連続百名店小説『友に綱を』一番相撲(侍/亀戸)

東京は亀戸にある綱友部屋。かつては多くの横綱や大関を輩出していたが、現在では関取どころか幕下力士すらいない弱小部屋となっている。部屋の唯一の希望と目されているのが、三段目8枚目の足立丸(25)。しかし彼には大きな葛藤があった。
「おい足立丸。全然力が出てないじゃないか」
「す、すみません…」
「やる気ないなら廃業しろ。あいつとの約束はどうなったんだ」

  

この部屋にはもう一人有望な力士がいた。亀侍(享年25)。髄膜炎を悪化させこの世を去った。足立丸と亀侍は初切を担当しており、2人の息ぴったりの演技は多くの相撲ファンを魅了していた。

  

四股名の通り足立区出身の足立丸は高校を卒業し綱友部屋に入門した。亀戸出身の亀侍は唯一の同期入門で、出会って早々2人は仲良くなった。普段は根暗の足立丸だが、生粋のムードメーカーである亀侍といる時は毎回笑顔を見せていた。そしていつしか2人は横綱になる夢を語り合っていた。
「丸、同じ部屋の力士どうしは対戦しないって知ってるよな」
「もちろん」
「だからさ、本場所史上最多の同部屋力士どうしの対戦回数、俺ら2人で目指さない?」
「どういうことよ」
「同部屋どうしの対戦が唯一許される場はどーこだ?」
「優勝決定戦」
「そう。俺らがあまりにも無敵すぎて全勝し優勝決定戦で対決する。そんな場所が続けばいいな」
「そんな上手くいく?」
「やる前から諦めるなよ。夢持とうぜ夢」
「…」
「大丈夫。口に出していれば夢は叶うから。約束しよう、亀侍と足立丸は最強のライバル横綱になるんだって」

  

多少馬鹿げたことを言っても何故か受け入れてしまえる亀侍の包容力。足立丸はそんな親友の死を受け入れられないでいた。横綱になるという約束を果たさなければならないことはわかっている。しかし心と体が伴わない。気づけば番付は三段目まで落ちていたのである。

  

ある日足立丸は亀戸の街に繰り出した。下町の情緒を残しつつ現代的な雰囲気も交わり始めた面白い街。その象徴であるカメイドクロックにも程近い、総武線亀戸駅東口を出てすぐのビルにある喫茶店「侍」に入り浸る。カウンター席にはロッキングチェアがずらりと並ぶが、巨漢が座るとオードリー春日の如く壊してしまいそうなのでテーブル席につく。カウンターの方に目を遣ると、見覚えのある女性の姿があった。
女性の名は高田いちのえ、通称「ノエ」。東京場所ではいつも角の溜席に座っていて、大相撲中継でその姿が映る度「溜席の妖精」としてSNSを沸かせていた。しかし最近は姿を現していなかった。

  

足立丸はこの店の名物であるアイスコーヒーを注文した。8時間かけて丁寧に水出しされるコーヒーは香り豊か且つ清澄。何の気なしに飲むコーヒーとは違うものである。
ノエは常に姿勢を正していた。そういえば溜席ではいつも背筋を伸ばし正座をしていて、滅多に崩すことはなかった。ここでも、ゆらゆらが持ち味のロッキングチェアが1ミリも揺れていない。

  

一方猫背になりスマホを操作する足立丸は、ノエの現在について調べようとしていた。しかし情報が見当たらない。溜席の定位置に毎度座るくらいだからある程度相撲界に伝手がありそうではあるが、あくまでも普通の女性だからプライベートを詮索するのは不躾なのかもしれない。それでも足立丸は気になって仕方なかった。声をかけに席を立とうとした時、セットのケーキがやってきた。

  

ショコラトルテはベタベタの甘さを抑えカカオのフルーティさを活かす作りにしてある。クリーム主体で柔らかく口溶けも良い。この世にあるパティスリーのショコラケーキの大半を凌駕する落ち着きと上質さ。

  

ここでお手洗いから戻ってきたノエが足立丸の存在に気づいた。しかしすぐ目線を外し自分の席に戻る。隙を突いて話しかけることはできなかった。彼女はおそらく相撲に対する興味を失ったのだろう。親友を失い溜席の妖精も失い、人生で一番の強い喪失感に苛まれる。足立丸はそれを酒で流し込もうとした。ここは喫茶店でありつつバーでもあり、カクテルのラインナップもバーと遜色がない。店員を呼びメニューを持ってきてもらうと忽ち、「将軍カクテル」なるものを注文した。

  

ロックグラスの中に何かの蒸留酒とコーヒーの混合。甘さが最初に来て、徐々に蒸留酒の強さと苦味が一体化した味へとシフトする。

  

デザートも追加する。自家製プリン。世の喫茶店では卵感の強い固めのプリンが主流の中、こちらのプリンはトロッとした感覚も兼ね備える。卵の味が香ばしいカラメルと合わさり悦が生まれる。
プリンとは銘打っているが、クリームやフルーツが載っているため実質プリンアラモードである。生クリームは無駄な軽さとは無縁の、ミルクの甘さが滑らかに伝わってくるもの。プリンやフルーツに素晴らしく合う。フルーツももちろんフレッシュで、650円という値段を考えるとかなり優れたコスパである。

  

本当はもっと酒を飲みたかったし、フレーバーコーヒーなるものも気になったが、幕下以下は無給という厳しい世界。親からの仕送り以外で自由に使えるお金は無いため、この辺で店を出ることにした。するとノエも一緒に席を立った。
「どうぞお先に」会計の順番を譲る足立丸。
「ありがとうございます、足立丸関」
「僕のことご存知で」
「当たり前ですわ。溜席で連日のように見てきましたから」

  

会計を済ませた後、足立丸はもう少し踏み込んだ話を聞き出す。
「やはり貴方は、例の『溜席の妖精』さん…」
「世間からはそう言われていますが、正直申し上げますと恥ずかしくて…」
「そりゃそうですよね。急に注目浴びたら戸惑いますもの。それで溜席に来なくなった…」
「という訳ではなくてですね、実は私、足立丸関なら間違いなくわかってくださると思うのですが…」
「はい」
「亀侍関とお付き合いしていたのです」
「えっ!亀と…」
「知らなかったのですか?亀ちゃんとは大の仲良しでしたよね?」
「全く初耳です。亀ちゃん、って呼ぶんだ…」
「確かに亀ちゃん、恋の話は他人にしたがらなさそうでしたからね。亀ちゃんがいなくなって心に穴が空いてしまい、相撲を見るのがつらくなったのです」
「そうでしたか…」
「今日実は勇気を出してこの店に来ました。亀ちゃんと何度も足を運んだ思い出の場所なんです」
「僕もよく亀と来てました。『侍』って名前に惹かれて入ったら居心地良くて」
「ですよね。そしたら足立丸関がいらして。でも力士の方に声をかける勇気が出なくて。最初素っ気ない態度とってごめんなさい」
「いえいえ、お気になさらずに」
「ありがとうございます。何だか一歩踏み出せた気がします。明日の朝、稽古拝見してよろしいでしょうか?」
「もちろんですとも。ぜひいらしてください」

  

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