ、京子が歌うたう姿見れて。特に淡色理科の『幸せ』が染みた」
「いいでしょこの曲」
「めっちゃいい。俺って本当に不人気タレントで、人望のない自分に心折れそうになってた。でもこの曲聴いて思ったんだ。俺には京子という最高の相棒がいる、それだけで幸せじゃないか」
「タテルくん…」
「何くよくよしてんだ、って活を入れられた気分。京子のおかげで俺は前向きになれた。もう一度言おう。俺は京子とYouTubeやってるだけで幸せだ」

  

バックヤード中が幸せと感動に包まれる。京子は歌い人としての一歩目を確かに踏み出した。タテルは京子の歌声に魅せられた1人として、これからも京子を支え京子に支えられる。
京子はタテルの手をとった。2人は初めて手を繋いだ。
「タテルくん、もうどっか行かないで。何かあったら私が守る」
「心配かけてごめんな。もう二度と離さないと、心から誓うよ」

  

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